此処が、天国だとでも










トリコが訪ねてきた…のは、別に構わない。あの男はいつも前触れなくやって来る。
近況の確認や相手の都合など関係ないのだ。
『思い立ったが吉日、それ以外は全て凶日』などと宣うような男だから、それは然して驚くべき事ではない。
滝丸も礼を言いたがっていたし、言ってしまえば自身が薬を口にする切欠を与えてくれたのもトリコなので一言礼を述べるべきだとは思っていたので時期的にも調度いい。


ただ、当の本人は何故だか絶賛不機嫌モードのようである。











機嫌が悪そうだ、そう思ったのは滝が駆け寄っていく先を目にした瞬間だった。
以前に比べて明らかに体格のよさを増したトリコの顔は、相対する滝に笑いかけながらもどことなく不機嫌そうに見える。
勿論、頭の中の殆んどが食材に向けられているトリコの不機嫌の原因など、そうはない事なので見当が付き易い…というか、この場合原因は十中八九自身にあるのだろう。
あぁ、会いに来て貰えたのは助かるが正直顔を合わせたくない気持ちもあったのは否めない。


「トリコさん、先日はありがとうございました!」

「おう、滝丸。美味ぇもん食ってるか?」


はいっ、と元気よく答える滝の顔は満面の笑み一色。
トリコの変化には気づいていないようで何よりである、滝は気を遣い過ぎる質があるから、気付かないならそのままでいさせた方がいい。
純真無垢に育ったのは育て方が良かったからだと思いたい、まぁ多少盲目的な部分もあるが、グルメ騎士にも秘密にしてまで外の世界に出て行った滝にはそれがいい刺激になったのだろう、近頃はグルメヤクザとも交流を持つようになったようだ。
このまま外の世界にも目を向けてくれるようになって貰いたい。
世界は何も自分だけが全てではないのだ、人との接触は必ずいつか滝自身の助けとなってくれるだろう。


「よぉ、アイ」

「……あぁ、久しぶりだな。トリコ」


愛弟子を眺めながらそんな親心に思いを馳せているとすっかり聴覚も鈍らせていたようで、先程まで僅かな距離があったトリコと滝が此方を見ていた。
口端を緩めて久方ぶりの言葉を交わす。
髪は昔会った頃からあまり変わっていない、顔つきが少し精悍になったか。
笑みの形を象ってはいるものの、その眼には鋭い光――――――やはり、不機嫌そうだ。


「…滝、トリコに食事の用意をしてやってくれ。こいつはグルメ騎士じゃないから、調理したものをな」

「はい、解りました。それじゃあトリコさん、また後程」

「おう、美味いモン頼むぜ」

「馬鹿みたいに食うから、目一杯用意してやれよ」


純真で無垢で、師を疑うという事をあまり知らない愛弟子は、体よく追い払われた事にも気付いていないのだろう。後で修業に付き合ってやらねば、罪悪感にほんの少し、苦笑が漏れる。
調理の間立ち話も難だからと、自室まで案内する旨を伝えると、トリコは一度頷いて見せた。
滝が居なくなった途端に黙り込んでしまったのは親しみの証とでも言うつもりなのか、あまり嬉しくはない意思表示に思わず溜息が出そうになったが努めて喉の奥に押し込み部屋に入る。


「ま、適当に座ってろ。何か飲むモン淹れてやる」

「あ、あぁ」


後に続いた男がそわそわと落ち着かなさそうにしているのを、笑いを滲ませながら宥めた。
素直に腰かけた所がソファーでなく寝台だったのは褒められないが、まぁ自分がソファーに座ればいいだけだと考えを改めて冷やしていた茶をコップに注ぎ入れる。


(…さて、どうしたもんかな)


この男は、割と、というか意外に、というか、存外単純ではない。
まぁ食事に関しては単純以前に本能からして剥き出しではあるのだが、不機嫌の理由を尋ねた所で素直に言ってくるような短慮さがないのだ。なんて面倒くさい。
これがトリコと同じ四天王であるココならば容易くこの食いしん坊の手綱をとって吐かせるに違いないのだが、生憎と自分にはココのような「やんわり且つ遠回しに、しかし確実に聞き出す圧迫感」というものが足らない。


「…なぁ、アイ」

「は」


うーん、と内心で唸っていると、後ろから声がかけられた。しかも、超近距離。
振り返りきるまでもなく僅かに首を捻るだけでトリコの顔が視界に入る。
近い近い何だいきなり、と言えないのはこの奇怪な行動で殆んど確信に近いものを得てしまったからだ。
トリコは、怒っている。
何にかといったら、自身に関して一切連絡をしなかった事だろう、それ位しか思い当たる節がない。


「……何だ、トリコ。座って待ってろよ、お前はガタイいいから、そっちに行くのに邪魔だ」

「あぁ、悪い」

「……」

「……」

「…悪いって言ったら普通退くもんじゃないのか?」


退くかと思って待っていたというのに、トリコの奴は素知らぬ顔で「そういうもんか?」などと首を傾げてみせた。
ついでとばかりに茶を載せた盆を持っていかれる。
ライフで滝が手に入れた薬は、呪いを完治させる事はできなかったがそれでも充分にこの身を癒してくれた。
良くても呪いの進行を阻止するだけで終わるかもしれないとは思っていたが、まさか身体の半身以上を健康な状態に戻せるとは思ってもみなかった。
おかげで右腕は吊った状態であるものの、それには随分と昔から慣れていたので然して苦に思う事もなく生活していられる。
傍目にはそう見えないかもしれないが、トリコもそうして「らしくない」労わりから盆を横取りしていったんだろう。
俺が持っていく。そう言葉にまでできないからこその無言の訴えだったのだと察してしまえば、何だか勘繰り過ぎている自分に対し奇妙な脱力感が湧き上がってきた。
トリコに続いてソファーに落ち着く。それでもやはりトリコ自身は寝台に腰かけていたので、茶を零すなよとだけ言っておいた。


「…アイス・ヘルでは、滝が世話になったな」

「ん?あぁ、俺は何もしてねぇよ」

「全部聞いてる。あいつを死なせずに済んで、感謝してるんだぜ」


そうだ、感謝、している。
それと同じ位に、申し訳ないとも、思っている。
トリコに何も言わないまま、死んでしまうつもりだった。というより、それが自身の運命ならば仕方がないと、思っていた。
だがこうしてトリコの顔を見てしまうと、どうしてそんな風に思えていたのかと自身を殴り倒してやりたくなる程の罪悪感に駆られるのだからどうしようもない鈍感ぶりである。
あぁ、もう言ってしまうか?そうだな言ってしまえ、何にしても上手く聞き出すだなんて芸当、自分にはできないのだから遅いか早いかだけの違いではないか。


「…なぁ、」

「すまん、アイ!」


トリコ、と。
呼びかけは頭文字を口にする事もできないままに突然の謝罪で押し留められてしまった。
何だ、何がどうしてそうなった。
怪訝な眼差しに、勢いよく口を開いた筈のトリコが後ろ頭を掻きながら気まずそうに目を逸らす。
人の目を見ないで話すだなんてこいつにしては珍しい。


「その…GODの話、なんだが」

「あぁ、そういう噂があるってんだろ」

「そう、そういう噂が……って何だよ知ってんのかよ!」

「そりゃ、噂でなけりゃお前から入るまでもなく情報が来てるだろうよ」


あんまり見縊られちゃ困ると軽口で答える。
これでも一組織の頭を張っているのだ、情報戦で遅れをとる訳にはいかないだろう。
それを聞いたトリコは、だよなぁ、と言いながら脱力気味に腰を落ち着けた。
何だ、そんな事を気にしていたのか。


「GODは、お互い夢だからな。お前はその噂を信じてんだろ?」

「あぁ、そりゃ勿論、当たり前だろうが」

「なら、俺もそれを信じるさ」


だから「単なる噂」の段階だろうと気にはしないと、笑って言ってやればトリコの顔にも笑みが戻った。
不機嫌だと思っていたのは単に思い詰めていただけ、という事なのだろうか。
それにしては、どこか拗ねているようにも窺えた。


「俺にも、お前に謝らなきゃならない事があるしな」

「お前がか?滝丸からは何も聞いてないが…」

「何も言わせないようにした、の間違いだな、そりゃ」


努めて、笑う。
いくらトリコが自身にとって旧知の仲だとしても、滝がそれを知らない以上組織の内情は晒せなかっただろう。
トップが倒れているだなんて、然して敵が多くない組織であっても周囲に知られていい事ではない。
だが自分が僅かにでもトリコに伝えていれば、事態はもう少し簡単だった筈なのだ。


「何も伝えなかったのは、わざとだ。お前が元気にやってんのは知ってたし、自分の事を言って何がどうなるもんでもないって解ってた」

「…薬を飲む気はないって言ったんだってな」

「それが定めなら、受け入れるべきだと思ったんだ」


だからこそ滝が傷だらけになって、それこそ命がけで手に入れた薬すら無碍にしようとした。
それでも、何も伝えていない、何も知らなかった筈のこいつの、たった一言にしかならない伝言に心を揺り動かされてしまったのだから笑えない話だ。


「ありのままを受け入れる、それがグルメ騎士の教えだ。俺は、それに反したくなかった」


それが自分の誇りだと、信じていたし、実際にその通りだったから。
けれど、トリコのたった一言がいけなかった。
生きろでもなければ死ぬなでもない、引き留める明確な言葉はないというのに「近い内に伝説の食材がその姿を現すらしい」だなんて、勿体なくて死ぬ気も無くすような事を滝に託すから、いけないのだ。


「ただ、こうして生き延びてみると…まぁ、お前に何も言わないでいたのが、悪かったな、ってな」

「……」

「……」

「……」

「………おい、何とか言えよ」


そこで黙るな、とは思えど言えやしない。だがここで「何とか」などと言い出すような馬鹿らしいユーモアはトリコにはないと知っているので、言葉を待つ。
じっと此方を見てくる眼には未だ何某か抱え込まれていて、それが負の感情でない事を願うばかりだった。
まさか嫌いな人間にわざわざ近づいていくような男でもないし、腹に何か据えかねる事があるのならそれこそ先のようにまず口をついて出るタイプなのだから秘密などあってないようなものだろう。
入れた茶が、暫く放っておかれた所為で不機嫌そうに氷を揺らした。


「…アイ」

「……何だ」

「ちょっと、こっち、来い」

「は?」


不意に、トリコが口を開く。言っている意味は何とも理解しにくいものだったが。
こっちってどっちだなどと聞かずとも、来い来いと手招きしているのだから近寄れという意味で違いない筈だ。
ソファーから腰をあげ、脚をトリコに向ける。
距離はそうなかったのでたったの三歩で目の前まで来てしまった。
座ったままのトリコは、それでも体格がいいので僅かに首を曲げて上向きに顔をあげるだけで視線が絡み合う。


「もうちょい、こっち」


言いながら、左腕を掴まれ僅かに力を込めて引かれた。
右腕を吊っているのは全く動かないからではないが、それでももしこのまま倒れ込んだりしたなら咄嗟にその腕で身体を護る事はできないだろう。
奇妙な声が小さく零れて、それでも構わずに左腕を引かれるままトリコの方へ倒れ込んだ。
柔らかいベッドの方が断然マシだったろうに、硬い筋肉にぶつかるように抱き込まれた所為で鼻先を打った。


「っ……っ…てぇよ、馬鹿」

「悪い悪い」

「……報復にしちゃ、随分幼稚な事をするんだな」

「報復だぁ?誰が誰に」

「お前が俺にだよ、馬鹿」

「馬鹿馬鹿言うんじゃねぇよ。サニーかお前は」

「……怒ってんのかと思った」

「…あー…そうだな、怒るってよりは………情けなくなった、っつーか」


体格はこれでも平均男子を上回ってまだ有り余るというのに、それよりも幾分逞しいトリコには簡単に膝の上で抱き寄せられてしまう。
何というか、男として悔しいものがあるが体格差はこの際仕方がないかと息を吐いた。
何より今はトリコの「情けなくなった」という発言に着目したい所だ。
一体何がどうしてトリコが情けなくならなければならないのか。
散々人の面倒を見てきて自分が病にかかっちまったら馬鹿だろとか言われるんだろうか、なんてありもしない想像を働かせていると、トリコの手のひらが頬を撫でてきた。


(―――この感触も、久しぶりだな)


本音を言えば、半分だろうが呪われた身体だ、あまり触れさせたくはない。
けれどトリコは、言っても聞かないだろう。ただでさえ機嫌を悪くしているのなら余計にしてはいけない気遣いだ。
思いながら、自然に瞼が落ちる。
常は獲物を狩る為に強靭にも鋭敏にもなるその手のひらが、まるで壊れものを扱うかの如き慎重さと優しさで肌を撫でてくるのは可笑しくも照れくさいものがあった。
しかもその手の持ち主の表情までもが穏やかときたら…直視などできる訳もない。
けれどもそんな思惑を知らないトリコは、何やらごにょごにょとこの男の性格らしからぬじれったさで口を動かし始めるのだから、閉じた瞼も思わずあがるというものだ。


「俺達は…あー、滅多に会わねぇだろ?お前から来る事なんてそれこそゼロに近いし」

「…皮肉が言いたいのかお前は」

「違うって。だからつまり、そういう状況でも気にしてなかった自分が情けねぇって言ってんだよ」


トリコの耳が赤い。というか、顔も赤いんだが、何だこいつ乙女か。
言わせんなこんな事、と如何にも此方が無理矢理言わせたかのように言ってくる口は可愛くない。
可愛くない筈なんだが、おかしいな、病の所為だろうか、可愛く見えてきた。


「……滝でも、少しは上手く言えるぞ?」


憎まれ口を叩くも己の口端があがっているのは解りきっている。
うるさい、と肩を怒らせて言い返してくるトリコは、気付いているのかいないのか、顔色が余計に赤くなっていった。
あぁ、やはり可愛いな、畜生頭がおかしくなったのか。


「心配したならしたって、言えばいいだろう?」

「………っ……一回しか言わねぇからな」

「ん?」

「………、……、…」

「ん」








ひとつ、ふたつ、みっつ。
一回だけだと言う割に、言葉はまるで蜜のように甘い。

どんな顔をして言っているのかと、気になって覗き見ようとしたが察したトリコの手のひらが先んじて視界を塞いだ。

耳元に落ちる低い声が、心地いい。
あぁ、そうだな、こんな風に惜しまれるのは、悪くない。

肩を抱かれるまま、相手の胸に頬を押しつける。
あぁまるで、
幼子のようだ。
女のようだ。

お前に抱かれて、安堵するだなんて。
これではまるで。
まるで、












此処が、天国だとでも
(息をすると青草の香りがした、太陽の香りがした)
(あぁ、お前は今此処に居る)





















愛丸さんはきっと病気を食べるのは止められないし止めないんじゃないかなっていう妄想。




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