In the dark










この世界の全てが暗闇に埋め尽くされたならば。

きっと人は、もっと人に対して優しく在れたのではないだろうか。




火を扱う事を覚え、恐れなくなった事で。

失ったものは、確かにあるのではないだろうかと。










いくら目を凝らした所でシミ一つ見当たらない真っ白な天井を眺めてもうどれ程の時が経ったのか。
ギブスで固定された腕は見た目にも大袈裟な位で、だというのに明日にでも動かす事は可能になるらしかった。
動物系の能力者は自然系と比べれば焼け石に水のようなものでも、常人のそれとは比べ物にならない回復力を有している。
遠いような近いような、いつも通りのようなどこか荒々しいような、そんな足音が聞こえたのは、もはや時の経過すら正しく認識できなくなる頃だった。
ブーツが床を叩く音に、その持ち主はすぐに知れて、あぁ嫌だな、と無意識に零す。
力なく落とした瞼は眠ったフリでも決め込むつもりか、無駄な抵抗とは勿論知っていながら、瞼の裏側に安寧の黒を見つけ束の間、息を吐いた。
バタンッ、と何の遠慮もなく力任せに開かれた扉の音に、結局は光を目にする事になるのだけれど。


「…スモーカー、仕事は」

「うるせぇ黙れ馬鹿が」


馬鹿か、確かに馬鹿だ。
苦笑する力もなく、けれど自嘲の感情は抑え難く。
咎められるまま口を閉ざし、僅かに弧を描いたであろう唇には多分に嘲りの色が濃く出た事だろう。
目線を、突如として乱入してきた男、スモーカーから天井に戻せば、相変わらずの純白が広がっていた。
けれどもどこか灰掛かって見えるのは、自身が現状として重傷患者であるからか。
こんな風に傷を負った事で寝た切りになるのは本当に入隊以降久方ぶりの事で、せめて一日だけでも療養をと呈した部下の顔には戸惑いがあった。
常の自分ならば絶対にしないであろう失態は、思っていたよりも身近な人間に疑心を抱かせるものであるらしい。
そうなると、目の前で不機嫌顔のまま佇むスモーカーに至っては当然ながら気づかない訳がないのだ。
解ってはいても、実際に目の当たりにすると口は重くなるばかりだった。


「何があった」

「……」

「……ドレーク」

「……黙れと、言ったのは…お前だろう」


声を出す度に右の肩口から先が痺れたように痙攣する。
引き攣った肌に感応してじくじくと痛みを訴えるそこは、きっともうそろそろ血が滲んでいるのではないだろうか、もう少しすれば包帯を替えに誰か現れるかもしれない。
動かなくなる訳じゃないそうだ、そう言えば、それまで難しい顔をしていたスモーカーの眉間が僅かに和らぐのが解った。
口にはしない、お互いに。


「…………残念、だ」

「…あぁ?」

「動かなくなれば、よかった」

「……何言ってるのか解ってんのかよ、馬鹿野郎」


未だ病室の出入り口に佇んでいたスモーカーが、そっと扉を閉める。
それは入って来た時に比べると笑ってしまいそうな位随分と控えめだった。
歩み寄って来たスモーカーの手が、黒革の手袋に包まれたそれが、そっと髪を掬い耳に掛けるようにして後ろへ流す。
大事なものだと。
触れる所から、その触れ方から、優しく扱われている事を充分に自覚しながらも、今だけはそれが厭わしいとすら思う。
あぁけれど、この手を失う事などそれこそ考えたくはないのだから傲慢に過ぎる。


「……この手が、動かなくなれば…退役せざるを得ない、だろう」


だから、動かなくなれば良かったのだ。いっその事、動かなくなってしまえば。
尚も頬に触れたままの手の甲を覆い、けれどスモーカーの表情を窺う事無く目を伏せてそう囁いた。
本心だった。
何を隠す事もない、何を意図する事もない、ただの、本心だった。
ドクドクと脈動するのは傷口が熱を持っているからだ。
生きているから、そんな風に感じるのだ。
死にたかった訳ではない、しかし少なくとも、死にたくないとも思ってはいなかったのだと。


「……軍を辞めてぇのか」


問いには、答を出す事が難しい。
正直に言ってしまえばこんな感情を持て余してばかりで、自分でもよく解っていない部分の方が多かったのだ。
存在意義―――そんなものを求めた所でどうなる。
大義名分―――そんなものを得た所で変わらない。
この傷を負う寸前まで、自身はただの加害者であった。
この傷を負った時から、自身は被害者の一人になった。
あぁこれで此処から離れられる。
そう、安堵すらしていた。


「…なぁ、スモーカー」


黒革のそれからは葉巻の匂いが濃く残っていた。
硝煙とはほんの少しだけ違ったその匂いに、知らず押しつけるようにして顔を寄せる。


「…酷い、所だったんだ」


戦場とは、得てして酷いものであるけれど、今回は特に、酷いものだった。
阿鼻叫喚の地獄釜。
刃向かう者は悪であり、従う者ですら悪として断罪を余儀なくされ、嗚咽すら吐き出す事は許されず。
振り下ろされる刃。
響き渡る銃声。
恨み言、悲鳴、憎悪の、念。
あの場に居続ければ恐らく正気を失っていた、いや、実はもう既に失っているのかもしれない。
肩の傷は確かに痛んでいたが、それでもその痛みはどこか現実味が足らず、爪を立てて抉ってみなければ解らない程度のものだ。
その程度なのだ、痛みなど、傷みなど、悼みなど。


「……世界が、暗闇に覆われていたら…人はもっと人に対して、優しく在れたんじゃないかと……そう、思う事が、ある」


全ての人間が暗闇の世界に存在していれば、互いを支え合えたかもしれない。
光を求めて手と手を握り合えたかもしれない。
解っている、それがただの戯言である事など。
現実には、世界は暗闇で覆われてなどいないし、人は人を支え合うどころか傷つけ合っているし、その手が握るのは他者を死に至らしめる狂気と凶器ばかり。
血を流さずに争いを終える術があるなどと、そんな青臭い事は思ってもいない。
けれど、あぁけれども。


「…何故俺は、軍人になったんだろう…解っていた筈なのに、今はもう、それすら、」


解らない。
解らないんだ。
人が人を殺す意味が。
正義と悪、真実と虚実の境い目が。
解らないんだ。解らないから、怖いんだ。
純粋だった筈の想いは現実を知る度に気圧されるまま醜く歪むばかりで原型を保つ事すらできない。
理想を掲げるだけならばあんなにも簡単であったのに、貫く事はこんなにも難しい。
頬に触れていたままの、この手に掴んだままの、スモーカーの手がほんの少しだけ動いたかと思えば、逆に此方の手が捕まえられてしまう。
瞠目は一瞬で、男の意図する所を察する事ができればあとは任せるだけだった。
隙間を埋めんとばかりに指が絡んで、ぐっと握り込んでくる。
革の感触、その一枚を隔てた所から熱を感じたのは錯覚に過ぎないのかもしれなかったが、それを引き金として喉奥から何かがこみ上げたのは確かだった。
力任せのようでいて、けれどその実そっと抱き寄せられたからか、右半身に痛みはない。
それが余計に、惨めで、けれども嬉しくて、だけれど堪え切れぬ罪悪の想いが、決壊してしまいそうだった。


「っ……、」


唇を、噛み締める。
握り合った手には馬鹿みたいに力が入っているだろうに、それに対する文句はなかった。
じわ、じわ、こみ上げてくる熱は喉奥で留まらず、鼻孔を掠め眦さえも侵そうとする。
スモーカーが、空いた手で首根っこを押さえ肩口に顔を押しつけさせるが、決して涙は流すまいと瞼をきつく閉ざした。
覆い隠された視界は自身の望みの通り暗く、昏く、それに安堵する自己の脆弱さに吐き気すらしてくる。


「……忘れんな」

「…っ……」

「てめぇが本気でそう思ってんなら、その「悔い」を、忘れんな。ドレーク」


でなきゃ本当に、何も解らねぇままだ。
くしゃり、後ろ髪を掻き撫でながら落とされるスモーカーの低音の声は、真っ暗闇に陥った世界に、溶けて消えて行った。

















In the dark
(世界は光で満ちている筈なのに、)

























タイトルはポルノから。
何かもう色々ぐちゃぐちゃになってるドレークさんを、頭くしゃってしてスモーカーさんに抱き締めて欲しい。
誰得、俺得です←
短い上にCP要素ないけれど、スモドレと言い張る、よっ!(黙ろうか)




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