反論さえ呑み込んで










触れるのが嫌な訳じゃない。

触れられるのが嫌な訳じゃない。


ただ少し、
ほんの、少し、


気恥ずかしい、だけで。













チャカは、キスが好きなんだろうか。
砂漠の夜は静かなもので、物音ひとつ取っても耳につく。
そんな中で、互いの唇や、口腔から聞こえる音はどうにも居心地を悪くさせるものだというのに。
触れては離れ、離れては触れて、チャカの唇は何度も己のそれを貪るのだから、当然の疑問と言えるのではないだろうか。
頬を滑る手のひらは無骨で、剣を幾度も振る事によって厚くなった皮の感触が心地いいと思えるようになったのは、チャカが頬にばかり触れるからだった。


「ん……っ」


零れ落ちた声は己のもの。
だというのに、鼻にこもったそれは自分でも驚く程に甘い。
石を切り出して作られた部屋の壁は、ひやりとしていて、身を捩る度に背を撫でる。
それが自業自得だとは認めたくないが、散々後退したのは自分なのだからやはり自業自得というやつなのだろう。
しかしチャカとて悪いと思うのはいけない事か。
私的な時間に仕事の話を持ち込んだのはチャカが先だった筈で、自分はただそれに答えていただけだった筈で。
なのにふとチャカを見上げれば、何故か頬に触れられた。
それは長い付き合いでいつしか成立していた合図のようなもので、一体何が起因してそうなったのかは知らないがチャカがキスをしようとしているのだと気づき反射的に後退したのである。
何故逃げる。
逃げてなどいない。
逃げているじゃないか。
お前が追ってくるからだ。
それはお前が逃げるからだろう。
まるで打ち合わせでもしていたかのような軽快な会話は、けれど見下ろしてくるチャカの目が、気恥ずかしさを覚える程の真剣さを帯びていたものだからどうにも軽く聞こえなかった。
己の手には部屋を訪ねてきたチャカから受け取った書類の束が握られていたので、潰してしまわないようにと気を配っていたら背後への気配りが散漫してしまったらしい。
ドン、と背中に壁が当たった所で、漸く己の失態を知るがそんなものに気づいた所でもう遅かった。
顔の真横に突き立った腕が、片側の退路を塞ぐ。
けれどもう片側の退路は、部屋の家具の配置上抜けられるものではなかった。
少なくとも目の前の男を押し退けなければ、抜け出る為の隙間にしてはまだ足りない。
同じ男といえど、体格差は大きい。
そもそも戦闘スタイルからしてチャカは剛、己は静、というような違いがあり純粋な腕力勝負では精々いい勝負をしたとしても、チャカが余力を残しているからに過ぎないだろう。
ペル、と己の名を呼ぶ低い声に、恐々と見上げれば、やはり気恥ずかしくなる真剣な眼差し。
あぁもう好きにすればいいと、諦めがついたのはもう一度頬に触れられた時だっただろうか。


「…は、っ…ん」


互いの身体に挟まれて、書類はもう皺だらけだった。
いいさ、どうせチャカが処理するものなんだ、俺が気にする必要はない。
後でチャカがなんと言おうと、これだけは譲らないと決めてせめてもの意趣返しに手にこめる力を増した。
くしゃ、と小さな音はしたがチャカも気にしていないようで、一頻り口腔を荒らすと気が済んだのか漸く唇が解放される。
あぁ漸く息ができると、吐き出したそれは酷く甘くて、落ち着かない。
呑み込みきれなかった唾液が口の端から垂れ落ち気持ち悪かったが、それを見透かしたチャカの指が苦言を呈する前にそれを拭い取った。
寝着には着替えていたが、未だ紅は落としていなかったからチャカの唇に己の紅が移っている。
それを見ると、あぁ自分とキスをしたのだなと実感するが、けれども異性と唇を交わした後のようにも思えて、なんというか、どうも複雑な気分だった。
書類の束を片手に握り締め、空いた手を押し付けて指の腹で唇を拭ってやる。
些か乱暴であるという自覚はあったが構うものか。


「おい、もう少し優しくしてくれ」

「どの口がそんな事を言えるんだ」


口ではそう言いながらも確かに笑みを刻んでいる唇を、もう紅が落ちたというのに尚も力を込めて押してやった。
優しく、だなんて欠片も縁遠いクセに。
ビビ様はチャカの事をよく「優しいのね」と評するが、それは周囲にだけに過ぎず、こういった時のチャカは意地が悪い。
本当に優しい男だというのなら人をいきなり壁際まで追い詰めないだろうし、呼吸が苦しくなる程の口づけだってして来ない筈だ。
そこまで考えた所で、溜息を吐く。


「気が済んだなら離れろ。そもそも、仕事の話をしに来たんじゃないのか」

「あぁ、そうだったな」

「っ、おい」


手の中の書類を浚われる刹那、鼻先に口づけを落とされた。
こんな甘ったるい接触には不慣れだ、思わず声を荒立てれば楽しげに肩を揺らすチャカが居るのだからどうしようもない。
何なんだ、本当に。
考えても解らない事だが、しかしどうしても考えてしまう。
胡散臭い物を見る目を送るが、相手は気にもしていないようで、先程までの真摯な目は形を潜めて素知らぬ顔で書面を見ていた。
全く、憎たらしい。


「確認は済んだ。眠っても構わないか」

「あぁ、遅くに悪かった」


溜息を吐きながら、ぶっきら棒に言えば、チャカは心得たように頷いた。
だから、何なんだ、お前は。
一方的に迫って来たかと思えば、今度はあっさりと身を引く。
悪かった、という言葉に相応しい苦笑と共に踵を返すチャカの背中を見送ろうとしたが、それができなかったのはその態度が気に食わなかったからだ。


「何だ?ペル」

「……お前は、意地が悪い」


今に始まった事ではないが、けれどいつだって自分はそれに翻弄される。
翻弄されるのが嫌だ、なんて子供のような事を言うつもりはない、翻弄されたくないのであれば自制心を養えば済む話で、要は自己を磨けばいいのだから。
引き留めたものの、零れ出たのは幼稚な苦情でしかなく、しかも揺れる袖口を掴むだなんてもはや子供の所業でしかない。
けれどチャカは、それを笑ったりはしないとも知っているから。


「早く休みたいかと思ったんだが…違ったか?」

「今更、妙な気を使うな。白々しい」


すまん、だなんて口先だけの謝罪が、頬へ触れた手のひらと共に与えられる。
軽く触れるだけの口づけが一度、落ちて、かと思えば上唇を食まれた。
背中には先程と違い、壁ではなく、太い腕が回される。
腰から抱き寄せられたものの、チャカの片腕は書類の束に占拠されているから、自ら腕を伸ばし、その首に回した。
触れた唇が笑みを帯びた気がして、抗議の為に後ろ髪を少し引いてやる。
視線が合わさった所で、眦が緩められた。


「んっ……笑う、な」

「笑っているように見えたか?すまん」

「……悪いと思っていないのに謝るな。お前のそういう所が嫌いだ」

「ははっ、お前はすぐそうやって臍を曲げるなぁ」


喉元で笑われ、図星だったからこそ「うるさい」としか返せない。
チャカが自分にだけ意地が悪いように、自分とてチャカに対しては子供のようだという自覚があるのだ。
臍を曲げるなんて表現を、自分に対してするのはチャカ位のものだから。
そこまで考えて、己の思考がどうにも気恥かしいものである事に気づいた。
相手にだけ見せる自分、だなんて、自覚するもんじゃない。
常はターバンによって遮られている己の髪が視界に僅か入って、瞬きをしている間にチャカの指先が頬を撫でた。
促されるまま瞼を落とすと、ペル、と低音の声が名を呼び、次いで唇を塞ぐ。
誤魔化されてやるのは、どうにも腑に落ちないものがあるが。

それでも別に、名を呼ぶ声だとか、恭しく落とされるキスだとか。


嫌いでは、ないから。


















反論さえ呑み込んで
(なぁ、ペル。もう少し此処に居てもいいか?)
(……勝手に、すればいい)



























ちゅっちゅしてる犬と隼が書きたかったんです…orz
あの二人の身長差だと、何か隼がふと見上げただけでも上目遣いになるという奇跡が起きる訳で。
うっかり犬がむらっとしたりすればいいと思うんだけどm(ry

title/確かに恋だった




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