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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
8

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打ち寄せる波に爪先が触れると、思ったよりも水温が高くて驚いた。もっと刺すように冷たいだろうと予想していたのだが。
それもそうか、と自虐する。もうとっくに春は来ている。自分はこんなところにいてはいけない。国中に春を告げなければならないのだから。
俯いて、その場に腰を下ろす。先ほどよりも強く寄せた波が衣を濡らしたが、気にならなかった。

「春を告げる神が不幸を呼んじゃうなんて、笑えない冗談ね……」

春は希望と目覚めの季節だというのに。
抱え込んだ膝に額を押し当てて瞑目する。こうしていると、あの怨嗟の如き恐ろしい声が甦ってくるようだ。
お前を逃がしはせぬ、と。
大きく息を吸いこんで、深々と吐き出す。神域の空気が清浄であるためか、それだけで大分落ち着いた。
これからどうしたらいいのだろう。このままではいけない、ということはよくわかっている。既に人間界には多大な影響が出てしまっているのだ。しかし、自分を追ってくるあの声を思い出すとどうしても足が竦んでしまう。全ては自分で蒔いた種だというのに。
水平線を見はるかしていると、何もかもどうでもよくなっていくようだった。

「あっ!目が覚めたのじゃな!」

突然背後から響く声。驚いて振り向くと、目を輝かせながら少女が駆け寄ってくるのが目に入った。
感じる妖気は独特なもの。半妖か、とすぐにわかった。お目にかかるのは初めてだ。
少女は小少将の顔をじろじろと眺め、一人納得した様子で何度か頷いて破顔した。

「ほむほむ、顔色もよくなっておる!教えよ!何故空から降ってきたのじゃ?」

直球すぎる問いかけに、小少将は思わずがくりと肩を落とした。背景を察して質問を控えようとかそういう気づかいらしきものは欠片も見えない。
ここまでくるといっそ清々しいというか。少し恨みがましげな視線を向けると、少女は今度は一転して眉尻を下げた。くるくるとよくもまぁ動く顔だ。

「まだ体調が優れぬのか?ここは神域ゆえ、回復も早いと思うのじゃが……はわわっ、大変じゃ!そこでは波で体が濡れてしまう!」

「あ……」

ぐい、と腕を引っ張られてそのまま立ち上がる。衣についた砂を払ってくれながらどこか座れる場所はないかと視線を巡らせている少女に、少し笑みが零れた。

「……優しい子ね。大丈夫よ、お気遣いなく。ちょっと気分転換と思って、海風に当たっていたの」

「おお、そうであったか!海風は気持ちがいいからのう!わらわも大好きじゃ!」

屈託なく笑った少女の赤みがかった髪が風に煽られて翻る。
暫しその様に目を奪われていると、ふと振り返った少女が軽く首を傾けてこちらに手を伸ばしてきた。

「む?これは……怪我をしておるのか?」

「えっ?痛……っ」

軽く触れられた側頭部から鋭い痛みが走り、思わず顔を顰めた。慌てた様子で謝った少女が手を翳すと、何やら暖かな妖気が流れ出てくるのを感じる。

「ちょ、何?」

「元親とかなりの勢いで衝突しておったからのう。大丈夫じゃ、たんこぶなぞすぐに治してみせようぞ!」

元親、というとさっきの神使の蛟の名だ。というか頭痛の元凶たんこぶだったのか。微妙に恥ずかしい。
少しの間じっとしていると、やがて妖気を纏った手が離れていく。先ほどまで髪が風に弄ばれるたびにちくちくとした痛みを訴えてきていたたんこぶはすっかり癒えたようだ。
妙な頭痛がなくなったら少し思考が前向きになってくる。礼を言おうとした途端、頬に冷たい水がかかった。

「きゃっ?!」

驚いて顔を上げる。視線の先ではいつのまにか履き物を脱いだガラシャが膝下まで海に浸かって、こちらへ向かって悪戯っぽく笑っている。どうやら彼女が水を飛ばしたようだ。
唖然としていた小少将だったが、知らず知らずに口の端が吊り上がる。

「………やったわね」

笑声を上げて駆け出したガラシャの後ろから、海面を走って追いかける。その足が水に濡れることはない。
振り返ったガラシャはその様を見て目を輝かせた。

「おおっ!すごいのう!木花咲耶姫様は木霊神なのにそのようなこともできるのか!」

「…見てらっしゃい」

ぱちん、と小少将が指を鳴らす。小さな水しぶきを上げて、ガラシャの目の前に豪奢な鰭を持つ魚が飛び出した。それは実体ではなく、水でできている。
その魚は口先をすぼめてガラシャの顔に水を吹きつけた。

「わぷっ?!」

驚いて後ろに転びそうになったところで、小少将が小柄な体を支えて砂浜へと連れ戻した。
音もなく浜辺に降り立つと、ガラシャが大喜びで手を叩く。

「はぁっ!すごいのう!今の魚もとっても綺麗だったのじゃ!」

「もう、あなたのせいで髪に塩水がついちゃったわ」

口では文句を言いつつ、小少将の面差しには穏やかな笑みが浮かんでいる。
こんなにも裏表のない相手と屈託のない時間を過ごしたのは、本当に久しぶりだった。本来なら神の周りにいるのは全てそのような存在であるべきなのに。当たり前のことすらすっかり忘れてしまっていた。
一つ息を吐き出してその場に腰を落ち着けると、小走りで駆け寄ってきたガラシャがちょこんと座り込んだ。

「師匠!先ほどの妙技、わらわに授けてほしいのじゃ!」

「え、師匠?なぁにそれ」

「あのような芸当は初めて見たのじゃ!元親も水を操ることはできるが…どちらかというと攻撃向きでのう。あっ、それが悪いというわけではないぞ?!わらわや父上や、水神様を守ってくれる力ゆえな!じゃが…わらわが先ほどの師匠のような技を使えるようになったら、父上と元親に自慢できるのじゃ!」

ちょっと過保護で優しいふたりに、成長した自分の姿を見せたいといつも思っているのだが、何しろふたり揃って長生きなのでちょっとやそっとのことでは驚いてくれない。
あのような綺麗で楽しい術が使えたら、ふたりの目を楽しませることくらいはできるかもしれない、と思ったのだ。蛇は水の性。相性は悪くないはず。
どこまでも真っ直ぐに笑う少女に、小少将は少し寂しげな笑みを向けた。

「そうね…じゃあ、いつかね」

「まことか?!約束じゃぞ!」

「ええ、いいわ」

小指同士を絡ませて、どちらからともなく笑い合う。
不意に、ガラシャの全身から力が抜けてかくりと膝が折れる。倒れ込んできた身体を優しく支え、起こさないようにそっと砂浜に横たえた。
少し妖気を抜いただけだ。時間が経てば何事もなく目を覚ますことだろう。
穏やかな寝息を立てる横顔を優しく見つめていた小少将の顔から不意に笑みが掻き消える。

「……礼儀がなってないわね、盗み聞きなんて」

ぞわりと肌が粟立つ感覚がする。
一瞬で弾けた墨汁のような瘴気が、清冽な島全体をあっという間に覆い尽した。





 

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