痛くない愛をください










お爺が呼んでいる、と声をかけられた時からそれは嘘だと気づいていた。
それでも、嘘でしょうと言えなかったのは、その場に自分と彼以外の人間が居たからだ。
何故わざわざ嘘をついてまで自分を連れて行こうとするのかという当然の疑問を投げかけられた所で返答に窮してしまうのが解りきっていたので、咎める訳にはいかなかった。


「……弦之介様」

「ん?」

「嘘はいけませぬぞ」


歓談していた相手から充分に離れた所で切り出す。
里一番の聴覚を持つ豹馬には無駄な距離だろうし、古株連中には彼の嘘など見抜かれている可能性の方が高いが、それでも自らを窮地に陥れる趣味などないのでここまで我慢したのだ。
嘘を見抜かれていた当の本人は特に驚きもせずに浮かべた微笑を崩しもしない。
全く昔は可愛かったのにどうしてこんな風に育ったのか、などと身内に対して抱くような感慨は思うだけに留めて、同じように常と変わらぬ顔を返した。


「やはり見抜かれてしもうたか」

「御用がおありなのでしたら、そう言って頂ければ参ります」

「わしが左衛門に用があると言うたら、如何な用向きかと藪を突かれるやもしれぬ」


それは確かに、否定できない。
何しろ先程自分が歓談していた場所は地虫の部屋であり、部屋の主である地虫に、豹馬と将監、それから丈助が相手である。古株の三人はともかく、丈助は要らぬ好奇心を発揮させるだろう。
左様で、とだけ返せば、彼の手が己の腕を掴んで先に歩き出した。


「弦之介様」

「昔はこうして手を繋いでくれたではないか」

「弦之介様はもう童ではありませぬ。控えて頂かなければ」


昔、弦之介がまだ幼く、お胡夷と共に駆け回っていたような頃は確かにその手を引いた事もある。
けれどそれは本当に昔の事で、元服を迎えてまだそれ程日が経っていないといってもすっかり一人前の忍として自立した弦之介と手を繋ぐなどというのは立場的にも年齢的にも許される事ではないのだ。
言わずともそんな事は解っているだろうに、彼は敢えて童のように解らないフリをする。
それが彼なりの甘えである事は解っているが、人目に触れるかもしれない場所での接触はやはり好ましくなかった。決して人目につかない所でならばいい、という意味ではないが。


「左衛門は、わしが元服してから冷たくなったな」

「一人前の大人として扱っているだけにございます。それとも弦之介様は童のように扱われたいのですか」


早く一人前にと願っていた童の心を知っている上でそう問えば、漸く苦虫を噛んだような顔を見せる。
余裕を見せていてもそれは上辺だけで、本来は生真面目で誠実な青年なのだ。
些か年に違いのある己の狡猾さにはまだ遠く及ばない。
意地も悪うなった、と拗ねた声が告げたが決着のつかない話題なので何を今更と肩を竦めるだけで取り合わなかった。


「して、私に如何な用向きでございましょう」

「…このあたりでよいか」

「はい?…っっ、げんっ、」


突如として脚を止めた青年の手に力が篭ったかと思えば、無遠慮に引っ張られて体勢を崩す。
明るかった視界が薄暗いものとなり、畳の香りが鼻孔を掠めた所で適当な部屋に押し込まれたのだと察したが、手際が珍しくも随分と強引で焦るよりも先に呆れてしまった。


「女子も斯様に扱っているのではありますまいな。いけませぬぞ、優しゅうしてやらねば」

「わしが女子に手を出すと思うか…お主を好いておると、何度も言うておるであろうに」

「…また、そのお話にございますか」


ほんに、呆れた。呆れ果てた。
幼い頃からよくお胡夷と共に遊戯に耽った次期頭領は、どこでどう間違ったのか幼少の頃に少し優しくされただけで同じ男に対し恋の芽を見出してしまったのだという。
しかもこれが初めてではないというのが、頭痛の種だった。
こうして迫られるのはもはや数えるのも億劫な程であるが、何だかんだと避け続けているので問題はない。
問題は、何度も拒んでいるのに諦めない弦之介にあった。
障害があれば燃える性質なのかと思い一度だけなら身体を繋いでもいいと言った事もあったが、心なくしては意味がないと言われた時になって漸く本気だと思い知らされ、それからはずっとこうだ。
不毛だとは思わないのだろうか。そもそも自分のどこが良くてそこまで執着するのか、左衛門には全く解らなかった。


「何度も申しましたが、弦之介様と私ではようございませぬ」

「何がじゃ」

「男同士では子も望めぬ上に、次期頭領であられる弦之介様に於かれてはそれなりの格式ある家柄の女子と結ばれるのが肝要では」

「お爺とて独り身じゃ。十人衆入り間近のお主であれば家柄も問われぬ。子は養子を取ればよい…全てが解決せずとも、欲しいのはお主だけじゃ、左衛門」

「…………血迷うのはおよし下され、弦之介様」


本気なのは、解る。しかしだからこそ性質が悪い。
冗談ならばまだ良かった、一過性の情ならばまだ良かった。けれどそのどちらでもない、彼は本気で自分を欲しているのだ。
解っている、解ってはいるが、それを己が受け入れられる筈もないではないか。


「血迷うなどと、お主の口から聞きとうない」

「では御放しを。そしてこの話は二度とされませぬよう。なればこそ、私はこれまで通り貴方様の手となり足となりお仕え致しましょうぞ」

「……わしが、嫌いか。左衛門」

「、は……」


その問いかけは、狡いのではないだろうか。
それまでするすると動き言葉を紡いでいた唇は、俄かに止められてしまった。
しかし畳みかけるように声をかけるでもない弦之介は、その美しい相貌を苦しげに歪める。


「嫌いならば、そう言うてくれてよい。であればこの話、二度と致さぬ」

「……嫌いでは、ありませぬ、が、」

「次期頭領と一介の忍、その垣根は抜きにしてわしとお主、ただ一人の男として、嫌いかどうかを聞きたい」

「それは…」


何だこれは。どうして今日は、こんなにも。
いつもと違い、今日は随分と強気で迫って来る弦之介に思わず言葉を濁してしまう。
どうやら雲行きが怪しくなってきたらしい。苦い顔になった自覚はあるがどうにもできず、きゅっと唇を噛んだものの事態は良くも悪くも動かないままだ。
嫌いでは、ない。嫌いであろう筈がない。
手を握って喜ぶお胡夷を羨ましそうに見ていた童の頃から、彼を知っているのだ。
手を差し伸べれば羨望をひた隠しにしようとするものの、その装いはすぐに剥がれ落ち、照れくさそうにはにかんだ顔を覚えている。
そんな彼を、嫌いになる筈がないだろう。可愛いと思っている。
豹馬が叔父として彼を想うように、自身もまるで兄弟のように扱ってきた。
それが何故、恋慕の情などというものを挟まなければならないのか。


「……」

「…左衛門」


沈黙はどのような意味合いとして伝わったのか、青年の手が頬を伝った所ではっとする。
何を絆されそうになっているのだ、慌てて距離を取ろうとしたがそれも遅かった。片腕をぐっと引かれ、一息に詰められた距離にはもはや言葉もない。
それでも唇に接吻されなかっただけ幾分はいいのだろうか。頬に触れる感触に呆然としているとこれ幸いとばかりにそのまま首筋から肩口にまで唇が落ちて行った。
いやいやいやいやこれは拙い。大変拙い。


「弦之介様、お止め下さい」

「わしが、嫌いか?」

「嫌いなどとは、」

「では止めぬ」


努めて常と変わらぬ声を保ち咎めたのが気に食わなかったのか、些かむっとした顔つきでそう問いかけられ、今度はどうにか答えようとしてみた所であっさりと行為は続けられてしまう。
結い上げる際に余ってしまった髪を指先で弄りながらうなじを撫でられれば反射的に身を竦めるしかなかった。
どうやら、嘘でも嫌いとは言えない事を見透かされてしまっているらしい。
拙い、これは拙い。豹馬、聞き耳立てておるのならさっさと甥を止めに来い。お主の甥は今にも道を踏み外そうとしておられるのだぞ、早う来んか。
つらつらとそんな事を考えていたが顔には出ない性質なので弦之介には平素と変わらぬように見えたらしい、やはりむっとした様子で、それでも飽きずに頬や首筋を愛でている。


「弦之介様、これは以上はお許しを…」

「許すも何も、わしはお主を咎めた訳ではない」

「ですから…嫌いではありませぬが、それを色恋の好意に類されては敵いませぬ故、また改めて話を…」

「この話は二度とするなと申したのはお主じゃ、左衛門」


ああ言えばこう言う。何が何でもこの場から逃がさないつもりでいるらしい弦之介の手が、有無を言わさずに肩を推して畳の上に身体を倒したのでもはや己の脳内は混乱の極みである。
何故来ぬ、豹馬。お主叔父であろうが。よいのかこのまま男に恋い焦がれさせたままで。よいのかおい。それとも今日に限って聞き耳を立てていないのだとでも言う気か。間が悪すぎる。
いつもならばとっくに諦めさせて、というかどうにか逃げ切っている頃合いの筈が、逃げるどころかすっかり捕まり、あまつさえ押し倒されている始末となれば冷静でいられなくなっても仕方がない。


「げ、弦之介様、ほんに、ほんにお許しを…」

「……わしに触れられるのは嫌か」

「い、嫌かと問われましても…」


嫌だ、と言う事はどうしてもできない。傷つけたい訳ではないのだ。単に、彼の未来の幸福を考えると己の事など早く忘れて欲しいと、そう思うだけで、傷つけたいのではない。
とはいえ言い淀むだけでも相手には充分な反応と取れたのだろう、ぐっと肩を抱かれて泡を食う羽目になる。

「左衛門…」

ああこれは今度こそ接吻されてしまうな、などと他人事のように思っては強い光を宿した双眸から目が離せなくなる。
まさか瞳術の類ではあるまいが、視線が惹きつけられて外せない。
頬に添えられた手の感触はあるのに、それを振り払うという考えはあっても身体は硬直して動かなかった。
一体これはどういう事か。いや今はそれよりも目の前の弦之介が、

「――――――っ!」

常から開いているのかどうか解らないと言われがちな目をぎゅっと塞いだのは反射のようなもので、受け入れた訳ではない。
ただどうしても動かない身体に諦めと自棄が混ざり合い、ええい儘よと腹を括ったその瞬間。


「弦之介様、此方に居られまするかな」


穏やかな声が、障子の向こうから投げかけられた。


「……」

「……」


暫し、弦之介は体勢を維持したまま恨めしげに眉を寄せたが、此方は心からの安堵に浸るだけで精一杯である。
遅い、遅過ぎる。というかぎりぎりまで待っていたのではないだろうなおい。
半ば涙目になっているであろう事は視界が滲みかけている所から察したものの、年下の男に押し倒されて迫られて泣きそうになっただなんて認めたくない事実は見なかった事にした。
泣いておらぬ、断じて泣きそうになどなっておらぬぞ。


「……豹馬か。何用じゃ」

「今しがた陽炎とお胡夷が尋ねて来ましてな。何やら菓子を作ったとか。是非とも弦之介様に御賞味頂きたいと、まぁ斯様な次第にて」


身を起こした相手をいい事に、その下から抜け出て距離を取る。
衿口が見事に乱されていたがそれもどうにか直した。一先ずみっともない様相ではない筈だ。
窺うように寄越された視線に何度も頷いてみせると、深い溜息を吐いた末に仕方なくといった風体で立ち上がった。

「今行く」

「地虫の部屋にございまする」

「解った。お主は来ぬのか?」

「暫し他の用がありますので、済ませ次第には」


そんな会話を聞いていれば、弦之介は立ち去ったようだ。
ああ全く、どうしようもなく疲れた。思わず脱力したのは致し方があるまい。
見えていない為、その分余計に耳や鼻の利く男を窺えば、呆れたと言わんばかりに思い切り溜息を吐かれた。
言われずとも己の至らぬ点は解っているが、だからといってその反応もどうだろう。


「……遅い、豹馬」

「無茶を言うな。お主も少しは上手く往なせぬのか」

「此度はいつもと違うた。強気で出られるとわしにはどうにもできぬわ…誰じゃ、斯様な入れ知恵をしたのは」

「わしじゃな」

「そうかお主、が…………おい、縊り殺してやろうか豹馬」

「まさかお主が相手とは思わなんだ」


何はともあれ、助かったのでいいとする。
原因が豹馬であっても、救いの使いとなったのもまた豹馬なので文句は言うまい。
今までどうにか煙に巻いて来たが、強気に出られただけでああも済し崩しにされるとは思ってもみなかった。
そのあたりは、弦之介から相談を受けた豹馬に依る指導の賜物なのだろう。
もっと他の事に役立てろとは思ったが、叔父甥の関係上、昔から可愛がっている弦之介からの相談とあっては豹馬が無碍にする事などある訳もない。


「お主、相談に乗っておるのならどうにか諦めるように言うてはくれぬか」

「聞く性分だと思うか?」

「…思わぬが、このままでいい筈もなかろう」


何せ弦之介だ。次期頭領と目され、里の中でも頭角を表している男である。
そんな人間が男に懸想などとは、色を抱えるのとは話が違う。一人だけでいいとあの青年は言っているのだ。正式な奥方を迎える気はないと、そう言っているのだ。
それは、後世の里の為にならない、不毛な感情ではなかろうか。
しかしそのあたりを案じるのは自分だけの役割でもない。だから豹馬に言っているのに、当の参謀役はどこか楽しげに笑うばかりだ。
口角をつり上げたその笑みは、左衛門にしてみればこの上なく底意地の悪い種類のものである。


「お主が狼狽する様を聞いているのは珍しくも楽しめたのでな、もう暫しは放っておこうと思うておるのだが…」

「……その耳落としてくれようか」

「おお、怖い怖い。弦之介様に対するのとは随分と違うのう」


こうである。どうやら今暫くは自身の力で切り抜けなければならないようだ。
溜息を吐くと、握られていた手首が僅かに軋んで先程まで触れていた手のひらを彷彿とさせる。
いつの間にあんなにも大きくなられたのか。
いつの間にあんな瞳をするようになったのか。
うっかり流されかけた自身の未熟さからして、本気で迫られたら逃げ切れる自信がないと思うのも情けないが事実である。
いつまでも小さな童と思っていると痛い目を見るやもしれぬなぁ、だなんて。
やはり他人事のように考えながらも、一先ず鬱憤を晴らさんと豹馬の頭を軽く小突いておいた。

















痛くない愛をください
(…して、お主如何な助言をした)
(聞く限り憎くは思うておらぬようだから、嫌いかどうか問いかけ反応が鈍くなった所で関係を持ってしまえばよいのでは、と)
(最後が合意ならばあとはどうとでもなる、とも言うたかな)
(…おい、ほんにその耳落としてもよいか)


























弦左というよりは弦→左。でもきっと弦→←左
立場上拒まなきゃいけないとか、そういう理性面は左衛門が担って
感情の方が大事に決まってると突っ走るのが弦之介の役目
基本的に弦左は普通にいちゃいちゃもするかもだけれど左衛門が逃げていると萌える

title/確かに恋だった



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