言わせた者勝ち
出海さんは、とても気がいい親友である。
自身の考えを言わずとも察してくれて、行動に移す手助けをしてくれる。それに恩を着せるような事も言わずにただ「龍さんの夢に乗っかりてぇのさ」と笑ってくれる。
いついかなる時も笑顔を絶やさず、時には窮地を救われもした。
何より、出海さんが居たからこそ今の自分に至る決断ができた訳で、感謝してもし足りないというのが本当の所だ。
だからたまには、自分だって出海さんの事を助けてやりたいと思った、ただそれだけの事である。
近頃、出海の様子がおかしい。周囲の人間には解らない事だが、それこそ一時も離れず傍に居る龍馬にはその違いを顕著に察する事ができた。
何せ自称親友であるからして―――まぁ出海が否定しないあたりあちらもそうは思ってくれているのだろうが―――気づかない訳がない。
時折物思いに耽ったように空を見ていたかと思えば、それとなく漏れる小さな溜息。
船に乗っている時も、海を眺めては、また溜息。
―――そんままじゃぁ幸せが逃げていきよるぞ、と。
言うに言えないまま、龍馬はそんな出海の姿を眺めていた。龍馬の視線に何拍かの後に気づくと途端にいつもの笑みを浮かべて「どうかしたかい?龍さん」などと言われたら聞かれたくない事情があるのだと察するには充分であったが、そもそも武芸に秀でた出海が視線に気づくのに遅れる事自体が龍馬には解せない。
共に笑い、空を眺め、闘い、夢を語り合い、それを叶えるが為の道中にある最中。
何かしらの憂いがあるのならば話して欲しいと思うのは人の情というものだ。
そもそも常の出海ならば何かあった時はまず龍馬に話していただろう。それがないという事は、龍馬には言いづらい事なのだ、恐らくは。
そこまで解っているのなら黙って見守るのもまた人の情、なのかもしれないが。
元来龍馬は、難しい事を考えるのが苦手なのである。
「出海さん、近頃何か悩んどりゃぁせんかのう」
あからさまな質問になってしまったのは、相手が出海である以上下手な小細工は逆効果であるという事を知っていたから。
宵も更け始めた頃、軽く酒を過ごしていた折に龍馬が零した問いかけは、出海には予想外のものではなかったらしい。いつもとは少しばかり違った苦い笑みが返されたかと思えば、やれやれとばかりに息を吐かれる。
「龍さんには、やっぱり解っちまうかい」
「役不足でなけりゃ、話して欲しいが…嫌なら無理にとは言わん」
「言いづらい事ではあるが、嫌ではないな」
悪戯っぽく両眼を一度伏せた出海は、けれども少しばかりの間を置いた。
話そうか、話すまいか、悩んでいるような間である。
急かす事もしない龍馬は、のんびりと待つ事にしたのか猪口に酒を注ぎ足し、僅かに唇を湿らせた。
ちびりと口にしたそれを舌先で舐めていると、出海が静かな声音で龍馬の名を呼ぶ。
「なぁ、龍さん。俺が今から言う事を聞いても、嫌いにならないでいてくれるかい?」
「何を言うちょる。わしが出海さんを嫌う訳がなかろうに」
突然の問いかけに目を瞠ったのは龍馬の方であった。
親友である出海の事を、まさか嫌いになる筈もない。それは心からの言葉であったが、出海は「どうかな」と苦笑するだけだ。
一体どのような悩み事なのか、龍馬が出海を嫌うような、そのような事となると考えられるのは一つだけである。
「まさか出海さん、お龍に惚れちょるんか?」
「……いや、お龍さんじゃぁない」
己の連れ合いに横恋慕してしまった、などという類のものかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
苦笑と共に否定の言葉が帰ってきて、龍馬は一安心したとばかりに息を吐いた。別段人の恋心にケチをつける気はないが、それでもつい先日夫婦となったお龍を好いてしまったのだと出海が言ったなら龍馬はどうしただろうか。
即座に答が出ない時点で、龍馬はお龍に申し訳ない気持ちを持った。
そもそも妻と親友を秤にかける事など、到底龍馬にできる訳がない。
けれども実際に出海がお龍を好いたと言ったなら、龍馬は恐らく潔く身を引くだろう。それは別にお龍への想いがないという訳ではない、お龍の事は心の底から愛している、しかし出海も、龍馬にとってはかけがえのない存在だ。
そんな二人が揃って幸せだと言えるなら、そうして笑っていてくれるのなら、龍馬にはそれが己の幸せだと思えた。
ただ、出海は否定したものの「お龍ではない」と言っただけで、恋煩いを否定した訳ではないのが肝である。
「好いちょる人がおるんか、出海さん」
これは驚いたと、明らかに声色に出ているその問いに、出海は今度こそ頷いた。
あぁ、居る。返答は些か諦めの色を含んでいる。けれども龍馬は、それに気づかなかった。これはめでたいと、彼の頭に浮かんだのはそんな言葉であったのだ。
「ちゃちゃちゃ、何故にはよう言わんのじゃ出海さんっ!めでたい、こりゃぁめでたい!」
「…そうでもないさ。言ったろ、俺を嫌わないでいてくれるかってよ」
「うん?そりゃぁ聞いたが。好いとるもんがいて、何か不都合があるんか?」
出海が好きになったのはどのような人物だろうか。
恐らくはある程度武芸が達者、そして頭も切れて、気の利くおなごなのだろう。
てっきり出海は戦う事ばかりが頭にある男かと思っていた、何せ廓に連れて行っても笑って酌をされるばかりで、おなごに手を出す事はないのだ。彼の宮本武蔵も生前は女を絶って武芸に励んでいたという位なのだから本当の武芸者とはこういうものなのだろうと思っていただけに、想い人の存在を知らされた龍馬は我が事のように嬉しかった。
けれど、出海の表情は浮かない笑みだ。何かあったのだろうか、お龍ではないが、もしかしたら藩の者の妻だとか、そのあたりなのかもしれない。
緩んだ笑みから一転して表情を引き締めた龍馬の問いに、出海は苦笑のまま、けれど目線をどこぞへやって、答えた。
「……男、なんだ」
「……男」
「……そう、男」
「……ほぉ」
男。つまりは同性。
告げられた単語から即座に陰間という単語が連想された龍馬は頭を振ってその思考を遺棄した。
おなごに興味がないのはつまりそういう事であったのか、と龍馬が考えを巡らせていると、それを否定するように出海が語り出す。
「俺も別に男色の気があるってんじゃないんだ。本当に。なんというか、その人にだけ、そういう気持ちになっちまうってだけで……弁解してるみたいだけど、俺も男にこういう事を思うのは、初めてでさ」
「恋っちゅうんはそういうもんじゃき」
「……俺のこと、気持ち悪いとか、」
「思わん思わん!何じゃ、わしも信用がないのうっ」
不安げに呟いた出海の言葉の先を読んで、龍馬は大きな声でそれを遮った。
俯きがちになっていた出海が、弾かれたように顔をあげるのと見て、龍馬はわざとらしく腕を組み大変に遺憾であると肩を揺すって見せる。
「わしがそがな狭量じゃと思うちょるんか、出海さん!親友じゃき、信用せんか」
「………龍さん」
茫然とした出海の表情など珍しいものが見れて、龍馬はすぐに恰好を崩して笑う。
「出海さんが好いちょるんが人妻だろうと男だろうと、わしは出海さんを嫌いになったりせんよ」
そいじゃから、そんな顔せんでくれ、と。
笑う龍馬に、出海は眩しいものを見るように目を細めて、緩く笑った。
敵わないなぁ、と零した出海の声はいつもと同じで、龍馬は人知れずほっとする。
出海は笑っている方がいい、どんな出海でも、出海に変わりはないが、それでも笑っていてくれる方が龍馬は嬉しいのだ。
「ちゃちゃちゃ、で、出海さんが好いちょるんはわしの知人かのう?」
「…まぁ、それは追々話すよ」
「何じゃ、もったいぶらず教えてくれ、出海さん。そしたらわしも手助けできるかもしれんきに」
「…そうだなぁ……じゃあ龍さん、耳を貸してくれるかい」
「おうおう、そうこなくっちゃのう」
悪戯に笑う出海の瞳に浮かぶ蒼い炎に、荒れ狂う前の海のように静かで、けれども激しいものを秘めているその瞳に、龍馬は気づかない。
常よりも緩んだ笑みでもそもそと近づいてくる龍馬に、出海は狡いと知りながら内心で苦笑した。
俺が好いているのはあんただよ、龍さん、と告げたなら、今度こそ嫌われるのかもしれない。
けれど、そんな懸念を打ち消したのは他でもない龍馬自身なのだ。
だから諦めて、聞いてほしい、だなんて。
やっぱり狡い事を考えながら、出海は龍馬の腕を掴んだのである。
言わせた者勝ち
(目を見開いた男は、けれども次の瞬間困ったように笑うだけで)
(嫌だとも気持ち悪いとも言わなかったから、こっちが逆に困ってしまったのだけれど)
龍馬は普通にそのへんの懐が広そうで、お龍(さなこさん込)も好きだし出海も大事
そこに偽りはないから罪悪感を抱く事もない、みたいなイメージだったりします
龍馬の口調に全く自信がない…(汗)
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