恋につける薬なし










「……犬?」


何でまたこんな所に、と。天斗を訪ねて来た圓は眉を浮かせた。
しっぽを揺らすでもそわそわとしているでもなく、ぴしりと門前に佇む姿は正に番犬。
しかし圓の記憶に依れば、陸奥家が犬を飼っていたという事はなかった筈だ。
とはいえしっかりと門前の引き戸に結び付けられたリードからして、陸奥家と関連した犬である事は確かで、訪問客でもきているのだろうかと考えた圓がそれ以上深く考えるのを止めたのと同時に門から一人の男が出て来た。


「出海さん」

「ん。あぁ、圓ちゃんか」


結んであったリードを解く背中に声をかければ、穏やかな笑みが返って来る。
圓は挨拶もそこそこに出海の傍へ歩み寄ると、改めて犬を見下ろした。
犬種は圓でも知っているゴールデンレトリバーだが、まだまだ成長途中なのか些か小さい。
それでも子犬よりはずっと大きいその体格に見合わず、見上げて来る眼は純粋そのもので可愛らしかった。
普段動物と接する機会のない圓にしてみれば、悩殺的といってもいいかもしれない。
知らず顔が緩んだ所で、出海がくすりと笑った。


「触ってみるかい?大人しいから、大丈夫だよ」

「え、い、いいのか?じゃないっ、いいんですか?」

「あぁ。但し上からいきなり撫でるのはよくないらしいから、屈んでやってくれ」


それは勿論!と勢いよく返事をした圓は、しかし一転して慎重に腰を屈めさせる。
緊張感は犬の方にも伝わったのだろう、きょとんとした眼が圓に集中していた。
何もそんなに緊張しなくとも噛んだりする事がないとは既に知っている出海からすれば、その慎重ぶりには笑いが誘われる。
そっと、圓の指先が犬の顔横に触れたかと思えば、そこから横に伝って頭頂部を撫でる。
丁寧な触れ方がお気に召したのか、犬は特に喉を唸らせる事もせず、逆に気持ちがよさそうに首を若干伸ばして見せた。


「わぁ……か、可愛い…!」

「はは、ありがとう。今日からこいつも陸奥の一員だから、よろしくしてやってくれると嬉しいな」

「飼うんですか?」

「あぁ、まぁ…友人から、頼まれて引き取る事になったんだ」


ふぅん、と一応は納得してくれた圓に出海は内心で安堵した。
身内には言ってある事だが、出海が言葉を濁したのには訳がある。
友人から頼まれて、という言葉に嘘偽りはないものの、その過程が大問題だった。
出海の友人の友人のそのまた友人の男は、出会い系で知り合ったという女に騙されたのだという。何でも、半年程付き合った頃になって家で飼っている犬が子供を産み、その内の一匹を引き取って欲しいと言われたのだそうで、最初こそ難色を示していた男にその女は「結婚した時、貴方の家に犬が居たら私凄く嬉しいの」などと言われただけで安請け合いしてしまったのだとか。
そもそもお互い高校生の身の上で結婚などという単語が出て来る時点で疑うべきではないかと思うのだが、男は完全にその女に骨抜きにされていたそうだ。
それで、犬を引き取ってみたら一週間もしない内に別れを言い渡され、返そうにも彼女の自宅情報は全て真っ赤な嘘。
元々犬を押し付ける為だけに交際をしていたのではないかと考えられる位には犬も育っていて、変だと思った矢先の事であったという。
騙される友人の方が悪いが、犬には何の罪もない。かといって飼うのは心情的に難しい。
そういう事で他に引き取ってくれる人間が居ないだろうかという話が巡り巡って出海の所にまで来たのである。
圓が聞けば怒り狂うであろう、可愛らしい外見であっても無鉄砲で血が上りやすい性格をしている彼女に真実を話す気には到底なれる筈がなかった。
幸いにも陸奥家の人間は犬を嫌いだと言う者も居らず、むしろ好意的に受け入れてくれたので今日からこの犬は陸奥家の飼い犬となったのである。


「…そうだ、圓ちゃんだったらこいつに何て名前をつける?」

「俺だったら?」

「まだ名前が決まってないんだ。貰って来た本人がつけろって言われたんだけど、なかなか思い付かなくてね」

「俺だったら……」


じっと犬を見下ろして、圓はううんと唸った。
生憎陸奥家の男達にはネーミングセンスがない、太郎だとかポチ、タマなんて言い出したのも居る。
そうなるとこれはもうセンスがありそうな女性陣に訊くのがベストなのかもしれないが、生憎詩織は買い物に出てしまっていて居ないし、蘭にメールしたら『沖田さんとデート中。馬鹿』と返って来たので深追いは禁物だろう。
何も今日中につけなければならないという訳ではないが、とはいえ確定するまで「犬」とか「こいつ」は可哀相な気がした。


「……お、俺だったら…」

「…圓ちゃん?」

「父様とか、大事な人の名前を付ける」

「……そこに伊織と天斗は含まれてる?」

「なっ!ち、ちがっ、そんなんじゃない!もうっ、出海さん!」


圓の両親は既に他界している為、しんみりとした雰囲気にならぬようにと意地の悪い笑みがつい浮かんでしまったが、察した部分が図星らしいのでどうにも噛み殺しきれるものではない。
父様「とか」の部分には恐らく彼女が常日頃から仲良くしている伊織と天斗も候補に入っているに違いないのだ。
しかし大事な人、というのは盲点だった。目から鱗と言ってもいい。
とはいえ圓の家と違い、陸奥家の夫婦は健勝であるし、名前が被っては色々と面倒だ。
家族以外の大事な人、と言われれば出海にはたった一人しか浮かばない。
坂本龍馬、出海にとっては家族と同じ位に大事な人と言っても良いだろう。
けれども彼の名前をもじるとして、龍をりょうではなくりゅうと読めばいいのか。
しかしそれでは咄嗟に言い間違えてしまいそうだし、何より呼び捨てにするにはどうにも恐れ多いような気がする。
……ならば、苗字ならばどうだろうか。


「……サカモト、とか」

「へ?」

「いや、何でもない。ありがとう、圓ちゃん。参考にさせて貰うよ」

「あ、いぇ、参考になったならよかった…です」

「くくっ、無理して敬語使わなくてもいいんだぜ?昔はよく…」

「っ〜〜!出海さん散歩に行くならさっさと行ってください!」


一人称の「俺」が直っていない時点で物凄く無理をしているのが解っている出海としては、助け舟のつもりだったのだが圓にとってはそうでなかったらしい。
小さな顔を真っ赤にして背中を押され、解った解ったと笑ってしまった出海に罪はないだろう。
リードを引くまでもなく出海の歩みにきっちりとタイミングを合わせて歩き出した犬を見送り、圓は「なんて名前にするのかな」と考えながら漸く門の中へ脚を向けるのだった。

後日、圓は天斗に「お前、あいつになんてアドバイスしたんだ?」と訊かれて首を傾げるのだが。
犬の名前を聞いてからは口を閉ざしたそうな。


















恋につける薬なし
(なぁ伊織、出海さんの知り合いでサカモトっていう奴は居るか?)
(うん?龍馬殿のことか?確かに居るが、どうかしたか)
(…………いや、男なら多分違うからいい)
(何だ、変な奴だな)



























まだ片思いだった頃。ネーミングセンス皆無である(お前がな)
血筋云々で並びおかしいんですが、設定的には八雲と詩織が長男夫婦
で、出海と伊織は高校生、天斗と圓は中学生
猪鍋トリオは三人で仲良くしてればいいよ!
しかし出海さん、このままだと龍さんが遊びに来たら一発で周囲にバレるっていう
雷はまだ本編未読なので、読むまでは出ませんすいません

title/確かに恋だった




あきゅろす。
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