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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
15
咄嗟に、ああ死んだのか、という考えがよぎる。だが先ほどの戦闘で攻撃を受けた箇所は相変わらず激しい痛みを訴えていて、死んだのに何で楽にならないんだろうとちょっと思った。
不意に髪を引かれていた痛みが和らいだため、そこで漸く目を開けた。眼前には先ほどと同じ光景が広がっている。どうやらまだ生きているらしい。
否、同じ光景ではない。
先ほどまで凄まじい力を以て左近を翻弄していた狐が、両手で左胸を押さえてふらふらと後退している。まさか咄嗟に術を放ってしまったのだろうかと思ったが、あの状況でそんなことができるわけがない。
短く荒い呼吸を吐いていた佐吉は尻餅をつくようにしてその場に倒れ込む。鋭い爪が布越しに薄い胸板に食い込むのを見て、左近は仰天して身を起こすと狐に駆け寄った。

「佐吉さん!」

肩を掴んでも抵抗はない。それどころかその表情は苦悶に歪んでいて、口が何度もはくはくと無意味に開閉している。明らかに様子がおかしい。獣の耳と尾も力なく垂れ下がっていた。
ふと、狐の妖気の中に別の霊力が紛れ込んでいることに気づく。

「あのときの破魔矢…!」

彼の左胸を貫いた矢。その矢に巻かれた符に込められた霊力に間違いない。まだ傷が回復していなかったのか。
だが突然苦しみはじめたのはどういうことか。我慢していた様子はなかったし、声すら出ないほどの苦痛を堪えながらあれほどの力を奮うのはさすがに無理だろう。
となれば。

「呪詛か…?!」

落ち着いて神経を研ぎ澄ませば、彼の中にある霊力を辿って僅かな残滓が感じられる。それが伸びる方向は、都。
狐に破魔矢を当てることができたと知り、霊力がまだ残っているかもしれないと考えた誰かがそれを媒体に呪詛を行っているのだ。
どうする。このまま放っておけば佐吉の命が危ない。だが術を返せば今呪詛を行っている者が死ぬ。九尾の狐をこれほどまでに苦しめる術など、人間に返ればひとたまりもない。
目を見開いた佐吉が苦しみに耐えかねたのか舌を噛み切ろうとする。咄嗟に左近は自らの腕を噛ませ、寸でのところで自害を防いだ。
恨めしげに睨み上げられるが、勿論腕は外してやらない。犬歯が食い込んでちょっとどころかものすごく痛いが、そんなことはどうでもよかった。こんなことで彼を殺させてたまるものか。
激しく暴れる狐をなんとか抑え込みながら思案していた左近の脳裏に、不意に閃くものがあった。結界術以外の陰陽術はあまり得意でないが、背に腹は代えられない。これしか方法は思いつかなかった。
懐に忍ばせていた形代を取り出すと、佐吉の妖気とそこにある霊力を込める。瞑目した左近は口の中で呪を唱えた。

「――オン!」

真言が完成すると同時に形代を遠くへ放る。直後、形代が凄まじい炎に包まれた。奇妙にうねった炎が一瞬だけ九尾の狐の姿を取り、甲高い遠吠えらしきものを辺りに響かせる。すぐに霧散した炎は形代を灰も残さずに燃やし尽くした。そのときぼんやりと山の輪郭が歪んだが、そんなことには露程も気づかない。
佐吉の呼吸が少し落ち着いたのを確認してから腕を外し、一つ拍手を打つ。

「今斯く茲に、管掻を為しつつあるは、吾等が遊楽のためにあらず。神の御心を和めて、此鮮潔なる神座に招仰するものなり。伊吹戸主神、罪穢れを遠く根国底国に退ける。天の八重雲を吹き放つごとくに禍つ風を吹き払う」

清冽な風が吹き抜けて、山で澱んでいた空気が一気に攫われた。左胸を押さえる佐吉の手をそっと退け、そこに手を翳す。

「伊吹、伊吹よ。この伊吹よ、神の伊吹となれ。掛け巻くも畏き、素戔鳴大神、足名槌神、手名槌神、奇稲田姫神」

一瞬だけ佐吉の表情が歪んだが、先ほどのような異様な苦しみ方とは違う。再び山中に拍手の音が響いた。

「この神籬に天降り座せと畏み畏み申す。天の息、地の息、天の比礼、地の比礼、空津彦、空津姫、奇しき光」

どうにか真言を唱え終えて左近は大きく息を吐き出した。脱力してその場に座り込み、後ろ手に手をつく。集中が切れたせいで体中の傷が痛みを訴えてきて、あまりの激痛に眉を顰めて呻く。すると閉ざされていた狐の瞼が微かに震え、ゆっくりと開いた。
何が起こったのかわからない様子で視線を彷徨わせ、目の前にいた左近を見やって瞠目する。

「な、何だったのだ…俺は、……お前、何故」

言葉がまとまっていないのか、思いついたことをただ口走っているようだ。狼狽するその様子は先ほど左近を死の淵に追い詰めた姿からはあまりにかけ離れていて、色々と吹っ切れた左近は声を上げて笑った。
突然のことに驚いたのか狐の耳がぴんと立ち上がる。笑ったせいで咳が止まらなくなった左近は、ようやく発作が収まって胸をなでおろした。

「あんたが受けた破魔矢の霊力を媒体に、都で呪詛を行った者がいたようです。妖気をちょっといただいて形代に移して呪詛の対象を変えたんで、呪詛は完成してあんたは死んだことになってる。実際は、あんたの妖気を込めた形代が代わりに消滅しただけなんですけど……えーと、話ついてこれてます?」

「う、うむ」

真剣に何度もこくこくと頷く。やっと麻痺していた思考能力が戻ってきたのか、佐吉は怪訝な表情で首を傾げた。

「……何故俺を助けた。あのまま放っておけば俺は死んでいたぞ」

お前の目的は狐討伐だろうが、と続ける佐吉の頭に、左近は躊躇いながらも手を伸ばした。
そっと撫でてやると一瞬ぴくりと耳が跳ねたが、抵抗はない。借りてきた猫のようだと左近は少し笑った。

「だから最初から言ってるでしょう?俺はあんたと戦いに来たんじゃない。……怪我をさせたこと、謝りたくて」

驚愕に見開かれる目を真っ直ぐ見つめたまま左近が続ける。

「別にあんたを油断させて討ってやろうなんて露程も考えちゃいなかった。変に気を緩ませた俺が悪かったんです。まぁさっき助けたのでその辺は帳消しにしてもらえるとありがたいんですけど」

冗談交じりに言い、左近は片手に収まるほどの包みを佐吉に差し出した。
おそるおそる受け取って開いてみれば、中には小さな握り飯が二つ。ぽかんとする佐吉に、左近は片目を瞑って悪戯っぽく笑った。

「美人との約束は破らない主義でしてね」

やっと目的が果たせた。
すると、狐の背で揺れていた尾が掻き消え、一本だけ残った尾が力なく垂れる。完全に戦意を喪失したらしい様子を見てやっと一息ついた。
その途端に一気に疲労感が押し寄せる。後ろに倒れ込むと、狐が驚いた様子で立ち上がった。

「お、おい島左近!死んだのか?!」

勝手に殺さんでくださいと言い返そうとしたが、どうも洒落にならない。口の中に血の味が広がって、思わず手で口元を覆う。指の間から鮮血が滴るのを見て、佐吉が瞠目した。
佐吉は空いている右手を左近の目元に翳す。

「…?」

「動くな」

瞑目した佐吉が一つ息を吸い込むと、左近の体が仄かに燐光に包まれる。その正体は明らかに彼の妖気だったが、先ほどまでの荒れ狂っていたものとはまるで別物のように感じられた。
じんわりとした暖かさが全身に広がったと思った瞬間、全身を苛んでいた痛みが嘘のように消えていく。
唖然として目を瞬かせていると、目の前にあった手のひらが引っ込んで狐が心配そうな顔で覗き込んできた。

「大丈夫か…?」

腹筋に力を入れて体を起こす。痛みどころか疲労感すら消えていることに驚いて、ぺたぺたと全身をまさぐった。傷がどこにもない。
不安そうにこちらを見つめる佐吉に、左近は笑みを向けた。

「おかげさまで。来る前より調子いいみたいですよ」

嘘ではなかった。昨日彼が起こした爆発で負った傷すらもすっかり治っている。やっと安心したのか、佐吉は地面にへたり込んで深々と息をついた。

「よかった……その、俺は」

佐吉はぐっと拳を握りしめる。
左近がくれた握り飯は、美味だった。なんとなく口にした謝礼に、『また持ってきましょうか』などと戯れのように返された言葉。そんな約束とも言えぬような約束を守ろうとしてくれた人間を、自分は殺してしまうところだった。
人間が放つ言霊など信ずるに値しない。人は驚くほどあっさりと嘘を口にする。しかも悪気が無いから救えない。そう思って疑わなかったし、今のところほとんどの人間はそれに当てはまっていた。
だがこの男は違う。悟りでその心を見透かして気づいた。生まれてきてからずっとひた隠してきた寂しさを、左近にはあっさり見抜かれてしまったのだ。幸村や兼続にすら悟られまいとしてきたというのに。
だからこそ彼に裏切られたのだと思ったとき、悔しかった。それ以上に、胸が潰れそうなほど寂しかった。
すぐに相手を見限った佐吉とは対照的に、左近は最後まで信じてくれていた。結果、この命をも救われてしまった。
何から言っていいやらわからなくなって混乱しはじめた佐吉の頭に大きな手のひらがぽんと置かれる。
咄嗟に顔を上げると、柔らかな笑みにぶつかった。

「謝るのはこっちですって。本当にすみませんでした。これで許してもらえませんか?佐吉さん」

言葉に詰まった佐吉は思わず口を開閉させた。声が喉に絡まってしまったように、その口からは何も発されない。
沈黙していた狐が徐に閉口して顔を伏せる。

「どうしました?」

「…………だ」

「はい?」

声が小さくて聞き取れない。後頭部を掻く左近に、漸く狐は顔を上げた。

「佐吉ではない。俺の真名は、三成だ」

告げられた言葉がうまく頭に入って来ず、脳内で数回反芻してやっとその重大さに気づく。左近は思わず狐の顔を見つめた。
真剣な表情。彼は都で畏れられる大妖だ。放つ言霊に偽りなどない。
妖が術者に真名を知られること。それはつまり心臓を握られたのと同じことである。それが自ら名乗ったということを思えば、左近の問いへの答えはすぐに思い至った。
許す許さないなどという問題ではない。殺したければ今殺せと言っている。つまりこれは、不器用すぎる彼の謝罪だった。
実に素直ではない。だが実に真っ直ぐだ。
握り拳を震わせる三成を見つめていた左近は喉を震わせて笑った。びくりと跳ねた肩を軽く叩く。

「では、俺のことは左近と。島は姓なんでね。左近と呼んでください、三成さん」

思えば、悟り能力で見透かされてしまったために知られてはいたものの、自ら名乗ったのは初めてだった。
暫く左近の顔を凝視していた三成は、数回その名を口の中で反芻した。

「……すまなかった、左近。それと……あ、ありがとう」

言い慣れていないのか、礼は囁き声のように小さい。だがしっかりと左近の耳には届いた。
お互い言いたいことは言い終えた。いつの間にか夜は明けていたようで、東の空には太陽が僅かに顔を覗かせている。
眩しげに日の光を見やった三成の耳が、不意にぴんと立ち上がった。
何かに気づいた様子ですくっと立ち上がり、辺りを見渡す。まさか敵襲でも来たのかと左近も数珠を拾って片膝を立てたが、どうもそうではないようだ。

「無い……」

何が、と聞こうとしたが、三成が困惑した様子で見つめてきたので言葉を飲み込んだ。

「山の結界が、消えている」

左近は目を瞬かせた。
山の結界。確か、先代の九尾の狐が三成を媒体にして張ったというもの。左近たち人間には何も感じられなかったが、それのせいで三成はこの山から出られないのだと言っていた。それが消えているという。
あ、と何かに気づいて左近が声を上げた。

「多分ですけど…さっきあなたが呪詛をかけられたとき、妖気を移した形代が代わりに呪詛を受けて燃え尽きた。事実上はあなたが死んだことになってる。もしかして、それで媒体がなくなったことになって結界が消滅したんじゃ」

いやただの推測なんですけどと続けると、唖然としていた狐は不意に顔を逸らした。どうしたのかと思ったが、その背中では柔らかい毛で覆われた尾がゆらゆらと揺れている。
ふと左近は察した。これはもしや、犬とかが喜んでいるときのアレではなかろうか。
物は試しと斜め下から三成の顔を覗き込む。

「……嬉しいんですか?」

「!!こ、このようなことで嬉しいなどと」

わかりやすすぎる。
更にそっぽを向かれたことに声を上げて笑うと、三成は肩越しに振り返って悔しそうに歯噛みした。表情とは裏腹に尾はまだ揺れている。自覚がないらしい。
そしてここに来て左近は、自分が物忌み中で自邸に籠もっていなければならない身であることを不意に思い出した。普段はそんなことは気にもしないのだが、今回は左大臣の命を受けて動いた以上、一応規定通りにはしなければならない。
目的は果たせたのだから、長居する必要もなかった。もう少し狐と話していたかったが彼もそろそろ疲れているだろう。

「それじゃ、誤解も解けたことですし、俺は退散しますよ」

ぱっと振り返った三成に一礼し、左近は踵を返した。その場で逡巡していた三成は咄嗟に獣の姿へと変化すると、勢いをつけて左近の肩に飛び乗る。

「うおっ?!」

突然肩の上に現れた狐に驚いて思わず素っ頓狂な声が出た。振り落としかける直前で、聞き覚えのある声が脳裏に直接響く。

『山を出る所まで連れていけ。……勘違いするなよ、結界が本当になくなったか確かめるだけだ』

低い声音と尊大な口調は間違いなく三成のもの。よく見れば野生の獣とは違って毛並も美しい。
言い方はだいぶ遠まわしだが、どうやら見送りをしてくれるようだ。道がわからぬ、とかごにょごにょ言うのが聞こえたが、山から出たことがないだけで千年も生きている狐がこの山を知り尽くしていないはずがない。あらぬ方角を見やっている狐の背に手を回して撫でてやり、少し笑った左近はいつもよりゆっくりな歩調で歩き出した。



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