指先はもどかしいばかり










サー・クロコダイルという脅威が居なくなったとはいえ、アラバスタ王国が以前のような平和な国になるにはやるべき事が山ほどある。
毎日机を埋め尽くすようにして積み上がった書類を処理し、兵士達の調練もしなければならないから個人の時間など微々たるものだ。
しかしそれに対し不満が湧かないのは、根幹が平和への希望によるものだと解っているからか。

日ごとに増す焦燥や国民達の不信感。
いつやって来てもおかしくない反乱軍の存在。

以前はいつだって張り詰めていた空気が、今では活気ある賑わいに満たされている。



それを知っているからこそ、忙しない日々も苦ではなかった。













「テラコッタさん」

「あら、チャカ様。お待ちしていたんですよ」


デスクワークで凝り固まった肩を揉みほぐしつつ食堂に入り調理場を覗けば、言葉の通り待ちかねたとばかりの笑顔に出迎えられる。
夕刻のこの時間帯では食堂も人が絶えず、給仕長を務めるテラコッタの額には汗が浮かんでいた。


「事務処理が長引いてしまって。申し訳ない」

「謝るならペル様に仰って下さいな。さぁどうぞ」

「あぁ、ありがとうございます」


二人分の食事が用意されたトレーを手渡すなり、テラコッタは仕事に戻っていった。
忙しい中、本当にありがたい事だ。
改めて感謝の念を抱き、会釈してその場から踵を返す。
歩く度にカチャカチャと鳴る食器の音に紛れ、兵士達の声がかかった。


「お疲れ様です、チャカ様」

「これから食事ですか?」

「ペル様にどうぞよろしくお伝え下さい」


その半分以上がペルの部下である事は容易に知れていて、愛想がない割に人望がある相棒を誇らしく思うと同時に、恋人としては妬けてしまうなと苦笑しながらその声に応えて食堂を出る。
奇跡的に生還したペルだが、その身は未だ日中の殆どを寝室で過ごしていた。
本人は大丈夫だと言い張るが、侍医の判断は覆らない。
執務にも調練にもいくらか許可が出始めているが、それも時間の制限を設けた上でのもの。
食事の為に部屋を出る事は禁止されていたが、本来王族の為に存在している侍女に食事の世話などされては喉に通る気がしない、というのがペルの言い分だった。
王族でもない自分には過分だと、恐縮し、決して頷こうとしないペルにこれならどうだと提案されたのがこの現状だ。


「ペル、入るぞ」


トレーを片手に、空いた方でノックもせずに扉を開ける。
寝台で半身を起こしたペルは、此方の姿を確認すると困ったように苦笑した。
いくら気心の知れた仲でも申し訳ないと思っているのだろう、全く他人に尽力するのは厭わないクセに、他人に尽力されるのは気が引けるなど不器用な事この上ない男だ。


「すまないな、チャカ」

「それを聞くのは何度目だろうな、ペル。気にするな、好きでやっているんだ」


俺こそ遅れてしまってすまない、そう言いながらサイドテーブルに食事を並べていると、忙しいんだろう、とこれもまた気遣う声が返ってくる。
だから、気にするなと言っているのに。
溜息を吐きそうになったが努めて堪える。
ここで「忙しくなどない」と言っても焼け石に水のようなものだろう、下手に嘘をついてはまたペルに気を遣われたと思わせてしまうだけだ。


「…そうだな、確かに忙しいかもしれん。やる事は山積みだが人手は足らないし、一日の仕事を終えた後は酒を飲む気も起きない位疲れている」

「っ、本当にすまない。俺がこんな状態だからお前に余計な負担が、」

「あぁ、お前がこんな状態でなかったら、顔を合わせる時間すらなかったかもしれんな」


罪悪の念に駆られるペルの言葉を遮り、言うと、薄茶の瞳が呆けたように瞬いた。
自分でもそうと思う位に意地の悪い物言いだったが、いつまでも遠慮しているペルも悪い。
暗くなりかけた表情は行き場を見失い、此方の言葉を理解しようとして混乱したようだ。
トレーに乗せていたペルの食事を並べ終え、その眼に焦点を合わせてやると、薄茶のそれはどう返したものかと困惑に揺れていた。
そんな反応は想定の範囲内だったので、笑みを唇に乗せて名を呼ぶ。


「不謹慎だと、怒ってもいいんだぞ」

「っ、そ…っ〜…俺は、世話になっている身だっ。何も言えん」


ふいっ、と明後日の方向へ顔を背けたペルだが、その頬が赤いのは容易に見て取れた。
砂の国アラバスタでは皆一様に日差しからその身を守るものだが、どうしても焼けてしまうのが大半で、だというのにペルはやけに色が白いから赤らんだ時はそれが際立ってしまうのだ。
朝や昼と違い、夕食の後は差し迫った急務もないからゆっくり過ごす事ができる。
その時間を恋人と共有したいと思うのは、当然の事ではないだろうか。
しかしペルが怪我人でなかったらどうだろう。
他人に背負わせる事を厭うこの男は、床に伏してさえいなければ倒れるまで執務に励むに違いない。
それを責めるつもりはないし、自分も同様にこの国を愛しているから理解もできるが、だからといって放っておく事もできず内心でハラハラさせられているのだから、正直に言ってしまえば制限のあるこの状況に少しだけ安堵もしていた。
ペルがそれを知れば今度こそ激昴するだろう、流石にそこまで白状する気はないが。


「食事を終えたら散歩でもどうだ。近頃は陽が暮れるのも早いから、すぐに星が見えるだろう」

「…外に誘うなんて珍しいな、この前まで人の顔を見ては大人しくしていろと口煩かったクセに」

「もう調練もしているんだ、散歩位なら身体にも障らんだろうと思ってな」


動きたくないと言うなら今回は止めておくか、と尤もらしく気を使えば、誰もそんな事は言っていない、と焦れた声が返ってきた。
目の前の恋人は、時折やけに扱い易くて微笑ましくすら思う。
そうと決まれば食事を済ませてしまおうと、空いたグラスに水を注ぎペルに手渡した。









アラバスタの夜は冷える。
日中は焼けつくような暑さだが、太陽が沈んだ途端急激に気温が下がって行くのだ。
自身よりも低い位置にある肩は既にマントを羽織っていたが、未だ傷が塞がりきっていない事を盾にしてストールを巻き付けてやった。
女子供のように扱うな、とむくれられたが恋人を心配するのには性別も年齢も関係ないのでおざなりに謝罪しただけで済ませる。
そもそも、ただの女子供ならば話はもっと簡単なのだから。
夕刻を過ぎて暫く経つ頃ともなると、警備担当の兵士や仕事を終えた給仕位しか顔を合わせる者も居ない。
日中だとこうもいかないので、他人から案じられる事に慣れていないペルが隣で安堵の息を吐いたのも当然だった。
帰還して早々、ビビやイガラム、国王にまで身を案じる声と共に詰め寄られ、若干逃げ腰だったのも今では笑い話の一つである。
正門の方まで出ても良かったが、それでは警備中の兵士が気疲れしてしまうだろうからと人気の少ない中庭で足を止めた。
歩くだけならばそこまで疲れもしなくなったペルは、寝室から出られた事を喜んでか大きく伸びをするとそっと微笑んでみせる。


「やはり寝ているばかりではいけないな」

「今日も調練に出てきただろうに、よく言うものだ」

「俺の身にもなってみろ。最後まで参加したいのに時間が来れば寝室に強制送還だぞ?」


言いながら、ペルは空を仰いだ。
不満を訴えはするものの、その表情は穏やかな微笑に彩られている。
昼間、雲ひとつなかった抜けるような青空は、その濃度を増し光り輝く星々を鮮やかに浮かび上がらせていた。
サク、サク、と芝草を踏む音は緩やかだ。
特に目的地がある訳ではない、ただ気が向くままに歩を進める。
こんな穏やかな時をまた過ごせるとは、数カ月前には考えもしなかった。
増加の一途を辿る反乱軍を警戒し、枯渇するオアシスに心を消耗していた、あの日々では考えられる訳もないが。
この国の守護神である片割れの穏やかな笑みも、ここ最近になって漸く「久しい」という感覚から抜け出る程度には目にしている。
他愛ない日々は、幸福に満ち溢れていた。


「…そんなに見ていては空に穴が空くぞ、ペル」


未だ空から視線を逸らす事のないペルの姿は、まるで空へ焦がれているようにも見えて、つい思案を邪魔する形となっても構わず声を投げかける。
まさか飛んで行きはしないだろうが、ほんの僅かでもそういった願望があったのか、ペルは大きく肩を震わせると、ばつの悪そうな顔を肩越しに覗かせた。
悪戯を咎められた子供のようで、無防備なその背に手を伸ばし懐に抱き込む。
当然あがった抗議の声は無視をして、傷に障らない程度に加減した力でやんわりとその身体を拘束した。

「チャカ?」

「…………言わなくても知っているだろうが、犬は空を飛べんぞ」

「…?何の話だ」

「少しは地に足を着けていろ、と言っているんだ」


例えその翼が空を求めていようと。
暫くの間位は、留まっていて欲しいのだと。


「俺だって分別位はあるぞ。完治するまでは大人しくしているさ」


いかにも不思議そうに首を傾げ、それから苦笑の形で反論してきた鈍感な隼には、らしくもない懇願などきっといつまで経とうが解るまい。


















指先はもどかしいばかり
((何物にも囚われず飛び立つその様も愛おしいと思うのだから、大概自分もどうしようもないのだけれど))



























さぁ、何を書きたかったのかな!(知らんわ)
えー、チャカがペルの世話を焼く話を書きたかった筈なんですが…何だこれ、どうしてこうなったorz
ペルは変な所鈍感で、チャカがたまに口説くような事言っても全然解ってないといい。

title/確かに恋だった




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