夢よりも甘い現実を










努めて丁寧に、優しく。
もはや条件反射にそうしてしまうのは、相手が愛しい者だから。

それは優しさを受け取る側にとっても同じ事で。
ただ、それを当然の事と考えるか否かに関して言うのであれば、その限りではなくて。















違和感を感じたのは、眠っていた意識が湧き上がってすぐに事だった。
本来ならば眠る前に腕の中に抱き込んだ存在が、その重みが、気づけばなくなっていたのだ。
世の男女とは一風違った立場である以上、それなりに思う所はあったが、まさか初めて夜を明かした朝に姿を消されるとは考えもしなかった。
予想の斜め上を行くのは恋仲となった男の常だが、いくら何でもこれはあるまい。
不自然に空いたスペースに手を這わせると、温もりの欠片もない事から、どうやら相手は随分と前に抜け出したらしく、気づかずに眠っていた自身の呑気さに思わず苦笑した。


「……全く、あいつは」


酷く扱いはしなかったが、最後まで優しくしてやれたかは自信がない。
慣れない行為に唇を噛み締めていた男の姿を思い起こす、知り合ってからこれまでで初めて男の泣き顔を見たのだと考えれば、男としての本能か、奇妙な感覚に充足感を得るも多少の反省はしなければなるまい。
恐らくは気力で歩いて行ったのだろう、となれば、今頃自室の寝台で横になっているのか、はたまた途中に力尽きてしゃがみ込んでいるのか。
いいやもしかしたら、未だ夜も明けきらぬこの時分となると鳥目故に壁に衝突している所かもしれない。
何にせよ放っておく気は毛頭ないので、チャカは身を起こすと夜着から服を着替え、未だ太陽の欠片も見えぬ薄暗闇の仲、静まり返った宮殿内をゆっくりと歩む事にした。










一方、チャカの部屋から抜け出したペルはといえば、下半身のあらぬ所から走る刺すような痛みに呻いては時折立ち止まり、時には不慣れな暗闇に足を取られながらもどうにか自室の戸を押し開いた所であった。
常ならば意識する事もないというのに、チャカの部屋から自室への道のりがあまりにも遠く感じていたペルは、漸く目的の場所へ辿り着けた安堵から深い息を吐き、戸を閉める。
抜け出す時には深い眠りについていたチャカは、目を覚ましたら何を思うだろうか、とは考えなかった。
共に夜を過ごし、しかもそれが恋仲となってから初めてのものだとすれば、普通は共に麻を迎えるものかもしれないが、まるで女のように男の腕に抱き寄せられた状態だと認識した途端、思わず身体が動いてしまったのだから仕方がない。
まだ相手が眠っていたからいいものの、あれでチャカが目を覚ましていたら気恥ずかしいどころの話ではなかったと思う。
後程顔を合わせた時には何か言われるかもしれないが、それはその時に考えればいいさ、とペルは彼らしからぬ楽観さで寝台に横たわった。
いや、楽観さと言うにはどうにも投げやりに過ぎる思考だが、現状その身がまるで己のものではないかのような気だるさに包まれ、厳しい調練後とはまた違った倦怠感に擡げた睡魔を抑え込むには既に限界が見えていたのだ。
つまり常ならば顔面を蒼白させて思い悩むかもしれない所を、ペルの思考能力は恐ろしい程に鈍かった。
そうでなければチャカの反応という名の報復を思って暢気に眠る事などできないだろう。
仰向けに寝るのは身体的な状態からして難しいものがあったので、ペルは横向きに身体を丸めて目を閉じた。
そのまま睡魔に誘われればまだ良かっただろう、厳密に言えば既に彼の中の睡魔はここぞとばかりに惰眠を貪らせようとしていたのだが、徐に開かれた扉の音が未だ僅かに意識を残していたペルの耳に届く方が先だったのである。
陽も出ていない内から一体誰だ、とペルは思わずあからさまに顔を顰めた。
とはいえ護衛兵の中でもそれなりに実力を認められている自身の立場を思えば、もし急務であった場合は異論を唱える事もできないし、元よりこの国の護衛兵である事を誇りとしている以上、異論を唱える気もないのだからと思い直し、己を奮い立たせペルは睡魔と繋いでいた手をどうにか振り解く事に成功した。
それでも彼の瞳は薄く開いているだけで、その身は未だ名残惜しそうに寝台に臥せっているのだが。
今のペルの思考能力では、例えばそれが急務であろうと無断で部屋に入って来る者など居る訳がないという単純な矛盾に気づかない。
折角開いた瞼ですらいかにも重たそうで、今にも落ちてしまいそうだ。
扉を開けて入って来た張本人は、その現状を楽しむように笑うと、さてどうしたものかなと思いながら緩めたばかりの唇をわざとらしく引き締め直した。
ペルの意識が沈みかけているのならば好都合だとばかりにさっさと寝台まで歩み寄り、横たえたその身を囲うようにして腕をつく。
ギシリと新たな重みに軋んだ寝台の音よりも、その負荷によって沈み込んだ感覚に疑念を抱いたのか、重たげな瞼が子供のような瞬きを繰り返し、漸く相手を見上げた。


「……」

「いい朝だな、ペル。朝というには少々早いが」

「……っ、チャカ…!」


どうやら覆い被さる男の姿に、睡魔は一気に逃げ去ったらしい。
眠たげだったその顔は今や一気に蒼白し、やばりまずいしまったとありあり書かれている。
少し考えればこうなる事が解るだろうに、簡単な判断すらできない程に疲れさせたのかと思えばチャカにも責任がない訳ではないので、というより九割以上はチャカの責任であるので、苛めるのは止してやろうと意識して作っていた難しい顔を緩めてみせた。
しかしペルにとっては、むしろその方が恐ろしかったのだろうか、この反応はいつもよりも怒っているからかと勘違いしたペルは慌てて半身を起こし、


「ちがっ…っっっい……!?」


悶絶した。
普通に考えて、本来使うべきでない器官を無理に押し開いたのだから、身体にかかる負荷としては当然の結果だろう。
それでも痛みに耐えながら、どうにか意思を伝えようと手のひらが頼りなく伸ばされたので握るついでに腰を擦ってやる事にした。
軽くだろうが、叩いてしまえば響いてしまうのは容易く想像がつくので、擦る手の強さに注意してそっと触れる。
握った手から若干力が抜けたようなので、どうやら間違った対応ではないらしかった。


「まぁ落ち着け。俺は別に怒っちゃいない」

「…ほ、本当か」

「あぁ。勿論、起きた時には少々驚いたが」

「……」

「傍から見たらそれはもう情けなかっただろうが」

「っ……」

「俺は全く、怒っていないぞ?ペル」

「っっっ…!」


嘘だ、絶対に嘘だ、と雄弁に瞳が語るも敢えて言及はしないでおく。
実際、チャカは本当に怒ってはいなかったし、こういった反応もペルらしいと言ってしまえばそれまでの事だ。
ただ、素直に反応してみせるペルを見るのが楽しいのだと、当の本人が聞けば怒り狂いそうな思考を抱えつつ、チャカは笑った。
冗談だ、とペルにしたら悪質極まりない言葉をかけ、その身が楽になるように―――部屋に入った時から横向きに寝転がっていたあたりその体勢が楽なのだろうと思い―――横抱きにする。
ペルは一転して物言いたげに微妙な顔をしていたが、早々に諦めたのか深く溜息が吐かれるだけであった。
もはや逃げ失せた睡魔が意を決して戻ってくるには意識が覚めきっているからか、ペルは己の身を抱く腕こそが原因なのだと恨めしさにまた息を吐く。


「……逃げるつもりはなかった」

「あぁ」

「ただ、起きた時にはお前が俺を抱いていたから、どうも…」

「違和感があった、か?」

「………顔が笑っているぞ、チャカ」

「勿体ぶるからだ」

「……………気恥ずかしかったんだ。こう言えば満足か」


やや投げやり気味な口調で零された言葉に、チャカは緩む口元を誤魔化そうとはしなかった。
代わりに常はターバンに隠されている額に口づける。するとペルはまたも物言いたげな顔をするのだから、何とも解りやすい男だ。


「優しくされるのは嫌か」

「…そういう訳ではない、が…」

「が?」

「……」

「どうやら、気恥ずかしい以外にも何かありそうだな」


元より見透かしていた事ではあるが、チャカは努めて今気づいたという体を装った。
稀に救われるば良いもあるが、現状としては気づかぬふりをするのが賢明だろう。
敢えて急かす事もせず、黙り込んだペルの身を抱えたまま、チャカはただ言葉を待った。
ペルがこうして言い淀むのは、大抵が未だ整理がついていない事で、傍目にはそう見えずともその実忙しなく思考を繰り広げていたりするものだから下手に催促してもいけないのだ。
二人して黙り込むと、遠くで鳴く鳥の声が互いの耳に届く。
動物系の能力者である二人には常人には聞こえぬ小さな音を拾う事など造作もない。
恐らくは夜明けが近いのだろう、薄明かりに室内がほんの僅か色を変える。
当初の予定とは多少の差異はあれど、共に朝を迎えられたのだからよしとしよう、とチャカは一人思い、そっと笑った。
それに反応したのだろうか、訝しむようにチャカを見上げたペルが困惑を隠しきれぬ声を零す。


「……女になった訳でもあるまいし」


そらきた、と。表には出さぬように、チャカは内心でそう呟き喉奥に溜息を押し込める。
大体にして、ペルが気にしそうな事はチャカの気にする所ではない。
身体に無理を強いた自覚がある以上、そこに性別的な意識は介在せず、ただ恋人を労りたいと思うのは普通ではないか。
押し込めた溜息を呑み下したチャカは、ペルの身体を改めて抱え直しながらその名を口にした。
呼びかけに応えて窺って来る瞳を見ると、性懲りもない衝動が湧き上がったがそれもどうにか抑え込む。


「…俺はな、お前の尊厳を踏み躙る気はない。ただ、恋しい相手だからこそ大事にしたいと思うだけだ」

「……お前の気持ちは嬉しいし、ありがたい。本当だ」

「ならば、」

「だが、それに甘えてはいけないとも思う」


だからお前が悪い訳じゃない、そう言いたいのだろう。
まるでペル一人の問題であるかのように言い切られては、チャカも二の句が継げなくなってしまう、主に呆れという面での話だが。
いっそ甘えきってくれたならいいのにとは思えど、そうでないのがペルという男なのだとも知っているから口にはしないでおく。
例え言った所で、素直に聞き入れる男でもないのだ。


「…とにかく、少し眠れ。お前が休まねば俺も気が気じゃない」

「…………では、少しだけ」


チャカが睡眠を促す間にも、考えを述べて多少は落ち着いたのか、逃げ出した睡魔の尻尾を捕まえたペルの瞼がゆっくりと瞬いた。
微笑ましさに口角を緩め、チャカは幼子にするようにそっと背中を撫でてやる。
そんな些細な行為ですら、ペルの意識がはっきりしていたら咎められるのだろう、全く、難儀な男だ。
ぴたりと閉じた瞼が暫くしても持ち上がらなくなった所で、チャカはその身ごと寝台に横たわり、小さく笑う。


「次に目を覚ました時も、お前は逃げてしまうのか?ペルよ」


問いかけは責めるものではなく、ただひたすらに優しい。
早くも夢の中へ落ちたペルがそれに答える訳もなく、沈黙を返答として、チャカもその目を閉じた。




それから二時間後、やはりというべきか一人置き去りにされたチャカが、食堂で一人蒼白するペルを見つけ笑うのはまた別の話。




















夢よりも甘い現実を
(おはよう、ペル)
(っ、チャ、カ)
(遅い朝食だな。まぁ、俺もだが)
(あ、あぁ…いや…その…)
(あぁ、怒っちゃいない。また居ないとは思っていなかったが、怒ってなんかいないさ)
((嘘つけ……!!))






























チャカは怒ってないです、面白がってるだけです(お前)
調子に乗ってる様子のチャカは、いつか慣れて平気になったペルがある日腕の中に居たままでびっくりすればいいよね!(ぇ)
また無駄に長くてすいません←

title/確かに恋だった




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