雨の日だって恋日和










カタ、カタカタ、と不規則に窓が鳴る。

何かと思い席を立つと、窓の向こうでは雨が降り出した所だった。

アラバスタでは雨が降る事も少ない為、水は重宝されている。

突然の雨では困る者も居るだろうが、多くの者には恵みの雨だ。



とはいえ、今より数時間前に空へ飛び立っていった者には、恵みどころか正反対のものだろうと考えて。

やりかけの仕事に一度きりをつけて、席を立った。














油断した。
近頃は雨が降る事もなかったし、国王に命じられた所よりも遠くに行くつもりもなかったというのに。
調度渡り鳥が空を飛び立っていく時期だったらしく、物見を終えてから出くわした群れの後を、少しばかり離れてついていく小さな鳥を見放す事もできずについ手を出してしまった。
本来ならば弱肉強食な動物の世界、群れから外れてしまうような鳥はその先へ行けたとしても生きていけるか解らない。
けれど覚束ないながらも必死に羽ばたきを繰り返す幼い鳥を目にするとどうしても手助けしてやりたくなってしまって、見かねた親鳥が寄ってくる頃にはアルバーナから随分と距離が開いていたらしく、戻る途中に雨が降り始めたのだ。
宮殿の中庭に降り立ったはいいものの、このまま部屋に行っては宮殿内を水浸しにしてしまう。
誰か通りかかるまで待つか、と思い渡り通路の軒下まで歩いて行った所で、折よく給仕の姿が見えた。
ペル様っ、と些か焦りを帯びた声は手を挙げて制して、すまないがタオルを持って来てくれないか、と伝える。


「すぐにお持ち致しますっ」


人を使うのは申し訳ないが、流石に自らでどうにかできるものでもないので給仕の帰りを待つ。
あまり慌てては危ないという忠告を紡ぐ隙も与えずに駆けて行った給仕は、恐らく言葉の通りすぐに帰ってくるのだろう。
ぼんやりと見上げた空は薄暗く、線となって視認できる雨はそれこそ数え切れなかった。
雨に降られた時は災難だと思ったものだが、やはりこうして気紛れにやってくる天の恵みは砂の国にとってありがたいものだ。
これでまた暫くは水不足に喘がなくて済む。
水とはなかなか縁の薄い国には、雨というものが重要な存在だった。
それは、今も、昔も、変わらずに。


「…っ、くし」


ヒュウ、緩やかに、けれども確かに吹いた風が雨に濡れた身体を余計に冷やそうとする。
横薙ぎに来た風は、軒下に居る自身の身を雨水に晒した。
できるものなら中に入るべきだとは思うが、やはり給仕が戻ってからの方が良いだろう、と考えている間にも風は止まず、思わず身震いをして、それから一度くしゃみを零す。
どうやら自分でも思った以上に寒さを感じているようだ。
深夜ならばともかくとして、日中は灼熱と言っても過言ではない暑さで過ごしていると寒いというのはどうも新鮮な感覚である。
だが、その感覚に浸っている訳にもいくまい。
こんな所をビビやイガラム、そしてチャカに見咎められればどうなる事か。
ただでさえ国の危機を乗り越え、平定してから随分と経つ今となってもこの身を案じ続けてくれる三者に見つかれば、すぐさま小言を言われるに違いない。
それだけならばまだ良いが、それに付随して世話まで焼かれるのは申し訳なかった。


「ペル」


そんな事を考えていたからだろうか。
片割れたる相棒の声が聞こえたかと思えば、先程給仕が駆けて行った方から当の本人がやって来た。
なんというか、少し空気を読んで欲しいと思う。
すぐにと言って未だ帰って来ない給仕をお門違いと知りながら恨んでしまいそうだ。


「…チャカ」

「あぁ、やはりそうなったか」


この事態を想定したらしき口振りのまま、無造作に腕を引かれる。
呆気なく軒下から渡り廊下の中まで引っ張り込まれ、反論する前にタオルを差し出された。
先程まで黒くなった空を眺めていた所為か、白いそれは妙に目に眩しく映る。


「…………助かった」


一先ず感謝の言葉と共に受け取って肩を拭う。
恐らくは此方へ戻ってくる途中の給仕と出会ったのだろう、とあたりをつけてから、行動を読まれた事は気まずいがどうやら小言は言われないで済むらしいと解って安堵の息を吐いた。
鳥として空を飛んでいた時は、翼が水で重くて堪らなかったが人間に戻ってからは衣類が水を吸って張り付くのが気持ち悪い。
少しだけ取れた水気は、けれど裾からぽたぽたと零れ落ちる水滴からして充分ではないのだろうが、これ以上の処置はしようもないので諦めて部屋に戻るしかない。
だがチャカがわざわざ出てきたという事は、何か用があるのだろうから、まずは話を聞いてからだ。


「何かあったのか」

「いいや、特にはない。ほら、服ばかりでなく自分の事もどうにかしろ」

「お、おいっ?」


持参したタオルは一枚だけではなかったらしい。
額に巻いていたターバンを手早く取り浚われたかと思えば、次にはばさりと頭上から降って来た。
ターバンのおかげで頬のあたりはあまり雨水に濡れなかったが、それでも後ろに撫でつけただけで剥き出しになっている頭部は無防備で、随分と水に濡れている。
外した拍子に前へ落ちてきた幾筋かの髪の先から、水滴が散った。
視界を覆うタオルは、けれど自らが使う前に上から押さえつけられ、緩く髪を往復する。
何もないとは言うが、まさかこの為だけに出てきた訳ではないだろう。
ただ通りかかったというならわざわざ給仕からタオルを受け取らず、先に用向きを果たしている筈だ。
疑問のままに見上げようとするものの、まだだ、という端的な声に行動を制限された。
お前は俺の親か、と言いたくなる気持ちをぐっと堪える。
髪を拭くタオルの動きは穏やかで、その手がどれだけの加減をされているのか知れてしまえば、言える訳もなかった。
どんな顔で髪を拭いてくれているのか、そもそもそんな親切が必要な歳でもないというのに。
けれど、その手の力加減がどうにも気持ちよくて、つい黙ってしまった。
昔もこんな事があったな、と思い出す。
それは本当に昔、お互い副官になって間もない頃の話だが。
あの時は、チャカの手も加減などしなかった。
がしがしと半ば力任せにタオルを擦りつけられ、此方も構う事無く抗議の声をあげたものだ。
手持無沙汰ではあれど突っぱねる事はできずされるがままでいると、暫くしてから漸く視界が開ける。
ついでのように髪を後ろへ撫でつけ直す手は、本当に世話好きな男として慣れたものだった。


「……気は済んだか」

「あぁ、これで気兼ねなく仕事に戻る事ができる」

「は?」


皮肉のつもりの言葉は、しかしそうとは受け取られなかったらしく、満足げに頷くチャカに此方の方が顔を顰める事になってしまう。
だから、何しに来たんだお前は。
チャカの口振りからすると、まるで本当にこの為だけに出てきたようではないか。
いいや、だとしたらあまりにもでき過ぎている。
給仕と顔を合わせただけならばまだ「ついでに」というのでも理解はできるが、チャカの言い方では最初から世話を焼きに来たようだ。
国王の命で等間隔に物見をする自身であるが、チャカは朝から執務室で書類の整理をしていた筈。
その量は、こんな所で油を売っていてもいいものではない。


「前にも同じような事があっただろう」


それは、つい先程自身の脳裏を過った記憶そのものだった。
自分はともかくチャカまでもが覚えているとは、と思わず目を瞠る。
あの時も、人が通りかかるのを待っている間に身体を冷やしてしまっていた。
今日はすぐに給仕と出会えたが、あの時は本当に人気が見当たらず困っていたものだ。
最終的にはなかなか戻らない己を探しに出てきたチャカに見つかり、今のように捕まった。


「……今日は、給仕に頼んだから必要なかった」

「それなら先程慌てている所を見かけたぞ。俺がもう持っていく所だから不要だと伝えたら、笑われてしまったが」


その言葉はつまり、元よりこうする為だけに出てきたと、そういう事か。
雨が降っただけでそこまで気が回るとは恐れ入るが、気にかけるべき所はもっと他にもあるのではないだろうか。
そもそも、仕事は終わっているのか。
合間に自身の事を考える余裕など、出かける前に見た書類の山からして存在しないようにも思えた。
もしやもう終わらせたという訳でもないだろうに。


「……暇なのか、お前は」

「休憩がてら、ずぶ濡れになろうがすぐに部屋へ行かない馬鹿な鳥を世話しに来ただけだ」

「……」

「風呂に入れとまでは言わないが、報告なら着替えてから行くんだぞ」


いいな、と念を押すように言ったかと思えば、本当に用件はそれだけだったのかあっさりと踵を返して行ってしまう。
口をついて出た憎まれ口に対し、その返答には何倍もの威力があった。




















雨の日だって恋日和
(どうしてあいつはいつも不意にあんな事を言うんだ…!)
(素直に着替えてくれれば良いが…全く生真面目なのも考えものだな)




























最近雨ばかり降るので、妄想してみた。
翼が重くなって飛んでいる時にふらつく隼とか、いい(何がだ)
着替えて報告を終えたら、ペルはきっとチャカの執務室に行ってお礼にお茶でも入れてあげるといいです。

title/確かに恋だった




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