近くて、遠い










例えば何か、欲しいものがあったとして。
それを得る為には、他の何かを失わなければならなくて。

何も失いたくないから、何も欲しがらないのと。
それが欲しいから、何でも失う覚悟をするの。


どちらがより、愚かしいか、など。














ドレークの部屋は、殺風景だ。
簡単に言ってしまえば、あまりにも物がない。
同期のヒナの部屋は女性らしく飾られているし、スモーカーの部屋は吸いきった葉巻の山を乗せた灰皿や、脱ぎ捨てた服や物が散乱しているので、ドレークは他者からそういった評を頂戴する事に何の疑問も抱かなかった。
ただ、これでよく不便に感じないなとまで言われれば流石に辟易したが。
必要最低限のものは充分に揃っている。
仕事を出来るようにと用意した机と椅子。
眠る為のベッド。
如何なる時にも連絡がつくようにと置かれた電伝虫。
それだけでドレークには充分だった。
本部に行けば世界中の何処よりも充実しているのではないかと思える大きな図書室があるし、情報収集ならばそれこそ本部に居た方が速く的確に手に入る。
男性にありがちな収集癖も、ドレークにはなかった。
何かに凝るというような事もなく、だからこそドレークが己の部屋に帰るのは「仕事」と「睡眠」の為でしかなかった。
それを知る友人は、揃いも揃って訝しむ顔つきで同じ事を訊ねる。


「君はこんな部屋で安らぐのかね」


ぼんやりとしていた意識は、唐突に遮られた。いいや、引き戻されたと言うべきかもしれない。
殺風景な白灰色の部屋に、ぽつりと落ちたインクのようにたった一つの黒がそこにはあった。
黒がゆっくりと振り返ると、そこにはやはり黒があった。
額から解れ落ちた一束の髪先が揺れて、かと思えば横一線に引かれた傷跡を引き攣らせ、金色の眼だけが異質にゆらゆらと凪いでいる。


「…ドレーク少将?」

「あぁ、すまない。聞いていた」


まさか今し方考えていた事を先んじて言われるとは思ってもみなかったので、ドレークは回答の声を鈍らせてしまった。
自身の部屋には不似合いな男の姿に、少しだけ困惑しているのかもしれない。
訝しむ顔の男は、共に居る事すら異様な相手だった。
七武海の、サー・クロコダイル。海賊だ。
海兵のドレークが部屋に招き入れるには些か、どころが大変におかしな相手となる。
それでもクロコダイルはドレークの部屋を見てみたいと言ったし、ドレークはクロコダイルの申し出を断りはしなかった。
構わないが、面白いものなど何もない。
そう言ったドレークの言葉が、正しく真実などと誰が思うだろう、実直な男だとは知っているが、誰しも一つ位は面白い隠し物があるものだとクロコダイルは期待していた。
けれどもいざ訪ねてみればこの通り、何もない。
机に椅子、ベッドに電伝虫。
白を基調とした室内は、日中だからと灯りを落としている為外の日差しだけを頼りにしていてどこか薄暗い。
病人が眠っていてもおかしくはないようなその部屋で、どう安らぎを得るのか。
呆れて投げかけた問いは、けれど答を得るには長すぎる沈黙に一度押し込められる。


「随分物がない部屋だ」

「あぁ、よく言われる」

「不便ではないのかね」

「それもよく言われる」


苦笑の形を取ったドレークは、椅子を引いて見せた。
クロコダイルが勧められるままそこへ腰を落とすと、ドレークはベッドサイドに腰を落ち着ける。


「物欲があまりない方なんだ」


口にしてから、ドレークはそれは嘘だと思った。
欲しいものなら、きっと沢山ある。けれどそのどれをもドレークは手に入れようとしなかった、ただそれだけの事のように、思えた。
例えば、穴があるとする。
深くて暗い、穴だ。
下を覗き込んでも何も見えない、深い深い穴。
それはドレーク自身が作ったもので、何かが欲しいと思う度、その穴に欲求を放り込んでいたように思う。


「それは、何故」

「俺が欲しいと思うものは、大抵が手に入らない。だから物欲を持たないようになった、と言うべきかもしれない」

「部屋に必要なものなら、大抵は金で買える筈だ」

「そうだな、だが、俺の部屋はこれで充分なんだ」

「ふむ…どうやら君の発想は幾分か独創的らしい」


クロコダイルにはどうにも理解できないらしかった。
それでもドレークは構わなかった、むしろそれ位が調度良いのかもしれないと思えた。
他人からの理解程不必要なものもないだろう。例え相手がクロコダイルだろうと、それは何一つ変わらない事実だった。
幼い頃はまだもう少し物欲があったようにドレークは思う。
いつの頃からか、何かを求めるという行為を止めた。
海兵になると決めて、この背に正義を背負って、そうなるまでにどれだけの欲求を穴の中に放り投げただろう。
生を失う事への恐怖を、戦場から逃げ出したいと思う臆病な心を、強くなりたいと切に願って願って、だから、捨てた。
暗く深い穴からは物音一つせず、何を投げ入れても反響すらしない。
投げ入れる度に何か、名前も解らない何か大切なものを、失っているような気はしていたけれど、ドレークはそれを止めようとは思わなかった。
穴は埋まらない、不必要なものを投げ入れ続けているのに、暗闇はやはり続くのだ。


「ドレーク少将」


差し伸べられた腕は、生身の方だった。
鉤爪が陽光にキラリと反射して、それに目を細めた時だったので、ドレークはまたも応える声を遅らせ、その手を取る。
如何にも自然な流れのようであったが、同性の、しかも海賊と海兵が、握手というには些か、過ぎた接触をする事に、奇妙さが拭えなかった。
触れた所からじわりと熱が生まれる。
クロコダイルの手は、ドレークよりもずっと暖かかった。
ドレークは常から体温が低い方なので、誰に触れようが大概そう感じただろうが、それでも人肌に触れる事自体が久しく、ドレークは久方ぶりの肌の感触を楽しむようにクロコダイルの手の甲を撫で、小さな息を吐く。
それは、安堵にも似て。
クロコダイルはそれを咎めるでもなく、ドレークの好きなようにさせるつもりらしかった。


「クロコダイル、貴方は?」

「海賊に、それを訊くか?」

「確かに、愚問だったな」


小さく笑う。
海兵ってのは全員揃ってそんなものなのかと、興味本位に塗れた金色が問いかけたので、さてどうだろうとドレークは笑って見せた。
クロコダイルが目に見えて、臍を曲げた子供のような顔になる。
否定でも肯定でもない答は、クロコダイルにしてみれば言葉遊びだったのかもしれない。
ドレークにそのつもりはなかった。
結果的に、言葉遊びのようになってしまった訳だけで。
生きていく上で必要なものを、ドレークは概ね持っていると思う。
酸素や水や食料、物質的なものならば、充分に。
それはドレークの意志でなく、まず身体が本能的に求めるものだったが。
けれど、枯渇した喉に水は潤いを与えるし、空腹に喘いでいる時の食事は格別だ。
酸素に至っては、なければ生きていられない。
必要最低限のもので、いいのだ。
それ以上を求めるつもりは、ドレークにはなかった。
では、この手の中に今存在する手のひらは?
生きて行く上で、必要なものか?
答は、否。
必要などない、この手の持ち主は、確かに能力的な意味合いで貴重な人材だが、彼が居なくとも生きていける自信が、ドレークにはあった。
貴方が居なければ、だなんて安い恋愛物語でもあるまいし、例えば心から愛した人がこの世から居なくなった所で、自分自身が命を経ちでもしない限り世界は変わらないものだ。
何を欲しがっても、手に入らないなら欲しくないと思うのと同じ結果だ。
結果が同じならば、経過が何であっても構わない、ドレークの認識は、どこか偏っていた。
それが世界の、大抵の人間の持つ答とは違っている事を、ドレークは知っている、だからこそ、彼は誰に何を言われようが答を変えず、ただ微笑むのだ。
不便ではない、俺にはこれで、充分だ、と。


「貴方は「俺の部屋に来る」という欲求を満たした訳だが、ご期待には添えなかっただろう」

「そうとも言い切れんさ」


徐に、そう言ってクロコダイルは手を握り返してきた。
それは奇妙な力強さを以て、ドレークの意識の糸を手繰り寄せる。
ゆらゆらと凪いだ金色は、愉快な色を交えていた。
何が楽しいのか、彼本人が不便を感じそうだと、先程言ったばかりだというのに。
だというのに、クロコダイルはドレークの言葉を否定する。
否定的な言葉を否定する、それはつまり、肯定するという事だ。


「君という人間を、少しだけ理解した気がするがね」

「…………そう、だろうか」

「あぁ、だがまだだ。まだ足りない」


足りないんだよ、ドレーク少将。
ドレークが先程そうしたように、クロコダイルは手の甲を撫でた。
けれど何が違ったのかといえば、そこに何かしらの含みがあった事だろう。
ドレークの触れ方はまるで子供のようだった、関心のある玩具を何となく手に取ったような、そんな無垢な触れ方だった。
それをクロコダイルは愉快だと笑ったが、けれども足りないと、更に笑みを深める。
淫靡な手つきで指の股を撫でたかと思えば、甲に浮き出た血管を愛おしげになぞる指先に、彼の愛用する装飾品がきらきらと光っていた。


「人生に於いて必要なものは、何だと思う?ドレーク少将」

「…………俺の回答など、面白くもないだろう」

「そう、面白い事だ。つまらねぇ人生なんざ御免だ」

「口調が戻っているぞ、サー・クロコダイル」


微笑混じりに茶化したドレークに、クロコダイルは気を悪くした風でもなく笑った、それどころか、おっと失礼、と口に手を当てておどけてさえ見せる。
まるで長年の友のような親しさと、けれども確かに存在する壁に、彼らはただ、笑っていた。



















近くて、遠い
(永遠など、何処にもないのだ)




















ドレ鰐なのか鰐ドレなのか解らんのでドレ+鰐表記でひとつ(何がだ)
鰐と話してるドレークさんって、結構あけすけな感じがする、煙とは違った意味で。
それを鰐も気に入ってて、でも何がそこまで気に入っているのか鰐にも解らんくて、だから相互理解しようとしてる所……あれ、説明してたらよく解らなくなってきた(汗)




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