土方
*誘惑
唇に感じる湿ったような柔らかい感触。
息苦しさが、それが軽いキスではないことを物語っていた。
ナニコレ。何が起きてんの?
こんなこと予想もしていなかった。
「……悪ィ」
もちろん、こんな言葉を吐かれることも。
真選組で女中をしている私は、近藤さんに頼まれた荷物を土方さんの部屋に届けに行った。
それだけのはずだった。
しかし、土方さんの部屋に声を掛けてみても返事はない。
軽い寝息のような音が聞こえていたので、もしやと思い襖を少し開けてみると、案の定土方さんは畳の上で眠っていた。
きっと仕事で疲れたんだな。
私は起こさないように荷物を置こうとした。
すると、何かが私の腕を引いたのだ。
それが土方さんの手だと気づくのと、振り向き様にキスをされたのは同時だった。
このままではいけない。
「…っダメです、土方さん…」
驚き顔を赤らめる私に土方さんが放った言葉が
『…悪ィ』
だった。
魔が差した、と。
この世で一番残酷な言葉を、この男は吐いたのだ。
本当に『やってしまった』という顔をするのだからどうしようもない。
好きな人に謝られたら、どうしようもない。
「都守、おはようございまさァ」
「あ、おはよう、沖田さん」
朝、廊下の掃除をしていると沖田さんが私に挨拶をしてくれた。
沖田さんはよく私に話しかけてくれる。
どうやら懐いてくれているらしい。可愛い子だ。
「土方さんも、おはようございます」
沖田さんの隣にいた土方さんへの挨拶も忘れない。もちろん笑顔で。
同じ仕事場の人に挨拶をするのは人としてのマナーだし。
「……おお」
土方さんの返事は素っ気なかったが、私はそんなことをいちいち気にしたりはしない。
この笑顔は土方さんに対しての皮肉なのか、それとも『あんなの気にしてないわよ』という余裕な大人の態度なのか。
自分でもよく分からないけれど。
皮肉というのも、あれから数日経つが土方さんは何も言って来ないのだ。
やはり何かの間違いで済ます気か。
それならそれでいい。いや、やっぱ良くない。
私の心は複雑だった。
もう10代のようなパワーは私にはない。…いやまだ若いけどさ、恋愛に対しての意気込みが違うっちゅーかさ。
今更怒ったり泣きついたりするのも何か違う気がする。
…キスされた時、私が止めなかったらどうなってたんだろう。
きっといいようにされてたな。危ない男だ。
でも今まで、女中の間で手を出されたとかそういう噂を聞いたことはない。
よっぽど溜まってたのか。ストレスとか、その諸々。
「土方さん、お茶持ってきました」
夕方、土方さんの部屋を訪ねると、今度は返事が返ってきた。
「ああ、入れよ」
土方さんの部屋に一歩入れば、この前の出来事が蘇る。
「ここに置いておきますね」
文机に持ってきたお茶を置きながらそう言うと、
「ああ」
とまた素っ気ない返事。
本当にアレは偶然だったのね。
「土方さん」
「なんだ」
「別に、私のこと好きとかそういうんじゃないんでしょう?」
別に誰でも良かったのよね?
「……………ああ、そうだな」
私があの時土方さんの部屋にいたのはほんの偶然だった。
たまたま近藤さんの前を私が通りかかって。
そしたら呼び止められて土方さんに荷物を届けてくれって。
そして寝ぼけてよく判断のできない土方さんに遭遇した。
偶然だけど、この確率。
『運命』って置き換えたらだめかしら。
ひとつのきっかけって考えたらだめかしら。
「土方さん、彼女いないんでしょう?仕事ばっかりして、そりゃ溜まりますよね」
「…あ?」
背を向けていた土方さんは、私の方を振り返った。
「……私のこと、嫌いですか」
私は土方さんのそばに腰を下ろす。
私だけ翻弄されるのもムカつくし。
そうだな。
大人の振りをしてみるか。
「私も今彼氏いないんですよね」
「おい…」
顔を近づけてくる私に土方さんは少したじろいでいる。
私は淡々と続けた。
「いいですよ、私を利用しても。…その代わり、私も利用させてもらいます」
私は土方さんの首に腕を回す。
土方さんは私を拒絶しようとはしない。
土方さんの腕が私の背中にまわる気配を感じた。
「…ん」
キスする間際、私の笑いを抑えられない口元を見られてしまっただろうか。
…まぁいいわ。
せいぜい、私に夢中になったらいい。
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