土方
*雨の日、二人
「どいてください」
「あ?」
薄暗い路地裏に私と、悪そうな男。
バイト先の和菓子屋の配達途中だってのに運が悪い。
男は私の背後の壁に右手をつき、私との距離を30センチ程に縮めた。
この辺りは昼間でも人気がない。
助けを求めるのは不可能。かといって自分がこの男から逃れられる術を持っているかも怪しいところだ。
武術の類はまるで知らない。運動もできた覚えはない。
何よりこの男、強そうだ。
やっぱり私、運が悪いな。
「おいおいお前、なんか勘違いしてるだろ」
半分諦めたような表情で溜め息を吐く私を見て、男は言った。
「はい?」
「俺のこと、その辺のチンピラみたいに思ってんだろ」
男は私の横から手を離し、煙草を取り出して火を付けた。
マヨネーズ型ライター…。いい趣味してるのね。
「いいか、俺はチンピラじゃねぇ、むしろ逆だ。捕まえる方」
……知っているわ。真選組副長、土方十四郎でしょ。
声には出さなかった。
「警察が、なんで善良な市民を追ってくるのよ」
最初の配達を終えて、配達先から出て来たらこの男と目があった。そのままここまで追いかけられて来たのだ。
「さぁな」
さぁな?コレだけ手間取らせといて「さぁな」ですって?
「用があるならさっさと言って。私暇じゃないの」
必死で走ったから、もう和菓子はグチャグチャだろう。店に戻って取り替えて来なきゃな…。
なんて運がないんだ…あぁさっきも言ったっけ。
少しイラついた態度を見せると男はようやく話を進め始めた。
「…前に会ったことあるよな」
「そうでしたっけ」
「覚えてねぇか?人違いじゃねぇと思うんだけど」
「覚えて…ません」
「名前は」
「言いたくありません」
―――覚えてるよ。
雨の日。雨の音しか聞こえないような、土砂降りの日。
たまに配達を頼まれる家の前で。
傘ももたず、刀だけ腰に下げて雨に打たれているあなたを見た。
運が、悪かったの。
泣いてるようにみえた。
雨に紛れて涙を隠しているのかと思った。
そんなことしてたら風邪ひきますよ、なんて優しいセリフの言える女じゃなかった。
だから、私は持っていた傘をあなたに押しつけるように突き出して、走って帰った。
噂に聞く鬼副長になんてとても見えなかった。ただの男だ。
一瞬のことだったのにまさか顔まで覚えられてるなんて。
「傘を、借りたと思うんだがな」
「傘ですか」
律儀に返しに来たのか。意外とまめだな。
"覚えてないんで、いいです、あげますよ"
そう言おうとした。
「返したかったんだがな、悪ィ、折っちまった」
折っ………?
……実は、お気に入りの傘だった。でもつい、あんなことして手放して。それでも大事に使われてるならいいか、なんて思ってたのに。
「お…折ったんですか…あの傘…?」
言ってから気付いた。とっさに両手で口を押さえる。
しまった。
「覚えてんじゃねぇか」
「……」
「なんで覚えてないふりする」
私はばつが悪くなった。あんなにすましてたのに。
だって気まぐれだったの、運が悪かったのよ。
あの日偶然見てしまったあなたが妙に頭に残った。
でもきっともう会うことはないでしょう。
私のこともすぐ忘れるでしょう。
私は冷めた女。一瞬のことに熱を上げるなんて、そんなこと。
あるはずないじゃない。
私はしばらく黙っていた。
「…まぁ俺もおめぇの傘折っちまったわけだから、…いいけどよ」
そう言った顔が意外に優しかったのであたしは落ち着いた。
「…わざわざ、傘折ったって言うために追いかけて来たの?」
「あ?…ああ、…どうかな」
すると、あの日を思い出させるように、ポツポツと雨音が聞こえてきた。
この路地裏は少しだけ屋根があるので濡れなくて済む。
「雨…ですね」
「ああ」
「傘、また無いんですか?」
「ああ、雨宿りしとくしかねぇな」
雨は小雨だった。ここから町は走ってすぐだし、ここで止むのを待つよりもずっと効率が良く思える。
でも私はこう答えた。
「…そうですね、そうしましょうか」
私は運の悪い女だ。悪い男に捕まってしまった。
今日のことはもう覚えてないなんて言ってもきっとダメだろう。
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