知らぬが仏、とでも










忍とは、基本的に己の術を他人に話したり見せたりしないものである。
何故ならそれは必殺の術とも同義であり、他者に知られては陰と成すものですら陽と相成ってしまうが為。
如何な必殺といえど手の内を知られてしまえば策を講じられ窮地に立たされかねない、とまぁつまりはこういう事だ。

己の術に慢心し、ひけらかすのは三流のやる事である…筈、なのだが。











「かかって来い、甲賀者ぉ!」

「……やれやれ、何故こうなったのやら」


対面向こうで血気に逸った若者の勇ましいこと。名を確か夜叉丸、先程から空に見えるは黒縄のようだ。小さく吐いた溜息混じりに零した言葉は不本意極まりないと明らかにしている筈なのだが、血気盛んな若者にはどうやら聞こえなかったようだ。
甲賀と伊賀、二つの里が両家の縁談によって和平と相成ってから早数ヶ月、嫁いできた朧の里帰りに随伴したのがそもそもの誤りだったのかもしれない。
弦之介と豹馬、それから左衛門が今回の里帰りに同行し、伊賀へとやってきたのだが、やはり和平を結んだといっても長きに渡る恨みや憎しみが消えた訳ではない。当然、朧以外を歓迎する気などない伊賀方の反応は読めていた事だった。だが当の朧には全く考えもつかない事だったらしく、皆で仲良うできるようになどと言い出し、では親善試合でもと言い出したのが弦之介である。鈍いというかずれているというか、弦之介に至っては敢えてそう言い出したのだろうが、何はともあれそういった運びと相成ったのだ。


「俺がやる!」

「若造は引っ込んどれ!わしがやるに決まっとろうがっ」


縁側の角向こうでは伊賀の面々が我こそはと名乗りをあげている。
甲賀側、といっても三人のみだが、弦之介が立ち合いなどすれば死人が出るのは必定であるし、豹馬の能力は夜に発揮される上に弦之介と同じ理由で大変危険。とあらば、必然的に左衛門へ御鉢が回って来る。


「…仕方ありませんな」


不服ではあれど、一応名目上は親善試合、下手にどちらかが傷ついては成り立つまい。
ならば伊賀方とて当たり障りのない者を選出する筈、というのが左衛門の読みであったのだが、事はそう簡単にいかなかった。


「殺る気満々、といった所じゃな」


何故術を、しかも黒縄などという直接攻撃に特化したものを使う忍を出して来たのやら。
殺意は充分といった所か、などと尤もらしく左衛門が頷いたのもつかの間、二人を遠巻きに眺める一団の声に、気を取られた。


「くぅう、やはり右を取っておれば…!」

「運も立派に実力の内でございます、念鬼殿」

「蛍火の言う通りですよ、阿弥陀で決めようと言い出したのは念鬼殿ではございませんか」

「朱絹まで…!いいわい、大人しく見とればいいんじゃろうっ」


……阿弥陀?
まさかまさかのやりとりには、弦之介ですら目を見開いている。まさか何の考えもなく、後先を考えなさそうな喧嘩腰の若造を出してきたのだろうか。
よもや、伊賀も平和惚けしているのかもしれない。太平の世となり、和睦も成され、もはや忍としては任務を仰せつかる機会も少なくなった。
で、あればこそ、夜叉丸のような男には久しく得られた戦いの場なのかもしれない。


(だからといってそれに付き合うてやるつもりなど毛頭ないが…)


そもそも左衛門の術は、こういった公の場で扱うには向いていない。
最初からそれが左衛門だと知られていては意味を成さない類にある。
体術や剣技に自信がない訳ではないが、相手が黒縄となれば話が違う。


「…夜叉丸殿、というたか。一つ提案があるのだが、体術のみの勝負は如何だろう」

「何だと?っはん、今更恐れを成したか?甲賀の…何ていったかな、お前」

「粗末な名故覚えずとも良い。恐れを成した、という事でも構わぬ。これはあくまで親善試合、大きな怪我を負わせるのが目的ではない筈…それに徒手ならばその心配もなく、夜叉丸殿に手加減を強いる必要もなくなるかと思うんじゃが」

「……つまんねぇなぁ、お前。甲賀はこんな腰抜けばかりか」


毒づいた夜叉丸に、慌てた朧が「これ、夜叉丸っ!」と声をあげる。
悪びれた様子もない夜叉丸は、それでも一応愛想笑いを浮かべ口頭のみで謝辞を述べると、暫し考えた後に黒縄をしまった。
やはりな、と左衛門は内心で笑う。
恐らく夜叉丸という若者、己の技量に相当の自信を持っている、そして己の力を他者に認めて貰うという若さゆえの逸りも同様に。そういう男には下手に出てやればいい、そちらの方が上なのだ、手加減をしてくれと請えば気も良くなり話に乗るであろうと予測した。


「仕方ねぇ、合わせてやるよ」

「かたじけない」


多少肝が冷えたが、これで左衛門も刀を手にせず済む。
…とはいえ、詰めはこれからなのだが。





******






里帰りの厄介な所は滞在期間にある。流石に日帰りという訳にはいかず、朧の希望とそれを汲んだ弦之介により此度は五日間の滞在となっていた。
あと四日も此処で過ごすのかと、思わず吐いた息は重い。拍子に、唇の端が引き攣って僅かな痛みを与えた。


「っ、」

「如何した、左衛門」

「あぁ、いや、口を切っておった事を忘れていた」


案じる豹馬に返す声は平素と変わらない。
盲目の豹馬には見えないが、左衛門の顔には打撲の痕があった。
昼の親善試合にて夜叉丸から受けた打撃の一端である。


「全くあの夜叉丸という男ときたら、容赦がない。帰ったら皆になんと言われるか…」


皆というよりも、この場合左衛門の心配は妹のお胡夷だった。
顔を見れば何かあった事は明白であり、手を出した夜叉丸に仇討ちじゃと里を飛び出しかけない。
些かげんなりとした左衛門を笑って、杞憂を察した豹馬が心配あるまいと零した。


「弦之介様の面目と朧様の御心を煩わせぬ為といえば、如何なお胡夷とて何も言えまい」

「確かにその通り……しかし、苦心したぞ。不自然にならぬよう負けるのは、な」


思い出されるのは、勝ちを得た瞬間のしてやったりと言わんばかりに見下してきた夜叉丸の顔である。
軽んじられて良い気はしないが、あそこで夜叉丸を負かしても左衛門が得るものは何一つとてなかったのだから仕方があるまい。


「既に歓迎されておらぬのに、これ以上不興を買う必要はない。ただの試合じゃ、勝ち一つくれてやる位で気をよくするのなら負けるもやむなし…お主なら、言わずとも察するであろうと思うておったぞ、左衛門」

「勝ってしまえば伊賀の面々は更に殺気立つであろうからな。不仲では朧様が悲しまれるであろう、そして結果、弦之介様の御顔に泥を塗ってしまう。とはいえ盲のお主に勝った所で納得するかは解らぬ故、仕方なくやったが…もう二度と勘弁じゃぞ、豹馬よ」


わしはもう疲れたわい、などと吐いて畳に寝そべった左衛門は、そのままぼんやりと天井を見上げる。
慣れ親しんだ気配が少ない代わりに、知らないそれの方が多い伊賀では、心が休まらず、また気も抜けないが夜闇に強い豹馬が傍に居るからか幾分は息もつけた。
元より天井裏に控えているであろう伊賀方の気配は、ただそこに居るだけだ、何か妙な動きをしてくれば豹馬が察するに違いない。
それよりも、と左衛門は眉を顰める。流石に五日後までに痕が綺麗さっぱりなくなるなどという事はないだろう。お胡夷や刑部あたりに何と説明したものか。朧の事を引き合いに出せば他と比べて親しくなりつつある妹は引くだろうが、未だに伊賀への反感を持っている刑部ではそうもいかない。
情けない、それでも甲賀の忍か、とあの直情的な男は言うだろう。面倒くさい、というのが本音だ。
己の里に帰れるにしても気落ちするとは、誠に今日は厄日であったらしい。無意識に空気へ放たれた吐息はやはり重く、その姿が見えればきっと鉛色をしているに違いなかった。


「……何をしておる、豹馬」


キシリと鳴いた畳の音に反応した途端、視界を黒が埋め尽くす。それが豹馬の長い髪によるものだと解ったのは、仰向けに寝そべっていた所へ覆い被さって来た豹馬のしたり顔のおかげであった。
体勢だけ見れば豹馬が左衛門を押し倒しているようにしか見えない。
まさか何か感じたのだろうかと、訝しんだのは一瞬の事である。


「いやなに、お主を労わらなければと思うただけの事よ」

「……ほぉ、して。如何な手法にて労わってくれるのだ?」


そうとしか見えない、のではなく、実際に豹馬は左衛門を押し倒していた。
別段逃げる気もない左衛門は、逆に面白そうに状況を見守る姿勢のようで、揶揄を含んだ声音が豹馬の鼓膜を悪戯に撫でる。
僅かばかりあった距離が埋められたかと思えば、男の手のひらがやんわりと頬に触れた。


「如何にして欲しい、左衛門」

「聞かねば解らぬ男かよ」


和睦が成ったとはいえ此処は甲賀ではない。敵陣中で何を、とまともな思考をした者が居ればこの場も流れただろうが、生憎そのような野暮は二人揃って飲み込んだ。
近づき、距離をなくして、唇を触れ合わせながら左衛門は片目を天井へ向けやる。
その向こうで己らを監視しているのであろう伊賀者に遠慮をしてやるつもりなどないが、此方の会話がどれだけ聞かれてしまったかは定かではない、何しろ声を抑える気すらなかったのだから、全て聞かれているのだろう。
だが恐らく、案ずる事はない。


(…あの青二才は、もう少し気配を絶てぬものかのう)


天井向こうに感じるそれは、昼に拳を合わせた者と丸っきり同じもの。
袴の紐を解かれるままに豹馬へ身体を預けながら、出羽亀の若造を腹の内で笑ってやった。

















知らぬが仏、とでも
(あまり声をあげるでないぞ、左衛門。顔も天井へ向けるな)
(…構わぬが。嫉心があるのなら止せばいいものを)
(甲賀ではなかなかない機会…勿体なかろう?)
(…ま、一理あるな)


























夜叉丸視点に続きます
和睦しても犬猿の仲で、多分あからさま率は天膳>>>>>>刑部、陽炎、念鬼>>>夜叉丸とか、そんな感じかなぁって。夜叉丸の場合、憎いとかってより打ち負かしたい気持ちのがありそうな気がします。




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