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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
1
その日も、雪が降っていた。
京の都を白に染め上げる雪。
昨日から降り続いていたから、都はすっかり雪景色です、とその男は言った。


――この雪が


御簾の向こうから優しい声が響いてくる。
体が重くて、起き上がることができない。もう何年も、自分の身体はこんな調子だ。
いっそのこと命を絶ってしまったほうが楽かもしれないと思ったことも数知れず。どちらにせよ永く生きられないのだから、自ら早めることなどせずともいいか、と諦念を抱いたのもずっと前のことだったように思う。
それを知ってから、彼はいつも外の様子を事細かに話してくれた。
一生邸から出ることが叶わない彼女の目の代わりとなるかのように。


――この舞い散る雪が、桜に変わったら……


蔀戸から、身を裂くような冷たい冬の風が吹いてきた。
舞い散る雪が桜に変わる頃。その頃まで、この身は持つのだろうか。


――去年の春 逢へりし君に 恋ひにてし 桜の花は 迎へけらしも


はっと目を見開き、彼女は御簾の向こうの男を見た。
隔たれて見えないはずのその顔が柔らかに微笑む。


――どうか、私の妻になってはいただけませんか


必ず幸せにいたしますと続ける男に、彼女は緩慢な動作で首を横に振る。
自分はもう長くはない。先の無い女を妻に迎えたところで、彼には何の得も無いのだ。
どうか己の分まで、彼には幸せになってほしい。だから己のような身分も不相応な女よりも、もっと美しく聡明な姫君を妻に。
彼はとても優しいひとだから、きっと嫁入りする女性は幸せだ。自分の分まで幸せにしてあげてほしい。
そう告げれば、男は小さく苦笑を零した。


――私の隣に貴方がいる。今生にこれ以上の幸せがありましょうか


躊躇いも無く放たれた言葉に、どう返したらいいかわからず唇が戦慄く。
ああ、だめだ。彼を不幸にするわけにはいかない。こんな業を背負うのは、自分だけでいい。
そんなことを思う彼女の心が伝わったのか、男は辛抱強く言葉を投げかけた。


――心が私に向いていないと仰るならば、いつまでも待ちます。……ですが、できるならば、今年の桜は貴方と共に見たい


満開に咲き誇る、京の桜を。
彼女の頬に一筋の涙が伝う。小さな声で返した肯定に、男は心の底から嬉しそうに笑った。

そして。



桜が、全てを散らしてしまった。





****




誰かに呼ばれたような気がした。

「むぅ…?」

夜明け前に目を覚ましたガラシャは、寝ぼけ眼を擦りながら不思議そうに自室を見回した。
他の妖たちとは違い、彼女の父は人間たちと同じような生活を送っているので、ガラシャもそれに合わせて夜に眠り昼に起きる。そして眠りは深い方だ。就寝途中で目が覚めるなんて、我がことながら珍しい。
灯もないのに妙に明るい室内を不思議に思った。
今はまだ二十三日で、満月が過ぎたばかり。次の満月になったら元親殿が来るかもしれません、と父が言っていたのを聞いてから指折り数えて待っていたので、暦感覚ははっきりしている。
まだ月が丸くなるまでにはかなり日があるはずだ。それなのにどうしてこんなにも明るいのだろうと訝りながら、褥を出てそろりと襖を開けた。
その瞬間目に飛び込んできた光景に、感嘆で息を呑む。

「わぁ…!」

まん丸く見開かれた瞳に、下限の弓張り月の光が反射してきらきらと輝いた。
その月明かりの下で、満開に咲き誇る薄紅色の花。
今は冬の入り。もうすぐ雪が降る頃だ。
風に乗って、ひらひらと舞い散る桜の花びら。
大量の花弁は地面に降り積もって、庭一面を薄紅色に染め上げている。
よく見れば桜の木は一本ではなく、庭中の木々が満開の桜を夜空へ向けて咲かせている。
春に父と共に花見をしたときはわざわざ遠出をしたはずだ。植え替えたのならばそう教えてくれたらよかったのに。

「綺麗じゃのう」

嬉しそうに呟いて、軒先へ座り込む。音もなく舞う桜を、暫くの間見つめていた。





右肩に手を添えて軽く揺さぶられ、ガラシャははっとして顔を上げた。
真っ先に目に飛び込んできたのは呆れた様子でこちらを見下ろす父の顔だ。

「ちっ、父上!おはようございます!」

「おはようございます。何故こんなところで寝ているのです?体を壊してしまいますよ」

肩を竦める光秀を真っ直ぐに見返しながら、ガラシャはぱちぱちと瞬きする。すると昨晩の記憶が甦ってきて、にっこりと笑った。

「夜中に目が覚めて、妙に外が明るいので見てみたら、桜が満開になっておったのじゃ!父上、いつの間に桜を植えられたのじゃ?」

「桜……?」

何を言っているのかこの子は、と言いたげな怪訝そうな声音。庭を見やる光秀につられて視線を移して、ガラシャはあっと声を上げた。
あれほど大量に積もっていた花びらが一枚も無い。そして昨晩桜が満開だったはずの木は、緑色の葉を茂らせているのみだ。

「あれ…?」

首を傾げるガラシャと庭を見比べて、光秀は苦笑しながら娘の頭を撫でた。

「冬に桜だなどとおかしなことを……何か夢でも見たのでしょう。しょうがない子ですね」

「夢などではないのじゃ!本当に桜が……!」

必死に言い募るが、ただの葉しかついていない木に桜が満開だったなどと言っても信じてもらえないことくらいはガラシャにでもわかる。
くすりと笑みを零し、光秀は狼狽している娘の横にしゃがみこんだ。

「それに、庭木に桜は不吉なのですよ。桜の下には屍が埋まっているとか、霊や鬼が棲むと人間たちは伝えているのです」

「そうなのか?!」

戸惑っていたガラシャの目が途端に輝く。こういう言い伝えや物語は大好きなのだ。
勿論そんな伝承は、屍も霊も鬼も珍しくも畏怖の対象でもない妖たちの間では全く以てどうでもいい話ではあるのだが。
一応光秀は都の貴族の一人として生きているので、人間たちが行っている厄除けや忌み事、伝承くらいは把握しているのだ。
このままだと更に話をせがまれそうだったので、光秀は誤魔化す様にしてガラシャの頭を撫でてから立ち上がった。

「では、私は参内します。留守は任せましたよ」

「あ、父上!」

慌てた声で呼び止められ、肩越しに振り返る。何やら空をじっと見つめていたガラシャが光秀に向き直った。

「今日は夕方頃から雪が降りそうな気がするのじゃ」

だから、早く帰ってきてほしい。
妙にそわそわしたガラシャの様子から心の声が聞こえてきたような気がして、光秀は穏やかに微笑む。

「ありがとう、わかりました。では、行ってきます」

「いってらっしゃいませ!」

門のところまでついていって、牛車に乗り込む父の背に手を振る。牛飼い童はそんな父娘の様子を微笑ましげに見つめながら、牛をひいて歩き出した。





****





ガラシャの言葉通り、その日は夕刻頃からしとしとと冷たい雨が降り出し、やがて雪へと変わった。夜半になっても続き、なかなか止みそうな気配を見せない。
都の人々が寝静まった頃、ガラシャはむくりと褥から起き上がった。
開かれた瞳は虚ろで、焦点が定まっておらずどこを見ているのかわからない。ゆっくりと首を巡らせ、そのまま立ち上がると襖を開けて外へ出る。
夜闇に浮かんでいたその姿は、やがて都の中へと消えて行った。


 

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あきゅろす。
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