土方
*ある日、コンビニにて
彼はいつも
煙草と缶コーヒーを買ってゆく。
「420円になります」
そう言った私の前に、彼は無言でお金を置く。
コンビニ店員をして早一年。私はいわゆるフリーターというやつで、この仕事にはなんの期待もしてはいなかった。好きでこの仕事を選んだわけじゃない。ただお金を稼ぐために働いている。
だけど、最近は少し違うのだ。
「80円のお返しです。ありがとうございました」
「どーも」
彼はそれだけ呟くと自動ドアを通り抜けていった。
あの人はいつも同じ物を買っていく。レシートは受け取らなくて、ビニール袋も必要ない。
缶コーヒーはすぐに飲むし、煙草はポケットに入れるから。
個人的な会話を交わしたことはないけれど、そんなことを知っているだけで、何だか彼に近づいている気がした。彼を知っている気がした。
「ありがとうございます。またお越し下さいませ」
私はマニュアル通りの挨拶をしながら、彼の姿を見送った。
次の日。
私は午後からバイトだった。またあの人はやってくる。
「いらっしゃいませ」
煙草と缶コーヒー、420円。
いつもと一緒だけれど、今日は少し違っていた。
彼はいつもようにレジに歩いてきたものの、ポケットを探るなり立ち止まった。
「………20円足りねえ」
不意に発せられた言葉は、独り言なのかそうでないのか。
私はどう反応していいか一瞬分からなかった。
「…え…」
「悪ぃけどコーヒー戻しといてくれねぇか。あと煙草、いつもの」
煙草は離さないわけね。
初めてはっきり声を聞いた気がする。少しだけ、思っていた印象と違う。
もっと怖いのかと思っていた。でも、案外そうでないかもしれない。
だからかな、私はこんなことを言い出した。
「……20円、まけときますよ?」
実際、バイトにそんな権限はない。
「…?」
向こうも不思議そうな顔をしている。確かに、コンビニでそんなの聞いたことない。
少し私は慌ててしまった。
「…や、いっつも来てくれてますよね?おまけしときますよ」
「いや…」
そう彼が言いかけた時、電話がなった。
この着メロ……プリキュア…?
電話をとって話し出す。
「あ?なんだ山崎」
声が険しくなる。
「また総悟か…?ああ、分かったすぐ行く」
どうやら急ぎの用みたいだ。
私の方を向いて、
「20円後で返しにくる」
とだけ言って去ってしまった。
ちょっとだけ、何かが動いた気がした。
「端さん、なんかレジの計算合わないんだけど」
店長が報告書を書きながら私を呼ぶ。
「20円なら私知りませんよ」
それからしばらく、彼はコンビニに来なかった。
私は、彼と約束の20円を待っていた。でも、何日経っても何週間過ぎても彼は姿を見せない。
そしてとうとう、2ヶ月が経過した。
レジの前に立ちながら、私はぼんやりする。
私はずっと、心にもやもやとした不安感を抱いていた。
最近やっと、ここで働く楽しみを見出しはじめてていたのだ。
それなのに。
彼は、真選組の副長だ。有名だから、それくらいは知っていた。
本当は私なんかが手の届く人ではなくて、それも十分分かっているつもりだ。
でも毎日来てくれるのが嬉しくて。
憧れくらい抱いたって罰は当たらないはずだ。
もう、来ないのだろうか。
もう、会えないのだろうか。
本気でそろそろ涙が出そうだった。
すると突然、近くで声がした。
「遅くなって悪かったな」
目の前に差し出されたのは缶コーヒー。
「あと煙草、いつもの」
それと、440円。
顔を上げると、いつもの彼がそこにいた。
「…ひ…さしぶり…ですね」
あまりの不意打ちに、上手く声が出なかった。
「ああ、ちょっと…忙しくてな」
顔や腕にあちこち小さな傷があった。
何があったんだろうか。真選組の危険な仕事でもしていたのだろうか。
「…20円、覚えてたんですね」
安心したからそう言ったのに、私の言葉は皮肉ととられたようだった。
「悪かったって言ったろうが。仕事が忙しくてそんな暇無かったんだよ」
でも、彼の口調はやはり意外に怖くない。
「…いえ、いいんです。また来てくださって良かったです」
私は少し笑った。
すると彼もほんの少し微笑んだ。初めて見る表情だ。
「落ち着くな」
「へ?」
間抜けな声が出た。
「ここで買って、あんたの顔見ると日常って感じがするな」
「……はぁ」
彼はきっと、また明日も来るだろう。きっと明後日も、その次も。
「なんつーか…平和だ」
「それは何よりです」
そんな毎日の中で、少しは何かいいことがあるかもしれないな。
ヒラヒラと手を振る彼を見送りながら、私はまたマニュアル通りに挨拶をした。
『またおこしくださいませ』
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