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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
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ごぼごぼと音を立てて沸騰する真っ赤な池から天を掴もうとするかの如く亡者の手が突き出される。
必死に伸ばしてやっと空気に触れた腕はしかし、すぐさま槍の柄に突っつかれて再び池の中へと沈んでいった。
池の畔に降り立った幸村は一つ息をつくと片手を軽く振る。
近くで燃え盛っていた炎が池を取り囲み、元々煮え滾っていた池が更に激しく泡立った。池の底から亡者たちの叫び声が聞こえてくるが、聞き慣れたものなので気にせず踵を返す。
地獄に落ちる亡者は、生前に殺人以上の罪を犯した者たちだ。やむを得ない事情による殺人で刑期が短くなることもあるが、呵責の内容は変わらない。灼熱の炎に身を焼かれ、どんなに苦しもうとすぐに肉体は再生し、絶え間ない苦痛が果てしなく続く。
そしてそれがどんな人間だろうと、地獄に落ちた以上、鬼たちは彼らに対する容赦や情けの心は一切持ち合わせていない。それができないようでは獄卒など到底務まらないからだ。

「幸村様〜!」

上空から明るい声が響いてきたので、自然と視線がそちらに向く。
滑車に宿った鬼火が弱まり、身軽に地面に着地したくのいちがにかっと笑った。

「お疲れ様です!あれ?なんでお面?」

「長らく人界で安穏と過ごしていたせいか「表情に威厳が足りない」と周りに指摘されてしまってな……ずっと眉間に皺を寄せているから大丈夫だと言ったのだが、何故かお館様に止められた」

「賢明な判断スね……」

むしろ何故そこで「眉間に皺を寄せればいける」と思ったのか。やれやれと言わんばかりの幸村を微妙な面持ちで眺めてしまうくのいちである。
そもそも素の顔で威厳が足りないと言われる時点でどうなのかという話だが、そこには本人をはじめ誰ひとりとして思い至らなかったようだ。
何はともあれ、いつでも会える範囲に幸村がいるということで今のくのいちはとても機嫌がいいのである。別に人界にいたとしても会いに行くのはさほど難しいことではないが、いつまでも狐と烏に取られっぱなしでは癪ではないか。甲斐も今日は地獄道に行くと鼻息を荒くしながら意気込んでいたが、氏康に首根っこを掴まれて修羅道へと連れ戻されていた。

「どうです?久しぶりの獄卒のお仕事は」

「そうだな、妖気を抑制しなくて良いから気が楽だ」

軽く笑った幸村は面を外して素顔を晒す。と、面に込められた霊力によって抑えられていた妖気が緩やかに辺りに広がった。
この面を始め、人界にいるときの幸村は自身の妖気を隠すために様々な封を施している。一番強いのは首飾りの宝玉だが、それも今は信玄に預けたままだ。
三大妖と呼ばれる彼らが妖気を垂れ流し状態にしているのは、近隣の人間たちの精神衛生上大変よろしくない。そこまで気を遣ってやる必要もないだろうと思わないでもないが、騒がれても面倒なので自粛しているのだ。
三成と兼続の場合は器用に自分たちの妖気を自然の気に同調させて隠しているが、生憎幸村は昔からそういった芸当は大の苦手であるため道具頼みになっている。とはいえ、感情が昂ぶったりすると制御が効かなくなるのは皆同じ。
はぁ、と幸村は一つ嘆息した。

「この面も、外していた方が楽なのだが……威厳というのはやはり、精進の賜物なのだろうな。ゆくゆくはお館様のようにその場に在るだけで威を示すほどにならねば」

「ゆ、幸村様はそのままでいいですって!」

「………そうか?」

首を巡らせた幸村はくのいちを見やると困ったように眉尻を下げた。どうやら彼なりに気にしていたらしい。
さて、どうしよう。下手な慰めは逆効果だ。言葉次第では突拍子もない解釈をされる恐れもある。普段は物凄くしっかりしているくせに、責務を離れると途端に同胞たちから口を揃えて天然と称される幸村の考えはたまに意味のわからない方向へ飛躍をすることがあるのだ。
とはいえずっと眉間に皺が寄った幸村など断固反対である。が、かけるべき言葉が思いつかない。
ゆえにくのいちは話題を逸らすことにした。

「そういえば!信之様がお戻りになったんですよね?」

さすがに方向転換が急すぎるだろうと我ながら心配になったものの、とにかく今は幸村の注意を別の方向に逸らしたい。
あからさますぎたか、と思ったが、幸村は目を大きく見開くとくのいちにずいっと詰め寄った。

「本当か?!兄上が?!」

「はれ?ご存知なかったんですか?」

予想外のことにくのいちは首を傾げた。あの兄のこと、真っ先に弟の顔を見にすっ飛んで行ったとばかり思っていたのに。
幸村の元へ来ていないとなれば、逆にどこへ行ったというのだ。
くのいちも実際に信之の姿を見たわけではなく、信玄から世間話でもするかのように軽く話題に出されただけである。百年ぶりの再会となればもっと大仰に教えてくれてもいいのではないかと思わないでもなかったが。
そう伝えると、幸村は軽く頷いた。

「そうか……ならば、お館様に直接伺ってみることにしよう。ここを任せても良いか?」

「もちろんです!」

笑顔で頷いたくのいちは、池の中から亡者が伸ばしてきた腕を見もせずに蹴り戻す。異形の足が地を蹴ると、神速で飛び出した幸村の姿はあっという間に遠ざかっていった。





獄吏たちに引きずられて法廷から出ていく亡者の姿が見えなくなってから、一つ息をついた信玄はこきこきと肩を鳴らした。
さすがにこの年になると長時間座っているだけというのも辛くなってくる頃だ。人界で幸村と懇意にしている狐や猫又のように、霊力を駆使して若い姿を維持するのも一手かと思っている。
のだが、あまり若々しすぎると閻魔王の偶像が崩れてしまうと周囲の反発に逢い、今のところは実現しそうにない。文句を言うなら代わりにやってみろと言ってやりたいくらいだ。
どうせ面被ってるから見えないのにと氏康に零したら、そういう問題じゃねえと一蹴されてしまった。ひとが真剣に悩んでいるというのに、なんとも冷たい男である。
ちなみに年齢と外見に関する話題で謙信の姉である綾御前の名前を出そうものなら、いくら天下の閻魔王といえど氷漬けにされそうな気がするのであえて避けている信玄だ。地獄の熱さにも負けない万年雪の中に閉ざされてしまえば、神に通ずる存在だろうと命の保証はない。下手をすれば部下たちもろとも一網打尽にされる。
以前軽い冗談のつもりで話題に出した氏康が心に変な傷を付けられて戻ってきたので、友の背中から色々と学んだ信玄だ。綾御前の性情に関してはあの謙信ですら明言を避ける節がある。
上下関係が実にはっきりしているのだが、わりと姉弟の仲は良好だ。ああ見えて謙信は姉を立てるのがとても上手い。
埒もない思考に囚われていたら、重々しい音を立てて法廷の扉が動き出す。

「お館様!」

次の亡者が入ってくるのかと思ったら、姿を見せたのは数日前に里帰りをした幸村だった。
面の奥で信玄の瞳が柔らかく微笑む。

「おお幸村。どうかね、久しぶりの冥府は」

「はい!皆変わらず息災のようで、安心いたしました」

明るく応じる幸村に破顔しながらそうかそうかと返す。
だが、幸村は珍しく落ち着かない様子でそわそわと辺りを見回した。

「お館様、先ほど、兄上が戻られたと耳に挟んだのですが……」

信玄は目を丸くすると一つ瞬きをする。
そういえば、世間話ついでに散々周りに言いふらしたものの、一番伝えるべき幸村には話していなかったような気がした。
すっかり忘れていたが、獄卒の仕事をこなしている最中の幸村は少し足を止めて雑談、などということはほとんどしないのだ。なんとも生真面目な男である。
軽く笑った信玄は幸村の肩を軽く叩いた。

「いやぁすまんすまん、隠すつもりはなかったんじゃが。……なんというか、儂の部下がおことら兄弟でよかったよ。実に平和で」

「はい?」

何のことかと首を傾げる幸村に、信玄は軽く笑って気にするなと答えた。

「信之なら、十日ほど前に戻ってすぐに人界へ飛び出して行ったよ。行き会わなかったかね?」

「えっ」

信玄の言葉を受けて、今度は幸村が目を丸くする番だった。
十日ほど前といえばちょうど自分が地獄へ戻ってきたあたりではないか。
何もこんなここぞというときに人界に向かわなくても。これは、入れ違いになってしまった可能性が非常に高い。

「そうでしたか……」

明らかに消沈した様子の幸村はしょんぼりと肩を落とした。彼に三成のような獣の耳と尻尾があったなら、力なく垂れ下がっているに違いない。
あと三日、こちらに来る日をずらしていたら間違いなく会えたはずだ。三日早く戻って来たとしたらちょうど信之が信玄の元へ顔を出したときに気が付いただろうし、三日遅かったとしても人界に降りた気配を察することができただろう。
こんなときくらい思考回路までかぶらなくてもいいのに、と思わないでもない。
椅子に凭れ掛かった信玄は顕現させた軍配でぱたぱたと顔を煽いだ。

「元気そうだったからそんなに心配しなくてもいいと思うよ。おことが人界で三大妖などともてはやされていると教えてやったら目を丸くしていたがね」

くつくつと喉の奥で笑いながら言う信玄を驚いたように見返して、幸村は眉尻を下げると恥ずかしげに頬を掻いた。

「噂が独り歩きし、勝手に広まった呼称に過ぎませぬ。人の子らは我ら妖におかしな幻想を抱いておりますゆえ」

人間は妖怪を恐れていながらも、心のどこかで好奇心をくすぐられるのだろう。実は良い妖怪だとか守り神だとか、そんな尾ひれ足ひれがついていることもある。
自分のことを好き勝手言われるのは気分の良いものではないと思っていたが、あまりに色々なことを言われるので一体どれほど種類があるのかと気になり始め、最近ではそれらしき話題が聞こえてくるとこっそり耳を澄ましていたりする。これが結構面白い。
やれ人を食っただの美しい娘を攫っただの、ほとんどが身に覚えのないものだったが、風神雷神の脅威から都を護ったとかいう完全に間違いとは言い切れないものまで本当に色々あるのだ。
情報収集は兼続の方が得意分野なので、よくこの手の話を仕入れてきては、面白半分呆れ半分に幸村と三成にも聞かせてくれる。
最初は何が面白いのか理解に苦しむと言って全く興味を示さなかった三成も、近頃は時々耳を傾けては誰だそんな根も葉もない噂を立てた馬鹿は、と文句をつけていたりと各々で楽しんでいた。
くのいちと甲斐が浄玻璃鏡や三途の川の水鏡を通して時々人界の幸村の様子を窺っていたのを視界に捉えていた信玄は、実はその辺の事情も知っている。

「人間たちが我ら異形を恐れ、忌避し、畏敬の念を抱いているなら、それも一つの共生の形と言えるよ、幸村。一番恐ろしいのは、人の心から我らの存在が消えてしまうことだ」

「――心得ております、お館様」

もし、人間たちが誰一人として妖の存在を信じなくなってしまったら。
たとえ見鬼の力を持った者がいても、「存在を知らない」ものを視ることはできない。視えたとしても、目の錯覚か何かだと片付けて終わり。
人間たちは妖の存在を知っていて、一部の感性の鋭いものはその姿を実体として捉えることができる。「視よう」としなければ、「視えるもの」がそこかしこにいることがわからなければ、彼らの目に妖の姿は映らない。それだけの話だ。
獏によって、人間たちの記憶が一時的に消えてしまったとき。親交を深めた彼らに刃を向けられたことは苦々しい想いと共に記憶に刻まれているが、それでも彼らは「妖」というものの存在自体を忘れてしまったわけではなかった。
倒すべき敵として、ではあったが、彼らの目にはまだ三大妖の姿が映っていた。今思えば、それは不幸中の幸いだったのだろう。
と、そこで信玄が、ああ、と声を上げた。

「人間といえば、三大妖討伐軍なんてのが出てきたことも話してやったよ」

「……………………え?」

しんみりと感慨にふけっていた幸村は、一気に現実に引き戻された。
三大妖討伐軍。ああそういえば、そんなこともあった。あれが慶次殿との初邂逅だったではないか。古くからの付き合いのような気になっていたが、そういえば出会ってからそんなに時間は経っていないのだな。否、重要なのはそこではなく。
なんだか、とても、嫌な予感がする。

「ち、ちなみにどのように……?」

「うん?おことの所に武装した人間たちの軍が押し寄せたと。いやはや、あれはこっちでもしばらく語り草だった」

あれだけの大軍勢が動いてあれだけ幸村を怒らせたというのに死者が一人も出なかったということで、長いこと獄卒たちの話題を席巻していた。たった一人の人間風情が温厚な幸村をあそこまで激怒させたことが一番の話題だったが。
だが幸村は信玄の笑い交じりの補足などほとんど聞いていない様子で、若干青ざめて見える顔色をしたまま頭を垂れた。

「お、お館様、申し訳ありませぬが、これから人界へ参りたく存じます」

「ほ?」

疑問符を浮かべる信玄を見上げた幸村の瞳は、かつてないほど焦燥に彩られていた。
そう、彼は今とても焦っている。

――早く兄上の元へ行かなければ、慶次殿が危ない。




 

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