Sugar,sugar


上司と部下で恐竜←煙









紫煙がゆらゆらと宙をさ迷い鍋を巻く台風の目に集約されて行く。

それをぼんやりと目で追ったのは、非喫煙者である筈の上官が手慣れた仕草で煙草を燻らせていたからだ。



「……しまった。見つかったか」



言葉遊びのつもりが窺える軽い口調。

悪戯がバレた子供のような、どこか情けない笑み。

矛盾した感情の亀裂が垣間見えれば、別に責める理由など元からないので肩を竦めるだけで返した。















「休憩か、スモーカー少佐」

「…えぇ、まぁ」

本人にも恐らく会話をする糸口を探したつもりなどないのだろうが、それ以上に自分は素っ気ない返事をしたように思う。
それを不愉快に思う事もないのか、それともそもそもからして会話を成立させる気がなかったのか、精が出るな、と自分には似つかわしくない賛辞を頂戴する始末。
自分でも周囲から己が扱い辛い部下だと称されているのはよくよく理解しているつもりなのだが、この男の元に就いてからは不評もほんの僅かであれど少なくなっていた。
自分より幾分か年上のこの男は、けれど自分よりもずっと処世術に長けているのだろう、。
自分と同じようにいつもその表情は堅く、だというのに部下には慕われ上官からの覚えも厚いこの男が、自分は少し苦手だった。


「残業している部下が居たのを知らなかったなんて、俺も耄碌したかな」

「…ついでにあんたの珈琲も淹れましょうか」

「あぁ。頼もう」


上官を呼ぶにしては随分とお粗末な呼称にも敢えて言及はせず、端的な結論だけを述べる。
変わった男だ、この上官は。
これまでの上官ならば「あんた」などと呼べばすぐに怒鳴られた物だ。
まぁそもそも、珈琲を淹れようなどと申し出るのも実は初めてなものだから自分とておかしいのかもしれないが。
給湯室の換気扇近くに立っていた上官は、場所を譲るように二歩横へずれると、今度は何の躊躇いもなく紫煙を燻らせた。
肺まで深く吸い込み、吐き出すその過程を見るに初めてではないようで、ヤカンに水を注いでいる間ちらりと盗み見ていると、気になるか、と問われる。
どこか揶揄の色を濃くしたその問いかけには答えぬまま、吸っていたとは思わなかったとだけ告げた。


「中毒という程は、吸っていないな。仕事が立て続けで疲れている時や、嫌な事があったら吸うんだ。気分が落ち着く」

「はぁ…」


そういうのを中毒と言うんじゃなかろうか。
そうは思ったが何も言わなかった、大して他人に対し気を使うという行為を行った事がないので、できる事なら話は端的に済ませたかった。
上官もそれを察しているのだろう、それ以上は何も言わず、コンロに置いたヤカンが徐々に熱を持っていく音だけが静かに夜の空気を揺らして、それが酷く心地いいような気がして、戸惑った。
確かに自分はこの上官を苦手としていた筈なのに、と。


「…何か、あったんですか」

「何か?」

「…嫌な事があったらって言ってたんで」


あぁ、と得心したように小さく頷いた上官は、今度は左右に首を振って見せた。
眉間の皺が少しだけ緩んだように見えたのは錯覚だろうか。


「デスクワークが多い所為で、最近寝ていないからな。ストレスも溜まるだろう」


でも執務室で吸うのは嫌なんだ、匂いが残るから。
そう言って、珍しく微笑むその横顔は確かに疲労の色が浮かんでいる。
橙の睫毛は男にしては長めで、それが陰影を作り出せば、女海兵に人気があるという話にも成程と納得させられた。
上官の言葉を借りれば「中毒者」である自分は、煙草の匂いなんぞこれまで気にした事もないが、言われてみれば上官の吸っている物はどこか甘い匂いがする。
バニラだろうか、見当をつけながらも鼻先を無意識に鳴らすと、上官は僅かに笑ったようだった。
それは馬鹿にした類ではなく、微笑ましいとでも言いたそうなもので、らしくない事をしたと今更ながらに気づかされる。
そうこうしている間にヤカンの水は湯になったようで、隙間から湯気を漏らすそれを見て棚からインスタントの粉末を取り出した。
この上官の舌には合わないんじゃないか、そう思ったのは今更に過ぎるが、言い出した手前なんとなく気まずい。


「ミルクはたっぷりで、砂糖は三つ頼む」

「…そんなに入れんのか」


横合いから割って入って来た声があんまりにも予想外の事を言うものだから、うっかり素の言葉が出てしまった。
元々敬語を使いこなせているとは思えないが、まぁないよりはマシというものもこの世にはある。
流石に怒るのかと思った上官は、けれどもどこか居心地悪そうに首を撫で擦るだけだった。
疲れている時は甘いものが欲しくなるんだ、そう言って。
疲れている時に要る物が沢山あるもんだと思いつつ、今朝がた目にした上官の机上にあった書類の山々を思い返すと納得もできそうだ。
地位が上になれば楽なのかと思えばそうでもなく、むしろ処理する事象は山のようにあり、特に仕事ができるこの上官にはよくよく仕事が回ってくる。
それをいつもと変わらない顔のまま淡々と処理するものだから余計に受け入れる量は増えていくばかりで、意外と要領が悪いのかとそこで気づいた。
煙草を指で挟み持つと空いた所の甲を使って眉間の皺を伸ばそうとしている上官は、やはり本人の言う通り疲れているらしかった。


「仮眠でもとりゃいいんじゃないですかね」

「一度寝たら永眠しそうだがな」


それ位には今の俺は眠いぞ、と何の自慢にもなりはしない事をどことなく胸を張るようにして言うものだからついつい笑ってしまいそうになる。
こんな幼い男だったのか、この上官は。
常の隙のない姿ばかり見ていたからかいつの間にか自然と取っつきにくそうなイメージを持っていたのかもしれない。
そりゃ御愁傷様です、と一切気の毒に思っていなさそうな声もやはり咎める事はなく、あぁ大変なんだと微笑んだ上官はまた煙を吐き出した。
他人の煙に晒されるのは同期のヒナが相手の時位のもので、なんとなく違和感がある。
しかし別に、このバニラの香は嫌いじゃない。


「…他に何か要るもんは」


こんな事を聞いたのは単なる気紛れだったのかもしれない。
自分でも何故そんな事を問い掛けたのかよく解っていなかったのだ。
上官は特に驚いた様子もなく、そうだなぁと考える素振りを見せると、差し出したカップを受け取ってその甘ったるそうな色合いに小さく笑みを浮かべた。


「ニコチンに甘いものに、あとはまぁ、働き者な部下との会話があれば充分だ」

「…は……」

「ありがとうスモーカー少佐。一区切りついたらお前も休め、明日も仕事なんだから」


頼りにしてるんだ、これでも。
何を言われたのか、その意味を理解するより早く、そう言って、上官は給湯室を軽やかに出て行く。
すれ違う瞬間バニラの香が一際強くなり、自分でも驚く程、心臓が、跳ねた。















「最近よくドレーク君の事見てんのね」


上官の思いがけない一面を知った日から数日経とうかという頃の同じ場所、しかし相手は件の上官ではなく、上官の更に上官がいつも通りやる気の欠片もない顔でそんな事を言い出した。
咥えていた葉巻がポロリと落ちたのはあんまりにも予想外な事を言われたからであって、決して図星であったという訳ではない。
というか、上官の上官に言われるまでそんな事考えもしなかった。
無意識に、という方がタチが悪いが、言われてみれば近頃上官を視界に納める事が多くなったように思う。
落ちた葉巻を靴裏で潰して、改めて新しい葉巻に切り口を入れた。


「…変わった上官なもんで」

「そうだよなぁ。お前みたいな問題児でもちゃんと部下として扱ってるみたいだし」

「嫌味なら受けつけてねぇですよ、クザン中将」

「そんなら嫌味言われるような違反行動とんないでくれよ。俺がセンゴクさんに叱られるんだからさー」


そんな事は知った事じゃないと言えれば良いものの、此方が頼んではいないにしたとしても何度かクザンには口添えを貰っている。
ドレークの元に異動させたのも目の前の男なのだから、そういった意味では少し位感謝してみてもいいかもしれなかった。
どうせまたそう長くない内に異動させられるか降格させられるか、とにかく不興を買うに違いないと思っていた今回の異動先は、それでもこれまでの海兵人生の中では最も長い隊歴であるのだから。


「で、どうよ。ドレーク君」

「……マシな方じゃないですかね」

「あららら。随分とまぁ強気な物言いだな」


上官を値踏みする部下なんて聞いた事もないと、クザンは至極おかしそうに笑う。
確かに自分自身、自分のような部下は扱い辛いだろうと思っているがクザン程あからさまに言って笑って見せる上官も珍しいだろうに。
そういった意味では、あの男も大いに珍しい部類に入るのだけれど。
クザンの言う通り、近頃無意識の内に目で追いかけていた男は、先日まで気づきもしなかったがふとした瞬間にほんの僅かだが笑う事がある。
それは部下と言葉を交わしている時であったり、街中を見回りに行った際道を駆けて行く子供の姿を見かけた時であったり、子供ができて退役した元部下が挨拶に現れた時であったり。
静かに、穏やかに、あの男は微笑う。
けれどもそれが自分に向けられたのは、あの夜の一回だけだった。
バニラの香はあれから鼻孔を擽らない、そこまであの男の傍に仕えてはいないからだ。


「…というか、今更だけどめっずらしいな。お前わざわざ此処で吸ってたっけ」

「………珈琲淹れるついでに」

「あららら。お前そんなに甘党だったっけ」

「……解ってて言ってるにしたって少しはそのニヤケ面を隠してくれませんかね、クザン中将」


思わず新しく咥えたばかりの葉巻まで駄目にしてしまいそうになったが、ぐっと堪えた。
らしくない事をしている自覚なんてものは、とっくにしているのだ。
ただ、仕事はいつも馬鹿みたいに舞い込んで来ていたし、あの男の眉間の皺もここ数日は増えるばかりな気がしていたから、だから、まぁ、珈琲が飲みたいような気分にもなっていたから、ついでだ、こんなものは。
ミルクはたっぷりで砂糖は三つ。
単純な分量をそのまま投下された珈琲の色は確かにクザンが言うように自分好みではなかった。




















Sugar,sugar
(例えばこれを渡したら、あの男はまた笑ってくれるのだろうか)





















疲れてる時の恐竜さんは無防備です
そんな無防備な所にギャップを感じてキュンとする煙さんとか
元々途中まで書いてた段階では自覚して信頼関係を築いて告白してって所まで考えてたんですが、放置し過ぎて発酵しかけていたのでこの着地点で終了とします、でも気が向いたら続くかもね!(ちょ)




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