僕は恋の素人だから










一度目はチャカから。

二度目もチャカから。

三度目…チャカから。

四度目…以下、省略。




いくら何でも、申し訳ないと、思ってしまったから。











じっと己を窺う瞳に、チャカはもう何度目になるか知れない溜息を胸中で押し殺した。
にじり寄るようにして膝頭をつきバランスを保つ男は、それに気づいているのかいないのか…恐らくは前者なのだろう、時折申し訳なさそうに目を細めては困惑も顕わに僅か頭を項垂れさせて、けれど暫くすれば再び己を奮い立たせてか顔をあげる。
先程からそれの繰り返しで、チャカはまた、溜息を殺した。


「ペル」

「っ…もう少し」


肩口に添えられた手に、ぎゅっと力が込められる。
別に叱責するつもりなどなかったが、ペルにはそう取れてしまったのだろう、言葉と同様、引き留めるような力強さに服を掴む指先が可哀相な位白くなってしまっていた。
無理をするな、そう言ってもペルは聞かない。
無理なんかしていないと、譲らないのだ。
そう簡単に己の意思を捻じ曲げる奴ではないと知っているけれど、それでもこの現状を打破するのは難しい事をチャカは知っている。


「お前の気持ちだけで充分だ」

「嘘を吐くな」


一刀両断、誤魔化す暇すら与えてくれないとは、頑固者はこういう時に困る。
言ってしまえば、確かに先述した事にはほんの少し偽りがああった。
しかしできるものならば、して貰いたい。
それは今ではないのだろうとも、解っている。
恋仲となってからまだそこまでの月日が経過していないからこそ衝突した問題に、ペルが真っ向から向き合おうとしてくれている事は正直に嬉しかった。
だが無理をしてまでするものでもないだろう、ペルは無理などしていないと言うが、見るからに必死だ。
仕方なく、できるにせよそうでないにせよペルが次の行動に移るまで余所事でも考える事にした。
何せペルは両足の間に身体を挟んでいて、膝をついている為にいつもより顔が近いのだ。
余裕ぶってはいるが、自分とて気恥ずかしいのだと、ペルは解っていないのだろう、変な所が鈍感な男だから。
叶うなら、力なく垂れている己の両腕をペルの腰に回してしまいたい、湧き上がる欲求をどうにか抑えたチャカは、未だ思いきる事のできないペルの顔を見上げた。






見上げてくるチャカの顔にはほんの僅かな苦笑が浮かんでいて、ペルは何だか自分が悪い事をしてしまったような気がしていた。
俯けば邪魔になるからと、幼い頃から愛用しているターバンを外している所為で視線を余所にやる事もできない。
『俺からキスがしたい』そう言い出したのは自分なのだからと、何度も己を鼓舞するが、いざその間際になるとそれ以上は進めなくなる。
チャカはどうして、何でもない事のようにしてしまえるのだろう。
恋仲となってまだ幾許も経たない頃、それをしてきたのはチャカだった。
男女のように堂々とした付き合いができないから、世間一般的なムードとやらは作れていなかったけれど、周囲の目から隠すように太い腕が肩を抱き、恭しく唇を寄せられて、嬉しくなかった訳がない。
気恥ずかしいし、照れくささもあったが、決して嫌ではなかった。
そんな事が何度か重なって、そうして何度目かに、ペルは自分からそれをしていない事に気づいたのだが。


「……っ」


これがなかなか難しい。
王宮仕えとなるまではそれを目指して鍛錬するばかりで、いざ王宮入りしてからはもっと強くなる事ばかり考えていたから、色恋沙汰など興味もなかった。
省みれば、チャカにされたのが初めてのそれだったのである。
つまり自分からした事などない、その事実が今になってペルの肩に重く圧し掛かっていた。
無理はするなと、チャカの気遣いから出る言葉にも融通の利かない自分は頷けない。
すると言ったらしなければ、男として情けない。
自分でもよく解らない意地を張り、ペルは一つ息を吐くと改めてチャカの頬に手を伸ばした。
肩を掴んでいた指先で、そっと両頬を包み込む。
それに僅か瞠目したチャカの、唇が薄く開くのが見えて、言い表し難い衝動が胸を満たすのが解った。
いつ目を閉じればいいのかだとか、方法が間違ってはいないのかだとか、そんな疑問が頭を掠めたが、何よりチャカの顔が間近にある事に対して許容量は既に一杯一杯である。


「………っ、チャカ」


心臓が、壊れそうだ、と。
ペルは呻いた。






苦しそうな呻き声は、けれどチャカの耳にはこれ程甘いものはないと思えるものだった。
心臓が、壊れそうだ、なんて。
それは此方の台詞だというのに、ペルは一人だけ余裕がないとでもいうかのような顔をしている。
頬に触れる指先は、先程までの白さを保ったまま冷たかった。
元々体温が低いのもあるが、それだけ緊張しているのだろう事が容易く窺える。
だが、とチャカは思うのだ。だが、まだ足りないと。
頬を包む手のひらを取り、胸元まで下ろさせる。そこは調度、心臓のあたりだった。
弾かれたように顔をあげたペルが、不明瞭な声を零して目を瞬かせる。
触れた所から伝わるであろう己の鼓動は、本当なら聞かせるのも気恥ずかしい程に高鳴っているだろう事をチャカは知っていた。


「俺もだ」


同じだな、と笑ってやる。
珍しく情けない顔を晒すその頬を撫でると、ペルがくしゃりと顔を歪めて、笑った。
比べてしまえば、年相応に異性との経験もあるチャカに、ペルが引け目を感じているのは薄々気づいていた事だ。
ペルは不安をわざわざ口にするような奴ではないから、そうと気づいた時チャカはどうにも愛しくて仕方がなかった。
悲しませるのも傷つけるのも本意ではないが、ペルが自分を想っての事ならばそれは喜びを感じて当然のように思える。
けれどその不安をいつまでも放っておくような事はしない。
そんな事をすれば、それこそ悲しませも、傷つけもしてしまうだろうから。
緊張しているのも、気恥ずかしいのも、お前だけではないのだと。
頑なな心を解き解そうと、チャカは出来得る限り穏やかにペルの頬へ口づけを落とした。
今や力の抜けた膝はカクリと落ちていて、ほんの僅かに見上げていたペルの顔はすぐ目の前にあったから、それは容易な事である。
けれども内心は自分とて手一杯なのだと、伝わればいい。
異性との経験がない訳ではない、それでもこんなにも愛しいのは、留めておきたいと願う相手は、初めてなのだと。


「焦らなくともいいんだ、ペル」


この言葉が、そこに含ませた想いが。
触れた所から、伝わればいい。






俺もだと、チャカは言った。
同じだなと、笑って見せた。
焦らなくともいいと、手のひらが声と同じ優しさで頬に触れて。
自分でも気づかなかった焦燥に、チャカは気づいていたのだと、その事に、ペルは漸く気づかされた。


「…お前の言う通り…焦ってはいた…と、思う」

「あぁ」

「ただ……本当に、無理はしていないんだ」


胸に添えた手はそのままで、そこから伝わる鼓動は未だ落ち着きを見せない。
いつも自分ばかりがそうなのだと思っていたペルには、想像もしなかった事だ。
けれども本当に、本当に無理をしているつもりはなかったのも事実。
チャカの言う通り焦ってはいたかもしれない、それでも、嫌なら最初から提案したりしないだろう。
そこだけは誤解しないで貰いたいと願いながら、願うだけでは伝わらない事も先程のチャカの言葉で知ってしまったから。


「……笑うなよ」

「ん?」

「……こういう時に……お前の顔を見ていると、その……妙な気分に、なりそうなんだ」


伝える努力を怠っておいて、理解されようとは思わない。
しかし口にするには随分と勇気の要る言葉だ、女々しいにも程がある言葉だ。
されるのは良くてするのは恥ずかしいだなんて、受け身に過ぎて、どうにも男らしくない。
そんな自分を笑うような男ではないと、知っていても、ペルの目は不安に彩られたままチャカへ向けられる。
揺れる眼が常よりは幾分近い高さで、けれどもやはり見上げられ、チャカは答に窮したように息を呑んだ…かと思えば深い溜息を吐いて、お前は、と呆れたような声を零す。
笑われはしなかったが呆れられてしまったらしい、やはり言わない方が良かったかと俯きかけたペルの肩を、それまで所在なく垂れていたチャカの腕が抱いた。
懐に抱きかかえられると、チャカの鼓動は増々強く、大きく響く。


「時折、とんでもない事を言う奴だな」

「……呆れた、か…?」

「いや、感心しているよ」


後ろ頭をくしゃくしゃと掻き撫でる手のひらの感触が、ペルは好きだ。
それも口にした事はないが、チャカにとって「とんでもない事」になるのだろうか。
疑問を抱えたままにそっと盗み見たチャカの顔には、作りものとは思えない笑みが浮かんでいた。
呆れていないなら、それでいいと思う。
しかし当初の目的だけは果たさなければ、チャカがどう思うか以前に、決めた自分が許せないとペルは『頑固者』らしく意気込んだ。




ペルがその日、無事に目的を遂行できたのか否かは、また別の話である。


















僕は恋の素人だから
(……なんて事もあったな)
(いい、思い出さなくていい、というか思い出すな)
(あの時のお前は今のビビ様より初心だった)
(だから思い出すなと言っているだろう…!)



























若い頃の二人。
チャカとは二、三歳程年の差があるといいなぁと思っています。
ペルはもう、何か女の子から言い寄られても気づかなさそうだ。
視点がコロコロ変わってすいません、たまにはこういう書き方もしてみたかったんです。

title/確かに恋だった




あきゅろす。
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