ハロー・ハロー










呪いにかかった所為で周囲から見放された滝丸と生活を共にしてから何年が経っただろう、と愛丸は思う。
最初はここまで傍に置いておくつもりなどなかった少年が、新しい環境を与えようとした途端しがみついて離れまいとしてきたのは今となってはいい思い出というやつか。
背の小さかった少年はすくすくと大きくなり、見目こそ幼さを残しているが逞しく成長したと言っても過言ではない。
師匠としても親代わりとしても、贔屓目なしに立派になっていると断言してもいいであろう青年は。

確かに省みると、既に少年ではなかったのだ。










滝丸が恋煩いをしているらしい、という噂が愛丸の耳に届いたのは、当の滝丸がグルメ騎士のメンバーどころか愛丸にすら行き先を告げずに独断でセンチュリー・スープの捕獲に旅立ち、アイス・ヘルにて捕獲自体はできなかったものの予測せぬ形で手に入れた今世のセンチュリー・スープと癒しの薬を手に戻ってきてから数カ月後の事だった。
何もない所をぼんやり眺めては溜息を吐き、時には金髪限定でメンバーの後頭部を熱心に見詰め頭を振る。
それだけでも十分怪しいのに、何やら近頃はアイス・ヘルにて道中を共にした相手と頻繁に文通をしているというのだ。
これはほぼ決まりだろう。元々仲間内では随分と歳若い方に当たる滝丸なので、古株の連中はそれはそれは微笑ましく思いながら暖かい目で事の成り行きを見守ろうと暗黙の内に決していた(余計な茶々を入れて揶揄すると親代わりである愛丸の鉄拳制裁が待ち受けている可能性が考慮されたのは言うまでもない)


「愛丸さん、どうしたらいいんでしょう…」


だから、どうやら煩悩も絶頂期に達しかけたらしい滝丸が、幼い頃から慕っている愛丸に事の相談を持ちかけるのも順当といえば順当な人選だった筈なのだが、事はそう簡単でないらしい。
それを知った時には文通で交わされた手紙の束を前に如何にも道行きを不安がる子供の如き眼で見上げられ、愛丸はもはや敵前逃亡が不可能である事を知る。
必死に言葉を考え出そうとする姿勢は、内情を知る者が見れば憐みを買ったであろうが、生憎と滝丸自らの申し出により二人が居るのは愛丸の部屋であって他者の介入はなきに等しかった。


「……とりあえず、滝」

「はい」

「…何度も聞いて悪いが、最近耳が遠くなったみたいでな。もう一回、言ってくれるか」


もしかして聞き間違いなのでは。むしろ聞き間違いであって欲しい。いいや聞き間違いだ絶対に。
愛丸にしてみれば現状これ程までに切実な願いもない、平然としているように見えているかもしれないが、内心では顔が引き攣ってやしないかという心配に溢れているのだ。
そんな愛丸の心情も知らず、むしろ欠片も気づかぬまま、滝丸は恐る恐ると口を開いた。


「グルメヤクザのマッチという男から交際の申し込みを頂戴したんですが、どう返事をしたらいいのか教えてください」

「………あー…うん…ちょっと、待ってろ」


聞き間違いじゃなかった、というか、グルメヤクザはともかくとして、男って。
どうしてそうなった。
頭を抱えてその場に蹲りたい衝動を堪えた所で、愛丸は嘆息交じりに頬杖をつき律儀に言葉を護って助言を待ち侘びている愛弟子を見やった。
荒くれ者ばかりが犇く美食屋の連中に紛れれば、確かに滝丸は優男に見える。
もはや成人しているとはいえグルメ騎士達の中で純粋培養といっても過言ではない教育を受けた所為か若干世間に対し疎い部分もあれど、僅かに幼さを残した容貌は年上から大層好まれそうな愛嬌を感じさせるだろう。
男が血迷っても、まぁ無理はあるまいと愛丸はやはり嘆息しながら納得した。
あくまでも客観的に、贔屓目なしに、歳不相応に可愛げの有り余る愛弟子がよもやグルメヤクザに目をつけられるとは…過保護になり過ぎないよう滝丸には常に自身で選択させる事を課してはいるものの、滝丸を可愛がっている古株連中がこれを知ったらどうなる事か、愛丸としてはその方が気が重い。
しかし、何を置いてもまずは滝丸の相談事に答えてやらねば。
師としても親代わりとしても、相談された事には真摯に対応してやるべきだろう。


「あー、そうだな…お前は、そいつをどう思ってるんだ?」

「どう、って…口は悪いですが、人情深く、子供にも優しくて……でも口は悪いと思います」

「あぁ、まぁグルメヤクザだしな……んで、お前はどうしたい?」


グルメヤクザだし、というのは独断と偏見に塗れた発言であったものの、滝丸が二度も念押しするように言った事からして本当に口は悪いのだろう。
だが口ぶりから察するに、悪印象はないらしい。むしろ相手をいい人間だと認識しているようで、同性からの告白に対する嫌悪感も見えない事からしてもしやこれは脈があるのではないかと愛丸は考えた。
単に背中を押して欲しいのかもしれない、こうと決めれば意地でも通そうとするのが滝丸という人間だが、思いきるまでは意外と長いのもこの青年の特徴である。
事が事でなければすぐにでも背中を押してやりたい所ではある、だがこればかりは安易に「いいんじゃないか」という事もできない。


「俺が「こうするべきだ」っていう事に従うんじゃなく、お前が「どうしたい」かが一番の問題だろう?」

「どう、したいか…」

「そいつが言うような関係になりたいのか、それともいい友人でいたいのか、って事だ」


友人ならばいい、誰が相手だろうと友好を結ぶのは自由だ。
だがそれが色恋沙汰となれば話も変わってくる。
自分だけの唯一、相手だけの唯一。そういったものになるには友人になる事とはまた違った情があるものだし、何しろ滝丸も相手も男なのだから一般的なそれよりもずっと障害は多いだろう。


「傷つけたくないから受け入れる、それは優しさじゃないぞ、滝。余計に相手を傷つけるだけの同情だ。お前がそいつと同じ気持ちを抱いてるってんならいいが、そうでないなら止めておけ」

「同情なんて、そんなつもりは…」

「お前は優しいからな…まぁ、男同士ってのはちょっと勧められんが、止める理由になる訳でもねぇよ」


誰でもない、滝丸が選んだ相手ならば、例えそれがグルメヤクザだろうがIGOだろうが美食會だろうが……いや、美食會は流石に止めるが。
内心ではそんな風に思いながら、愛丸はその顔に笑みを乗せて滝丸の肩に触れた。
いつの間にか広くなった肩幅に、あぁ子供はでかくなるのが早いって本当だったんだな、などとしんみりした気持ちになる。


「ただ、これだけは断言できる」

「え…?」

「お前が望む相手なら、誰が何を言おうが、俺だけは最後まで味方だ」


種明かししてみれば、グルメヤクザとグルメ騎士という身分違いの恋…に至る寸前である訳だ。
最終的には心中する事になるどこぞの王子や姫の周囲と違って、愛丸にはそれを否定する気もなければ邪魔をするつもりもない。
滝丸が望んでもいないのに無理にそのような関係に、という話ならまだ別だが、滝丸自身がそれを望んでいるのなら親代わりとしては喜んでやらなければならないのだろう。


「愛丸さん…ありがとうございます…!」

「おいおい、俺に礼を言ってどうする。まずは相手にきちんと返事してやれよ」

「はい!あ、それと、あの…もうひとつ、いいですか?」

「ん?」


先程までの落ち着きのない表情と打って変わってすっきりした顔つきに、現金な奴、と微笑ましく目を細めた愛丸は、次には控えめに尋ねてくる滝丸に首を僅か傾げて先を促した。
もはやここまで来ればとことん付き合ってやろうではないか、と気分が若干大きくなっているのは否めない。
まさか次の瞬間には、それを後悔するとも知らずに。


「男同士で、その…もし、深い仲になった場合、ですね」

「……あぁ…?」

「だからそのっ……破廉恥な事になった場合、ですっ!」

「……いや。あの、滝?ちょっと待て」

「あ、は、はいっ」

「………………………え――――――――――っと、だな」


待てとは言ったものの、愛丸はこめかみに指先を当ててそれはもう困惑した。
まさか愛弟子が男に告白されて迷っていると言われただけでも衝撃の事実だったというのに、男同士のあれこれまで相談されるとは夢にも思わなかったのだ。
思わず頭を抱えそうになった、が寸での所で堪えたのは師匠としての意地というものなのか。
だが困惑している空気だけは伝わってしまったらしく、遠慮がちに滝丸が口にした言葉は更にそれを増長させる事となった。


「あの…愛丸さんは、トリコさんとそういった仲なんですよね?だからできれば詳しく、」

「ちょっと待て滝」

「あ、はい」

「じゃなくて、いや、待つのはいいんだがその待てではなく、いや落ち着け、あれ、落ち着くのは俺か?俺なのか滝」

「え、いや、あ、愛丸さん?」


ぐわしと肩を掴まれ、滝丸は目を白黒させて自身の敬愛する師匠を見上げる。
美食屋トリコ、カリスマといわれ、美食四天王の一人である男は滝丸にとっては自身と愛丸の命の恩人であり、愛丸自身にとっては旧知の仲である人物だ。
そして、確かに滝丸の言う通り愛丸とトリコの仲は「ただの友人」ではなくそれなりに特別なものである。あるのだがしかし、それを他言した事もなければ露見するような何かがあった訳でもない。
だというのに何故滝丸がそれを知っているのか、常の余裕を保った大人の姿など取り繕う事も叶わないまま、愛丸は内心で思案を繰り返すも答えは一向に見出されない。
何故、どうして、知られているのか。
一種の恐慌状態に陥った愛丸のその目つきは、なんというか、どう言葉を濁してみた所で恐ろしいとしか表せないものだった。
滝丸にはそれが自身の発言によるものだという自覚がないようで、無邪気にも愛丸を見上げながら首を傾げ尚も口を開く。


「先日お会いした時に、トリコさんが「愛丸に変な虫がつくようだったら連絡してくれ」って…」

「……あ、の…野郎……!」


馬鹿だ、あいつは馬鹿だ。いや知っていたけれども。
見事に撃沈した愛丸は滝丸の肩から力の抜け落ちた手を離し項垂れた。
何故よりにもよって愛弟子に、そんなカミングアウトをしてくれやがるのかと。
滝丸を拾う少し前から、トリコとはあまり顔を合わせなくなったから、トリコと親しい間柄という事を滝丸は知らなかった。
わざわざ言う事でもないと愛丸が思ったのは当然の事で、敬愛する師匠が男と特別な仲だなどと知った滝丸がどのような反応をするのか考えたくもないというのが本音でもあった訳だが、どうやらその心配は不要のようだ。
愛丸の反応からしてトリコの虚言ではない事を確信したのだろう、どこかきらきらとした目で見上げてくるその顔にはでかでかと「教えて欲しい」と書いてある。


「いや…だから……っ〜…!…付き合う前からそこまで考えるなんざ気が早いぞ、滝。さっさと返事を書いて来い」


冗談ではない、愛弟子に教えるのは世の中での処世術や闘いに於いての心構えであって、決して閨事ではないのだ。
口に出して説明するだけでもとんでもない、何よりこの口ぶりから察するに、トリコがどこまで話しているのかもなんとなく解ってしまった愛丸は、今にも赤くなりそうな顔を渾身の力で押し留めて常の体を装った。
邪険にするように手のひらを振り退室を促すと流石の滝丸も不服そうな眼差しを寄こしたものの、それ以上は無粋だと知ってか一度頭を下げて席を立つ。
怒鳴らなかっただけ、愛丸の滝丸へ対する甘さが顔を出しているのだが生憎とそこまで察せる程滝丸は成熟していなかった。これが溺愛する弟子以外ならば怒鳴り散らしている所だ。
そう、特に、事の発端であるトリコに関して言わせてもらえば。


「……向こう一年、顔合わせ禁止にしてやろうかあの野郎…」


一年と言わず、むしろもう訪ねて来なきゃいい。
だからといって此方から会いに行く事もないが。
しかしそんな事を言い付けでもしたら、即刻飛び込んで来そうである。というか、確実に来るだろう。
何でだよアイっ、と大きな体格をしておきながら半泣きでやって来そうな男の姿を思い浮かべても尚冷めやらぬ憤りと、それを更に上回る羞恥にこめかみを指先でノックする。
少なくともつい先日までは数年会わなくとも平気な顔をしていたクセに何を今更甲斐甲斐しくなっているのか。


(しかし……滝の相手、マッチとかいったな…)


どういう奴なのか、位は。
いや、滝が選んだ相手なら別に、気にする事も。
でも、少しは。
人物像を知った所で愛丸にはもはやどうする事もできないしどうこうするつもりも毛頭ないが、とはいえ幼い頃から目をかけて可愛がってきた滝丸の相手となれば気になる訳で。
そうなると、愛丸が話を聞ける相手は当事者の滝丸以外ではトリコ位しか居ない。
だがこの流れで連絡を取るとなれば、余計な事を口走りトリコを呼び寄せかねないとも解っているので、愛丸は躊躇した。


「…………まぁ…少し位なら」


何が少し位なら、なのかなど。
口にしている愛丸自身にも解りはしないのだから全く以て本末転倒な話である。












ハロー・ハロー
(師弟揃って、春だなぁ)
(愛丸さんに聞かれたら殴り倒されるぞ、それ)




















師弟揃って幸せになって欲しいなぁと思います。
文通から始まる関係。




あきゅろす。
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