Beautiful World










お前は、いいな。

揶揄でも嘲りでもなく、まるで羨むようにそう言った男の顔は、笑っていただろうか。
(いいや、というよりも、正確には。よく覚えていない、忘れて、しまった)


お前は、いいな。

どこまでも真っ直ぐで、どこまでも己の正義を貫けて、とても、いいと思う―――だなんて。
(それはむしろ俺の台詞だった。俺はお前以上に、真っ直ぐで正義に誇りを持っていた奴を知らない)




お前が居るなら、まだこの世界も悪くない気がしてくるんだ
(知らないと、言うのに、)















それはまだ、俺が海軍の大佐どころか能力者ですらない、入隊したばかりの頃。
あいつは既に能力者で(聞けば何も知らぬ時分に故郷で実を口にしてしまったらしい)士官候補生だった頃の俺とあいつはあまり上手い関係ではなかった。
というのも、基本的に集団行動が肌に合わない俺と規律を第一とするあいつとじゃ思考回路からして馬が合う筈もなく、顔を合わせれば口喧嘩はいつもの事だったし、酷い時には殴り合いの取っ組み合いになったりもして、その時ばかりは優等生で模範的と教官に気に入られていたあいつも並んで二人して廊下に正座させられていたものだ。
俺はあいつを口煩い奴だと思っていたし、あいつも俺を勝手な奴だと思っていただろう、実際にもそう言われたからそれだけは確かな事である。
滅多な事では混じり合う事はないだろう、そんな風に思っていたのは多分に俺だけではないだろう、それでも根本的な部分で心底嫌い合うと言うような事もなく、微妙な居心地の良さを感じ始めたのは士官学校を卒業するよりも少し前、入隊先が同じだと知れて、腐れ縁だな仕方がない我慢するかなどと軽口を叩き合っていたのもつい先日という位には入隊して間もない頃、なかなかに規模の大きな戦争に駆り出された。
革命軍が裏には潜んでいたのかもしれないと知ったのはずっと後の事だったが、事態の沈静化を図るにはもはや戦う以外の道が残されていなかった。
海軍に入隊してから知らされた事であるのだが、戦争時となれば能力者である海兵は階級の関係も無しに最前線へ送り出される。
それ以外の下級兵士は後方支援かもしくは能力者を守る盾の役割を兼ねて前線手前まで投入されるもので、かく言う俺も当時は能力者ではなかったし、血気盛んに過ぎて上から良い目では見られて居なかったので、暴走されては困ると後方に配置されていた、くそったれめ。
補給部隊を抱えたそこには包囲網の隙を掻い潜って奇襲が幾度か起き、その度に士官学校あがりの俺や同期の奴等は必死になって兵糧を守っていた。敵が居るのだから、その手は勿論血に染まる。
銃器を使えば、そして火器を過度に使い回せば、その度死体の焼け焦げる臭いに眉間を深く寄せ、硝煙が舞う戦場の片隅で、戦争というものがそれまで思い描いていたよりもずっと理不尽で、滑稽で、そしてずっと恐ろしいものだという事を思い知らされた。
夢や希望なんぞを胸に海兵となった同期の幾人かは、神経を病んで戦場を離脱していったし、俺にはそれを責める気もなければむしろその気持ちも解ると言ってやりたい位のもので。
けれど、けれどもだ。
作戦実行後、野営のテントへ帰ってくるあいつを出迎えられないのはどうにも情けない気がした。
俺が逃げ帰らなかったのは、きっとあいつが居たからだ。
戦争は秋口に始まり、そしていつの間にか冬になっていた。
その冬は爪先が震える程に寒く、あいつは度々寝具を肩に羽織らせて、下級兵士が休息を得るテントを訪れた。
夜も更けた頃となると、疲弊しきった男達は皆揃って深い眠りに就いている。起きているのはテントの周囲を見回っている担当の海兵位なもので、集団でなく専用の個人テントを貰い受けているあいつなら顔パスで入って来れるだろう。


「……スモーカー」


その夜も、あいつはやってきた。
俺や他の奴が使っているような草臥れた薄布ではなく、それなりに立派な毛布を引っ掛けて。
野戦の度に功績をあげているという話は後方支援に回っている俺までも聞こえてくる程で、今や俺よりもずっと上の人間に気に入られていた。
薄暗いテントの中でもあいつにはしっかりと俺の顔が視認できたのだろう、頬を撫でる感触がした瞬間、ちくりとそこが痛んだ。


「怪我、したのか」

「…まぁ、そんな所だ」


後方支援といっても、絶対に安全だとは言い切れない、流れ弾は飛んでくるし相手だって馬鹿ではないのだ。
いつまでも前線で兵士が戦えるのは後方に控える補給部隊が居るからで、そこを潰しにかかるのは何も卑怯な事ではなかった。
肯定してみると頬に触れる指先がほんの少しだけ震えたのが解る。
息を僅か、一瞬だけ詰める気配に、ドレーク、と相手の名を口にした。


「寒いから来たんだろ、早く入れ」

「…あぁ」


薄布をばさりと捲ると、それなりに体格のいい男がもぞもぞと入ってくる。
普通ならば異常な事かもしれないが、戦場ならばあらゆる事が黙認されていた、誰だって人肌が恋しくなるし、眠りながら泣いて謝る懺悔の声は夢うつつにも耳にこびり付いているし、人肌の熱を求めて同じ兵に縋る者は何もドレークだけではない。
身を横たえたドレークはすぐに自身が持って来た毛布を俺にもかけようとするが、同等かもしくはそれよりも体格のしっかりした俺が入ったら毛布としての機能を果たせなくなるのが解っていたから無言で巻き直してやった。
水分を含んだ空気の匂いに、もうすぐ雨が降るな、と小さく呟けば、雨は好きだなどと見当違いの事を言い出す。
野戦において、雨は非常に危険な物だ。
勿論打開策を生み出すきっかけにもなるかもしれないが、とはいえ火器の扱いには慎重にならなければならないし、兵の脚も鈍ってしまうから悪い事の方が多い。
条件は相手も同じだとしても、自軍を不利にする要素はないに越した事はない。
しかしドレークが言いたい事はそうではなく、咎めを含んだ俺の目に気づいてすぐに言葉尻を添えた。


「雨は、何もかもを流してくれる」


血が落ちない時には助かるんだ、と。
何でもない事のようにそう言って、苦笑して見せたその顔には見慣れない手当の痕があった。


「怪我したのか」


ドレークが口にした問いを同じように投げかけると、あぁ、と端的な声が返ってくる。
少し油断してしまったんだ。そう言って、ドレークは一度瞼を落とすと深く息を吐いた。
疲れているのだろう、疲労の色ばかりが濃いその顔は薄暗闇の所為で余計に不健康なものに見える。
左目よりもやや下に留められたガーゼをなんとはなしに撫でると、ドレークが小さく忍び笑った。
らしくない触り方だな、などと僅かに揶揄をこめた声には無言で返す。何と言った所でドレークは意に介さず勝手に納得してしまうのだから。
代わりに泥のように重い脚をドレークのそれに当てれば驚く程冷えていた。


「…冷てぇ」

「だからこうして暖まりに来てる」

「俺は暖房代わりか」

「さて、どうだろう」


言いながら、瞼を押し上げたドレークの目と真っ向からぶつかる。
晴れやかな青空を想わせていた筈の空色は暗闇に色を濃くして濁ったようにも見えた。その奥には隠しきれない遣る瀬無さや後悔の念が浮き上がっていたが、俺は何も言わない。
ドレークが慰めや励ましの言葉を欲しがっている訳ではないと、知っているから、何も。


「子供だった」


唐突に、ぽつりと、ドレークが呟いた。
何の話だと問うまでもなく、それは今日起きた事に関するものなのだろう、ドレークはこうして俺の元を訪れる度、その日の戦況を言って聞かせていた。
後方配置とされた俺にとってしてみれば、それはあんまりにも非現実な時があったが、凄絶である事は十二分に理解できる。
それにドレークは、俺に一切の反応を求めはしない、ただ言いたいから言うのだとばかりに淡々と話すだけだ。
だから今夜も、ドレークが聞かせるでもなく零す独り言に耳をすませた。


「殲滅したと思っていた区域に残党が残っていると言われて、行ってみたら居たのは子供だけだった」


先入観から、残党なる者は大人であると思っていたから、背後を奇襲された時当然のように能力を使用した。
けれども振り返れば、突如として人間から恐竜になった対象へ怯えを隠しきれない子供が居るではないか。
思わずこの手は止まった、助けられるのならば、捕虜としてでも連れ帰れればと、一瞬でもそんな風に思った。
しかし子供は、その身にはやや大き過ぎる銃の発射口を、震えながらであれどしっかり構えたのだ。


「子供ながらに、彼は戦士だった」


頬を掠めた銃弾が皮膚を切り裂いた感触は忘れない。
浅いながらも肌を傷つけたそれは僅かに鮮血を滴らせ、襲い来る化物を仕留めきれなかった事に絶望した子供は、弾装に残されたそれが僅かだったのだろう、銃口を今度は自分自身の胸元へ押し当てた。
小さなその胸が一度大きく揺れる。
空気を吸い込み、何かを決したように吐き出して、子供はトリガーをガチリと引いた。


「……当たり所が、中途半端だったんだな。苦しそうだった、泣いていた、だから。だから俺は、せめて彼がこれ以上苦しまないように、と」


小さな小さな、その身体が、赤に侵食されて行く光景は、目に焼き付いて、焼き付いて。
瞼を強く閉じてみた所で覆い隠せるものではなかった。
ゼヒュゼヒュと歪な呼吸音に紛れて漏れる嗚咽には、母への望郷が交わって。
あぁ、この子はもう助からないと、自分で理解してしまったのだと。
どうしてこんなに小さな子供が、どうしてこんな場所で、どうしてこんな風に。
考えても考えても栓のない事であると知りながら、亡骸は丁重に埋めたのだと。


「……スモーカー…」


溢れだす感情の奔流を、堪えるような、そんな声だった。
掠れたその声に、何だと返してやる事もせず、首に腕を回して頭を抱き込んでやる。
泣けばいい、そうは言ってやれなかった。言った所で、ドレークが泣きはしない事を、俺はよく知っていた。
流せればきっともう少しは楽になれるだろうに、けれど涙など流せる立場ではないと己を律するドレークは、シクシクと心が傷んでいる事に気づいているのにそれをどうにかしようとはしないのだ。


「スモーカー」

「…んだよ」

「………っは、は、お前、作戦中でも葉巻吸ってるんだろう」


匂いが消えていない、そんな風に言って表面上は笑みを取り繕ったドレークに、うるせぇよと返す。
補給部隊を抱えているだけあって、俺が居る場所はそれなりに物資が充足していた。
だからとは言わないが、多少は嗜好品に関しても目を瞑られている。
ドレークはどうだろうか、元より煙草の類には手を出して居なかった筈だが、戦場で吐き出されることなく積み重なって行くだけの膿をどうやって解消しているのだろう。
疑問には思えど、わざわざ聞くような事でもないと思い直して、俺は深く息を吐いた。後方支援といっても先述したように急襲を受ける場合もあり、今日に至ってはそれも激しかったものだから身体はすっかり疲れ切っていたのだ。
ドレークとて、明日もまた戦場へその身を投じるのだろう。となれば早く眠らせなければ。
幸か不幸か、俺にも睡魔が訪れ始めていた。
もう寝るぞ、明日もお互い早いんだ。
そう言ってぐしゃぐしゃに髪を掻き撫でれば、ドレークは文句を言うでもなく借りて来た猫のようなおとなしさで頷いた。
腕の中でドレークは僅かに身体を捩ると、居心地のいい場所を見つけたようで、ほうっと息を吐く。
まるで犬か猫か獣のようだ、まぁ恐竜なのだから一概に誤りとは言えないのだが。
人肌と程良い温もりは冷えかけた身体にじわじわと染み渡り、いよいよ眠気が堪え切れなくなってくる。
とうとう降り始めたのか、テントの向こう側からポツポツと地面を打つ音が聞こえてきた。
あぁ畜生明日は面倒な事になりそうだ、瞼を閉じてそう思っていると、ドレークがまた俺を呼ぶ。


「スモーカー」


最後に、もう一つだけ。
伸ばされた手が胸元のシャツを手繰り寄せる、そんなに強く握っては皺を刻むだろうに一番そういった事に煩かった筈の男は今や矛盾した行動に出ていた。
何だと問う事はしてやらず、目を閉じたまま次の言葉を待つと、あんまりにもドレークが間をおくものだから話すよりも先に意識が睡魔に蝕まれてしまう。


「お前は―――………」


俺が、何だ。
何て言ったんだ、ドレーク。


(あぁ畜生、聞きとれなかった)


多分俺は、この時、聞いてやるべきだったのだ。
あいつの言葉を、あいつの声を。
あいつの(唯一見せた、揺らぎを)




















Beautiful World
(後悔してみた所で、もはや全てが、)






























書きたい書きたい言ってた「BeautifulWorld」でスモドレ!
結構将官クラスになってから苦悩し出すドレークさんのイメージが強いんですが、もう早い段階から海軍に疑問を持っても良いんじゃないかなと。
一度だけスモーカーに、唯一スモーカーに、弱い所を見せて、そこからはもうずっと一人で頑張って頑張って、でも駄目になっちゃったのが少将になったあたりだったらおいしい(ぇ)
我慢強いというか、我慢強く在ろうとするドレークさんが好きです(黙ろうか)
一応この話は、歌でいうと一番が始まる前あたりのイメージなので、一番と二番をイメージした話が続くかもしれないし続かないかもしれない←




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