君が求める言の葉










海兵である以上、遠征は当然の事である。
たかが一カ月にも満たない期間、手を放す事に不満も不安もない。
相手は二千万ベリー程度の小者であり、相手の実力を知っているが故に徹底的にやって来いと言う以外の言葉も本来なら必要ないものである筈だ。


だというのに己の口は勝手に動く。


「…無茶はするな」


だというのに己の手は別れを惜しむ。


「……激励の握手にしては長いですよ、サカズキ大将」


窘めるように小声で苦笑する恋人兼部下を見送る。
甲板に上がって行く背中は真っ直ぐに伸びており、そこにはためく「正義」の文字は誇らしげだった。










あれから、一カ月が経とうかという頃。


「……あ」

「…何じゃそのしまったとでも言いたげな顔は」


恋人兼部下は今現在本島の病院で療養を強いられていた。
脱走でも図ろうとしていたのか服装はどう見てもスーツの類で、しかもその手にはシーツを結び合わせたのか簡易的な縄が握られている。
病室の前でこの恋人の部下が佇んでいたのはこの為なのだろう。
勤勉なのは彼の美点だと思っていたが、今回に限っては短所に分類しておく事にした。


「……ドレーク」

「……はい」

「…今すぐ着替えてベッドに戻れ」

「…………はい」


明らかに失敗したと肩を落としたドレークは、すごすごとネクタイを解き釦に指をかける。
その間己は丁寧に畳まれてベッドに放置されていた入院患者用の服を手にとった。
シャツを脱いだドレークの身体には包帯が巻き付けられていて、背中のあたりがやや滲んでいる。
全くこれでもし脱走が成功していたらと思うと気が滅入りそうだったが、そんな此方の気持ちにも気づいていないドレークが首を僅かに傾げたので誤魔化すように服を差し出した。
見咎められぬよう、帽子の鍔を引きながらベッド横の椅子に腰を下ろす。
ドレークも服を着替えた所で手持無沙汰になったのか、言われた通りベッドに戻るとそれきり何かを言う事もなかった。


「……」

「……」

「……」

「……」


時折向けられる物言いたげな目には敢えて気づかないフリを決め込む。
無言で果物の詰め合わせを差し出せば恐々とした体で受け取られた。
怒っているとでも思っているのか、だとすれば当たってはいるがそれは脱走に関しての事ではないから半分はハズレというべきだろう…まぁ、脱走に関して全く思う所がない訳でもないのだが。
暫く根比べのような沈黙が続いたが、耐えきれなくなったのはドレークの方だった。


「……あの、」

「ん」

「…仕事の方は……」

「一区切りつけてきた」

「…そう、ですか」


ドレークが気を使い漸く切り出してくれた話題も、自分があまりに素気無くした所為ですぐに終わってしまう。
自分でもこれはいかんと思ってはいるのだが、口をついて出そうな事といえばドレークを責めるものばかりで、つまり今、口を開く事は避けたかった。
本当なら労ってやるべき所だというのに、全く我ながら情けない。
はあ、と。無意識に零れた溜息を拾い、ドレークが一層身の置き所をなくして肩を縮めるのが解った。
違う、責めたい訳ではない、せめてそれだけでも解ってくれというのは我儘だろうか。
一先ず帽子を取り、枕元のローテーブルに置くと、ドレークが動きをなぞるように目で追った。
どことなく青白い頬を撫でる。
空色の瞳が真意を探るように見据えてくるものだから、堪らず己の肩口に顔を引き寄せた。


「うわっ、サカズキたい、」

「今は勤務外じゃ、ドレーク」

「うっ…すいません、サカズキさん」

「…本当にな。わしは無茶をするなと言った筈なんじゃがのう」


全く、お前という奴は心臓に悪い事をする。言いながら、こめかみに、頬に、触れるだけの口づけを落とす。
擽ったそうに身を捩ったドレークはその拍子に背中が引き攣ったのか小さく呻いた。
傷を覆う包帯を、更に覆う患者専用のブルーの布越しにそっと手を当てると、今度はその口元に苦笑が浮かぶ。
心配させてしまいましたか、などと言い出す口が憎たらしく、唇に噛みつくと今度こそ笑みは抑えられる事なく、子供のようだと言われれば些か自分らしくもない言動に思い至って脱力した。


「…本当に子供なら楽なもんじゃが、この歳になるとそうもいかん」


心底深い溜息を吐き、腕の中にドレークの肩を抱え直す。
視界に入ったうなじに唇を押し当てれば、トクトクと脈打つ確かな感触があった。
遠征先で混戦になった原因は海軍が事前に収拾した情報が誤ったものであったが為。
ドレークが傷を負ったのは、白刃に晒された部下を庇ったが為。
軍の情報部へ怒鳴り込めるものならそうしたい。
庇われた部下を処罰できるものならそうしたい。
本来なら交えてはいけない公と私。
本来の自分ならば決して交えはしなかっただろう感情。
子供ならばその全てを易々と行えただろうに、子供ではないから堪える事しかできない。


「…報せを聞いてわしがどんな思いで仕事を片したと思っちょる」


叶うならば全て投げ出してすぐにでも駆け付けたかった。
書類の山なんぞ蹴飛ばし、恐らくは投げかけられるであろう部下の制止の声も聞かずに。
しかし自ら望んで突き進んできた正義の道がそれを許さない。
大将という地位に居る以上、一海兵である以上、成さねばならない義務とそれを誇る矜持がある。


「…でも、片付けてから来てくれたんでしょう?」

「…当然じゃ」

「俺は、貴方のそういう所が好きですよ」


それをドレークも望んでいると、自分は知っているのだ。
どこか嬉しそうに、それでも静かに顔を綻ばせるドレークの、珍しくも垂れ落ちた前髪をそっと掻き上げる。
剥き出しになった額の隅にもガーゼを見つけてまたも複雑な気分になったが、医師が言うには帰島までの間海上で上手く身体を休めていたようだから一日二日程度の療養で元のように動けると言っていたのだし、何より目の前でドレークが生きていると実感できたのだからそれ以上は望む必要もない筈だ。
それでも、やはり複雑なものは複雑なのである。
己の預かり知らない所でドレークが傷を負い、己の預かり知らない所でそれを癒し、何事もなかったかのような顔でドレークが姿を見せていたかもしれない事を思えば、それも仕方がないのではないだろうか。
無意識の内にそういった不満が顔に出ていたのか、ドレークが困ったように笑った。
幼子の如き駄々を見透かされている気がして、何とも口惜しいような、照れくさいような。


「…動物系だからといえども自然系程は外傷に強くないんじゃ」

「はい」

「負わんでえぇ傷は負うな」

「はい」

「暫くの間はデスクワークしかやらせんぞ」

「はい」

「治ってもじゃ。わしがいいと言うまで遠征には行かせんからな」

「はい」


矢継ぎ早によくもここまで出てくるものだと自分でも感心しながら、それでも己の口は止まらず、また応えるドレークにも迷いは見えない。
微笑み頷く姿は仕方がない子を見守る母の如き寛容さを表しているものだから、いよいよ自分が情けなくなってきた。
クザンあたりには過保護だの何だのと言われそうではあるが、致し方がない。
何せこの口が、手が、止まってはくれないのだから。


「サカズキさん」

「ん」

「ご心配をおかけした事は、謝ります。すいませんでした」


ドレークとて別段サカズキの気持ちが解らない訳ではない。
逆の立場であれば直接抗議する事はなくとも同じように感情を持て余していただろうとすら考えられる。
それでも心配される立場になってみると、どうにも嬉しくなってしまうのだから現金なものだ。
大事に想われているのだと目に見えて伝えられているようで照れくさいのもまた同じ事で、それを誤魔化すように、ドレークは肩に置かれたサカズキの手の甲をそっと覆うと微笑を浮かべた。


「でも貴方さえ良ければ、先におかえりと言って欲しいのですが」

「……」


生死の境を彷徨うような傷でこそなかったけれど、それでもサカズキの腕に抱かれていれば帰ってきたのだと安堵する。
しかし彼がいつまでも拗ねていては、何だかどうにもやりづらいのも確かなのだ。
どうせなら、自身が生きて帰って来た事を喜ぶに留めて貰いたい。
ドレークもそれが我儘な願いだと解ってはいたが、サカズキはそれを叶えようとしてくれるのだろうとも知っているのだ。
知っているから、浮かべた笑みに苦い感情は見当たらない。
それがサカズキにしてみれば、憎たらしくも愛しくもあるのだが。


「…………お前は本当に、わしを困らせるのが上手い」


わだかまりも何もかもひっくるめてなかった事にしろと。
言外にそう告げられている事が解ってしまうと、言いながら溜息を吐くしかなかった。
ドレークが自分の立場ならば同じ心境になったのかもしれないが、生憎とこの場で己の感情を理解できるのは己だけなのだからどうにもならない。
笑みを浮かべるその頬に手を添え、空色の瞳を閉ざす為に瞼へ口づける。
反射的に落とされたそこへ、ドレークの望んだ言葉を落とせば、


「…ただいま帰りました、サカズキさん」


この一カ月待ち侘びた熱が、腕の中。

そう言って、笑った。



















君が求める言の葉
(…完治したら覚えておくんじゃぞ)
(え…あー、それは…その……)
(いいな、ドレーク)
(…………お、お手柔らかに、お願いします)




















何でか出てきたサカドレ怪我ネタ。
ドレークさんは部下の為なら身を投げ出しそうだなとか、サカズキさんは大事な人が危篤になろうが何だろうが海軍に属している自分に誇りを持っているから仕事を途中放棄できなさそうだなとかそんなサカズキさんをドレークさんは好きなんじゃねとか、そんな妄想がパーンってなった結果、です(汗)




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