無垢な誘惑者










悪魔の実の能力は、三つに分けられる。超人系、自然系、そして動物系だ。

とはいえチャカ自身、己の目で見ているものはその内の二つだけで、割合でいえば動物系が見慣れている。

そもそも悪魔の実そのものが珍しいのだから当然の事だ。

さて、自然系といえばまず思い浮かぶのはサー・クロコダイルである。

砂の身体を持つあの男の弱点は水だった。

考えてみれば、指の隙間からサラサラと零れ落ちる砂は水をかけられた途端重くなる。
完璧に思える身体でも、属性に倣った弱味があるといういい例だ。



つまり、何が言いたいのかというと、動物系の能力者であるチャカも、その動物固有の習性が引き継がれているという事である。












異変に気付いたのは、護衛兵や給仕達が使用する食堂へ足を向けている道すがらだった。
妙な匂いがしている。
妙といっても臭いという訳ではない、だがなんとなく落ち着かない、甘い匂い。
チャカは動物系の能力者だ、その為五感は常人の比ではなく、食事時になって匂いを感知するのも珍しくはない。
長年の相棒から「今夜の食堂のメニューは何だろうな?」などと揶揄される程度には、周知されている事だ。
だからチャカは、今この瞬間嗅ぎ取った匂いも料理のそれだと思った。
テラコッタさんが香辛料でも調合して新メニューを作ったのだろう、と。
しかしメニューを見てみれば、そこには見覚えのある物ばかりで真新しい物は挙げられていない。
これはどういう事か、内心で首を傾げつついつもの定位置に陣取ったチャカは、すん、と鼻を鳴らした。
やはりするのだ、甘い匂いが。
朝食に選んだ料理よりも確かな存在感を放つそれは、そわそわするというか落ち着けなくなるというか、どうも言い表し難いものだった。


「何だ、変な顔をして」


不躾な、けれど不愉快にはならない聞き慣れた声がかけられる。
チャカがそちらを見るまでもなく、声の主は同じように朝食を取る為、真向かいの席へ腰を落ち着けた。
主の名はペル。チャカと同じく王家に使える守護神で、そして、大事な恋人でもある。
まだ朝も早い内から部族特有の化粧を施した顔が静かに笑った。


「人の顔を、」


見るなり失礼な奴だな、とチャカが反論しようとした所で、ある事に気づき目を細める。
先程まで居場所も解らなかった匂いが、全て目の前に現れたような、そんな錯覚がしたのだ。
チャカの目にはある意味値踏みに等しいものが含まれていたのだが、その目を受け止めるペルは片眉をほんの少し上げて見せるだけで気を悪くしてはいないようだった。
何だ、と先程と同じ問いを投げながら、ペルがカップを手に取る。
その拍子に、ペルが身に纏うゆったりとした服の袖が僅かに揺れた。


「ペル、お前何かつけてないか」


途端に匂いの濃度が増したのは、気の所為ではないだろう。
確信を持ち問うと、ペルはどこか気まずそうな顔をした。
思い当たる節があるようだ。


「参ったな、少しだけなんだが」


やはりお前にはバレてしまったか、と。
苦笑混じりに言いながら、ペルはカップに口をつけた。
そこまで甘党でもない男のそれに相応しく、ミルクも砂糖も含まれていない茶の水面から仄かに独特の芳香が漂う。
だがそれよりも尚鼻孔を擽るのは、目の前の男が平然としていられるとは到底信じられない甘さだと、チャカは目を丸くした。


「一昨日、ビビ様がお忍びでコーザとナノハナに行かれただろう」

「あぁ」

「その土産だと、頂戴したんだ」


お忍びとはいえ心配性のイガラムが自称隠れながら(あくまでも自称であり、傍から見れば明らかにイガラムだと解ってしまう)後を尾けていた事など知れている。
だが注目すべき点はそこではない。
ナノハナの特産品といえば香水であり、アラバスタでは男でも愛用する者が居る位なのでそれを土産とされるのも別段おかしな事ではなかった。
だがペルとて無神経な訳でもない。
鼻が利き過ぎる人間が身近に居る為、香水の類にはこれまで手は出して来ず、また興味もなかったのでこれからも縁遠い物として認識していたのだ。
だが、仕えるべき相手からの好意で受け取った物を無碍にする訳にもいくまい。
この場合、主君と恋人とを天秤にかけた訳ではないのだが、そんな事は言うまでもなくチャカとて解っていた、同じ立場ならそうするだろうと理解の姿勢も示せる…普段ならば。


「臭いか?まさかそこまで匂うとは思っていなかったんだが、すまない」

「いや、臭い訳では…ないんだが…」


むしろ逆だ、とは絶対に口にしない。
代わりに否定なのかどうかも解らない曖昧な言葉を口にしたチャカは、居心地悪そうに目を逸らした。
臭い訳では、ない。
むしろ、むしろ何と言うか。
そわそわする。
甘い、香。
落ち着かない。
いい、匂いだ。
首筋に鼻先を突っ込んで直にその香を堪能した…い…今、何を考えた?
次々と零れ出てきた己の心情の最果て、溢れた欲求は、確かにペルから香る匂いに夢中になっていた。
身の内から沸々と湧き上がるその名を、チャカはよく知っている――欲情、だ。
だがよもやそれをペルに言う訳にもいかず、結果としてチャカはその香について言及できなかった。


「おはよう。チャカ、ペル」

「ビビ様」

「おはようございます」


ひょっこりと食堂に顔を出したのは、主たる姫君で、立ち上がろうとした所を手のひらで制されれば苦笑しか出ない。
王族の前で呑気に座っている臣下が許されるなど、この国位のものだ。
食堂内の者達も同じように感じたのか、会釈をするなり席へと戻る。
それを見届けたビビは、視線を動かすとにこやかに首を傾げて見せた。


「二人して変な顔ね。何の話をしていたのかしら」

「いぇ、昨日ビビ様から頂戴した香水を教えられた通りにつけてみたのですが、つけ過ぎてしまったのかチャカが臭うと…」


ペルが至極言い辛そうなのは、香水をつけ過ぎたという勘違いからではなく、折角ビビに頂戴した物を粗末にしてしまったという負い目からだろう。
だから臭いとは言っていないだろうと、自身の曖昧さを棚に上げてチャカは顔を覆った。
勝気な王女がどういった反応を見せるかなど、考えるまでもないからだ。


「つけ過ぎって…そんな事はないと思うわよ?つけてるって言わなきゃ気づかない位」


チャカは鼻が良いから、そう言って笑うビビも、聞けばペルに渡した物と同じ香水を身につけているらしく、私も臭うかしら、とその笑みが意地の悪いものになっていった。
立志式を迎えてからもう随分と経つのに、ビビは時折少女のように幼い愛嬌を見せる。
それがまたこの王女の魅力であると知っているから、チャカは下手に反論せず、参りましたと笑った。


「香水はつける人の体温で香に違いが出るから、私とペルじゃ少し違うかもしれないけどね」


成程、だからか。
ビビの言葉にチャカは内心、漸く納得できた。
能力的な事も関係しているのだが、チャカは滅多にナノハナへは行かない。
以前に一度国王の護衛で立ち寄ってからというもの、暫く鼻が使い物にならなくなったからだ。
その為、香水についての知識も乏しかった。
ペルと恋仲になる以前も異性への贈り物は花やアクセサリーだったように思う。
香水は個人の好みが左右され易い代物で、おいそれと渡せるものではなかった。


「チャカにもお土産があるの、後で渡しに行くわ」

「ありがとうございます、ビビ様」


ちゃんと香水以外のものだからと、悪戯っぽく笑ってビビはその場を軽やかに立ち去る。
どうやらペルに渡した土産の行方が気になっていたらしい。
機嫌のいい背中が語るのは、決してそれだけではなかったが、未だ若い姫君と幼馴染の青年が仲睦まじい事など聞くまでもない、野暮というものだ。
細身の背中が消えた所でペルを見れば、まだ匂いを気にしているのか鼻先に袖口を当てている所だった。
チャカの顔に、苦笑が浮かぶ。


「臭くないと言ったろう」

「臭くはないと言ったんだ。含みのある言い方だったぞ」


珍しく鋭いな、伊達に長居付き合いではないという事か。
隠し事はペルよりも上手いと自負していただけあって、チャカは思わず感心した。
ほう、と口を突いて出た声は反射的なそれで、そこに他意などはない。
だというのに、ペルは何を思ったのか、困惑したように眉尻を下げると息を吐いた。


「今からなら、急いで水浴びすれば調練には間に合うだろうか」

「…落とすのか?」

「お前が不快に感じるなら仕方ないだろう」

「―――…」


ペルのこの言葉にも他意はないと、チャカは解っている。
個人的に処理すべき案件があったとしても、同じ護衛隊の副官をしている身、当然行動を共にする事も多い。
なのに香水が気になるとなれば仕事に支障を来すかもしれないだろうと、案じているのだ。
生真面目な男らしい、けれど聞きようによっては熱烈な愛情表現でもあるペルの言葉に、チャカは調度口をつけたカップの中身を噴き出しそうになる。
ペルが心から真剣に言っているのだと知っているからこそ、余計に湧き上がる笑みを抑えるのは困難だったが、どうにか堪えた。


「…っ、んん…不快というかな」


ペルの申し出は、正直に言ってしまえばありがたいとチャカは思う。
いくら何でもこの香が一日中傍にあったら、我慢しきれる自信がなかった。
だが落としてしまうのは勿体ない、などとも思ってしまう。
この甘い匂いがなくなってしまうのは、惜しいと。
矛盾しているな、とチャカは密かに笑いながら内心でのみ呟いた。
それから、生真面目な同僚兼恋人に、そろそろ解りやすいヒントを与えてやろうか、とも。


「知っているか、ペル。雄犬は発情した雌の匂いで興奮するそうだ」

「……何の話だ?」

「雄犬の話だ」

「あぁ……?」

「それとな、知っているだろうが俺は『イヌイヌ』の実の能力者だぞ」

「…………」


ここまで言えば、流石に解ったらしい。
一、二、三、と食堂に飾られた壁時計の秒針が時を刻む度、徐々に顔色が変わっていく様は見ものだった。
最初から最後までを、正しく理解したのだろう、これでもかと赤くなったペルは未だ朝食が残っているのにも構わずトレイを片付けに腰をあげる。
その度に、香る、甘い匂い。


「どうかしたか?」

「水を浴びに行くんだ、馬鹿っ」


解りきった質問に、荒げた声が応えて。


調練には遅れないようにすると、この期に及んでそこまで気にするペルに、チャカは思わず笑ってしまった。


















無垢な誘惑者
(あぁ、ちゃんと落ちたな。少し残念な気もするが)
(……チャカ、冗談でもそんな事は言うな。叩っ斬りたくなる)
(ん、すまん。そうだペル、今度部屋へ来る時にまたつけてくれ)
(チャカっ!)



























誘惑されているのは勿論犬の方。
知らなかったとはいえ暫くこのネタでからかわれて恥ずかしいやら照れるやらでどう反応したらいいか解らず混乱の余り勢いで怒る隼。
でもうっかり素直になって、夜につけてみたりして犬の理性が切れたらいいと思うのですg(ry

title/確かに恋だった




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