惚れた方の負け










丸い月が雲に隠されてから数刻、間もなく太陽が昇るであろうという頃、出海は既にその意識を覚醒させていた。
目を覚ましたのは空が白み始めるよりも少し前、薄暗い時分である。
常はのんびりとした性格の彼が何故二度寝に至らないのかといえば、理由は至極簡単なもの。
その眼がじっと見下ろす先に、想い人の姿があるからだ。
健康的な浅黒い肌は出身の関係なのか、もしくは彼が船乗りだからなのか。
うなじに顔を埋めるとそこに潮の香りがあることを出海はよくよく知っていたから、恐らくは後者なのだろう。
昨晩は、というか数刻程前には、その肌に何度も触れていたので、出海はじっと見守るだけに努めていた。下手に手を出してはまたも理性が弛んでしまいそうで、けれどもこれ以上の無理を強いれば如何な気のいい男であっても許してくれない可能性が出て来る。
厭われてはおしまい、いつだって好かれていたいと思うのは女でも男でも大して変わりはないらしい。


「…龍さん、風邪引くぜ」


相手に聞こえないとは知りながら、乱れた襟を直してやった。
実をいうと無体を強いたが末に意識を失ってしまった龍馬であるから、夜着を着せたのは誰でもない出海であるのだが、何せ女ならばともかくそれなりの体格をした男が意識を失った状態でとなると未知の体験だったので、完璧に着せる事はできなかったのである。
おかげで少し身じろいだだけでも乱れてしまうのだが、目の保養だと思ってしまうあたり屈折しているなぁと出海は己に溜息を吐く。
とはいえ、悪いのは何も出海だけではないだろう…責任転嫁ではない、決してそういうものではない。
したいと言い出したのは出海で、触れたのも出海だけれど、最後の方は龍馬の方が出海に縋って、もっとと望んでいた…筈だ。あくまで出海の妄想でなければ、の話だが。
出海は肉欲を感じさせない男ではあるが、それでも一応は男なので好いた人を抱きたいという衝動がない訳ではない。というか、むしろそういった欲求は人並み以上にあるといってもいいかもしれない。
戦いに歓びを見出す人種といってもいい出海は、それを持て余すと違った事で昇華させなければならなくなる。そういった時は大概適当な女に手を出してきたが、龍馬と出会ってからはそうもいかなくなった。
不誠実な真似をして咎められるだけならばともかく、軽蔑されたくない、そんな思いがあったのである。


「…龍さーん」


起こす気はない。
ただ、呼びたかった。何度呼んだって、飽きなかった。
最初は単に、強い男だから興味があった。
本気にさせたくて、恐らくは優しさ故に封じてしまった彼の獣を見てみたくて、付き纏うように傍に居た。
それがいつの間にか、本当にいつの間にか、懐の広さだとか穏やかな微笑だとかそういったものに惹かれて、居心地の良さに甘えて、実際に戦った時の爽快感に満たされ、互いの夢を知り意気投合して。
本来なら女に抱くような劣情を彼に抱いているのだと気づいた時は、墓場まで持って行こうとまで思っていたのに、募る想いを誤魔化すのも段々とつらくなってしまい、嫌われる覚悟をと共にみっともなく告白して、今の関係になって、こんな風に抱き合う事ができるようになって。
夢みたいだと、毎夜、毎朝、想う。
まるで現実味のないそれに手を伸ばして、困り顔でそれでも笑ってくれる龍馬の優しさに付け込んでは何度も抱いて夢ではないと確かめているのだから、なんとも情けないことだと、出海は苦笑した。
名を呼びながら、頬を撫でる。こんな風に軽々しく触れても、龍馬は眠ったまま、起きる気配はない。
それが気を許されているという事なら、こんなに嬉しい事はないと出海は思う。


「……出海、さん…」


不意に、龍馬が出海を呼んだ。
声は若干掠れているが、風邪だといえば誤魔化せる程度のもの。
そもそも龍馬はあまり声を出したがらないので、大抵何かを噛んでいるから喉を痛める事もそうはない。
出海としては、もう少し位我を忘れて縋ってはくれないかと思うのだが、流石に同性だからこそ解る矜持があるものだからそこまでは言えなかった。
薄らと開いた眼は眠たそうで、今にも閉じてしまいそうだ。
くっつきたがっている瞼をそれでも押し上げている龍馬に、出海は自分でも解る位に優しく微笑みかけた。
額にかかる髪を除けて頬に触れると、龍馬がくすぐったそうに小さく笑う。


「おはよう、龍さん。けど少し早いな」

「………眠い…ぜよ…」

「もう少し寝ときなよ。昨日無理させちまったし、朝餉には起こしてやるからさ」


まるでおなごに対するような物言いであっても、龍馬は怒った素振りを見せない。
ただ少しだけ、どうしたら正しい対処なのかと困ったように笑う。それが出海は好きだった。
いつも余裕を持っている龍馬の、そういった表情は出海の男としての優越を満たしてくれた。
我ながらいい根性をしているとは思いながらも、それを億尾にも出さずに、出海は龍馬の襟を直してやる。
もはや龍馬が意識を取り戻したとあっては目の保養も既に毒でしかない。


「んー……出海さん、海のぉ…匂いが、するのう…」

「…………龍さん?」


寝惚けているのだろうか、もぞもぞと布団の中で動いていたかと思えば出海の懐に潜り込んだ龍馬が、そんな事を言い出したから出海にしてみれば堪ったものではなかった。
一応出海も夜着を身につけてはいるが、それも適当に纏ったものであって前は緩く縛ってある程度のものだ。
そこへ龍馬が擦り寄って来たものだから肌に直接鼻先が触れた形となって直に体温を感じる羽目になる。
当の龍馬は大好きな海の匂いがする事にご満悦のようで、ぐいぐいと尚も身を寄せて来るのだから全く状況を解っているのかいないのか…恐らくは後者なのだろうけれど、出海は己の忍耐が試されているのだろうかと自問した。そんな考え方をする人じゃねぇなぁと苦笑したのはすぐの事である。


「おいおい龍さん、そんなに潜ったら息苦しくて寝つけなくなるんじゃないかい?」

「んー?…んー…大丈夫きにー…」


布団越しに、後頭部をぽんぽんと叩くとそんな声が返って来た。
眠たそうな声に思わず笑うと、振動で解ったのだろう、訝しむように眉をハの字にした龍馬がのっそりと顔半分を出して出海を窺う。
その行動がまたも出海の笑いを誘った事に、龍馬は気づいていないのだろう。眉の形は変わらない。


「…出海さん?」

「あぁいや、龍さんの顔が見えないのはつまらねぇなぁって」

「…つまらないのに、笑うんか?」

「そうしたら、龍さん顔を出してくれただろ?」

「……ほぉー…」


やはり寝惚けている。可愛いなぁと思いながらも寝惚けているのならいっその事と、脇腹に腕を差し込んで力ずくで身体を抱き寄せた。
ぱちぱちと瞬く眼に笑いかけて、唇に己のそれを宛がう。


「西洋だと挨拶代わりにこうするらしいぞ、龍さん」

「…ほっぺたじゃったと思うたけんど、違うたか?」

「そうだったかな」


出海さんは案外助平じゃと呑気に笑う龍馬に、出海はわざわざ否定しようとは思わない。
あんたが可愛いからだよ、とは、流石の出海にも言えやしなかったのである。
今が朝も間際でさえなければ、勢いに乗じて睦言を零しながらその身体を抱けたのに、などと出海が考えている事は龍馬にも解るまい。
その証拠に、寝惚け目のままでまたも無邪気に擦り寄って来るのだから。


「出海さんは、どっこかしこも海の匂いがして、いいのう」

「…………いや、龍さん?」


いい加減勘弁して欲しいだなんてとてもじゃないが言えない出海は、龍馬にされるがままである。
童子のように肩口に顔を埋めてご満悦になりながら眠りを貪ろうとする龍馬に、夜こそ覚えていろよと思ったのは朝も明けきらぬ内からの事で。
それを知らずに寝息を零し始めた龍馬の寝顔は、穏やかなものであった。

















惚れた方の負け
(出海さん……わしも言いたぁないけんども、)
(龍さん……すまない。俺が……二度寝なんてしちまったから)
(朝餉…わしの朝餉…!)


























出海さんはねちっこそう。激しくはしないけど回数をこなしてしかも内容が濃い、みたいな
付き合うには体力とか色々なものが要されそうですね
結局二度寝して起きたのが昼頃とかになったりして、平謝りの出海と食いっぱぐれてせつない坂本




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