アングレカムに、キス










赤。

青。

黄色。

緑にオレンジ。

ピンクに…黒?


「…黒なんてどうやって書くんだ?」

「……修正用のインクとか、か?」


そんな馬鹿な。













机上に広がる色とりどりの紙は、短冊といって長方形の形をしている。
未だ何も書かれていないそれらの紙の中に、黒い紙を見つけたドレークが首を傾げれば、同じように机上に向かっていたスモーカーが暫し黙した後にぽつりと呟いた。
此処マリンフォードでは四つの海から選りすぐりの海兵達が集められていて、その文化は様々だ。
その中で、東の海では特定の日に願い事を書いて笹に吊るすというものがある。
そしてそれを、今年は海軍本部も行う事になったという訳だ。
何故笹に吊るすのか、とか。
何故笹でなくてはならないんだ、とか
紙に書いた願い事は誰が叶えてくれるんだ、とか。
まぁ正直疑問は幾つも湧いてくるのだが、発案者が英雄と名高いモンキー・D・ガープ中将であらせられる為に黙殺するに留めた。
というのもあの方の意図を知ろうなどというのは全く以て無駄でしかなく、考えた所で雲の如き自由人の思考を把握する事は不可能だと長い軍属生活で解りきっているからである。
黒い紙を指で摘みあげる。
表は黒、裏も黒だ。
色紙を切り分けた庶務課の人間が間違えたのか、それとも海軍本部の人数分の短冊を作るという地味ながらも果てしなく終わりの見えない作業の中で鬱憤が堪った結果として悪戯に混ぜたのかは知る由もないが、とにかく黒の短冊に何をどう書けと言うのか。
ううんと困惑するドレークに、しかしスモーカーは酷く淡白な声を出した。


「分けとけばいいじゃねぇか」

「隊の人数分しか配布されていないんだ…まぁ、いいさ。俺がこれを使おう」

「どうやって書くんだよ」

「……修正用のインク、かな」


別段こういった事に興味はないし、構わないさ。
そう言ってやれば意外だな、なんて言葉が煙と共に吐き出された。
何がどう意外なのか、言外に目で続きを促せば悪い笑みが返ってくる。
あぁ本当に悪い顔だ、悪人面も程々にして貰いたいものである。
プカー、と空を舞っては消えて行く煙の向こう、悪い顔で笑む男はもう一度深く葉巻を吸いこんだ。
勿体ぶるような話でもない事は解りきっているのに、その無駄な間に苛立つどころか落ち着くあたりは付き合いの長さが芽を出しているのか。


「てめぇはこういうの好きそうだからな」

「そうか?まぁ、嫌いではないが」


煙が舞い上がるとほぼ同時に、スモーカーはそう言った。
普段から甘いものが好きで綺麗事も平気な顔をして述べるドレークを揶揄する意図があってのものだろうとは知っていたが、ドレークは然して憤りを見せる事はない。
ドレーク自身周囲から自分がどう見られているかという考えは当然にあって、その意識を修正しようという気がそもそもないのだからそれで揶揄された所で憤るのはむしろ幼稚に過ぎる気がしていた。
幼少の頃に聞いていればともかくとして、紙に願い事を書いた所でそれが叶うとは到底思えない。
自身の願いは、その分野にこそ依るが、大抵は弛まぬ努力を要するものである。


「俺は、信奉心があまりないんだ」


広げた短冊を掻き集め、端を合わせるように机上でトントンと突き合わせながらそう零した。
ある意味それもてめぇらしい、そう言ったスモーカーの顔にはもう笑みはない。
いつもの、至極不機嫌そうな表情に戻ったのは勿体ないなとは思うが、黙っているだけで怒っているのかと聞かれるスモーカーの悪人面はそれなりに気に入ってもいた。
睨みつけるような鋭い眼差しは元より、葉巻をきつく噛んでいる意外と綺麗な歯並びだとか、不精なのか意図してなのか実年齢よりも幾らか老けた顔を演出する髭だとか。
存外、気に入っているのだ。
先程は程々にして欲しいと思っていた矛盾も省みずそんな事を考えて、ドレークはふっと笑みを口端に乗せる。
そこで調度執務室の扉を軽くノックする音が二度響いて、次いで部下の声が届いた所で入室を促せば長く副官を務めてくれている黒髪の部下が執務室へ入って来た。
若干ウェーブのかかった黒髪は後ろに流されていて、整えられた髭はスモーカーと違い清潔感がある。


「大体お前こそ、願い事を書くような可愛げはないんじゃないか?」


纏めた色紙の束を封筒に入れ、これを皆に、と指示すれば心得たように頷いてそれを受け取る。
部下の目が一度スモーカーを見て、会釈をして出て行けば、スモーカーの顔は益々苦いものになっていた。
原因は解っていても追及はしない。
自身の副官とスモーカーの仲があまり良くないらしい事は知っていたドレークなので、追及するだけ藪蛇な気がしてならなかった。
いいや仲が悪いというよりは、スモーカーが一方的に副官に対して苦手意識を持っているという方が的確な表現かもしれない。
スモーカーとの付き合いは友人としても長いが、恋人という関係になったのもそれなりに昔の事で、そういった事になるまでは散々周囲の人間、特に副官に迷惑をかけたものである。
スモーカーの一挙一動に、それこそ一喜一憂しては平常心を保てなかったあの頃は酷いものだったから、今でも副官には頭が上がらない時があった。
なのでこれも黙殺。
スモーカーの目が物言いたげであろうと、ドレークは素知らぬフリをして話を続けるだけだ。


「……まぁ、ない事もない」

「ほう。それは是非とも教えて貰いたいな」


諦めたような溜息に煙が混ざる。
話を続ける事を許容され、にこりと微笑めば、教えるかよと一蹴されてしまった。
何だ何だ、人には言えないような願い事なのか、それは余計に聞きたくなってしまうじゃないか。
手元に一枚残った黒い短冊を指先で弄りながらもそう問えば、しつけぇ、とこれもまた一蹴。
意地っ張りな奴だ。いやそんな事は昔からよくよく解りきった事なのだけれども。


「そういえば、これをする日は七夕というらしい」

「ちょっと待て何がそういえばなんだ」

「それから七夕の日には、空で男女の逢瀬があるらしいぞ」

「普通に無視すんじゃねぇよ」


まぁいいから聞けと適当に宥めすかす。
結婚した男女が仕事をしないで愛し合っていた事に腹を立てた関係者が二人を引き離し年に一度だけ逢瀬を許したとか、確かそんな話だった筈だ。
年に一度だなんてそれで夫婦と呼べるのかは解らないが、とにかくその関係者に何度でも赦しを乞えば良かったものを、きっとその二人は意地っ張りだったのだろう。
もし幾ら願っても会わせて貰えなかったというなら自ら動き出せばいい、川が二人を隔てるというが、それも渡ってしまえば良いじゃないか、それをしなかったのならやはり意地っ張りだったのだ。
スモーカーに対し意地っ張りだと思ったから出てきた話題なのだが、かといって「そういえば」の部分を説明するのも億劫だった。
なのでこれも敢えて黙殺、いいや黙ってはいないのだから話殺とでもいえば良いのか。


「年に一度なんて、船乗りじゃあるまいし妻の方には辛いだろうな」

「何だ、お伽噺に同情してんのかよ」

「といいたい所だが、仕事を怠ったのはいけない事だ」

「だろうな。生真面目仕事人間」


ワーカーホリックとはスモーカーや同期のヒナにもよく言われる事ではあるが、別に仕事以外の楽しみがない訳ではないのでその言葉は心外だった。
ただ単純に、権利を主張するには義務を果たすべきだという思考が介在しているだけである。
仕事をしないで権利だけを主張するのは贅沢だし、それはただの我儘でしかない。
むしろ自分がそんな人間になったら、困るのはスモーカーだとドレークは思う。
その拍子に笑みが浮かんでしまったようで、スモーカーがやや訝しむように眉間に皺を刻んだ。
言ってみようか、たまには困らせてやるのも良いだろう。
そんな悪い気持ちになったのは、悪人面を見ていた所為だろうか。


「お前だって、俺がずっとベッドで過ごしたいと言い出したら困るだろう」

「っ……てめぇなぁ」

「困らないか?それだとストッパーが居なくなって大変だな?」


ニヤリ、自分なりに精いっぱいの悪い顔とやらで笑って見せる。
噛んでいた葉巻が変な方向に僅か斜めっているあたり、強く噛み過ぎてしまったらしい。
普段はストイックと評されるドレークがこんな事を言い出すのも珍しいが、スモーカーが動揺を顕わにするのも珍しいもので、思った以上の収穫にドレークは笑みを深くした。
大体からして一年も間を空けていたら相手がどうしているかなど解ったものではない。
再会した時に違う相手と不倫だなんてしていられたら目も当てられないではないか。
空で出会う二人の男女の性格など知らないが、潔癖ならばそれこそ間違った処置をしたものである。
相手だけを想うだなんて、そんな一途な性格であれば出会ったその日は会話など殆どなしに寝室から出て来なくなりそうだ。
仕事を怠るにしても、毎日よりは年に一回の方がマシ、そういう事だろうか。
それにしたって、やはり年に一度はないだろう。
例えばと、ドレークは思う。
恋人関係にあるスモーカーとは、直属の上司も違うし部隊も違う、その為、一度遠征で島を離れれば数カ月顔を合わせないなんて事もザラだったが、流石に年単位でそれを経験した事はなかった。
例えば、スモーカーと顔を合わせるのが一年に一度だけだと制限されていたら?


(……想像がつかないな)


恐竜にこの身を変える事すら可能とする想像力を以てしても、ドレークにはそんな事は考えられなかった。
別段ベッタリとした付き合いをしている訳でもないが、かといって淡白な訳でもない。
ただ気づけば、互いに隣に居る事が必然のように感じられていただけだ。
だからこそ、なくなる事は容易に想像し難いものがあった。
指先で弄っていた黒い短冊を横合いから伸びてきた手が奪って行く。
それを目で追いかければ、その手の持ち主たるスモーカーの眦がじっと此方を見下ろしていた。
仕掛けたのはドレークの方だが、その目に熱を見つけると途端に居た堪れなくなってしまう。
単なる言葉遊びのつもりだったのに、これはとんでもない誤算だった。


「子供ができたらどうするんだろうな、誕生日を祝ってやる事もできないじゃないか」

「…たかがお伽噺だろうが。そんな真剣に考えんじゃねぇよ」

「でも気にならないか?妻はどうやって生計を立てているんだろうとか、子供ができたらやはり生活資金のある夫の方へ行く事になるのかとか」


こんな事を言っているが、実際の空に居るであろう妻にも職があるらしいとは知っている。
それでも馬鹿みたいに捲し立てるのは、意図せずして作り上げてしまったこの甘い空気を打開せんが為だ。
自然を装って目を外すと、机上に黒が舞い戻る。それを今更手繰り寄せる気にもならず、ドレークはけれども目線をその短冊に固定した。
スモーカーが動く気配が伝わって、何故だかギクリとする。
するり、黒革の手袋の感触が顎に触れて、強くはない力で顔の向きを変えられてしまった。


「……なん、」

「いいから黙れ」


何だ、そう問おうとしてすぐに遮られてしまう。
黙っていろと言われて素直に黙るような人間でもないのは解っているクセに、いや解っているからだろうか、スモーカーの顔がぐっと近づいて顔に陰を落とした。


「――――――スモ、」


コンコンッ、と。
口が触れそうな距離で名を呼び宥めようとしたその瞬間を待っていたかのようなタイミングで外からノックの音。
二人してビクゥッ!と肩どころか身体中を震わせて勢いよく離れる。
熱を孕んだのは頬だけではなく、けれども落ち着く前に外で待っている人間は不審に思ったのだろう、窺うように声がかけられた。副官の声だ。
体裁だけはせめて整えなければと咳払いを一つしてから、入っていいと声を返す。


「失礼致します。庶務課の方から手違いの通達が……如何されましたか?」

「え、あ、いや、何もないっ」


訝しむ眼差しには不自然な位の否定。
あぁこれではバレバレだ、と自身の嘘の下手さにドレークは冷汗をかいた。
が、そこは長く仕えてくれている副官である訳で、それ以上の追及をなどという無粋な事はせず、しかし一瞬スモーカーをじっと見てから一言低く、そうですか、と一応は納得の姿勢を見せてくれる。
スモーカーの眉間の皺が増えたのは言わずもがな、しかしこれ以上問題ごとは増やさないで欲しいとドレークは話を本筋に戻さんが為に手元にあった黒い短冊を翻してみせた。


「手違いとは、もしかしてこれの事だろうか」

「えぇ、冗談で切り分けたものが混ざってしまったそうです。代わりに此方をどうぞ」


黒の短冊は副官の手に、代わりにと渡されたのは水色の短冊である。
ありがとうと感謝を伝えれば、それではと副官が踵を返した。
ほっと安堵の息を吐いたその直後、先程と同じように顎先を捕まえる革の感触にぎくりとする間もなく引力は働き、


「―――、っ」


触れ合わせた音すら立たないような、浅い口づけが落とされる。
素早く離れて行った熱をそれと認識する前に、失礼致しましたと副官が振り返ったものだから、責める事もできやしない。
部下へ向けた笑みは引き攣ってはいなかっただろうか、ただそれだけが心配だ。
扉が閉まり、奥へ部下の姿が消えた瞬間、怒鳴りつけてやろうとしたがそれすら見越していたスモーカーの方がドレークよりも上手だった。


「俺は、一秒だろうが待てねぇからな」

「……捻くれ者」


遠征では月単位で離れ離れにもなるし、始終一緒に居る訳ではない。
だというのに、一秒でも待てないだなんて、詭弁もいい所だ。
けれど、そうだ、けれども。
共に居られる間は、待つ事なんてできやしないと。
スモーカーの言いたい事がよく解って、同じように思ってしまう自分も大概捻くれたものだと、ドレークは笑った。













アングレカムに、キス
(…だが、人前では止めてくれ。心臓に悪い)
(見られてねぇだろ。それにとっくに気づいてたと思うぜ)
(そういう問題じゃないっ!)





















煙×恐竜/海軍時代で七夕、という事で。えぇ、はい……これ、七夕、で良いのか、な?(汗)
黒い短冊は実話です。書けるもんなら書いてみろとばかりに混ざってたので修正ペンを使った記憶が←
副官は恐竜を上司として大事にしてくれてるだけです、なので色々もめてる時は大抵恐竜の味方という不公平っぷり(笑)
煙もそのへん解ってるから、若干この副官が苦手だと思ってたらいいなぁという…って、すいません部下出張り過ぎですよね(汗)
企画ご参加ありがとうございました!

アングレカムの花言葉…祈り/いつまでもあなたと一緒




あきゅろす。
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