それは秘密の恋でした










好奇心旺盛で活発な王女は近頃絵本に凝っているようで、眠る前だけでなく真昼から女中や兵士を捕まえては読み聞かせてくれと乞う。
例え作り物だとしても物事を学ぶにはいい機会だ……捕まるのが自分でなければ。
宮殿内の抜け道からやってきた砂砂団の子供達も合わさって、今日はどうやら探検よりも絵本に興味を向けたらしい、折り悪く捕まってしまったのは昼過ぎの事だった。


「王子様のキスで目が覚めるだなんて、素敵」


どこかうっとりとした言葉は、王女のみならず砂砂団の少女全員に言える事で、その周りでは至極興味もなさそうに少年達が欠伸をしている。
なんともまぁ対称的というか解りやすいというか。
きっと彼らにしてみたら、探検の方がずっと楽しいに違いない。
しかし砂砂団のリーダーに限ってはそこまで退屈でもなかったようで、夢見る少女と化した王女をちらちらと窺っている。
子供なりに恋をしているのだなぁと年寄り染みた感傷に浸りながらそれを見守っていると次の本を読んでくれとせがまれた。
今度は冒険記にでもしましょうか、そう問えば、漸く子供達全員の目が輝いたので笑ってしまう。

恋愛物ばかりを選んで買い与えたイガラムさんには申し訳ないが、子供達の耳に入れるのは未だ早い話のように思えてしまったので、勘弁して貰いたい。













ペルならぞうしょしつにいったわ。
ビビ様からそう聞いた時、それは珍しいと目を丸くした。
王国最強と謳われるだけあって、ペルは日々の訓練を欠かさない。
机に向かう仕事を厭う訳ではないし、処理能力もあるのだがやはり砂漠の戦士、身体を動かす事の方が好きだと言った男の顔には柔らかな苦笑が浮かんでいた。
しかし話を聞いてみれば、成程、どうやら子供達に捕まり絵本の読み聞かせをしていたらしく、蔵書室には本を片づけに行っているのだとか。
本来なら子供達自身の手で片づけさせるべきなのだろうが、蔵書室は広いし、棚の数も相当なら高さもある、間違って本が落ちてきた日には到底恐ろしくて子供達を向かわせる気にはなれない。


「ねぇチャカ、ペルがねむっていたら私を呼んでね」

「は、ですがビビ様はこれから砂砂団の皆とお出かけになられるのでは」

「うん、でもお姫様は王子様のキスで目が覚めるんでしょう?ペルがねむっていたら私の出番だわ」


あぁ今日の絵本はそういったものだったのか、と察してしまえば、ビビ様の幼い提案に思わず笑みが零れる。
砂砂団の中で、ペルがビビ様にとって騎士のようなものだと思われている事は知っていた。
恐らくビビ様に好意を抱いているであろう少年には申し訳ないが、物腰も柔らかで、その上この国の護衛隊副官をしているという肩書きもあるのだから少女達が憧れるのも解るし、そうとなればそれに近しい王子様、という分類になっても致し方があるまい。
つまり、ビビ様の中では「お姫様は王子様のキスで目覚める」のだから逆に「王子様が眠っているのならお姫様のキスで目覚める」という式が成立してしまったのだろう。
なんとも子供らしく安直な、それでいて可愛らしい発想である。
当のペルがこの場に居れば慌てて止めに入っただろうが、生憎と幼い少女の気遣いを(それが例えどれだけ幼稚なものだろうが)無碍にするような事を言える自分ではないのだ。


「ではペルが眠っているようであれば、すぐにお呼び致しましょう」

「うん!ありがとう、チャカ」


言いたい事が伝わって満足したのか、満面の笑みを携えて秘密のお出かけの為に駆けていくビビ様の小さな背中を見送る。
姿が見えなくなった所できびすを返し、足を蔵書室へと向けた。













重厚な扉を開け、入った書庫の中は薄暗かった。
湿気を防ぐ為、他の部屋よりも多く設置された窓には、これも書物が日に焼けるのを防ぐ為にかけられたカーテンが下がっている。
開け放された窓は未だ人が室内に居る事を示していて、揺れるカーテンの隙間から時折差し込む光を頼りに足を進めていく。
さて、何処に居るのか。
声をあげて探せばすぐに相手も応えるであろう事を知りながら、滅多に踏み入る事もないのだからとゆっくり足を動かす事にした。
動物系の能力者は五感が敏感になるもので、鼻先を鳴らせば古書独特の香りに混じって嗅ぎ慣れた匂いを察知する。


「ペル」


いくつかの棚を抜けた所で、目的の人物を見つけて足を止める。
声をかければ調度絵本を棚に戻していた所なのだろう、子供が来る事も想定してか一番下の段に絵本を差し込んでいたペルが俯かせていた顔をあげた。
ついた膝のあたりを手のひらで数度叩けば、僅かに砂埃が散る。
蔵書室といっても執務に関するものはそこまでないし、元々人の出入りが少ない場所柄であるからそれも致し方がない事だった。


「チャカ、何かあったのか」

「いや、次の編成に関してお前の意見も訊きたいと思ってな」


探している時にビビ様に会って此処まで辿り着いたのだと、そう告げればどこか照れくさそうに顔が笑んだ。
剣を手にする戦士が子供達に付き合わされている姿は、傍から見れば微笑ましいものだが当の本人になってしまうとそうも言っていられないという事はチャカにも察せられる部分である。
王国最強の戦士も子供には弱いな、あぁ全くだ、と他愛のない会話をしてから改めて脇に抱えていたものを差し出す。
新しい入隊志望、つまりは王宮の護衛隊に配属を志願する者達のリストはそれなりの数であり、そういった意味では人気の少ないこの蔵書室は打ってつけの相談の場であった。


「…ん、ヘルシェフはお前の隊の方がいいんじゃないか。俺の隊では折角の剣技が勿体ない」

「お前はそう言ってプタハも俺の所に寄越しただろう。聞けばあれはお前に憧れているらしい」

「憧憬は戦場に持ち込むべきではないと思うが」

「それは俺も理解しているさ。だが尊敬する上官あってこそ上がる士気もある」


気難しい顔で、そうだろうか、と首を捻る。
ペルの隊は、ペル自身の能力もあって物見という任務が多い。
実際に接近戦をこなすのは大抵がチャカの隊であり、剣術に長けている者が多く、またペルの隊には身のこなしが軽やかな者が多かった。
未だ納得しかねると、態度で存分に示しているペルを見下ろしながら、豊穣の神の名を持つ男の顔を思い浮かべる。
勇猛な顔と体格の良さからすれば充分に男らしく、チャカの隊に配属されるのが順当と思われるその志願者は、厳つい顔を僅か綻ばせ王国最強の戦士を尊敬しているのだと言っていた。
全く、其処此処から引く手数多なこの男は、けれどそれを自覚しないままなのだから。
引く手数多といえば、と不意に蔵書室へ向かうきっかけとなった王女の言葉を思い出す。
幼いながらの恋慕か、それともただ単に自身が「姫」だと自覚しての事なのかは解らないが、できれば後者であれと思ってしまう自身を密かに笑った。
幼い少女にまで嫉妬だなんて、ペルが知れば呆れた顔をするに違いない。


「…何だ、何か良い事でもあったのか」

「いいや、むしろ嫌な予感、に近しいかもしれん」

「……心配事でも?」


至極真剣にそう問いかけてくる男が、僅かに首を傾げる様はまるで雛のように見えて、思わず噴き出してしまいそうになる。
確かに、嫌な予感などと言われれば悪いイメージしか抱かないだろうが、けれど自身が考えていた事とは到底程遠いだろうその思案を純粋に案じられると、どうにも笑ってしまうではないか。
噛み殺しきれなかった笑みはしっかりと見られてしまい、心配する眼差しがほんの少し不快の色を浮かべる。
あぁこれでは臍を曲げてしまうな、と思ったのも束の間、チャカ、と先立ってのものよりも低い声が己の名を象った。どうやら手遅れだったらしい。


「そういえば、絵本は何を読んだんだ?」

「おい、話を逸らすな」

「逸らしてなどいない。次は俺の番かもしれんからな」


その時になって同じものは読めないだろう?と常と同じように笑いかければ、若干訝しげにしながらもそれ以上の追及はなかった。
絵本の読み聞かせなど肌に合わないが、子供達の傍に居るのは何だかんだいって悪くない…そういった矛盾の上に成立した幸福感は、確かに悪い予感でありながらも自然と頬が緩んでしまうものだと、ペルも思っている筈である。
だからこそ先立って、ペルは照れくさそうに笑ったのだ。


「…なんて事はない。冒険記に、人魚の恋と、それから」

「眠り姫も、読んだんだろう?」

「まぁ、読んだが…何だ、ビビ様から聞いていたんじゃないか」

「いや、ペルが眠っていたら呼んでくれと言われたからな。察しはつく」

「俺が眠っていたら……?」

「お姫様はキスで目が覚めるだろう、王子もそうだと思われていらっしゃるようだ」

「……俺は王子なんて柄じゃない」

「もしかしたら男は皆「王子」に分類されるんじゃないか?」


そう言った瞬間の、ペルの顔といったら。
とうとう声をあげて笑ってしまう程、明らかに狼狽し、顔を赤らめていて。
ビビ様なんという事を、という男の心中は容易に察する事ができた。
幼いながらもませた節がある少女だから、そういった発言は多々あるのだが、それが自分に向けられると泡を食うペルはあまり色恋沙汰には強くない。


「…それで、お前はなんて答えたんだ」


まさか訂正をしていない訳ではあるまいと言いたげな口調とは裏腹に、その顔には「どうせ訂正しなかったのだろう」という言葉が並んでいる。
聞かずとも解っているのなら聞かなければいいのに、と思いながら、勿論、と笑みを浮かべて見せた。


「眠っていたらお呼び致します、と」

「…………お前はビビ様の情操教育によろしくないな」

「ほう、それは心外だ」


肩を揺らして笑うと、何が心外だ、などと不満たらたらの声が返ってくる。
さて、本人は気づいていないようだがペルとて「情操教育にはよろしくない」者の一人ではなかろうか。
気を取り直してか、手元の資料へ目を落としたペルに、そうと気づかれぬよう距離を近づけ手を伸ばす。
つい、と触れた頬の感触に唇が綻ぶのと、ペルが訝しむように目線を上げたのはほぼ同時だった。
その唇が言葉を紡ぐ前に、己のそれを押し当てる。
重なるだけで、僅かな接触だけですぐに離れれば、瞠目した眼が呆けるばかり。


「お前も、共犯者じゃないか」


情操教育云々を言うのであれば、同性愛などそれこそ「よろしくない」ものだと。
言いながら、もう一度触れようとすれば、すかさず手のひらで押し退けられる。
容赦ないその力に起因する所が照れ隠しだと知っている身としては、おい、と言いながらも顔が笑ってしまった。


















それは秘密の恋でした
(顔が真っ赤だな、ペル?)
(っうるさい…っ、お前は…何しに来たんだ…)
(あぁ、すまん。俺が悪かったな)
(……顔が緩んでるぞ、この駄犬)
(ははっ、鳥が囀った所で痛くも痒くもないぞ)



























出だしがペル視点なのに最後がチャカ視点という忙しなさ…orz
ベタに寝てるペルとか考えてたんですが、ペルって職務中に寝なさそうなイメージ、疲れてようが何だろうが部屋に着くまでは良くも悪くも気を張っていられる人、みたいな。
兵士達の名前には某国の神様から抜粋しました。

title/確かに恋だった




あきゅろす。
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