この腕を振り解けない










気紛れかと思いきや少し構うだけで嬉しそうに擦り寄ってくる。

機嫌が悪いのかと思えば少し声をかけるだけでころっと態度を変えて見せる。



そんな、猫に見せかけて犬のような男が一人、家には居座っていた。















仕事に行く間際、ネクタイを締めていた時の事だ。
壁にかかった鏡を覗き込んですぐ、反射して映り込んだカレンダーの紙面を目にした瞬間一気に気分が重くなった。
本日の日付の所にでかでかと付けられた赤い丸の印、ちなみに今月だけでもその丸印はいくつあるか知れない。
嫌なら見なければいいのかもしれないが、見なかった所で結果は変わらないのだ。


「ドレーク屋、なぁドレーク屋ってば」


来た、と思わず身構えてしまったのはもはや条件反射に等しかった。
背中向こうから飛びついて来たのは自分程ではないにしても結構な体格をした男で、ぐっと腰と脚に力を込めてどうにかたたらを踏まぬように堪える。あぁくそまだネクタイを締めきっていないのに。
何だと答える代わりに手探りで後方の男の頭をぐしゃぐしゃと掻き撫でた。
男は喜んでいるようだが察して貰いたい、離れろ。


「トラファルガー。シャツに皺が寄る、離れろ。それから洗濯機が鳴っていたぞ」

「あぁ悪い。いやそんな事よりさ、今日何の日か覚えてるよな?」


意図を察して心得たように離れたので、それ以上は言及しないでおく。
けれどもそれに続いた言葉はもはや聞こえなかったフリを貫き通してやりたくなるようなものだった。
あぁやはり、そう来るか。
ネクタイを締め、ノットの緩みを確認した所で一言。


「知らん解らんどうでもいい」


と、返す。
このトラファルガーという男は、現在近隣のの医大に在学している大学生で、近頃はずっと我が家に居座っている厄介者である。
というのも、トラファルガーとは本来なら道端で擦れ違うだけの他人である筈なのだが、とある縁で家に住まわせる事となったのだ(そのとある縁とやつを説明するならば、知人に押し切られたという他ない)
洗濯機が鳴っていた、という言葉を聞き入れて籠一杯に洗濯ものを詰め込んで戻って来たトラファルガーの姿は今では見慣れたもので、家事の一つもできないなら家には置かないと言いつけた日から省みれば随分と成長したものだなと感慨深くもなる。
料理はともかくとして、掃除の一つもできないで他人の家に居座ろうというその堕落した根性を叩き直せた自分への称賛が七割だが、残りの三割はなんというか親の気持ちに近いものがあるだろうか。
そんな此方の心境にも構わず、トラファルガーが造詣の整った顔を顰めるのと文句の声を飛ばしてきたのは、ほぼ同時だった(その反応は充分に予想の範疇である)


「それ本気で言ってんのか」

「ゴミ出しの日じゃないのだけは確かだな」

「ユースタス屋みてぇな事を言うなよ」


尚更顔を顰めたのは、以前に顔を合わせたトラファルガーの友人の名が出たからか(曰く当人同士は友人とは認めていないらしいし、むしろ名前を出してきたのはトラファルガーの方なのでこの場合俺に非はないだろう)
そういえば彼がこの家を訪れた時にカレンダーの印を見て「ゴミ出しの日にしちゃ多いな」と疑問を抱いていたなぁと思い出しつつ、朝の貴重な時間を消耗する暇はないので鞄の中を覗き見る。
必要書類が揃っている事を目視で確認していると、なぁ、と横合いからまたも声がかけられた。
どうやら今日は本気で粘るらしい、厄介なものである。


「本当に解んねぇのか」

「……」

「なぁ」

「……はぁ…お前の言い回しからして何かの記念日なのは解る。だが生憎と興味がない、それだけだ」


大体この男は、自分より若いといっても男の分際でやたらと記念日にうるさい。
それが誕生日だとかいうのならばまだ解るが、別段どうでもいい事まで記念日に属されるのだから手に負えない。
確か先日は「初めてドレーク屋の寝顔を見た日」だったか。
正直どうでもいい、心底どうでもいい、というか何故そんな日を覚えているんだ気持ち悪い大体寝顔なんぞ見るな馬鹿。
その時の事を思い出した途端、頭の片隅を痛みが走り抜けた気がして思わずこめかみを指先で押さえた。
今度は一体どんなくだらない事を言い出すのか、もはや諦めの境地ではあるが聞かないに越した事はない。
対するトラファルガーは相も変わらず微妙な顔をしている、どうしてそんな簡単な事が解らないんだと言わんばかりなのが気に食わない所であるが、そろそろ時間切れだ。
上着を腕に引っ掛け、鞄を小脇に抱えながら腕時計を覗き込んだ時には、いつも家を出る時間に差し迫っていた。


「トラファルガー、お前も昼までには大学だったな」

「あ?あぁ、そうだ」

「その後は」

「場合に依るが、そのまま帰ってくると思うぜ」

「そうか…」


ならいいな、いいだろう。
一人内心でのみ安堵したのは、恐らくというか絶対にトラファルガーには伝わっていまい。
しかし違和感は感じているようで、やはり微妙な顔をして首を傾げている。
なんというか、それを放置するのは大人げないのではないかとか、たまには少し位いいだろうかとか、そんな事を思ってぐしゃぐしゃとその黒髪を掻き撫でてやった。
うわ、何だよ、と当然の抗議の声に一つ頷き、行ってくると声をかけ踵を返す。


「…へ、って、ちょ、お、おいおい何だよ今のどういう意味だよドレーク屋!」

「お前もよくやるだろう、バイト先の動物園で、アイーとか鳴く白熊の頭をこう…そんなもんだ気にするな」

「あれは可愛がる意味でっていうかあんなものだって事はドレーク屋にとって俺が可愛いって意味…あぁくそ靴履くなって!」

「気にするなと言っているだろう、っ、遅刻する、引っ張るんじゃないっ」

「何だよいつも一時間前には会社に着くように出てんじゃねぇか数分位俺の為に時間を使おうって気は――――――」


ぎゃあぎゃあと騒がしい男の手が、手加減も容赦もなくスーツを手繰り寄せようとしてくる。
鬱陶しさとしつこさと、それから此方の気も知らない言葉を口にしようとしたその無神経さに耐えかね、肩越しに振り向いた方へ手を伸ばして逆に手繰り寄せた。
自分より低い位置に首を伸ばして重ねた唇からは、一切の声が遮断される。
瞠目したその眼は珍しいもので、触れたそれをすぐに離しても元に戻るには随分と時間がかかるようだった。


「夜はいつもより少し早く帰る」

「…は……」

「久しぶりに俺が夕食を作ってやろう」

「……へ…」

「それから、明日は休みをとってある、その分早めに出社してノルマをこなさなきゃならない、だから急いでる。つまり…その、あれだ……」

「…………」


間の抜けた声を漏らしていたトラファルガーだが、とうとう声も出なくなる。
呆気にとられる、という表現が正しいのだろうが、何かしらの反応だけはあると思っていた為(そしてそれがきっと此方の羞恥心を煽る大歓喜の様子だろうとすら思っていたので)無反応というのは予想外だった。
何だかそんな姿を見てしまうと、気恥ずかしさを感じているのが馬鹿馬鹿しくすらなってくる。
胸に積もった躊躇いを、溜息と共に空中へ露散させると、落ち着いた気がするのだから不思議なものだ。
目の前にぼんやりとした顔で佇む男の黒髪を、今度は少しだけ優しく撫でながら、苦笑すら零れた。


「今この場で数分と、今夜から明日までの全部、お前の為に使う時間だがどっちがいい?」

「っ…っド、ドレーク屋ぁあぁあぁぁあぁああぁっっっっ!!!」

「うぉっ!?」


それはあまりにも愚かしい問いだったのだろう。
トラファルガーの色よく焼けた肌に赤みが差し、かと思えば次の瞬間、笑ってしまう程満面に喜色を浮かべたトラファルガーがタックルまがいに抱きついてきた。
あぁ全く、早く行かなければ家に帰るのが遅くなってしまうというのに。
だというのに、困ったものだ。


















この腕を振り解けない
(嬉しいぜドレーク屋!)
(あぁそうかそうかそれは良かったな)
(俺とドレーク屋が同棲を始めた日、ちゃんと覚えててくれたんだな!)
(っ同棲じゃなく同居だ!このばかたれっ!)




























ドレークさんはしらを切ってただけだったり
恋人になった日とかよりも、一緒に住む事になった日って方が二人には感慨深いと思われ…
現代パロだとドレークさんから外科医への矢印が出せる不思議(笑)




あきゅろす。
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