なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ) 16 **** 揺ら揺らと、振るべ 揺ら揺らと、揺ら揺らと 暗夜にとけ込む魂よ、影形なく、名すらなく 振るべ、振るべ、揺ら揺らと 鬼国より吹き来る風は、眠る魂振る、禍つ風 **** 一歩足を進めるごとに、段々と風が強くなっていく。僅かに妖気を孕んだそれは、確実に天狗に近づいていることを示していた。 強風のため走れなくなってしまったので、腕で顔を庇いながら歩いている。時折ぱらぱらという軽い音と共に枯葉や小枝が衣を掠めるが、目の前に真っ直ぐ伸びる道標だけは見失わない。風に煽られることもなく一直線に先を示す軌跡を追い、かなり山の山頂に近いところまで来ていた。 途端に突風が襲ってきて、そのまま渦を巻くようにして吹き上がる。なんとかそれをやり過ごすと、それまでの風が嘘のように辺りは静寂に満ちた。 いつの間にか、少し開けた場所にいたらしい。正面には周囲の木々よりも一回りも二回りも太い巨木があり、ちょうど政宗の目の高さ辺りにぽっかりと空いた洞が見える。 その中で、何かが光っているように見えた。だがよく見ればそれは光っているわけではなく、虚ろな暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる白い烏の姿だ。 孫市は政宗から聞いた昔話を脳内で反芻する。たしか、彼の友だったという異形は美しい羽の白い烏だったはずだ。今目の前にいる烏も美しい白い羽を持っていて、闇の中では金にも見えるその姿は神々しさすら感じられる。 烏は徐に瞼を上げると、じいと二人を見据える。不意に脳裏に声が響いた。 『まだ何か用か、人の子よ』 張りのある朗々とした声音は確かに昨日対峙した天狗のもの。 政宗は烏帽子を外して地面に放ると、懐から呪符を取り出して身構える。 「手を出すでないぞ、孫市。――山城、もう一度わしと戦え」 一つ瞬きをした烏は、頭を下げて可笑しそうに喉を震わせる。 『山犬風情がこの私と決闘だと?心意気は認めても良いが、命は大切にするものだぞ』 政宗はぎりっと奥歯を噛みしめた。 今の自分では、全力を出してもこの天狗を倒すことはできない。そんなことはわかっている。まだまだ修行も知識も足りなくて、陰陽頭に目をかけてもらえるほどの霊力を持っていても全く使いこなせない。山城が激昂して放った言葉はまさに的を射ていた。使いこなせない力なら、持たない方がいい。陰陽術は己だけではなく周りをも傷つけてしまう。それでも。 「貴様にわしの力を見せてくれる。覚悟は決めた」 烏の表情から笑みが消え、周囲を妖気が渦巻き始める。風がぶわりと音を立てて吹き抜けて、烏の姿が一瞬で天狗へと変わった。 背中で二対の黒翼が羽ばたく。顔の上半分を覆っていた面を外して懐にしまった山城は切り揃えられた前髪を掻き上げた。 掲げた右手に錫杖が生じて、涼やかな遊環の音を辺りに響かせる。 「そのような目をした者に本気で相対せぬは不義だな」 薄く笑った山城は孫市に視線を移した。 「そちらの人間もか?」 「俺は見届け人。ま、骨くらいは拾って帰ってやらねーとな」 肩を竦める孫市を振り返り、政宗は口の端を吊り上げた。 「安心せよ孫市。貴様の手は煩わせん」 口の中で呪を唱え、孫市の足元に一文字を引く。結界が織り成されたのを確認してから改めて山城に向き直った。 錫杖を構えるその姿は、隙だらけに見えて全く隙がない。時折わざと油断したように見せて、政宗が誘い込まれるのを待っている。 踏み込むことは容易だ。だがそれをすれば天狗の思うつぼである。こんな安い手には引っかからない。 政宗が看破していることに気付いたのか、山城はにやりと笑った。 「少しは学習したらしいな」 不意にその背中の翼が掻き消え、山城の姿勢がふっと低くなる。 高下駄が地を蹴るのと政宗が真言を唱え始めるのがほぼ同時。 「臨兵闘者皆陣列在前!!」 霊力の塊が山城の妖気とぶつかり合う。山城は錫杖を手の中で一度回し、横に一閃した。 空気を裂く音と共に風の礫が襲ってくる。結界を築いて相殺し、突き出された錫杖の柄は身を翻して躱した。 だが完全には避けきれず、首に提げていた数珠が音を立てて千切れ飛ぶ。瑪瑙や勾玉が辺りに散らばったのを見て印を組んだ。 「オンクロダヤウンジャクソワカ!」 破裂音が響くと山城の体が弾き飛ばされ、表情が僅かに歪んだ。 反転して木の幹に着地し、具現させた翼で空へと舞いあがる。羽扇を一振りすると突風が巻き起こり、鋭い刃となって政宗に襲いかかった。 「ナウマクサンマンダ、センダマカロシャダタラタカン!」 政宗の手元から放たれた符が風を纏い、山城が放ったのと同じような風の刃を作り出す。中空でぶつかりあったそれは激しい爆音と共に弾けた。 土煙に紛れて山城が政宗に接近する。振り下ろされる錫杖を結界で防ぎ、印を結んだまま政宗は叫んだ。 「縛!」 一瞬だけ目の前の表情が怪訝そうなものに変わった。描き出された五芒星は山城の腕の動きを僅かに抑制したが、その力全てを留めるまでには至らない。 妖力と霊力の均衡はほぼ互角。勿論、全力なのは政宗だけだ。これだけの霊力を注ぎ続ければすぐに力は底をついてしまう。 気合の声と共にぐわりと結界が広がる。押しやられた山城はばさりと翼を羽ばたかせた。 政宗は印を解き、中空に浮かぶ天狗を見据える。 「山城!わしは昔、貴様に命を救われた!そうじゃな?!」 「だったら何だ?」 言葉を詰まらせる政宗を見て山城はせせら笑った。一つに結われた髪が風に遊ばれる。 「面白い子供がいると思ったまでだ。まさかこんな不義の山犬へと成り果てるとはな…あの時見捨てた方がよかったかもしれん」 錫杖が閃き、小さな竜巻が政宗に襲いかかる。地面を抉りながら追い縋ってくるそれを霊力で相殺したが、風の煽りを受けてふらりとよろめいた。片手をついてなんとか体勢を戻す。 まだ天狗はこちらの力を測っているに過ぎない。一度だけ見えた彼の本気はこんなものではなかった。あのときは間に入った鬼が竜巻を防いだために大事には至らなかったが、直撃していたら政宗も孫市もここにはいなかったかもしれない。 続けざまに襲ってくる風に向かって刀印を振り下ろす。 「斬!」 風の渦をすり抜けた風刃が翼を掠める。僅かに散った羽を驚いたように見やって、山城は錫杖の遊環を一つ打ち鳴らした。 膨大な妖気が集まり始めて、天狗へと収束していく。強風に足元を掬われそうになるのを堪え、政宗が符を片手に結印した。 「謹請し奉る!降臨諸神諸神人、縛鬼伏邪、百気消除、急々如律令!」 手元から放たれた符はまっすぐに山城に向かっていき、錫杖に巻き付いた。 ばちっという音と共に天狗が眉を顰める。肉が焼ける嫌な音がして、咄嗟に錫杖を握っていた手を離した。 焼け爛れた手のひらから白煙が上がる。落下した錫杖が地面に突き刺さり、集まりつつあった妖気があっという間に霧散した。 忌々しげに政宗を睨み、山城が舌打ちする。その手に再び羽扇が具現した。 「縛!」 一閃するかと思われた腕が、見えない糸に絡め取られてぴたりと止まる。政宗が印を組み直そうとした途端、鋭い声が耳に突き刺さった。 「図に乗るな!」 妖気を爆発させて縛魔術を無理矢理打ち破る。撥ね返った術をもろにくらい、吹っ飛ばされた政宗は地に膝をついた。 一歩前に踏み出しそうになったのを、孫市はなんとか自制する。ここへ来る前、政宗からくれぐれも手を出してくれるなと念を押されていた。 初めて対峙したとき、山城は「将来が楽しみだと思った」と言った。つまり政宗は一度はその力を認められていたのだ。怒りに任せて放った退魔術に孫市を巻き込んだことに彼は怒りを露わにした。自らの力を制御しきれていなかったからだ。 内包する力を全て使いこなすことができれば、政宗は相当な術者になれる。ならば今できる最大の実力を天狗に見せつけてくれようと言っていた。 とっておきの秘策がある、とも。 政宗は印を組み直して中空を睨みあげる。 「わしが昔言った言葉は本心じゃ、山城!貴様を式と成し、わしは更に上へと上ってみせるわ!」 「戯言は彼岸で言え、梵天丸!」 激昂した山城の双眸が燃え上がり、一つ瞬きをすると光彩が反転した。漆黒の強膜の中央で、金の瞳がぎらりと邪悪に光る。瞬間的に広がった妖気で、錫杖に巻き付いていた呪符がさらさらと灰になった。 急降下して錫杖を掴んだ山城は再び中空へ戻り、政宗を見据えながら遊環を打ち鳴らした。今までで見た中では最大級の竜巻が生じる。あれを喰らえば、結界の中にいる孫市も無事では済まないだろう。 目が合っただけで腰が抜けそうな鋭い眼光から目を逸らすことはせず、政宗は目の前に素早く籠目を描いた。 「梵天丸ではないわ馬鹿め…!我が名は政宗!わしに従い、力を奮え!汝が名は天狗山城…否、兼続!!」 天狗の目が驚きに見開かれる。一際強烈に輝いた籠目が、その体を翼ごと絡め取った。 **** あと一歩で山を出るというところで、突然肩の重みが消えた。 どうしたのかと左近が振り返ると、狐は座り込んでじっと地面を見つめたまま動かない。不安げな表情を表して耳と尾が力なく垂れ下がっている。 苦笑してしゃがみこみ、小さな頭を撫でてやった。それでも歩き出そうとしないので、首根っこを軽く掴んですたすたと歩き出す。左近の意図に気付いたらしく狐がぎゃんぎゃんと吠えた。 『うわっこらやめろ左近!こここここういうのは心の準備というものが…っ!』 「なぁに言ってんですか。いい加減覚悟決めなさいって」 ここに来るまでの道中で散々やっぱり気のせいだとかまだ結界は残ってるんじゃないかとかぐだぐだぐだぐだぐだぐだと悩んでいた三成の言葉を片っ端から受け流していたので、いい加減慣れた。肝が据わっているものと思っていたが、意外と根性がない。とはいえ話を聞いた限りでは一千年ほどこの山に閉じ込められていたようだし、無理もないだろう。 ぎゅっと目を閉じている狐を見やって苦笑した左近は、躊躇する様子もなく山を出た。 案の定というか、何事も起こらない。 「ね?大丈夫だったでしょ?」 はっと目を瞠った狐が、忙しなく辺りを見渡す。左近の手から逃れて確かめるように地を踏み、山を振り返って入り口に立っている石碑の辺りを行ったり来たりした。 不意にその体が炎に包まれ、ひとの姿を取る。妖の姿に戻った三成は石碑にそっと手で触れた。 この石碑よりも外側に出たのは生まれて初めてだった。この辺りならばまだ石碑の内側からでも見えるので、初めてみる景色というわけではない。 勿論、結界を破る試みは何度もやってみた。全力で霊力をぶつけてみたり狐火で燃やしてみたり、生身で突進してみたり。三成自身は九百年ほど前に諦めたのだが、七百年ほど前には兼続、百五十年前に幸村がそれぞれ同じように試してみたもののびくともせず。というより、三成以外にこの結界は効かないのであのふたりは干渉すらできずに周囲の木を二、三本折っただけだった。木霊神がそのたびに怒り狂っていたのを三成と兼続は適当に受け流していたのだが、幸村だけは飛び上がった挙句土下座でもしそうな勢いで謝ったためにやっとましな妖怪がこの山にきたと神が大喜びしていたという逸話があったりするが、それはまた別の話。 瞑目して一つ深呼吸した三成は、振り向いて左近に歩み寄る。 「礼を言わねばならぬようだ」 「どういたしまして。ま、怪我の功名ってやつですかな?」 ゆらゆらと揺れている尾を見やった左近は、表情を引き締める。 「これで晴れてあんたは自由の身。これからどうします?外に出るの、初めてなんでしょう」 一緒に都に来るかと言外に問われて、少し考え込んでから三成は首を横に振った。 「都には四神の加護がある。下手に近づかぬ方が賢明だ」 それを聞いて、左近は無言で頷いた。都の内部には雑鬼はたくさんいるものの、外部から強力な妖が襲ってくることはほとんどない。陰陽師たちの力もあるのだろうが、守護に依るところが大きいのだ。 左近の目をじっと見つめて、三成は漸う口を開く。 「……お前には借りがある。何かあれば呼べ。俺にできることならば力を貸そう」 裸足の足が地を蹴る。ふわりと浮遊した三成はそのまま溶けるように姿を消した。 改めて己の姿を見下ろした左近は深々と溜息をついて肩を落とす。怪我は治してもらったものの、鎧は罅が入っているし着物もあちこち焦げていてひどい有様だ。問い詰められたら何でもないでは済まないだろう。 結果的に和解できたのだから、それでいい。とりあえずどっと疲れた。 肩を鳴らして一つ伸びをすると、左近は都の方へと足を向けた。 **** 地に付いた手が震え、鋭い爪が土を掻く。羽ばたこうとした翼は動きを抑制され、僅かに軋んだだけだった。 成り行きを見守っていた孫市は驚いた様子で目を瞬かせる。不意に目の前にあった結界が掻き消え、膝に手を置いた政宗は肩を落として荒い息をついた。 「く…っ!」 片膝を立てた状態のまま動けない天狗の額に汗が滲むが、絡みつく籠目紋はびくともしない。叩き落とされる寸前だった竜巻は嘘のように掻き消えており、辺りには静寂が満ちていた。 蹲る兼続の目の前に歩を進め、膝を折る。金の双眸が政宗を射抜いた。 「貴様……何故」 「懐かしい名じゃな」 不意に天狗が押し黙った。印を組んだ政宗が口の中で呪を紡ぐと、籠目の紋はすうっと掻き消えた。確かめるようにその背中で翼がはためいたが、縛魔術がなくなっても兼続は動こうとしない。その瞳が、通常の光彩に戻って涼やかな暗色へと変わった。 あの烏の瞳も、たしかこんな色だった。 「兼続、鬼道に堕ちかけたわしを現世に繋ぎとめてくれたのはお前じゃ。あのときの約束通り、少しは力をつけたぞ」 兼続の脳裏によみがえる景色がある。十数年のときは人間の感覚ではかなり昔のことかもしれないが、彼にとってはついこの間のことだ。 妖に襲われて、為す術もなく腰を抜かしていた幼子。放っておけば、あのまま死んでいたはずだ。ほんの気まぐれで助けてやったが、土煙に紛れていたので子どもには気づかれていないと思っていた。 いつもの烏の姿に戻ると、幼子――梵天丸は兼続を両手で捕えて笑ったのだ。「陰陽師になる。あの術者のように強くなったらお前を式にする」と。子供の戯言だろうと聞き流したが、正体が割れる前にと彼の前から姿を消したのもその頃だった。 しかし、まさかあんな昔のことを覚えていようとは。 喉の奥で笑った兼続が顔を伏せる。政宗は怪訝そうに眉を顰めた。 「なんじゃ」 「いや、山犬の記憶力を甘く見ていたのでな。少し驚いただけだ」 「何?!」 言い募ろうとする声を遮るように風が巻き起こり、一つ羽ばたきをして兼続は中空に舞い戻る。腕組みをして地上を見下ろすと、尊大な声音で告げた。 「口先だけではないことはまぁ認めてもよかろう。……だが使役に下るのはまだ了承できんな」 「往生際が悪いぞ貴様!」 立ち上がって吠える政宗に、天狗は柔らかな笑みを向ける。 「半人前に従うほど落ちぶれてはおらん。精々強くなれ。一人前の力を付けたら、そのときは式として仕えてやる」 「待…っ!」 ぶわりと風が吹き、兼続の姿は白い烏へと変化して空へ舞いあがっていく。腕で顔を覆って風を防いでいた政宗の頭に直接響く声があった。 『お前が真に願えば声は届く。覚えておけ』 はっとして顔を上げるが、そこには既に烏の姿はない。 草を踏みしめる音と共に孫市が政宗の横に並ぶ。動こうとしないその肩を肘で軽く小突いた。 「結構やるじゃねーか。見直したぜ?」 まさか本当にあの天狗に一矢報いるとは思っていなかった孫市だ。半ば本気で骨は拾ってやるくらいの気持ちでついてきたのだが、なかなかいいものを見せてもらった。秘策というのは、使役になる約束のことか。 反故にされなくてよかったと心底思う。そして、政宗が直感的に名づけたのがそのまま真名だったというのも奇跡的だ。 否、奇跡などではなく、その直感こそが彼の実力なのかもしれない。陰陽師の勘は只人のものとはわけが違う。己の勘を見定め、どこまで信じられるか。そこに関して言えば、かなり将来有望と思っていいだろう。 無言で空を見上げていた政宗は握り拳に力を込める。 やはり昔出会ったあの烏は彼だった。奇妙な巡り合わせだが、なんとなくこうなることはわかっていたような気もしているのだ。とはいえ兼続はまだ完全に認めてくれたわけではない。今以上に強くなり、実力をつけなければならないだろう。 しかし改めて思い返すと、命を救ってくれた術者に感動して色々と口走ったような気がする。尊敬している、あのような術者になりたい、その他もろもろ。言われた側だって少しは覚えているだろう。全部聞いていて全部知らぬ顔をしていたのかあの天狗。 「汚点じゃ…!!」 「?」 突然しゃがみこんで頭を抱えて呻く政宗を不思議そうに見やり、孫市は首を傾げる。落ち込む政宗を慰めるかのように、山の向こうから朝日が少しだけ顔を覗かせていた。 [*前へ][次へ#] |