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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
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ずっと同じ姿勢を保っていたために凝り固まった肩を揉みほぐし、光秀は長々と息を吐き出した。
年は取りたくないものだ…と、そこまで考えたところでまるで人間のようだと思い至って渋面をつくる。思考回路が人間に近づいてきたのだろうか。
大雪騒動がやっと収束したというのに、内裏に舞いこむ案件は官人たちに休む暇を与えてはくれない。とはいえ、今抱えている問題は毎年のことではあるのだが。

「今年もこの時期が来てしまいましたね……」

陳情書を広げて眺めながらがっくりと肩を落とす。
流行病。
季節が変わるこの時期。特に冬の入りは、病が毎年蔓延する。何故同じような症状で同じような時期に、流行るとわかっているにも関わらず罹患してしまうのか。人間の体というのは抗体というものを作らないのか。なんとも難儀なことである。
光秀は妖なので人間たちを蝕む病の苦しみはよくわからないが、高熱というのはことのほか辛いものらしい。

『わしも去年はそりゃあひどい目に遭いましてのー。女房がいたもんで事なきを得たようなものの……その女房にまでうつってまうからたまったもんやないですわ』

『それはまた、北の方様も災難にございましたな。かく言う私も、この時期は特に気を付けておりまする。以前、熱に浮かされて三途の川が見えるのではと錯覚した年もあり申した』

秀吉と家康がそんな話をしていたのは前年だっただろうか。光秀殿もわかるじゃろ?!と振られ、曖昧な返事を返したような気がする。
二人の会話の様子からして、本当に辛い症状なのだろう。多分光秀が理解することはこれからもないだろうが。
しかし、そこでふと思いついた。娘のガラシャのことだ。
半分自分の血を継いでいるとはいえ、残り半分は人間の血である。今まで一度も感冒のような症状が出たことはなかったが、何かのきっかけで病が移る可能性もないとは言い切れない。
その場合どうしたらいいのだろう。人間たちが服用する薬で妖に同じような効果があるのか。治癒の力は持ち合わせているが、主に怪我を治すものだ。病気というのは治せるのかわからない。
人の身であった自分の妻はもうずっと昔に儚くなってしまったが、当時は光秀と共に人界とは違う場所で暮らしていたおかげなのか、妻が病にかかったことは光秀の知る限りでは一度もなかった。
そういえば以前、内裏で高熱を出した官吏がいたときには周りの人間たちが水で冷やした布を男の額に当てていた。あれが応急処置なのだろうか。いざとなったらやってみよう。「いざ」がないのが一番だが。
貴族たちが持つあらゆる教養を習得している光秀だが、わざわざ教えられなくても知っていて当たり前の常識というのは一番難しいとつくづく思う。知っていて当たり前なので誰も教えてくれないし話題にもしない。書物にも載っていない。しかし、知っていて当たり前であるがゆえに少しでも人と違うことをすると非常に浮いてしまう。こればかりは周りに感付かれない程度に顔色を窺いながら、自然かつ速やかにやるよりほかにない。
心配事は数え始めるときりがないので数えないようにしているのだが、どうにも娘のこととなるとそういうわけにもいかないものだ。そこは人の親も妖の親も同じだろうと思う。
そんなわけで、この時期の光秀の脳内は毎年実に忙しないことになっているのであった。

『都で広がる前になんとかしたいが……』

さすがに全ての民に薬を配布するというわけにはいかない。となれば広がったときのために、帝とその周辺、それなりの地位以上の貴族の分くらいは最低限確保しなくては。
そしていつまでも病ひとつにかかずらってもいられない。巻物を広げたまま文机に戻し、深々と嘆息した。




時を同じくして、文机に巻物を広げている官吏がいた。蔵人頭黒田官兵衛である。

『今年も来たねぇ流行病の季節が』

「そうだな」

のんびりと声を上げたのは官兵衛の傍らで寝転んでいる猫又だ。ごろりと寝返りを打ち、官兵衛の足に前脚を絡めてみるが完全に無視された。
気付いていないはずはない。内裏にいるときの官兵衛は常に神経を尖らせていて、ほんの少しの物音にも鋭敏に反応する。直接触れている気配に無反応ということは、単に反応するのが面倒臭いという無言の抗議に他ならない。
だんだん官兵衛の自分に対する扱いがぞんざいになっている、とこのところ顕著に感じる半兵衛である。式になりたての頃は気遣ってくれたりしていたのかと聞かれれば最初から遠慮なくこき使われていた気がするが、それでも絡んでみれば「何だ?」くらいは返してくれたはず。
まぁ、だからといって幻滅するかといえば、しないのだが。何せ半兵衛は別に官兵衛に乞われて従っているわけではなく、好きで彼の傍にいるのだ。そして出ていくね、と鎌をかけてもそうか、くらいしか言われない恐れもある。それは非常に悲しい。
多分官兵衛も、そんな半兵衛の心象を知っていてこの反応を返している。

『また俺調べにいこうか?人間じゃないからうつんないし』

「無駄なことはせずともよい」

ぴしゃりと言い放たれて少し頬を膨らませたものの、それに対して反論はしない。
半兵衛は去年も流行病が広がったときに原因調査に協力すべく駆けまわったのだが、結局何かの病原菌が原因らしく人から人へ感染するようなので原因になるような事象はなく、自然に収束するのを待つのみという結果であった。
動物やら食物からの伝染病でないとわかっただけましといえばそうなのかもしれないが、半兵衛は個人的にあの調査結果はお粗末すぎたなと反省している。
一つ溜息をつくと妖の姿に戻り、後頭部で手を組んで官兵衛の背中に寄りかかった。

『……まあ、俺は官兵衛殿にうつりさえしなければ病なんてどーでもいいし』

口に出すと無言で睨まれそうなので、心の中で呟いておく。
半兵衛だけでなく妖たちはみんなそうだが、基本的に人間界で起こっていることには興味がない。半兵衛は官兵衛の使役で、主である官兵衛に害が及ぶようなときには勿論対応するが、それ以外の人間が何人死のうが知ったことではないというのが正直なところだ。
官兵衛が都に暮らす人々のために働いているから、半兵衛はその手助けをしている。その結果が都の人々へ恩恵を与えることになっている、というだけの話だ。
ここのところ都でよく見かける三大妖たちも基本はそうだと思うのだが、半兵衛から見ると鬼と狐に関しては使役でもないのになんであそこまで頑張ってるんだろうと思うことも少なくない。なんというか、義理堅いというか、友達想いな後輩たちである。

「………衛、半兵衛、聞いているのか」

「…うん?あっごめん、なぁに?」

埒もないことを考えていたら官兵衛の言葉を受け流してしまったらしく、慌てて謝罪する。盛大に溜息をつかれた。

「陰陽寮行きの書簡の中にこれを」

内裏では他部署への報告やら書簡は、少し貯めてから決まった時間にまとめて届けられることになっている。一人一人が各々届けていては時間の無駄だと、このやり方を提案したのは官兵衛だった。

「お安い御用。何?祈祷の依頼?」

「そんなところだ」

最近地方で流行病が出たという。どこぞの神の怒りにでも触れたのではないか。
ここのところ官兵衛のところに直接上がってくる貴族からの陳情はほとんどがそのような内容だった。
術者でも陰陽師でもなく霊力もない、ただひとより少しばかり視えるだけの官兵衛からしてみれば知るか、の一言であるが、その一言で片付けられるのならば苦労はしない。
彼らは形だけでも内裏が何か対応をしてくれることを望む。典薬寮にある程度の薬は確保してあるとかそういったことではなく、何か目に見える形での対処をしてほしいのだ。どこかで怒っているかもしれない神やらそれに属するものたちを鎮めるといった方向で。
視えもせぬのに、とぽつりと零したら以前半兵衛に爆笑されたが。
そんなものは直接陰陽頭に陳情しろと何度言っても何故か官兵衛のところにも上がってくるので、まとめて丸投げすることにした。こちとらお悩み相談に乗っているほど暇ではないのだ。
人間というのは存外単純なので、本当に形だけでも対応さえしてもらえれば安心するのだ。依頼さえしてしまえばあとは陰陽寮の領分である。
獣の姿へと変化して軽い足取りで歩き出す半兵衛を見送り、官兵衛は山積した陳情書を視界の隅へと押しやった。




官兵衛からの書簡が陰陽寮へと届けられたのは、その日の夕方のことであった。
陰陽頭はもうすぐ終業時刻というときになって届けてきたのはどこのどいつだと憤慨していたが、官兵衛の名前があるのを見ると飛び上がって一転目を皿のようにしながら真剣に書簡を眺め、祈祷の準備を取り計らうようにと通達を出した。
周りの陰陽生たちと一緒に慌ただしく駆けまわりながら、政宗は実に冷めた目で現状を見据えていた。

『ふん……どうせ陳情が多すぎるから表面上だけ何かしておこうというしょうもない魂胆が見え透いた祈祷であろうに』

そして例の如く碌でもない予想はよく当たる。大当たりであった。
遅かれ早かれやることにはなるだろうと思ってはいたが、蔵人頭の堪忍袋の緒は思ったより脆かったらしい。
ただでさえ常に書簡に埋もれている官兵衛にこれ以上負担をかけて倒れられでもしたらたまったものではないので、早めに要請を出したのは賢明だ。見かけに反して官兵衛が病に倒れたというような話はほとんど聞いたことがなかったものの、万が一ということもある。彼の代わりを務められる権限を持つものはほとんどいないので、空席になると非常に困るのだった。
しかし、官兵衛の書簡からは面倒だからそっちで何とかしろと言わんばかりの雰囲気がありありと伝わってくる。確かに管轄外の官兵衛にこんなことを陳情する貴族もどうかと思うが、丸投げするのも如何なものか。
それに政宗が見たところ、今流行っているという病は毎年恒例の季節的なもので、特異な原因があるとは思えない。貴族たちの不安はただの杞憂でしかないのだ。
即ち、本来陰陽寮に来るべき案件ですらない。なかなかどうして、人間の心理に根付く目に見えぬものに対する漠然とした不安感というのは大きいようだ。

「伊達殿!」

思考の淵から呼び戻されてはっとして顔を上げると、先輩の陰陽生の一人がこちらに向かって手招きをしている姿が目に入った。走らないように気を付けながらできるだけ急いで歩み寄る。

「貴殿に客人だ」

「……私に?」

はて、わざわざ呼び出してまで用件とは一体誰だろう。
陰陽寮に所属している以上腐っても陰陽師の端くれだ。地位を持たないがゆえに強力な貴族との繋がりが薄いと判断し、敢えて下級の陰陽生に声をかけてくる貴族は実は少なくない。政宗も簡単な占や修祓程度ではあるが、依頼を受けたことは何度もある。
しかし最近はそんなこともなかったのだが。相手に全く見当がつかない。
指差された方に視線を向けると、小山のような人影が目に入り思わずぎょっとした。

「突然の御無礼、お許し願いたい」

腹の底に響くような低い声だ。男が下げていた頭を上げると、予想以上に見上げる位置に顔があることに驚いてしまう。
驚いていたのは政宗だけではなかったようで、対応をしてくれていた陰陽生はそそくさと寮内へと消えていった。一人にする前に紹介くらいはしていってほしい。
不躾なほど凝視する政宗の視線など意に介していない様子で、男は口を開いた。

「拙者、右大臣徳川家康が家臣、本多忠勝と申す者。貴公のお噂はかねがね聞いておる。伊達政宗殿、何も聞かずに共に来ていただきたい」

一方的にそれだけ喋ると、忠勝は一礼してくるりと背を向けた。
政宗はというと、これが生涯一度も傷を負ったことがないという猛将かとか、何でその本多忠勝がわざわざ自分になど会いに来るのかとか、そんなこと言われてハイハイと付いていけるかとか色々言い返したいことはあったのに決定事項とばかりに背中を向けられては反論も出てこない。
さてどうしたものか。徳川家康といえばいつぞやにあの冥府の鬼を激昂させた張本人である。あまり良い印象ではない。
しかし、先を歩いていったはずの忠勝は途中で立ち止まって肩越しにこちらの様子を伺っている。ついてこなければ梃子でも動かぬと言わんばかりだ。
ちらりと陰陽頭の方を振り向いてみれば、どうやら官兵衛からの書簡の依頼をどうするかでてんやわんやらしく、多分政宗が部屋の外に出たことにすら気づいていない。上がばたばたしているうちは下っ端の出番はないだろう。
時刻は終業に近い。今日中に指示が下ることはないと見ていい。そして今日の分の仕事は終わっているので、終業時刻になれば帰路につくだけだ。
沓を引っ掛けて庭に降りると、既に歩き出していた忠勝の背中を追った。




 

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