隼と不死鳥01
やってしまった。
いかにもな失態への感想は内心で留めておくにしても、思わず零れ落ちた溜息ばかりはどうしようもない。
年に十数回程行われる講義、その中でも一番厄介な教授のそれをみすみす逃してしまった。
代返は認めるが名前を呼ばれた時に返事がなければ即アウト、欠席した場合は到底一日では終わらないであろう課題を出される。
しかも講義で言った事や板書した事は全て試験で出す嫌なタイプなのだ、考えるだけでも恐ろしい。
何でよりにもよってこんな日に、と今日に限ってしつこく追い縋って来た恋人を恨んでみるが仕方がないだろう、振り払いきれなかった自分が悪い。
せめても代返をしてくれる友人の一人でも居れば良かったのだが、生憎と大学に居る数少ない友人達はその講義を取っていなかった。
相当絞られるだろう、いくら自分が滅多に欠席しないといっても欠席は欠席だ、それにノートを貸してくれる人間も見つけなければならない。
既に講義を終えて疎らになった教室を、一応と覗く。
せめて少しでもと思ったがやはり黒板にはチョークの痕が濁ったように残っているだけで文字として機能していなかった。
「…あの」
「あぁ?」
がくりと落とした肩に、声がかかったのはそんな時。
振り返れば見覚えのある顔…といっても名前も知らなければこれまで話した事もない男だった。
他に比べて若干許容範囲の広いこの大学では、民族的な趣向の者も居るが、その男は明らかに異国の出身と解る化粧をしている。
静かに微笑む姿は男だというのにどこか穏やかで、けれどそれが嫌味に感じないのはその白い顔が整っていたからか。
知り合いには、まず居ない、そんなタイプだ。
「…何だい」
「さっきの講義、確か取られていましたよね」
随分と丁寧な言い方だ。
なんとなく擽ったい気がしたが、あんまりにも男が好意的な態度をとるものだから撥ね退ける事もできずに頷くだけで答えた。
すると男は、あぁ良かった、と零す。
何が良かったのか解りかねて首を傾げると、今度はどこか言い辛そうに口をぎこちなく動かし始めた。
「授業が結構被るのですが、覚え違いだったらどうしようかと思っていたんです…えぇっと、マルコさんですよね?」
「そうだけどよい…何か俺に用があんのかい?」
「講義のノートが必要かと思いまして。出過ぎた真似かと思ったのですが、代返もさせて頂きました」
「は……?」
よかったらどうぞ、と白い顔が微笑む。
いやいやいや、何がどうなってそうなった?
相手は自分を知っているらしい、授業が被ると言っていた。
だから自分もなんとなく見覚えがあったんだろうか…って、そうではなくて!
少なくとも友人ではない相手から、ノートを借りるのはまだ、そう、まだいいとしても、代返だなんて事までして貰う理由はない(助かったといえばそれまでなのだが)
しかし、背に腹は代えられないのもまた事実。
いいじゃないか、助かったのだから。
別に悪意を持っているようにも見えないし、なんとなく、いい奴そうだし。
自分にしては珍しく、そう楽観してから一先ず礼を言う。
なんというか、警戒心が薄れるのだ。この男の笑みは。
「ありがとよい…何か礼でもしなきゃな」
「お礼だなんて、気にしないで下さい。そんなつもりではないですから」
「借りっぱなしは性に合わねぇんだよい」
「…そうですか。それなら、そうですね…」
男は暫く思い悩む素振りを見せた。
どうやら本当に下ごころあっての事ではないようで、ぽん、と要望が出て来ない様子が逆に申し訳なくなる。
ううん、と声を漏らした男は、それから漸く思いついたのか、悪戯っぽく笑って見せた。
「それなら、こうしましょう。私が講義に遅れているようだったら、今度は貴方が代返をして下さい」
「…そんな事でいいのかい?」
「その時はノートも見せて頂けたらありがたいですね」
どうでうか?なんて、答は決まりきっている。
外見で全てを判断する訳ではないが、見た所男は欠席や遅刻に縁遠そうだ。
つまり「今度」とやらはいつになっても来ないかもしれない。
だというのに、それでいいと男は笑う。
(変わった奴だよい)
それでも、そういう奴が実は意外と好ましいと思うのだ。
代返するならばと理由をつけて名前を聞く。
男の名は、ペルといった。
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隼と不死鳥、出会い編。
学部は二人とも経済学。
大学の内情にはあまり詳しくないので、色々違っても突っ込まないでやって下さい…(明後日の方向を見ながら)
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