楽園への扉に手をかけて










なんとなく、予感はしていた。
旅立つ前の挨拶回りに入る前から、やけにいそいそとリゼンブールから遠出していく弟の姿に、何も思わない訳がない。
幼馴染みのウィンリィですら何も知らないようで、彼女が問いただしても弟は曖昧に笑うだけだった。
これはいよいよ何かあるぞ、とは思っていた。あぁ、思っていたさ。
だからといって何でよりにもよって。

「……ハインケルと付き合う事になっただぁ?」

どうしてそうなった。














幻聴か、そうでなければ何の悪夢か。


「付き合う事になったっていうか…まぁ、うん、そうなんだけど」


目の前でテレテレと頭を掻きながら笑う弟の姿に、エドワードは絶句した。
そりゃ、何かあるとは思っていたし、ウィンリィやピナコに至ってはどうにも楽しそうな顔をして好きな人ができたのではないかとまで予想立てていたのだから強ち間違いとは言い切れない。
問題はその相手で、ホムンクルスと戦り合ったあの「約束の日」にシンのお姫様、もといメイと良い雰囲気になっていた事からてっきりわざわざセントラルまでやり取りをしに行っているもんだと思っていた。
手紙ならともかく、通信となると未だリゼンブールはシンと繋がっていないので、外部に出て連絡を取るという事をエドワードが考えたのも無理はない。
しかし弟の、当のアルフォンスの口から出てきた名前はメイではなく、その上異性ですらないときた。
これに絶句しない兄が居るだろうか、いいやそもそも、兄でなかろうと絶句するだろうとエドワードは思う。
もしかしたら聞き違えたのだろうかと、エドワードの思考が現実からの逃避を図ろうと画策するも、簡単に見逃してくれる程甘くもなく。


「……ハインケルってぇーと、どちらのハインケルだ」

「兄さんもよく知ってる、合成獣のハインケルさんだよ」


とぼけようとした所を足下掬われて更に氷水を頭から被せられた気分だ。
にっこりと笑うアルフォンスはやはり照れくさそうで、それでいて自慢げでもある。
ちょっと待て、頼むから待て、とエドワードは内心で懇願した。
合成獣のハインケルといえば、出会い当初は敵同士だったものの何だかんだ「約束の日」まで力を貸してくれた大男だった筈だ。
間違っても、どう見ても、ハインケルは女ではないし、何より自分やアルフォンスよりもずっと長く人生を過ごして居るであろう年上の大人。
それが何をどうして、付き合うなどという事態になったのか。


「……お前、その……」

「うん?」

「…………ほ、ほほほほほほほもだったっの、かっ」


この質問をするには、実を言わずとも相当な労力を要した。
それはエドワードの顔面に浮かぶ大量の脂汗が物語っている。
頬の肉が痙攣するのが解っていても、どうにかできるものではない。
客観的に見れば必然とも思える兄からの問いかけに対し、アルフォンスはといえばきょとんと目を瞬かせ、それからすぐに笑みを浮かべて見せた。


「何言ってるの兄さん。ボクはホモじゃないよ」

「え、あ、そ、そう、なの、か?あれ?」


ならば何故、同性の、しかも大幅に年が上であるハインケルと付き合うなどと言い出したのか。
疑問に対する答があまりにも予想と違いすぎて混乱するエドワードだが、アルフォンスはそんな兄の姿を見て楽しげに笑う。
ボクからも質問、と一度間を置いたアルフォンスの顔には尚も笑みが浮かんだままだ。


「兄さんは、ウィンリィが女の子だから好きな訳じゃないよね?」

「はぁ!?」

「違うの?女の子だから好きなの?」

「や……そ、れは……だな……」


そんな事はない、と思う。
ウィンリィの、気の強い所だとか、変に男気ある所や、でも時折見せる脆さだとか、笑っていて欲しいと思う、とか。
そういうのは、ウィンリィが女だから、などという単純な括りでは限りたくない感情ではないだろうか。
ただ、それを違うと言い切れる程エドワードは未だ恋愛に対しそこまでオープンな態度をとる事はできないのだ。
結果として不明瞭な声を途切れ途切れに紡ぐ事しかできない初心な兄は、けれどもせめて必死に弟の問いを否定しようと頭を振った。
大袈裟とも思えるまでの頭の振りようにはアルフォンスも思わず苦笑してしまう。
これは、聞くまでもなく答が解りきっていた問いなのだ。
決定的な言葉は告げていないようではあるが、それでも兄は兄なりに幼馴染みの彼女を好いているし、その好意を伝えようと悪戦苦闘している。
それが解らない程、不肖な弟ではない。


「それと同じだよ。男とか女とか関係なく、ハインケルさんだから好きなんだ」


つまり男が好きな訳ではなく、ハインケルという個の存在こそを好いているのだと。
臆面もなく言い切るアルフォンスの微笑は穏やかで、少しばかり照れくさそうで、いつもよりも大人びて見える。
本当に、ハインケルが好きなのだろう。そうでなければこんな顔はできまい。


「………………っ〜、あぁもう、わぁーった、解ったよ、ったく」


告げられた言葉を耳にしたエドワードは、暫し黙した後、わしわしと頭を掻きながら溜息交じりにそう言った。
これは何をどう言った所で聞きはしない、自分に似て一度決めた事はどうしたって貫こうとする質なのはもう解りきっている。
これまでそういう素振りが見受けられなかったとはいえ、例えば当時自分が気づいていてもこの結果は免れなかったのではないだろうかとすら思える始末。
それならばもういっそ、認めてしまった方が気楽ではないかと。


「で。何で好きになったんだ、見るからにおっさんだろあのおっさん」

「もう、兄さんってば。ハインケルさんは優しい人だよ。ボクや兄さんの言うことが綺麗事だって、甘いって言うのに、賢者の石を物として見たりしなかったんだ」

「へぇ」


それは、初耳だ。
エドワードは思わず感嘆の声をあげた。
ハインケルがどうという訳ではないが、大多数の人間にしてみればまずは己の欲求が先立っても仕方がない所だ。
同情はしても、それを人の命と知っていても、己の欲求や手段の為に利用するのが大多数だろう。
それをいけない事だとは言わない、その大多数が、賢者の石が人の命から作られている事を知らないのもまた事実なのだから。
ただ、エドワードやアルフォンスにとってそれが曲げられない部分である事もまた確かだ。
賢者の石は、ただの石ではない、物ではない。
他人の命を使ってまで己の身体を取り戻そうとは思わない。
それは兄弟の共通の想いだった。
だからハインケルが、賢者の石を物として判別しなかった事に対しては素直に好感を持ったのだ。


「どんな姿になっても大切なものを守りたい気持ちは一緒だって、そう言って賢者の石をボクにくれた……ボクは、賢者の石になった人たちと一緒に戦えた気がしたんだよ」


それはもしかしたら詭弁であったのかもしれないけれど、それでも確かにアルフォンスの心に響くものがあった。
キンブリー達と対峙したあの窮地ですら、アルフォンスは心強い何かを得た気持ちになっていた気がする。
全てがそうだとは言わないが、ハインケルの言葉はアルフォンスの背中を押す一端だった。
それがきっかけだったとアルフォンスは笑う。
自分や兄以外にも、そんな風に言ってくれる人が、自分よりも長く生きてきた間に様々な物を見て来ただろうにそれでも綺麗事を許してくれた人が、気になるようになったのだと。


「ボクが元の身体に戻ってからもね、ハインケルさんに怒られたり、誉められたり、そういうのがくすぐったくて、でも嬉しかった」


元々は生身の人間だったけれど、それでも鎧で過ごした日々も長いアルフォンスは、子供扱いされる事がなかなか少なかった。
当然のように子供扱いしてくれる人が初めてな訳ではない、当時は大佐だったマスタングや、ホークアイ、軍部の人間は少年としてのアルフォンスを見てくれていただろう。
けれども、ワガママの一つ位言え、言わなきゃ誰も解らねぇだろと叱ってくれた人はというと、別の話で。
新鮮だったし、嬉しかったし、純粋に驚いた。
自分達は充分ワガママを突き通してきたという自覚があったし、周りの人に沢山お世話になっていたから、まさかワガママを言うだなんて、できる訳がないと思っていた。


「最初は父性に惹かれてるのかなぁって、ボクも思ってたけどね。ほら、ボク達ってあまり父さんと過ごさなかっただろ?」

「あんのクソ親父は早々に姿眩ましやがったからな…」

「あはは、兄さんも寂しかったでしょ」

「っ!んっな訳ねぇし!」

「うん、まぁ、とにかくさ、そういうんじゃないって思ったのはやっぱりあれかな。抱き締めたいとか、そういう事を思った時」


最初は自分でも変だと思ったと、アルフォンスは笑って言った。
自分よりも体格のいい、年上の男性を抱き締めたいと思うだなんて、何故だろうかと。
しかし、セントラルで病院に居座っていた間、できるだけ会いに来て欲しいという自分のワガママを叶えてくれたハインケルが、会話の中でふと笑う所を見るのが好きだった。
ずっと幼い頃にウィンリィに抱いた気持ちとはまた違う、けれどそれに比べるとずっと熱情に近しい何かを抱いていると自覚したら、受け入れるのは早かったように思う。


「………で、まぁ、付き合う事になったと。よく受け入れたなあのおっさんも」

「誤魔化されたり、断られたり、したけどね。でもハインケルさんが気にしてるのがこれから先の事だって解ったから、大丈夫だよって食い下がって押しに押しを重ねたら折れてくれたような感じかな」

「………………おっさんに同情する」


意固地且つ頑固一徹であるこの弟が、こうと決めたらとことん行く気質なのは自分と同じなのだと知っているエドワードとしては、押しに押されたハインケルが哀れに思えてならなかった。
苦笑するエドワードに敢えて言及せず、アルフォンスは「でも」と言葉を紡ぐ。


「これから先の事なんて誰にも解らないし。時間を重ねたらボクだって大人になるんだから、大丈夫だよ」

「……そっか」


大丈夫。
それが何に対する大丈夫なのかは、エドワードにも解らなかった。
世間の目や、声か。
それとも年の差や、性別に関するものなのか。
だがエドワードは、それについて訊ねようとは思わなかった。
聞いた所で特に何かが変わる訳でもないし、何より当の本人がすっかり腹を括っているのだから意味がないだろう。
いつまでも子供な訳ではないのだ。
エドワードがそうであるように、アルフォンスも長い旅の間、そして全てに決着がついた後も、成長を続けている。
全く、気づけばすっかりノロケられてしまったようだ、付き合いたての人間から話を聞く程手間のかからない満腹感もない。


「んで?シンに行くのは、どうすんだよ」


ノロケはここまでだとばかりに、調子を切り替え口を開いた。
返答は考えるまでもないが、とあからさまに呆れを滲ませたエドワードが訊ねると、一目瞭然のその回答は、当然ながら笑みと共に返ってくる。



「勿論。一緒に」


その笑みといったら、口でノロケられるよりもずっと破壊力の凄まじいもので。
エドワードは、何だか無性にウィンリィの顔が見たくなってしまったりしたのだった。















楽園への扉に手をかけて
(……ところで他のおっさん達は知ってんのか?)
(え?言ってないけど何で?)
(…………や、いいわ、何でもねぇ(可哀想なおっさん達…))



















言ってやれよ(お前)
いざ旅立ちの時にハインケルまで居て、しかも(主にアルフォンスから一方的に)ラブラブオーラなんで出ていたら驚くどころの話じゃないと思う。
同時刻、ハインケルさんは盛大に寒気がしてればいい←




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