その御手が求むるは










「ハインケルさんっ」


ダリウスと連れ立って出て行ったアルフォンスが、戻ってくるなり肩で息をしながら腕に縋って来た。
本人としては引いているつもりなのだろうが、余りにも疲労を滲ませている所為で縋っているとしか思えない。
一体何処まで離れた所でダリウスと話していたのか、そこから走ってきたのだろう、そうでもなければここまで息を乱しはしまい。
赤らんだ顔で荒い呼吸を繰り返すアルフォンスの肩に手をやり、とりあえず宥めようと緩やかに叩いた。


「一先ず落ち着け。な?」

「あ、うんっ、えっと、だから」


頷きながらも人の話など何も聞いちゃいないらしい。
尚も腕を引こうとするアルフォンスに、仕方ねぇなと溜息をひとつ。
とにかく、ダリウスと同様に離れた所で話をしたいというのは解る。
それなら別に逆らう必要もないのだから、ついて行った所で構わないだろう。















アルフォンスに腕を引かれるままテントを出れば、入れ違いとばかりにダリウスがやってきた。
そわそわして落ち着きのないアルフォンスを微笑ましそうに見やる姿にお前はこいつの父親かと聞きたくなる。
次いで此方を見たダリウスの眼はにやにやと緩んでいた…こいつ、アルフォンスに何言いやがった。


「頑張れよ、アルフォンス」

「はいっ!」


意気のいい声に、もはや先の展開など読めてしまう。
頑張れなどと宣うダリウスの皮の厚い面を睨みつけた。
何を余計な事してくれてやがるんだこの野郎。
アルフォンスの「お願い」を聞くまではいい、しかしそれ以上の事をして欲しかった訳じゃなかった。
俺へ向けるアルフォンスの好意を知らない訳じゃないが、それにしたって今よりも先の関係など考えてもいない。
ただ単純に、アルフォンスが俺と居たいと言うように、俺もアルフォンスの傍に居てやりたいと思うだけだ。
エルリック兄弟は揃いも揃っておひとよしで、見ているとハラハラするがどうにも見捨てようとは思わない、それどころか成長を見守っていたくもなる。
ガキなんざ持った事もなけりゃ恐らくこれからも持つ事はないだろうに、ガキが居たらこんな感じかもしれないなんて思ったりもした。
まぁ少し意味合いは違うが、要は――――――大事、なんだ。
らしくもなく、大事にしてやりたいと思う。
先を歩くアルフォンスの耳は赤い、腕を掴む手はぎゅうっと力が入っていて、可哀相な位だ。


「……アルフォ、」


スンっ、と鼻を鳴らして周囲に他の人間の臭いがしない事を確認し、これ以上奥へ行く前にとアルフォンスを呼び留めようとした途端、ピタリとアルフォンスの足が止まった。
スー、ハー、目の前で何度か繰り返される深呼吸に、アルフォンスは落ち着くだろうが俺の心臓は落ち着かない。


「……ハインケルさん」


振り返ったアルフォンスの顔は、真剣そのものだった。
腕を離した手のひらが今度は同じそれを包み込むように握って来て、不覚にも震えてしまう。
何を言うつもりなのか、そんな馬鹿な疑問は無い。


「ボク、ハインケルさんに言わなくちゃ…ううん、言いたい事があるんだ」


聞いてくれる?などと口で言いながら、目に宿した熱染みたものは絶対に言うと決めてしまっているのだからなんというか、気を回すガキだ。
しかし以前と違うのは、こうして自身の我を通そうとする所か。
諦めが悪い上に命に対する考え方の甘さを抜きにすると、アルフォンスは滅多に我儘を言わなかった。
自身の肉体が戻ったのは二年前で、それまでは鎧だった訳だから物欲の気が失せるのも珍しい話ではないだろう。とはいえそれじゃあガキらしくない。
欲しいモンは欲しいってちゃんと言え、じゃなきゃ周りの奴にもお前が欲しいモンなんざ解んねぇままだ、偉そうにそんな事を言ってアルフォンスの頭を掻き撫でたっけな。
という事は、だ。
もしかしなくてもこの状況の一端は俺自身か?
懐かしみながらも疑念を湧かせるという高等技術を発揮していると、アルフォンスが不安げに此方を見上げてきた。
全くなんという顔をしているのか、鏡があれば見せてやりたいと思う。
さてどう誤魔化そうか、なんてまだ考えられるあたり我ながら嫌な性格をしているらしいということに気づいた。


「悪いが、聞けねぇな」

「え…」


正攻法で単刀直入に断りを入れる。
聞きたくない訳ではないのだが、曖昧な関係は自分の望むべき所であった訳で、それが今正に覆ろうとしているのだから留めるのは必定であった。
アルフォンスは鳩が豆鉄砲でも食らった顔で頼りない声を漏らす。
可哀相だとは思うが、こればかりは聞いてやる訳にはいかないだろう。


(こんなのは、気の迷いだ)


自分よりも下にある頭をポンポンと軽く叩いてやる。
人間の身体を取り戻し、二年の歳月を経て骨と皮だけのような状態から逞しく成長したアルフォンス。
自身への感情は、少年から青年へと変化を遂げようとしている過程での、一過性の情だ。
そうでなければ吊り橋効果のようなものじゃないか、互いに命の危険に晒されていたあれを吊り橋などという生易しい表現に適応するのは癪であるし、何より男同士にそれが当てはまるのかと問われれば首を捻るが、ありえないなんて事はありえないと、上司だった男が言っていたあたり言い切れはしないものなんだろう。
ダリウスあたりは顔を顰めそうだが、こいつにはシンにそれなりの仲だった少女が居た筈なのだから、余計に自分のような男への恋情など否定してやらなければならない。
そう思うのならもっと早くに拒否してやれば良かったのだろうが、それでも向けられる好意の心地よさにひたすら甘んじていた。
そうだ、その通りだ、俺は居心地が良かった。
アルフォンスが一人でやきもきしているのは解っていたが、それすらも楽しいと思っていた。
なのに今更、尻ごみしちまってる。いや、尻ごみしちまっても仕方ないだろう。
男同士ってのを抜きにしても、俺とアルフォンスの年齢差だとか、俺の身体の事だとか、問題は山積みじゃねぇか。
拒否したも同然の言葉の後に頭を撫でられ、困惑を顕わにするアルフォンスの頭を尚も撫でていると、不意に俯いた。
旋毛を手のひらで覆い隠す、こんなにも未だ小さい、こんなにも未だ、可能性に満ちた未来ある子供を、どうして誤った道に行かせる事ができるのか。


「……聞いて、よ」


ぽつりと零された声に手が止まる。
あぁ止めるべきではなかった。そう気づいたのは、アルフォンスが機を得たとばかりに顔をあげた瞬間。
水気を孕んだ眼は子供のようだった、だというのに顔つきばかりは大人に近づいているのだから、成長期とは恐ろしい。
頭を撫でていた手をぐっと引き寄せられ、迂闊にも距離が縮まってしまえば、アルフォンスの空いた手が胸元を引いた。
がくりと首が下に曲がり、アルフォンスの顔が間近になった所で、その唇が動き出す。
思わずそれを遮ろうと口元に手をやれば、読んでいたのか避けられた。
畜生、アルフォンスのクセに生意気な。


「ボクは、ハインケルさんが好きだ」


あぁ。
あぁ、言わせちまった。
畜生、前言撤回しろ。今すぐしてくれ。
頼むから。
頼むから、俺になんか好きだなんて言うな、勿体ねぇ。
少し懐いてくれるだけで俺は良かったんだ、昔からの軍人稼業、しかも合成獣になってからは特に日陰でしか生きて来れなかった俺になんて、それだけでも充分に過ぎた人並の幸せってやつだった。
アルフォンスの好意に気づいていながらもこれまではっきりさせず、むしろ期待させるような事を言っていた自覚はあったが、それでも拒絶する事はできなかった。
一定のラインをアルフォンスはいつも踏み越えようとしていて、自分はいつものらりくらりと避けてきたと、解っていてもだ。


「……あぁ、ありがとよ。俺も好きだ、てめぇのガキみてぇに思ってる」

「そういうのじゃないって、解ってるよね」

「…………男同士だぞ」

「最初から解ってる事だから今更気にしない」

「歳の差いくつあると思ってんだ」

「ボクの両親はすごく歳の差があったけど、幸せそうだったよ」

「……合成獣で、戸籍上は死んだ事になってるしよ」

「父さんなんか不老不死だったし、男同士だから戸籍とかは関係ないよ」


いや関係はあるだろ。
住む所だとか働き口だとか、身の上が保障されない以上苦労するのは目に見えているではないか。
しかし一々そんな事まで突っ込んでいたら話が逸れてしまいかねない。
ぐっと押し黙れば、言い負かしたとでも思ったらしいアルフォンスがどこか嬉しそうに微笑んでいた。
まぁ実際、言い負かされたようなもんなんだが。
断じてこのまま降伏する気はないので、此方は顔を顰めたまま、丁寧にアルフォンスの名を口にした。


「聞き分けろ、アルフォンス」

「欲しいものは欲しいって言わなきゃ解って貰えない。そう教えてくれたのはハインケルさんだよ」

「…それは、物の話で、人の話じゃねぇ」

「でも同じだよ。ボクはハインケルさんが好きだし、ずっと一緒に居たいと思ってる。それはハインケルさんがどうこうできるものじゃない、ボクの正直な気持ちなんだから」


違う?としたり顔で聞かれれば答には窮してしまう。
確かにアルフォンスの感情まで自分が支配する事は無理な話だ。
それに、とアルフォンスが尚も言葉を続けた。


「さっきから、ハインケルさんが気にしてるのはボクを好きか嫌いかじゃなくてこれから先の事みたいだし」

「…………」


図星だった。
そうだ、そうとも、俺が気にしてんのはこれから先の事であって「今」じゃない。
つまりアルフォンスの気持ちが迷惑だとは思っていないという事だ。
それを見透かされて、見透かされた側がどれだけ居心地悪くなるか、アルフォンスには解るまい。
懐に擦り寄ってきたアルフォンスの顔は満面の笑み。
しかし耳だけは赤くて、余裕ぶりたいだけでアルフォンスも必死なのだと物語っていて。
いい大人が、こんなガキに情けないだとか。
これから先どれだけの女に出会えるか解ったものではないのに、後悔しないのだろうかだとか。

考えながらも、結局そのどれをも口にする事は叶わなかった。
















その御手が求めるは
(…………でも、ハインケルさんが本当はボクのこと気持ち悪いとか思うなら、諦めるよ)
(…………)
(………………ハインケルさん…?)
(……っ〜……俺は、いい歳したおっさんで、お前はまだ先の長い若造だぞ)
(う、うん…?)
(…………後悔しても知らねぇからなっ)
(え…………―――っ、こ、後悔なんてしないよっ)




















あーやっとくっついたー(脱力)
でもまだもちょっと続きます、多分(ぇ)
次回は弟が兄にデレます、多分(おい)




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