土方
浮気
家政婦は見た。
っていうか女中は見た。
………っていうか、彼氏の浮気現場を目撃した。
洗濯物を運んでいた私は、トシの部屋を通りかかる。
ちょうどトシは部屋から出て来るところだった。
「おい、なまえ」
何でもないように話しかけてくる。ああ白々しい。
「……………なによ」
不機嫌な私にトシは眉根を寄せる。
「…腹でもいてぇのか」
「何でもないの、ほっといて」
冷たく言い放つ。
「……」
すると、トシは黙り込んだ。
思い当たることがあるのよね?罪悪感とか感じてるんでしょ?
ほら、白状してみなさいよ。
「あそ、じゃーな」
トシはそれだけ言って去っていった。
背を向けて右手をひらひらと振っている。
「…………!?」
マジで。
何もないの!?
昨日のことがバレたとは思ってないのだろうか。
私、しっかり見たのよ。
だって昨日の夜
屯所の廊下で
キスしてた。
…私、浮気は許せない派です。
「なまえさん、コレどこにしまえばいいですか」
仕事中、私に話しかけて来たのは最近入ったばかりの新人の里香ちゃん。
………そしてトシの浮気相手。
「ああ、それは上の棚。この前も言ったでしょ?早く仕事覚えた方がいいよ」
あれ?私、新人いびりみたいになってる?
口調こそきつくはないが、普通ならこんなことは言わないはずだ。
里香ちゃんは小さく「すみません」と言った。
「…や、私も入った頃は全然分かんなかったけどね!ほら怖い人いるじゃん、佐藤さんとか。怒られたりするからさ…」
「はい、そうですね」
里香ちゃんが笑ってるのを見てほっとした。
女って怖いわ。
今は昼前。2人で掃除をしているところだった。この部屋には私と里香ちゃんしかいない。
少し気まずかったりなんかして。
ところで、里香ちゃんは素直で可愛い子だ。
とても人の男にちょっかいを出すようには見えない。
20分ほど時間がたった頃だった。
「なまえさん、土方さんと仲良いですよね…」
里香ちゃんがポツリと呟いた。
「え?なにが?」
突然そんなことを言われて焦る。
すると里香ちゃんは俯きながら、言いにくそうに話を切り出してきた。
「なまえさん、相談があるんですけど…いいですか?」
「う、うん?」
私とトシが付き合っていることはまだ知らなかったらしい。
「私、昨日………キスされたんです…土方さんに」
…やっぱりトシからだった。こんな大人しめの子が自分から男を誘うことはないだろう。
「どういうことなんでしょうか…。少し酔ってたみたいだったし…、その、本気なのかなって………」
あーあ。
悪い男。
浮気した上に、こんな純情な乙女をもてあそんじゃってるよ。
トシへの怒りと共に、里香ちゃんへの同情が湧いてくる。
里香ちゃんの様子をみる限り、嫌そうではない。顔なんか赤らめちゃってるし。
もしかしたらトシのこと好きっぽいのかも。
「…どうだろ。そういうのは、本人に聞いた方がいんじゃないかなー、うん」
流石に私が彼女ですなんて言えるはずもなく。
こんなことしか私は言えなかった。
家に帰りドアを開けると、そこは煙草の煙が蔓延していた。
「…くさっ」
部屋に入り窓を開ける。
見下ろすと、畳には浮気男の姿。
「おせーよ」
「家に来るなんて聞いてない」
「言ってねーもん」
トシはそう言って起き上がり胡座をかいた。
「お前今日機嫌悪いな」
私の腕を掴み、顔を覗き込んでくる。
「そりゃ……」
あまりのしらけぶりに、文句を言いたくなってきた。
でも里香ちゃんの話だと、がっつり浮気してた訳でもないみたいだ。昨日だけのことらしいし、キスまでしかしていない。
しかも酔っていた。
この男、本当に覚えてないのかも。
「そりゃ…なんだよ」
口ごもった私にトシは怪訝そうな顔をした。
覚えてないのかもしれないと言っても、やっぱり腹が立つ。
覚えてないのなら私が教えてやろう。
「……そりゃあ彼氏に浮気されたら誰だって機嫌悪くなりますよ」
わざとそっぽを向いて口をとがらす。
「…何の話だ」
「昨日、夜…里香ちゃんとキスしてた…私見たんだもん!!」
私がそう言うとトシはますます眉根を寄せた。
「里香って誰だよ」
「新人の女中の子よ…茶髪でロングの……」
「………………」
トシはしばらく黙っていた。
「覚えてないならまだ考えるけど、とぼけてるだけなら殴るわよ」
乙女2人の純情を弄んだ罪は重いんだから。
しばらくして、トシはポツリと呟いた。
「……覚えて…る」
「…浮気を認めるのね」
冷たく言い放った私にトシは向き直った。
「…浮気じゃねェ、本気だった」
トシは酷く真面目な顔をしていた。
「それってどういう…」
里香ちゃんのことが本気で好きってこと?浮気じゃなくて本気で……?
「………私のこと、もう要らないの……?」
今まで強気でいたくせに、気付けば私はボロボロと泣いていた。
里香ちゃんのこと、弄ばれて可哀想とか思った自分が酷く滑稽だった。
弄ばれたのは私?捨てられるのは私?
「………おい!!」
そんな考えが頭をグルグルするのを、トシが遮った。
「…勝手に突っ走んなよ、悪い癖だぞお前」
「…何が…」
涙を流して鼻をかむ私に返されたのは、なんとも間抜けな答えだった。
「お前かと思ってた」
「は?」
「だからよ、お前と間違えたんだよ」
「はぁあ!?」
私は絶叫するしかなかった。近所迷惑極まりない。
「髪とか体格とか似てんだろが…着物も同じだしな、酔ってて分かんなかったんだ…多分な」
「……」
「なまえ?」
呆れる私をトシは肩を掴んで揺さぶった。
「………トシ」
「あ?」
「とりあえず謝って」
「…悪かった」
「あと、里香ちゃんに弁解しときなさい。私の名前はふせて」
「…明日な」
「あと、今日一緒に寝ないから」
「…………………おう」
こんな落ちかよ。
こんなに悩まされた私はバカみたいだ。てゆうかこいつがバカだ。
なんでこんな男好きなんだろう私。
でも他の女とキスをしたという事実は非常に悔しい。
「あとね、トシ」
「何だ、まだあんのか」
不機嫌になりつつあるトシの耳元で私は素っ気なく囁いた。
「キス、してよ」
もちろん"本物の私"に、という皮肉も忘れずに。
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