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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
7
「妖も、普通に腹は減るんですねぇ」

川べりに腰を下ろして後ろ手に手をついていた左近は、隣にちょこんと座って握り飯を頬張っている狐に向かって問いかけた。
もごもごと口を動かしていた狐は、飲み込んでから左近の方を見やる。

「食わずとも死にはせん。が、食欲はある。美味いものを飲み食いすれば良い気分にもなる。この握り飯はなかなかだな」

「そいつはどうも」

出会い頭の緊張などどこへやら。左近はなんだか可笑しくなって声を上げて笑った。
あっというまに握り飯を全部平らげてしまった狐は、包みを丁寧に畳むと左近に差し出す。

「馳走になった。礼を言う」

左近は退治屋稼業は長い方だが、妖に礼を言われたことなど初めてだった。というか、妖に食い物をやったのも初めてだし、隣に並んで座ってのんびりとした時間を過ごすのだって初めてだ。しかも依頼を受けた討伐対象の妖と。……出会い頭に萎縮してしまうほどの妖気を持った、大妖と。
とはいえ逃げようと思って逃げ切れる相手ではないだろうし、倒そうとしても一人では到底無理だ。それに敵意の欠片もない妖に問答無用で戦いを挑むのもおかしな話だし、変に刺激して気が変わって襲われでもしたらひとたまりもないだろう。
どうする。なんとか彼を撒いて、増援を呼ぼうか。いやそれは無理だ。逃げ切れるわけがない。真っ向勝負を挑むこと自体が間違っているだろう。今回遠征してきた軍の兵たちが束になってかかっても、恐らく彼には敵わない。直感的にそう思った。
そんなことを考えていると、穏やかな声が耳に届いた。

「良いであろう、この場所は。俺の気に入りなのだ」

思考を引き戻された左近は、思わず狐に顔を向けた。穏やかな表情で辺りを眺める狐につられて、視線を巡らせる。
確かに川の水は澄んでいるし、木々も立派に育っている。太陽があれば日当たりもいいだろう。左近たちが進んできた道は荒れ果てた獣道だったが、改めて見るとここだけ別世界のように見えた。

「……そうですね。美しいところだ」

「そうだろう?」

左近の返答に、狐の声音に喜色が滲んだ。

「この場所は、この山で一番美しい場所なのだ。――俺にとっては、世界で一番美しい場所だ」

「……どういう意味です?」

興味をひかれて狐に視線を移した。すると、周囲を眺めていた狐がすっと視線を伏せる。その表情が僅かに曇った。

「生まれたときからこの山を出たことはない。出られぬのだ。この山を囲う結界によって」

寂しげな声音を聞いて、左近は後ろ手についていた手を外して上体を起こして狐に向き直った。
同情を買い、人を騙す狐の常套手段かと思ったのだ。が、この狐が今己に対してそんなことをする必要はない。そんなことをしなくとも、少し本気を出せば左近など一瞬で屠れるだけの力を持っているのだから。
返答をしあぐねていると、狐は独り言のようにして言葉を続ける。

「先代は、この辺り一帯の妖たちの親玉でな。己に従わぬ面倒な輩をなんとかできないかと苦心していたらしい。先代は俺を媒体にしてこの山に結界を張り、自分に都合の悪い妖共をまとめて放り込んだ。一ヶ所に妖が集まれば、することは一つ。強いものが弱いものを喰らう。――結局俺だけが生き残って、この山には俺以外の妖はいなくなった」

そしてその頃には先代の九尾の狐は死んでいて、術者が死んだ以上結界も解けることはなく。一人きりになった子狐は、孤独な数百年を歩むこととなった。
自嘲混じりの独白を聞いて、左近は慰めの言葉が思いつかなかった。
なんとも、寂しい話ではないか。
しかしこれだけの力を持つ妖でも破ることができない結界とは。山に入るときは全く感じなかったが。

「てことは、ずっと一人で?」

知らず、気遣わしげな声音になる。話が本当だとすれば、彼の世界はこの山のみ。他に妖はいなくなったと言ったが、今もそうなのか。
言外に問うと、狐はいや、と首を振った。

「友がいる。物好きな天狗と、鬼が。今生きている妖のうち、俺以外にはここの結界は効かぬ。だから、逢いに来てくれる」

そう言った狐の表情は出会ってから見た中で一番穏やかなもので、そのことに何故か左近は少し安心した。
そしてはっとする。

「ここから出たことはないってことは…あんたは都を騒がしてる管狐たちには関与してないってことか?」

今回の討伐軍の目的は、都で横行している妖たちを撃退し、その大元を絶つことにあった。その妖の中には管狐もいて、化け狐といえば佐和山の狐、というほど有名だったため何の疑いも無く元凶はこいつだと思っていたのだが、この口ぶりからするともしや。
案の定、狐は不思議そうに首を傾げた。

「管狐は俺とは全く違う妖だ。俺は配下など持っておらぬ。都はここからそう遠くはないのだろうが、先も言ったように俺はここから出られぬしな」

口調からして、嘘を言っているようには思えない。左近は思わずがっくりと肩を落とした。つまり無駄足ということではないか。管狐の元凶は他にいるのだ。
だが、それならばこの狐とは戦わなくていいということになる。それは実に嬉しい。というか戦っても勝てるわけがない。できればこんな恐ろしい妖気を持つ妖とは二度と対面しないよう願うばかりだ。
それよりも、と、狐の表情が好奇心に彩られる。

「お前は都から来たのだろう、島左近。俺は齢千を数えるのだが、人間と直接話したのは八百年も昔のことでな。あの当時とは色々変わっていよう。話が聞きたい」

もし彼が先ほど一瞬だけ見せた尾が具現していたならば、彼の心に応じて揺れていたかもしれない。
そんな様子が容易に想像できて、左近は思わず吹き出してしまう。不思議そうに首を傾げる狐に、わかりました、と言い置いてぽつぽつと話しはじめた。




暴風と共に叩きつけられた妖気の塊を結界で打ち破った政宗が顔を上げる。滞空しながら退屈そうに後頭部で手を組んでいる山城は、こちらの出方を窺っているようだった。余裕が滲むその様子に苛立ちが募り、歯噛みして印を組む。

「電灼光華、急々如律令!」

鋭い声に呼応するように上空で暗雲が渦を巻き始める。その雲の中心から叩き落とされた雷の剣は真っ直ぐ天狗へ向かって降り注いだ。
ちらりと視線を動かし、ばさりと羽ばたいてそのまま上昇する。直撃するかに見えた雷はかすりもせずに地面に落ち、凄まじい轟音と衝撃で政宗は吹き飛ばされた。
ひっくり返っていた状態から反動をつけて立ち上がるが、背後で羽ばたきの音が聞こえて慌てて振り返る。ふわりと上昇した山城は何やら黒い物体を手にしていた。咄嗟に頭に触れた政宗は烏帽子を取られたらしいと漸く気づく。
口の端に笑みを浮かべた山城は空中で昼寝でもするかのような姿勢を取って烏帽子を眺めはじめた。政宗の頭にかっと血が昇る。

「貴様!それを返さぬか!」

「返してほしければ取りに来い」

「この……っ!」

怒りに任せて放たれた術は全て躱され――というか政宗の狙いが定まっていないため、山城は微動だにしなくても全く当たらない。それを見ていた孫市は思わずため息をついた。

「あーあ、ありゃ駄目だな…完全に遊ばれてる」

心を律し、言霊を操って五行を駆使するのが陰陽師だ。それが妖にからかわれて心を乱しているようではその時点で勝敗は決しているようなもの。たしかにあれだけの術を放てているところを見ると体力と霊力だけは一人前のようだが、どう考えても実践が足りなさすぎる。
仕方ない、と呟いた孫市は矢を番えた石弓を構えた。山城の興味が完全に政宗に向いているのを見て、黒い羽を狙って矢を放つ。
直前で気づいた山城は、驚いた様子で素早く身を翻す。だがさすがに避けきれず、矢は彼の顔を覆っている面を半分砕いて後ろへと逸れていった。
低く呻いた山城は手にしていた烏帽子を取り落し、僅かに表情を歪めて面に手を添えた。落下してきた烏帽子を拾った政宗は高らかに鼻を鳴らす。

「馬鹿め!油断をしておるからよ!」

「お前は何もしてねーだろっての」

「黙っておれ!」

がおうと吠えた政宗が印を組んで頭上を睨む。面を外した山城は前髪を掻き上げた。覆い隠されていて見えなかったその瞳は落ち着いた暗色で、先ほど一瞬見せた動揺は既に全く見えなくなっている。面を取ってしまうと、尖った耳以外は普通の人間とそう変わらない顔をしていた。
不敵な笑みを浮かべ、山城は右手の人差し指で孫市を招く。

「天狗に石弓で挑むか。いいだろう、来い」

言い終わるが早いか、孫市が駆け出す。構えようとしていた政宗をちらりと見やった山城が一度大きく羽ばたくと、辺りに黒い羽が散った。その羽は短い矢のように鋭利になると、政宗に真っ直ぐ向かってくる。
目を見開いた政宗は咄嗟に避けようとしたが、数が多すぎて避けきれずに狩衣を木に縫いとめられてしまった。
なんとか羽を引き抜こうと思っても、返しでもついているのか簡単には抜けそうにない。

「山城!これを外せ!」

「貴様はそこで見ておれ」

羽を収めた山城の右手に錫杖が現れた。同時に孫市が構えた石弓から矢が複数本放たれる。
錫杖の柄が地を叩き、遊環の音が涼やかに鳴り響いた。すると山城の目の前に迫っていた矢が不可視の壁に阻まれてぴたりと静止する。しゃん、という音と共に矢がくるりとその場で回転し、矢じりが孫市に向いた。
ぎょっとした孫市が飛び退くと、背後にあった木の幹に矢が突き刺さった。位置からして山城が狙っていたのは眉間と喉と心臓と大腿。的確に急所を狙ってきている。判断が一瞬遅れていたらと思うと恐ろしい。
石弓を構え直そうとした孫市に山城が肉迫した。振り上げられた錫杖を避けようとするが間に合わず、肩口に強烈な一撃をくらう。びりびりと手が痺れて力が入らなくなり、呻いた孫市は得物をその場に取り落した。
右腕がだらりと落ち、仕方なく隠し持っていた小太刀を左手で引き抜いて横に一閃する。危なげなくそれを避けた天狗は両手で錫杖を構え直した。
太刀による斬撃を何度か受け流し、隙を付いて間合いに入った山城は孫市の鳩尾に錫杖を叩きこむ。

「ぐ…っ!」

息が詰まり、地面に倒れ込んだ孫市は激しく咳込んだ。つまらなさそうにそれを見下ろした山城は肩を竦める。

「得物に頼りすぎるのは感心せんなぁ。飛び道具を使うならば間合いに入られたときの対策もしておいた方がいいぞ」

のんびりとした口調に孫市は歯噛みした。間合いに入られたときのために太刀を用意していたのではないか。それでもあんな素早い動きについていけるわけがない。人間と妖では根本的に体力が違うのだ。
不意に、上空で雲が再び渦巻き始める。薄らと片目を開いた孫市は、いつのまにか山城の羽を引っこ抜くことに成功したらしい政宗が印を組んでいるのを視界にとらえた。
山城も気づいたようで、その背に再び黒い翼が広がる。振り返った天狗と術の対象を睨み付ける政宗の視線が交錯した。

「オンクロダヤウンジャワソワカ!」

同時に山城が飛翔する。なんとか息を整えて立ち上がった孫市は、得物を拾うと上空へ向けて矢を放った。
錫杖を閃かせた天狗の意識が孫市へと逸れた隙に、政宗は印を組み替える。

「この手はわが手にあらず、この息は我が息にあらず、この声は我が声にあらず、全ては高天原におわす神の手、神の息、神の声、不都之御霊、十握剣、無上行神、天地玄妙、急々如律令!」

山城が浮かんでいる辺りの地面に陣が浮かび上がり、光の柱が吹き上がって上空の雲と繋がった。轟音を上げる光に山城の姿が飲み込まれる。陣に片足を突っ込んでいた孫市は凄まじい爆風に煽られて吹き飛ばされた。

「やったか?!」

政宗の声音に喜色が浮かぶ。ぶつけた後頭部を押さえた孫市も涙目ながら立ち上がって光の柱を見つめた。
突然柱の中心部が丸く膨れ上がり、そのまま光が弾ける。目を見開く二人の目の前に、術を打ち破ってなお無傷の山城が姿を現した。その表情が剣呑な光を孕んでいる。

「貴様……陰陽師でありながら人間に術を向けたな」

思わぬ言葉に二人は驚く。彼は孫市が術の煽りを受けたことを言っているのだ。
それがどうしたと返そうとした政宗は、声が出ないことに気づく。凄まじい気迫に呑まれて息をすることすら難しい。
深々と嘆息した山城は額を押さえて瞑目した。

「お前と初めて会った時には、将来が楽しみだと思ったものだったがな」

「……何?」

怪訝そうに眉を顰め、政宗は天狗を凝視する。言葉の意味を探しあぐねて、呪符を持っていた手を下ろした。
一瞬、脳裏によみがえる風景があった。昔、己を守ってくれた不思議な術者の姿。陰陽師を目指すきっかけとなった思い出が。しかしそれは本当におぼろげな記憶で、すぐに消えてしまう。
閉じられていた山城の瞼がゆっくりと開いた。

「お前には失望した。退魔術は人に向けるものに非ず。使いこなすこともできずに力を持て余すくらいならば持たぬ方がましだ、下賤な山犬が!」

今までになく厳しい語調に一瞬呑まれかける。すぐに気を取り直した政宗の額に青筋が浮かんだ。

「誰が山犬じゃ!わしは陰陽師ぞ!」

烏帽子を被り直した政宗は呪符を構え直し、山城を真っ直ぐに見据えた。

「オン……」

真言を唱えようとした途端に、くらりと視界が揺れる。何事だ、と思ったときには体が傾いでいて、そのまま地面に倒れ込みそうになった。

「政宗!」

ぎりぎりで滑り込んだ孫市が首根っこを掴んだためなんとか倒れるのは免れた。
何が起こったのかわからずに目を瞬かせていると、上空で天狗が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。二つの視線が同時に上を向いた。

「考えなしに術を使うからそうなる。霊力が尽きたようだな、梵天丸」

政宗は驚きに目を見開いた。梵天丸というのは自分の幼名だ。何故この天狗がそんなものを知っている。
聞きたくても霊力が尽きてしまったせいか喉に力が入らず、声が出ない。心配そうにこちらを見下ろしている孫市の頭上からしゃん、と遊環の音が響いた。

「気は済んだか?人間共」

はっとして上空を見上げると、山城が錫杖を閃かせたのが目に入る。地を抉りながら風圧が襲いかかってきて、吹き上がった木の葉や砂礫で視界が完全に覆われた。



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