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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
9

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まだ父は邸に戻っていないようだ。
塀の外から中の様子を探り、何の気配もないことを確認してガラシャはほっと一息ついた。
勝手に邸を抜け出したのはこれが初めてではないが、次ばれたらそろそろ本気で結界でも張られて閉じ込められそうだ。さすがに光秀の全力の障壁を破れる自信はない。
しかし、どうして今日は外にいたのだろう。都の小路にいることに気づくあたりまでの記憶が奇妙にぼんやりとしていて、どうやって邸を抜け出したのかさっぱり思い出せなかった。
いつもなら近場で市が開かれていたりと、それなりに目的があって抜け出すのだが。
最近、こういうことが時々あるのだ。気が付くと自分でも知らない場所に立っていたり、歩いた記憶がないのに場所を移動していたり。
そのたびに父から夜はおとなしく寝るものですよ、と諭されていたが。
首を傾げていると、鼻腔を甘い花の香りが擽る。

「む……?」

巡らせた視線の先にあったのは、満開に花を咲かせた桜の木。美しく咲き誇る桜に、ガラシャの目は釘付けになった。
うちの庭に桜などない、と父は言っていたが。今度こそ間違いない。やはり夜中に見た桜は夢ではなかったのだ。

「……そうじゃ!」

またいつ散ってしまうかわからない。今のうちに一輪だけ摘んでおき、それを見せれば父も納得するはずだ。
良い考えだとばかりに上機嫌で桜に近づくと、静かに手を合わせて瞑目する。桜の木には木花咲耶姫というとても美しい女神が宿っていて、勝手に枝を手折ったり花を摘んだりすると大変立腹するのだと昔読んだ物語に書いてあったのだ。
一輪だけいただきまする、と心の中で呟いて花に手を伸ばす。と、指先が枝に触れる前に桜の花がほろりと崩れて手の中に落ちてきた。
桜の花びらは一枚ずつ散るもの。このように固まって椿のように落ちてくることなど珍しい。のだが、生憎ガラシャにはその違和感を汲み取ることができなかった。
仄かな燐光を纏っているかのように見える花を、髪飾りの装飾の中に加えてみる。薄桃色の小さな花がひとつ入っただけなのに、なんとなく全体が明るくなったような気がした。
その刹那。


――…逝か……ない…で……!


脳裏に女の悲痛な叫びが響き渡る。驚きのあまり、声すら出せずにその場で硬直した。


――……ひとりに、しないで…!


知らない女の声だ。だが、どこかで聞いたような気がする。
しかも、長い間聞き続けていたような。
必死で記憶を辿るガラシャの心を過る風景がある。
目の前にあるのは御簾。自分はどうやら床に臥せているようだ。身の回りにある調度品はどれも高価そうなものばかりで、しかしガラシャが今与えられているどれとも違う。
御簾の向こうから、声が響いてきた。ひどく優しい声色であることだけはわかるが、何を言っているのかはうまく聞き取れない。


――この舞い散る雪が、桜に変わったら……


唯一聞こえた言葉を脳内で反芻する。
御簾の向こうで、声の主が更に言葉を続ける。その瞬間、何が悲しいのかもわからぬままに、涙が堰を切ったようにして溢れ出た。

「あ…っ!」

誰か、助けて。誰でもいい。父上。元親殿。それから。

「孫……っ!」





「…ふむ」

羅生門のすぐ傍に強大な妖気を持つ蛟が顕現する。
都の中でも桜が咲いていることを確認した元親は剣呑に目を細めた。
どうも都の辺りに妙な気を感じると元就がぼやいていたので様子を見に来たのだが、どうやら彼の勘は当たっていたらしい。光秀親子は無事だろうか。
水気に同調しながら門を抜けると、外からではわからなかった異様な状況がわかってきた。
道端に倒れ伏す人間多数。どれも男だ。その男たちをどこかへ運ぼうと躍起になっているのは役人らしき人間たち。彼らもどことなく顔色が悪いように見える。
そして、彼らに纏わりついている黒い靄。その出所を辿るごとに嫌な予感は強まっていく。
やがて、すっかり馴染みの広い邸の前に到着した。光秀が人間として暮らしている邸だ。
妙な気配はこの邸の庭辺りから強く感じられる。
この邸は余所者の侵入を避けるために複雑な術が色々かけられてるのだが、元親にとってそれらは障害にはならない。光秀にとっての元親は「余所者」ではないからだ。
水気に同化して邸の境界線を潜った途端に、奇妙な違和感を覚えた。
邸の中に、何かがいる。しかもどうやらあまりよくないもののようだ。ガラシャの気配も感じられるが、大丈夫だろうか。
憑代の少女を探して妖気を放てば、どうやら庭にいるらしいとわかる。
いつもならば元親は人間の住まいの近くで実体を取ることはない。だが、今日は直感的に警戒心を強めてその場に顕現した。
その瞬間、全身に走る悪寒。脳内にけたけたと愉快そうな笑い声が響いてくる。


――なんと素晴らしき力……!


周囲で旋風が巻き起こり、思わず顔を庇って腕を翳した。時折見える紅色は、風に舞う桜の花弁だ。
三味線を具現させて咄嗟に音色を奏でる。音波と共に広がった元親の妖気に煽られ、旋風は霧散して静寂が戻った。それでも最初から感じている嫌な気は消えない。
その視線の先。庭の隅で蹲る半妖の少女がいる。まずは生存を確認できたことにほっと胸を撫でおろした。

「……光秀は何をしている?」

あの過保護な友が最愛の娘の大事に気づかないなど。
近寄ろうとして、はたと気づいた。ガラシャの髪飾りの中に紛れ込む桜の花。邸を覆いつくさんばかりの異様な負の気配は、あの花から発せられてる。光秀が張った強力な障壁を逆用し、狭い空間に閉じ込めることで密度を高めているのだ。
この状態では、元親の持つ水の性で押し流してやることもできない。とにかく、あの桜とガラシャを引き離した方がいい。
光秀に知らせるべく三味線を構え直す元親の耳に、再び忍び込んでくる声があった。


――逃がさぬぞ……我が糧となれ……!


ばき、と大きく木が軋む音が響いてくる。土に埋まっていた桜の木の根が、蛇が頭をもたげるようにして持ち上がった。
背後から忍び寄っていた根が足に絡みつく。素早く視線を滑らせた元親は、他の根も一斉に自分めがけて襲い掛かってくることを確認してから三味線を弾き鳴らした。
庭の池に溜まっていた水が意思を持ったかのようにしてざわめき、大きく伸びあがる。龍の姿を取ったそれが大きくあぎとを開いて桜の花を咲かせる巨木に襲い掛かった。
しかし、龍の牙が木の幹に食い込んだかと思った瞬間、水気が一気に弾け飛んで巨木が大きく脈動する。それを見た元親は愕然として瞠目した。
蛟の水の気が桜の気に負けたのだ。水と木は相生。水気を吸収し、桜の木は今まで以上に禍々しい力を手にしてしまったらしい。
凄まじい勢いで元親に迫った木の根が三味線と撥を弾き飛ばし、そのまま腕を絡め取る。強烈な力で後ろへ持って行かれ、塀に後頭部を強打し脳が大きく揺れた。

「ぐぅ…っ!」

絡みついてきた根に妖気が根こそぎ奪われ、急速に意識が遠のいていく。視界が完全に閉ざされる直前、邸の奥に感じ慣れた気配が顕現したのを感じた。

「光秀…、逃、げろ…!」

これは、ひとりでは手に負えない。
しかし元親の忠告も血相を変えて娘の元へと飛んできた光秀の耳には届かなかったようだ。いつもの冷静さをかなぐり捨てた光秀が庭に躍り出る。

「これは一体…?!元親殿?!」

何故こんなところに。
踏み出した足に何かがぶつかった。驚いて見下ろせば、そこには先ほど元親の手から離れて転がった三味線がある。
彼が命の次に大事にしていると言っても過言ではない代物だ。長い付き合いだが、光秀の記憶の中で元親がこの楽器を肌身から離したところは見たことがない。
思わず拾い上げようと腰を折った瞬間、土の中から桜の根が飛び出して光秀の腕に絡みついた。

「何…っ?!」

驚いて腕を引こうとするも根はびくともしない。その隙に両足も絡め取られ、根が淡い光を放ったと思った瞬間全身を寒気が襲った。
妖気を奪われたことに気づいたが、既に遅い。脳裏にひどく愉快そうな女の声が反響した。


――おお、なんとよき贄がふたつ……!これでわたくしは……!


凄まじい勢いで妖気が流れ出ていき、強烈な眩暈に襲われた。折れそうになる膝を叱咤してなんとか体勢を保つ。
まずい。このままではそう長くは持たない。
急いで庭全体に視線を巡らせ、ガラシャがいる場所を確認してほっと息をついた。

「よかった……生きていて…」

とにかく娘の安否を。光秀を逸らせたのはその思考に他ならない。
今更ながら、ガラシャが桜の話をしてきたときにしっかり聞いてやらなかったことを深く後悔した。娘の異変に気が付かないなど、父親失格である。
ならば、せめて。
まだ吸い取られていない妖気を振り絞って、ガラシャの周囲に障壁を張り巡らせた。それと同時に一気に視界が暗転する。
これでしばらくは大丈夫だろう。この場から逃げる時間稼ぎくらいにはなるはずだ。あとは自分自身が彼女を護る壁となろう。

「私の娘には……指一本触れさせぬ…!!」

強大な妖気が一気に放出され、桜の木が歓喜に震える。檻のように交錯した根が光秀と元親の周りを囲ってしまうと、光秀は意識を手放してその場に倒れ伏した。


 

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