土方
君の温度
「38度7分、ひどいな」
土方さんは私から受け取った体温計を眺めながら言った。
「……鼻水がどまらないんでず」
毛布にくるまって大きくくしゃみを一回すると、目の前にティッシュが一箱差し出された。
「ありがとうございまず…」
いろいろあって、昨日川にダイブしたところ、見事に私は風邪をひいた。春というにはまだ肌寒い、そんな夜にだ。
「いいか、今日は大人しく寝てろ」
掛け布団を私の首もとまで引き上げると、土方さんは戸口の方に向かった。
私が呼び止めると、彼は振り返る。
「…どこ行くんでずか」
「どこって仕事だろ」
「……」
風邪をひいた日には、誰しも人に甘えたくなるもの。そんな常識をこの男は知らないのだろうか。
「いやだぁーここにいてくらさいよぉー」
隊服の裾を引っ張りながら泣きつく私に、土方さんは鬱陶しそうな表情を向けた。
「お前が川に飛び込むから悪ィんだろうが。はなせ」
「好きで飛び込んだんじゃないでず!!…っう」
叫んだら鼻水が垂れてきた。非常に恥ずかしい。
慌ててティッシュに手を伸ばすと、土方さんはその隙に私から逃れた。
「すぐ帰るから」
土方さんは、そう言ってドアの向こうに消えた。
「わっ私が死んだらどうずるんですかっ!!風邪で死ぬなんて嫌ぁあ」
必死でそう叫んでも、土方さんの足音は遠退くばかりだった。
…冷たい。
冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい。
そうやって拗ねてみても、独りではどうしようもない。大の字に寝転がり、しばらく天井をじっと見つめていた。目で天井の模様をなぞってみる。
「私…死ぬのか…?」
火照る体に思考も錯綜する。
ういるすが私の体を蝕んで、熱が43度くらいになって、私は孤独に死んでいくんだぁ。
実際、必要なものは近くにあるし、携帯も枕元に置いてある。
今の妄想が実現することはないだろう。
それでも、なんだかひどく寂しくて心細い。
私はごろんと寝返りを打った。窓を見上げると、雨が降って来たことに気付いた。
土方さんは傘を持っていっただろうか。
私のアパートと真選組の屯所は歩いて10分とかからない距離にある。
傘を持っていなくても、もう屯所には着いているころだ。きっと、大丈夫だろう。
私は気付くと、土方さんを想っていた。
私はこんなに土方さんのことを考えているというのに、土方さんの態度はどうだろう。
風邪で苦しんでいる私をほっぽって仕事に行ってしまった。
もし土方さんが風邪をひこうものなら、私は一日中看病するのに。
いつも思ってた。
私と土方さんの間には温度差がある。
私が土方さんを好きなほど、土方さんは私を想ってないんじゃないだろうか。
昨夜、私が川に飛び込んだのだって、土方さんにもらったピアスを川に落としたからだ。
土方さんは私を止めたけれど、土方さんからプレゼントをもらうなんて、そうそうないと思ったから。
でも、結局ピアスは見つからなかった。
雨が窓を叩きつける音が、一層強くなった。
「……温度差、…ね」
雨の音を聞きながら、私の頭も熱でぼんやりしてきた。右手をおでこに当ててみる。
本当だ、熱があるのは私だけだ。
「………ん」
目を開けると、天井と眩しい光が飛び込んでくる。
どうやら眠っていたようだ。体も前よりはスッキリしている。
多分、ピークは過ぎて今は微熱程度だろう。
体を起こすと、足元の方に人が倒れているのに気付いた。
「…………土方さん?」
「………」
返事はない。
その土方さんと思われる人は、うつ伏せに倒れていて表情は見えない。
ただ、ひどく濡れていて心なしか震えているように見える。
「ひっ土方さん、土方さん…!?」
揺さぶると、土方さんは仰向けに転がった。
「…………なまえ…?」
「土方さん、仕事に行ったんじゃ…」
時計を見ると、土方さんが出て行ってから一時間弱しか経っていなかった。
「やべェ…寒い」
「えっ」
とりあえずタオルを取りに行こうとして駆け出すと、土方さんに足を掴まれた。
「ふぎゃあ」
思わず、私は布団の上に転んでしまう。土方さんとちょうど目の合う位置だ。
「…何するんですか!!」
私がそう言うと、土方さんはポケットから小さな包みを取り出し、そのまま私に押し付けてくる。
「…これ…」
包みを開けると、小さなピアスが入っていた。
昨日私が川に落としたものと一緒だ。
「…まさか川に…!?」
「……なわけ、ねぇ…。買ってきたんだよ…」
そういえば外は土砂降りだった。
傘も持たずに、この人は何をしてたのだろうか。
「土方さん、一体何してたんですか…!仕事に行ったんじゃ…」
「…すぐ帰るって言ったろ」
土方さんは濡れた服を脱ぎだした。
体に張り付いて脱ぎにくそうなので私も手伝う。
「ピアス…ありがとうございます。宝物だったんです」
「…ああ」
「お風呂入って下さい、すぐ用意しますから」
「お前…具合は」
「ああ、少し寝たらだいぶ良くなりました。熱もそんなにないと思いますよ」
土方さんのシャツを脱がしながら気付いた。
雨に濡れた土方さんの体は冷えている筈なのに、肌に触れると少し熱い。
「土方さん、熱があるんじゃ…」
そういえば、何かもうろうとしている。
煙草を吸おうとしているが、震える手でライターが上手く着けられない。
「今は煙草はだめですっ」
私がそう言うと、土方さんはあきらめたように畳に転がった。
全くこの人は。
私は溜め息を吐いて、土方さんに抱きついた。
自分のおでこを土方さんのおでこに当ててみる。
温度差があるなんて考えていた自分がバカバカしい。
「…………熱っ」
もしかしたら土方さんの方が私を好きなのかもしれない。
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