そしてしばしの戯れを










気づいた時には顔が間近にあった。
ふと陰が落ちたかと思えば、それはあっという間に触れて。
離れた顔が、真剣な眼差しを次には瞠らせた。


「…ペル?」


窺う呼びかけにも答えられず、不明瞭な声しかあげられない。
それは返答として成立しているのかも怪しいもので、暫くしてチャカが噴き出すのが解った。
笑うな、と言おうとしても言うに言えない。熱い、顔が、どうしようもない程に熱い。


「すまない、驚かせたか」


驚かせたというか何というか。
黙って首を振るが、説得力はないだろうと自分でも解っている。
しかし、他にどう答えろというのか。
解らないから、結局は何も言えなかった。















喧嘩でもしたのかと、そう疑問の声をあげたのはビビだった。
チャカとしても思い当たる事はないので軽く否定したものの、実をいえば避けられている自覚がなかった訳ではない。
顔を合わせた途端何某かの理由をつけて立ち去ろうとするし。
どうしても二人で処理しなければならない案件の話をしている時は絶対に目を合わせようとしないし。
その理由に関していえば、思い当たるものは大いにあった。
多分「あれ」が原因なのだろう。


「ペルを怒らせたの?」

「いぇ、そういう訳では…ないと思うのですがね」


言い淀む自分というのも珍しいのだろう、ビビは目を丸くして、それから朗らかに笑った。
ペルは怒ると怖いのよ、なんて言われずとも解っている。
何しろ仕えるべき主相手だろうがケジメをつけるべき所はつける男なので、それが自分相手となるとそれは余計に容赦のないものになるだろう。
しかし、怒っているのとは少し違うのではないだろうか。
推測でしかないが、多分にあの男はどんな顔をすればいいのか解らないだけではないかと。
ビビにはどうにかすると言ってその場をやり過ごしたが、どうにかしようにもまずは相手を捕まえなければなるまい。


「…ペル」

「、…あ、そうだ、あれを忘れていた」


そうこうしている間に通路の向こうからやって来たペルは、呼びかけるなり明らかにたった今作り出したであろう理由を口にして踵を返す。
あれって何だ、あれって。
もう少し余裕があれば微笑ましいと思えるのかもしれないが、流石にこれ以上避けられるのは本意ではないのでその後を追う。


「ペル」


声をかけたものの足は止まらない。
この距離で、この声音で、聞こえない筈がないというのに無視を突き通す気でいるのか、むしろ足運びは更に速いものになった。
いつまでもこのまま避け続けるつもりでいるのだろうか、だとしたら考えが随分とらしくない。
何度か呼びかけを繰り返すが、その度に速さが増すだけで決してペルは立ち止まらなかった。
それを追う自分も勿論歩幅を広げるから、周囲で見ている者にしてみたらさぞ滑稽な事だっただろう。
逃げる副官に、追う副官。
宮殿の端から端へ移動したのではないかという頃になって、そういえばペルには隼になるという手があったのだと思い至ったと同時にペルの身体が若干の変化を見せている事に気づいた。
咄嗟に己が取った行動は、同じく能力を使用する事で……


「おい、ペル」

「…………」

「……能力を使用しようとしたのはお前が先だぞ」

「…解ってる。っ、いい加減離せ」


腕の中に閉じ込めた一羽の隼がこれでもかともがく。
黒い毛並みに覆われた己の腕は、能力を解除したと同時に人間の肌へと戻って行った。
空に逃げられれば勝ち目こそないが、陸での脚力はやはり己に軍配があがる。
離したら逃げるだろう、それは御免だ。
いつものお前に戻ったら離してやる、そう言えば、ペルは暫し躊躇った素振りを見せてから漸く観念したのか能力を解除した。
見る見る内に大きな隼は細身の男へと変化していく。


「ほら、もう良いだろう。離せ」

「言った筈だ。いつものお前に戻ったら離してやる、とな」

「っ、おい、チャカ!」

「あからさまに人を避けて、その上無視までしておいていつもの自分だと言い張るのは難しいぞ、ペルよ」

「っ聞こえなかったんだ、無視をしたと思わせたのなら悪かった、だが俺は別に何もおかしな事などない」


文句は最初から受け付けるつもりもなかった。
鳥の囀りは騒がしいものだったが、抱き上げたまま近場の部屋に連れ込めばすぐに大人しくなる。
そこは折り良くも文官が使用している蔵書室の一つで、薄暗い其処に二人きりとなればすぐに緊張から黙り込むだろう事は予想の範疇だった。
全く、これだけ警戒心を顕わにしておきながら何もないとは、随分と自分を甘く見ているらしい。
原因は解りきっていたが、訊ねた所で素直に答えてくれるものだろうか。
適当な椅子に腰かけ、膝上にペルを落ち着かせてから、常とは違い己よりも高い位置にあるその顔を見上げた。


「俺の思い違いでなければ、の話だが。お前は俺を避けているな」

「…、…思い違いだ」

「そうか。ではここ最近のお前の態度は、何か他に思う所があるという事か?」

「っだから俺は、別に何もないと言っているだろう…!」


ここまで隠し事が下手な男もそうは居ない。
必死になって隠し通そうとする様は、今度こそ微笑ましいと思えるものだった。
少なくとも、己の手の内に在る間は、の話なのだが。
前触れもなく頬へ手を伸ばすと、びくりと肩が震えてまたダンマリを決め込む。
唇に引かれた紅をそっと撫でれば、薄く開いた唇から戸惑いを帯びた息が細く吐き出された。


「……嫌だったか?」


何が、とは言わない。
けれどペルには正しく伝わったのだろう、意図して弱り切った声を出したからか、己が傷ついているとでも思っているのかもしれない。
実際は、ペルが羞恥から逃げ出したのだと解っているし、その態度に傷ついた訳でもないのだが、勘違いされるのは今回に限って幸いな事なので敢えて訂正はしなかった。
見上げたペルの、薄茶の瞳が気紛れに室内に差し込む光を受けて不安げに揺らめいている。
自分の所為で恋人を傷つけていると、そう物語る揺らぎは綺麗だった。


「……っ……ちが……」

「…ん?」

「違う、嫌だった訳ではない、嫌だったら、とっくに……」


とっくに、に続く言葉は多分に物騒な物だったのだろう。
見かけに依らず勝気な所のある男は、変な所で随分と男前だ。
その先は何と紡がれるのだろう、もはやそんな反応すら愛しくなってきて、つい緩んでしまった己の表情がペルの瞳に映り込む。
不安げだった眼差しが一度瞬き、次いで恨めしそうなものへと変貌していった。


「……お前、解っていて訊いてるな」

「真っ正面から訊いて肯定するような男でもあるまい」


低い声は、けれど怖くはなかったので此方もニンマリと笑って返してやる。
してやられたと、気づいたペルの顔が赤に染まった。
大体お前が、と恨み事は未だ続く。
そうだ、己の内に溜め込んで逃げ惑う位なら、言ってしまえば良い。
今更隠し事などする仲ではないのだから、それは尚の事だった。


「何の断りもなくするなんて、俺が男だからといって驚かない訳ではないんだぞ」

「ムードなど作った所でお前は恥ずかしがって逃げるだけだったと思うが?」

「だとしても、一言何か言っても良かった筈だ」

「そうか。それではやはり、嫌だったのか?」

「だから嫌じゃないと言っているだろう、嫌だったらとっくに殴ってる、お前だから恥ずかしいんだこのっ、……!」


促されるままに本音を暴露していたペルは、しかしそこで己の失言を知ったのか口を閉ざしてしまう。
惜しいな、もっと攻めておけば愛の告白位は頂戴できたかもしれない。
ペルの眼には、自分でも人が悪いと思える程の笑みを浮かべた己の姿があった。
あぁいけない、これではまた逃げられてしまうな、と表情を引き締めるも少し遅かったらしい、赤かった顔を更に赤らめて、大丈夫だろうかと思わず心配になる位に赤面したペルはそれから本当に何も言えなくなったとばかりに不明瞭な声を漏らすだけになる。
そんな所が愛しいのだと、この男は知らないのだろう。


「ペル、おい、顔を隠すな。見えてるぞ」

「っう、るさい…俺だってこんな、女々しくなりたい訳じゃない…!」


くそ、と。小さく悔いるような声が頭上から落ちてきた。
自分としては、常のペルらしくない姿を見るのも楽しいのだが、とはいえ同じ立場ならそんな事には構ってもいられなかっただろう事は察せるものだった。
同じ男だからこそ解る、赤面だとか羞恥に耐えかねるだとか、女性ならばともかく男の自分達にそれは不似合いだ。
少し、やり過ぎたか。そうと悟られぬよう息を吐く。


「誰が、いつ、お前を女のようだと言った」

「……言っていない。俺が勝手に、自己嫌悪に陥っているだけの事だ」

「それで避けられてる俺が、本当に傷つかないとでも?」

「………………傷つくような男でもあるまい」


確かに、その通りだ。
先程の己の言葉を真似ている事を抜きにしても、見透かされているらしい。
手を伸ばせば、今度は震えなかった。
恨めしいと言わんばかりにじとりと睨みつけられて、肩を竦めて苦笑する。


「キスがしたいんだが、一応一言断りを入れた方がいいか?」

「…いや、もういい。何だか馬鹿馬鹿しくなってきた」


呆れたような溜息は、触れた唇に押し込めて。
恥じらいを感じなくなる程に、何度でもすればいいと。

そう言ってやれば、馬鹿犬、と照れ隠しからか頭を叩かれた。




















そしてしばしの戯れを
(一々お前は心臓に悪いんだ、それを自覚しろ)
(あぁ、気をつける(自分も大概心臓に悪い発言をしている事に気づかないのだろうか))




























もうお前らずっとちゅっちゅしてろよ…←
不意打ちの行動は犬の専売特許だけど、不意打ちの言葉は隼の専売特許である。

title/確かに恋だった




あきゅろす。
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