雄弁な熱










ドアを開けてから次の瞬間、掻き抱かれるのが好きだ。


長い腕が、縋るでもなくただ抱き込んでくるあの感覚は、何度味わっても安堵してしまう。






それでも、素直になるのは難しいのだけれど。











「……あのですね、クザンさん」


はぁ、とあてつけがましく吐いた溜息に何も感じないのか、部屋に入った途端抱きついてきた自分よりも大きな男を呼ぶ。
何かなドレーク君、だなんて字面だけ見れば生真面目にも思える返答は、けれども緩みきった表情と声質の所為で台無しだった。
ポタポタと頬を叩く雫をこれもまたあてつけがましくゆっくりと拭って、溜息。
外が大雨なのは、窓の外から聞こえてくる音だけで充分解る。
部屋の中に敷き詰めたマットの色が濃くなって行くのが目に見えて、吐き出した溜息は本当に心底迷惑だと訴えている。
だというのに自分よりも高い所にある顔は満足そうに笑っているのだから嫌になる。
これでは怒ろうにも怒れないではないか。いいやそもそも、怒れるような立場ですらないのだけれど。
けれどもせめて、せめてこれ位は言わせて貰おうか。


「…ただいま位言って下さい」


誰だか解らないじゃないですか、と。
開けた途端抱き締められて驚かない訳がないだろうと言ってやる。
正直に言ってしまえば、明日あたり帰島すると知っていたのでもしかしたらクザンだろうかとあたりはつけていたし、こんな事をするのは知り合いにも居ないのだから解りきっていたのだけれど。
言い含めれば、クザンは困ったように、けれども何処か幸せそうに頬を緩めさせた。
細めた眼にはしっかりと自分が映っていて、それでもそこに映る自分が嬉しそうな顔をしていない事だけが救いである。
帰って来てくれて嬉しい、なんて言える訳がないし、多分言ってはいけない。
言えばきっとこの人は喜ぶのだろうけれど、それでもきっと調子にも乗るだろうから。
増長させてはいけない部分という物は多分にあって、それの手綱をとるのは相手ではなく此方の役目であるように思えた。


「ドレーク君二カ月ぶりなのに冷たいんじゃないの」


それにおかえり位言ってよ、だなんて仕返しのように囁きながら耳介にキス。
厚ぼったい唇が耳から首筋に流れ、それに併せて触れた所が濡れて行くのが不愉快…ならばよかったのに。
努めて眉をハの字にして、全くもう、なんて悪ガキを見つめるような困った顔をしてみせる。
濡れるから離れてくれ、そう言ってしまえば良いのに言えない自分も大概なのだ。
それでもせめて、ポーズだけは見せておかなければならない。
至極呆れた眼差しを向けながら溜息を吐いて、諦めたように言葉を紡いだ。


「……はいはい、おかえりなさい。クザンさん」

「ん。ただいまー、ドレーク君」

「予定より早かったですね。後処理はちゃんとしましたか」

「あららら、色気のねぇ事聞くんじゃないよ」


帰島は深夜近くになると言っていたのに、今は夕方も過ぎた頃。
雨雲の所為で暗くはなっているけれど、晴れていればまだ夕日が顔を出していただろう。
訊きながら、目線よりも僅か高い位置にあるネクタイを解いてやれば、クザンの大きな手のひらが良い子良い子とでも言うように頭を撫でた。
その手のひらも勿論濡れていて、濡れるから触らないで下さいと素っ気なく言ってやれば行き場を求めて彷徨う様が面白い。


「お風呂、入っていらして下さい。温めてありますから。それとも夕食にされますか」

「あー、そうだなぁ……じゃあ、ドレーク君で」

「は?…っ、ちょ、クザンさん」


ガシッと掴まれたかと思った次の瞬間には腕の中に抱えられていて、何かこういうのって夫婦っぽいよねぇ、なんてアホらしい声が上から降って来た。
お風呂にしますかご飯にしますか、それとも私?ってやつ、なんて嬉しそうに言うもんだから反応が一瞬遅れてしまう。
だから濡れるんだって言ってるじゃないか、という文句はあやすように落とされたキスの所為で出て行ってくれず、仕方なく上唇を食んだ所で顎先から滴る水滴を舐め取る。
積極的で嬉しいよ、なんて言葉は聞かなかった事にした、何故なら黙っているだけでも許容以上のものとして受け取る人だから、何を言っても無駄なのだ。
この人はいつもこんな感じで、こっちの都合なんてお構いなしである。
いきなり押し掛けてきて好き勝手して(別にそれでも良いけれど)
今夜のこっちのスケジュールなんて気にも留めてない上に(誘いはあったけれど断っておいた)
きっとこれから寝かせて貰えるまでは長いだろうし(そんなのは望む所だけれど)
だからつまりあぁ考えるのも面倒くさい(つまり、自分自身が一番クザンを受け入れている現実が許し難い)


(こっちの気も知らないで、勝手な人なんだから)


恨み事を考えている間も脚を進めていたクザンのおかげでベッドに着くのはすぐだった。
ギシリと軋むベッドの感触は柔らかく、シーツも先程変えたばかりなあたり自分だって期待していたのだ。
それでもそんな事は言ってやらない、今までもこれからも、多分言ってやる事はない。
待っていた、帰って来てくれてありがとう、無事でよかった。
呑み込んだ言葉なんて数え出したらキリがない程存在しているのだから、今更それ等を零してやる事なんてできる訳がなかった。
水分を含んだ衣類を脱ごうとするクザンの肩からシャツをずり下ろして、鎖骨に噛みつくとひやりとする。
唇から凍傷になったなんて事があったら確実にクザンの能力の所為だ。
噛みついて薄ら残った歯形を舌先でなぞっていると、クザンの手が此方のシャツをたくし上げようとしていて、解りきっていた事だったけれどあぁやっぱりな畜生、なんて汚い言葉を思い浮かべた。


(大体、どうせ一人で先に帰って来たとかそんな所なんだろうに、言わないあたりが…)


ザアザアザアザア、外は未だ雨音が煩く響き渡っている。
この雨じゃ海だって荒れていて、本当なら帰島するのも難しいだろう、いいや、帰島などできやしない。
そんな中、多分この人は、日付が変わる頃になるかもと言った手前早く帰ろうと一人で自転車でも漕ぎ出したのだ。
きちんと艦で帰島していたのなら下士官が傘の一本でも差し出しただろうに、濡れているのだから解りきっている。
能力者は皆海に嫌われているというのに、いくら水を凍りつかせられるからってそんな無茶をして、何かあったらどうするつもりなのだろうかこの人は。
それ位自分に早く会いたかった、なんて言われたってそんなの嬉しくなんてないのに。
ただ無事に帰って来てくれればいい。
帰島が遅くなったっていいのだ。期間が延びたって、ちゃんと帰ってきてくれるのならそれで構わない。
そんな風に思ってるなんて知らないんだろう、そんな風に思ってるとすら思わないんだろう。


(こっちの気も、知らないで、嫌になる)


心配なんだ、そう伝えられればいいのに、そんな事言うのもおこがましい。
何と言っても相手は大将、自分はしがない佐官だ。
実力の差は歴然としていて、心配なんて本来ならできる立場ですらない。
この人がその能力の御蔭で滅多に傷つかない身体である事は知っているし、実力の程だって知っている。
だから、本当なら、こんな風に自分がモヤモヤしたものを抱える必要なんてないのだ。
けれど。
肌に触れた手のひらの冷たさだとか。
頬を掠めた唇が濡れているだとか。
それを、温めてあげたい、そう思う位は。



















雄弁な熱
(思う位は、許して欲しい)




















立場とか気になって素直になるのに抵抗を感じてる恐竜さん。
青雉は解ってないけど有り余る包容力があるから大丈夫な気がする。
若干短くて申し訳ないです、これ以上は裏になってしまうのでストップ←




あきゅろす。
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