恋と忠誠のジレンマ










前もっていつ訪ねるとは言わない。
それを言及される時もあるが、そもそもその原因が相手にあるのだから言う通りにしてやる義務はないだろう。
ノックも何もなしに目の前の扉を開けて、軽く痛みを覚え始めたこめかみを押さえる。
またか、と零れた声には失態の色が濃く滲み出ていた。
無駄とは知りながら室内を一通り見回し、溜息を吐く。


「全くあいつは…」


空になった寝台を一瞥して、本来そこに居るべき人間を探す為に踵を返した。














サー・クロコダイルの陰謀が破綻してから数日が経ち、此処アラバスタも少しずつ再建の道を歩み始めている。
争いが終わった日、降り注いだ雨はあがり、以前と同じ暖かな陽光に包まれた国に残る傷跡は多いが、それでもこの国の王族はもとより国民達の表情も明るいものだった。
だが、補いきれない部分があるのもまた事実。
長きに渡る争い、そして反乱軍との衝突によって護衛隊の人員は大幅に削られてしまっていた。
反乱軍に所属していた若者を多数登用したが、訓練に費やす時間はいくらあっても足りない。
外交に関してもまた然りで、国が落ち着きを見せるまではと断念していた異国とのコンタクトにも人手は必要だった。
時間も足らなければ人手も足りない、それは本当の事である。だが、だからといって、


「誰がお前に訓練の許可を与えたんだ?ペル」


満身創痍の怪我人が歩き回って良い道理などは、ない。
部屋を出てすぐ訓練場で見つけた背中に、前触れもなく声をかけると、目に見えて大きく震えた。
その向こうでは新米兵士達が苦く笑い、ペル様、と宥めるような声を漏らす。
部下にまで心配をかけて一体どうしたいのか、気持ちは解らないでもないが大人しくしていて貰いたいというのもまた本心。
恐る恐る振り向いたその顔には、何故見つかってしまったのかと恨めしそうな感情が渦巻いている。


「そう遠い所へは行っていないだろうと踏んだだけだ。観念して戻れ」

「人を子供のように扱うな、チャカ。それに俺ならもう、」

「大丈夫じゃないからこうして探しに来たんだ。何なら力ずくで引きずり戻してやってもいいんだぞ」


青白い顔のままで何がどう大丈夫なのか。
元々色が白いから余計に疲労が目立つのだと、どうして当の本人は気づかないのだろう。
力ずくで、と言いはしたが怪我人を乱暴に扱う趣味はない。
できれば自主的に戻って欲しいものだが、それを望めない事も不服げな顔を見れば容易に解ってしまった。
一度こうと決めたら梃子でも動かない頑固者、特に自分に対してはそれが顕著に表れる。
これがビビ様や国王ならば何だかんだ言っても寝室に戻った筈だ。
甘えを見せてくれるのは嬉しいが、それも場合による。
何もこんな時に駄々をこねずとも、と思わず溜息を吐いた。


「ペル、何かしていないと落ち着かないのは解るし、その気持ちはありがたいと思う。だが無理をしても傷の治りが遅れるだけで良い事など何もないだろう」

「だが、怪我をしているのは俺だけでは…」

「その中でもお前が一番重傷なんだ」

「だから、大丈夫だと言っている」


何を根拠に大丈夫だと言い切れるんだ。
直径5キロの威力を誇る爆弾を抱え、爆風により空高くから地面へ叩きつけられ、命があるだけでも充分な奇跡だというのに、その当事者がそれで満足しないのだから困り物である。
もう少し自分の身体を大事にして欲しいのだと、どう言ったら伝わるのか。


「…埒が明かないな。言い分は後で聞くから、とにかく部屋に戻ろう」

「っ、チャカ、やめっ…っどる、戻るから下ろしてくれ!自分で歩けるっ!」

「駄目だ。あぁお前達、すまなかったな。訓練に戻っていいぞ」


兵士達が目を丸くしているが知った事ではない。
腕の中に抱き上げた身体は口で言う程の抵抗もせず、元来た道へ足を向けるのも容易いものだった。
青白い頬が赤く染まり、下ろせと何度も訴えてくる。
暴れないのはそれだけ身体に負担がかかっているからか、そこまで考えた所でもう少し早く不在に気づくべきだったと己の行動を悔やんだ。
それを見透かした訳でもないだろうに、ペルは困惑も露わに赤い顔をその手で覆い隠す。


「っ〜、最悪だ…」

「肩に担がれるよりは痛まんだろう。それとも背負った方が良かったか?」

「抱え方の問題では…ない訳でもないが、そんな事より、お前だって怪我をしているのに、こんな…」


言いにくそうにもごもごと動いた口が紡ぐのは、間違いようもなく労りの言葉。
小さな謝罪が手のひらの隙間から零れ落ち、消えていく。
ペルが顔を伏せていてくれて助かった。
腕の中で居心地悪そうにその身を丸める様に、自然と頬が緩んでしまう。
両腕が塞がってさえいなければすぐにでも触れていたに違いない。
だらしない頬を、咳払いと共に引き締めてから改めてペルを見下ろした。


「お前が謝るような事じゃない。それに無理なら最初からしないさ」

「……お前は、俺を甘やかし過ぎだと思うんだが」

「甘やかされていると思うのならもう少し大人しくしていてくれ」

「うっ……」

「なぁ、ペル?」

「…………国が大事な時に、一人だけのうのうと寝ていられん」


ふい、と逸らされた目には今後も隙あらば脱走しようという意思が見受けられる。
一本気な男はこういった時に手間がかかってしょうがない。
もはや女のように抱き上げられる事にも頓着しないのか、寝室へ着く頃にはすっかり臍を曲げたペルがまるで仇敵を前にしたかの如き眼力で寝台を睨みつけていた。
一声かけるでもなく寝台の上へその身体を下ろすと、今度はあからさまな溜息。
全身で「此処は嫌だ」と訴える様は本当に子供のようである。


「……ペル、こっちを向け」

「…………何だ」


不承ながらもちらりと此方を窺ったペルに、そっと笑いながら両の手を包み込む。
寝台の前で片膝をつくと、ペルよりもやや下の所で目線が定まった。
握った手の甲は頑なで、訝しげな目が困惑に瞬くのが年不相応に幼く見える。
さて、どうやって言い聞かせたものか。
元々こういった分野ではペルの方が弁が立つ。
好奇心旺盛な幼き日のビビ様や砂砂団の子供達を上手い事抑え込めるのはペル位のものだった。
若干寛容に過ぎた時もあったが、ここぞという時に見せる厳しい顔が子供達には利くのだろう…だからといって自分もその手に出る訳にはいかないが。


「………………」

「…………本当は、解っているんだ」


此方に意識を向けさせたはいいものの、それから先に繋げられず広がった沈黙をどう受け取ったのか、ペルは気まずそうにしながらも先に口火を切った。
ぽつりぽつりと零されるのは弱りきった声で、とても己と肩を並べてきた男のものとは思えない。
呼応するように、己の手の内側で、ペルのそれに力が込められるのが解った。


「傷を負ったままでは、皆の足を引っ張るだけで、此処を抜け出せば探してくれる者の時間を無駄にする…今の俺は何の役にも立たない、せめてこの身体を出来得る限り早く万全にすべきだと…頭では、解っているんだ」


けれど、気づけば身体が動き出している。
遠くから聞こえてくる刃の噛み合う音。
兵士達の活気あるかけ声。
忙しなく行き交う人々の足音。
その、数々の音に紛れて聞こえる、明るい笑い声。
求めた未来を取り戻そうと、漸く手にした平和の中で皆が頑張っている。
そんな時に、一人横たわっているだけとは何が王国最強の戦士だ、笑わせるな。
自嘲の色を濃く帯びた顔には、苦い、苦い笑みが浮かぶばかり。
そんな風に考えていたとは、思ってもみなかった。自分だけではない、ビビ様も、国王も、イガラムさんも、誰一人としてペルがこんな事を考えていたとは思うまい。
アラバスタの危機を救った功労者の一人だというのに、その命まで賭けておきながら、それでも足らないというのか。
自分もそうだが、ペルも大概、この国に惚れ込んでいる。
思わず零れた笑みを、今度は見咎められてしまったが隠すつもりは元からなかった。


「お前にしては馬鹿な事を言うじゃないか、ペル」

「馬鹿、だと」

「誰がお前を役立たずと詰った、誰がお前の為に割く時間が無駄だと言った」

「…そ、れは…」

「床に伏せると気も滅入るだろう、だが忘れるな。お前を休ませようとするのは不要だからでも、邪魔だからでもない。皆がお前を案じ、お前を必要としているからこそなのだと」


本当ならば、このような事まで言わずともペルは解っているだろう。
国を愛し、そして国に愛されているこの男ならば、解っていない訳がないのだ。
それでも敢えて言葉にしたのは、ほんの僅かな仕返しだった。
解りきった助言に困惑したペルが、それでも目を逸らさないのをいい事に、今や力の抜けた手のひらを握り口元へ引き寄せる。
おい、とペルが声をあげた時にはもう遅く、薄く傷の残る甲へと口づけた。


「っ、チャカ」

「それともう一つ。万が一にも誰かがお前を不要としても、妙な心配はするな」

「……どういう、意味だ」


あぁやはり解っていないのか、と内心で苦笑する。
だからこその仕返しなのだが、ペルがそれに気づく事はないだろう。
この、周りの事ばかりで自らを省みようとしない、鈍感な男では、きっと気づかないに違いない。
ならば気づかせてやろうと、こみあげた悪戯心のままに、微笑んだ。


「どんなお前でも、俺には一生、必要な存在だという事だ」


それは肩を並べ合うこの国の守護者としても、情愛を交わし合う恋人としても。
この身も命も、もはやこの国へ捧げてしまった、けれども内に秘めた情愛ばかりは、他ならぬお前のものなのだと。
伝えているつもりでも、決して伝わり切ってはいなかったようだと、苦笑する。
呆然とした体で目を見開いたペルの頬を撫でると、それが発火のきっかけとなったのかペルの顔がまたも赤くなった。


「っお、俺が言っているのは、そういう話では……」

「あぁすまん、ちゃんと解ってる」


嘘を吐くな、と掠れた声の抗議は聞こえないフリをする。
赤らんだ顔を隠そうと俯いたペルの肩を、笑いながら抱けば、笑うな、とまたも小さな抗議が届いた。
全くもって本当に、自分はペルに甘いらしい。


















恋と忠誠のジレンマ
(書類の処理に二時間、訓練の為の外出は一時間)
(は……)
(これでも精一杯粘った方だからな、イガラムさんとビビ様に猛反対されたんだ)
(…いい、のか…?)
(但し、少しでも無理をしたら寝台に引きずり込んで足腰立たなくするぞ)
(あしっ…!?げ、厳守するっ…!)



























姫抱きと片膝ついて手にキス、というのを書きたかっただけだったり←
チャカの体格と能力的に考えたら片腕で抱き上げられそうですがチャカも怪我人なので両腕で頑張って貰いました、兵士達ポカンですよね、何公衆の面前でいちゃついてんのっていう話←

title/確かに恋だった




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