君の全てを知っている










他の誰よりも、お前ならと。


惜しみなく注がれる信頼。
惜しみなく与えられる好意。


伸ばした掌は必ずしも届く訳ではないけれど。

それでも、何度だって伸ばすから。












海軍に入隊してからはもはや日常と化した海賊との交戦中、スモーカーは常よりずっと厳しい表情で甲板に佇んでいた。
耳障りな怒声に時折混じる下卑た笑い声はその殆どが海賊のもので、己を鼓舞せんが為に声を張る海兵達は、ややもすると押され気味の有様である。
指揮系統の連携が上手くいっていないのは目に見えて明らかで、スモーカーは腹の底から深く息を吐いた。
溜息に混じって煙が燻り宙を舞う。
まるでスモーカーが佇むその場所だけが安寧に満ちたかの如く緩やかで、刃の小競り合いに押し負け倒れ込んできた海兵は瞠目した。


「スモーカー中佐…?」

「あぁ?」


一人ゆっくりと喫煙に勤しんでいるスモーカーを訝しむ声に何の気兼ねもなく、むしろ不満げに佇むスモーカーは傍から見れば海賊に間違えられてもおかしくはない。
っひ、と息を詰めて硬直してしまった海兵にはもう一瞥もくれず、スモーカーはさてとばかりに背中の十手へ手を伸ばした。
ずしりと重みのあるそれを片腕で構え、喧騒の中心へ進む足取りに躊躇いは欠片も見えない。けれども決して勇み足だという訳でもなく、海賊と海兵の間に割って入ったスモーカーは悠々としていた。
常人より高い身長の部類に入るその体躯よりも更に大きな十手が弧を描けば、蛙が潰れた音にも似た声をあげ跳ね飛ばされていく海賊達。
はっとして反撃を試み剣を振り翳すも、スモーカーの身体に物理攻撃は何の意味もない。
煙にわし掴まれた剣を引き抜こうと、必死に力を込める海賊の顔色が赤から青へ変わる瞬間、スモーカーの拳がめり込んだ。
それまで必死に応戦していた海賊が、たった一人の介入によってあっという間に駆逐され、呆気に取られて瞠目していた海兵達は、乱れた呼吸に何度も肩を上下させている。


「…てめぇら、何だそのザマは」


吐き捨てる、正にそんな形容が相応しい声に、幾人かの海兵は肩を竦めた―――というのも、実はその幾人かはスモーカーの直属の部下であり、そうして他の者よりはずっと過敏にスモーカーの怒りを感じ取ってしまったのである。
それ以外の海兵は、皆一様に戸惑いを顕わにした。
戦闘中突如横から割って入った上官の叱咤に、けれど思い当たる節がないのだ。
彼らは皆必死だった、それはスモーカーとて解っている。


「能力者が居る海賊と判断された以上、白兵戦になった場合は基本的に一対一を避けろ。海に出る前にそう言われたのを忘れたとは言わせねぇぞ。あぁ?」


しかしそれとこれとは別の話だ。
スモーカー自身を含め、彼らは乗船の際今回の総指揮官たる准将の言葉を耳にしている。
常は穏やかな双眸を鋭く細め、淡々と言い含めた己の同期を思い起こした所で、一人の海兵が異論を唱えようとして口ごもった。
ですが、少将が、と。
それだけで海兵の言いたい事は解る。
今回の総指揮官は確かに同期である筈なのだが、目下出世街道に乗り上げたその男をよくは思わない人間も居るようで、監査と称して乗船してきた男は少将であった。
しかも監査なら見ているだけにすれば良いものを、何故か自隊の部下を連れた末、准将の男を飛び越して此方へ指示を下す始末。
二隻の艦で海賊の討伐、もしくは捕縛にやってきて、一隻分の指揮権は確かに自分が与えられた筈なのだが、地位が中佐である男よりもずっと自分の方が優秀だとでも思っているのだろう、聞く耳を持たない愚行が、本来なら白兵戦に持ち込むまでもないこの戦闘を巻き起こした。
海賊船は二隻の海軍艦に挟み打ちとなった状態で隣接している。
挟んだ時点で撃ち沈めても良かった所を、少将が討伐よりも捕縛を優先するよう言い出したのは本当に間際だった。


「…上の言う事を聞いて命を落とすのと、現状てめぇの命を落とさねぇのはどっちがマシだ?」


心配しなくとも件の少将は今や艦の奥でのんびりとしている頃だろう、家柄でどうにかここまでのし上がって来ただけの男だ、白兵戦に持ち込んだ時点であとは任せたと無責任に現場を離れて行く姿に海兵の誇りは見受けられなかった。
問えば、海兵は押し黙る。
上官の命令は軍人としての基本事項ではある、しかしそれだけに捉われていては自分の身が危うくなる事だってあるのだ。
それを考える頭がない訳ではない、ただ上官に恵まれていないだけで。
チッ、と舌打ちをひとつした所で、隣接した海賊船のそのまた向こうから獣の嘶く声が聞こえてきた。
それは聞き覚えのないもので、海賊側の能力者である事は考えるまでもない。


「…おい、こいつら片っ端から縛り上げて現状維持しとけ」

「え、あ、中佐!」


単独行動は、などという声が聞こえたが完全に無視をして、身体の形状を煙に変える。
螺旋状の捻じれから発生する反動を利用し空中に飛び上がると、成程見た事のない動物系の能力者の姿が見えた、どうやら「虎」のようだ。
二隻の海軍艦に挟まれた海賊船の甲板に人影はもはや見えない、殆どが二手に分かれて自軍の艦へ乗り込んで来たと見て良いだろう。
チッ、と舌打ちを零したのはもはや直らない癖だった。
能力者と対峙する海兵達の制服の中に、見慣れたスーツ姿を見つけ、人知れずほっとしたのも束の間、能力者は獣型の状態でその鋭い牙を剥く。
低い呻り声は威嚇だと解っていても、能力が未知数の相手へ立ち向かう向こう見ずな者はそこには居ない。
スーツの男が指示を出す声が、飛び上がった空から甲板へ落下する最中でも耳に良く響いた。


「後退はしても背中は見せるな!海楼石製の武器を持つ者は前へ!」


彼の直属である部下は命令を受ける前から既に武器を構えている。
これはやはり日頃の人徳が物を言うのだろうか、あちらに残してきた海兵に見せてやりたい位だとスモーカーは状況には些か不似合いな事を呑気にも考えていた。
大した衝撃もなく、また着地の邪魔をされる事もなしに甲板へ降り立ったスモーカーは、その場ですぐさま煙を拡げ捕縛にかかる。この能力はいまいち攻撃能力に欠けるが、こういった時は他の能力よりもずっと海賊の捕縛がスムーズにいく。
突如現れた白い塊に恐慌状態に陥った海賊達を難なく確保したものの、肝心の能力者が素早い脚力で逃れるのが視界に入れば真逆の位置で構えていた男を呼ぶのは当然だった。


「ドレークっ!」

「あぁ!」


解ってる、そう言いたげに思えるのは、間髪入れずに返されたものが了承の意を明らかに含んでいたからか。
にやりと笑みを刻んだのは自分だけではあるまい、ドレークの手に握られたメイスは確実に能力者の急所を狙った。
が、寸での所でひらりと避けられる。
グルルル、と。
次に呻ったのは海賊ではなく、ドレークの方だ。
虎の眼がぎゅるりと見開かれるのが此処からでも見える。
ドレークの橙の髪が、空色の瞳が、見る影もなくなり濃緑の鱗が身体中を覆い隠す様はいっそ壮観だった。
獣型になれば重みで艦が沈んでしまう事を知っているドレークは形態を人獣型に抑えると、虎の胴体をその四肢で押さえ込む。
ギャン、驚いた猫の悲鳴に似た声があがり、すかさず煙での捕縛を行えば、漸く虎を完全に押さえる事に成功した。
わっと歓声があがる。
文字通り命がけの任を終えて、海兵達は脱力する者や握り拳を作る者など様々で、けれど一様に歓喜の色を浮かべていた。
とはいえいつまでも自分が拘束しておく訳にもいくまい、スモーカーはやや気疲れした声を近くに居た海兵へかけ、拘束用の縄と錠、それから海楼石製の手錠を持ってくる事を命じた。その間に人の姿へ戻ったドレークはほっと息を吐く。
恐らくは、ドレークが最も消耗している筈だ。だというのにスモーカーへ目を向けると、安堵も顕わに微笑んだものだから、つい意地を張ってふん、と鼻息をつくだけに留めた。
けれどその瞬間、それまで諦めていたと思われた虎が、最後の抵抗とばかりに突如もがく。
慌てて煙の締め付けを強くしたが、最後の反抗はほんの僅かな功を奏し、その長い尾がぶん、と勢いよく振り翳された。
それが運悪く、というべきか。未だ攻撃範囲内に居たドレークの横っ腹を打ち払う。虎といえどそれは普通のサイズではなく、人間より明らかに大きなその身体から与えられる衝撃に、ドレークの脚が甲板から浮き上がった。
スローモーションに見える、などという事はない。それはただ一瞬の出来事だったのだ。


「っドレーク!!」


煙と化した手を伸ばす、ドレークも、反射的にその手を伸ばすのが見えた。
けれど。
バシャンッ、と海面に何か大きな物が落ちる音がしたその刹那、身体中の血という血が行き場を見失う。
本能的に動き出しそうな身体は、皮肉にも手中の虎が未だもがいている事で理性が押し留めた。今この場で能力者を解放してはならない、自分とて能力者だ、海の恩恵は受けられない身。
それでも、掴めなかったその掌に動揺している間に、ドレークの部下が海へ飛び込むのが見えた。
安堵に満ちた甲板が一気に騒がしくなる中、とにかく海賊をどうにかしなければと命じた部下の持ってきた錠で海賊達を捕縛する。全員の錠をし終えた所で、引きあげろ、という声、ザバザバと海の波に紛れて聞こえる人の動く気配、それだけでドレークの無事を知り、畜生と零した。
あぁ畜生、心臓に悪い事すんじゃねぇよ。
元はといえば、きっちり締めつけなかった自分の責だというのに、八つ当たりのような事を考えた。


「ドレーク准将!」

「大丈夫ですか!おい、船医呼んで来い!」

「―――どけ」


騒々しい海兵達のやりとりの中を割って入ると、戸惑いの眼差しが幾つか向けられる。
助けに入ったドレークの副官は頭のてっぺんからつま先までびしょ濡れの状態で、その腕の中に居るドレークも同じようなものだった。
副官の濃紺の眼が、探るように此方へ向けられてから、仕方がないとばかりにあからさまな溜息を吐く。
そういった反応はもはや予想の範囲内だったので今更気にする事もない、大した会話もせず、やや差し出されるようにずらされたドレークの身体を腕の中に抱き上げると、完全に身体の力が抜けていた。


「スモー、カー……すまな…い」

「黙ってろ」


悪魔の実の能力者は、皆一様に海から嫌われる。
自分とて、ドレークの纏う海水に触れた部分は若干だるいが、かといって誰か他の奴に任せられる訳もないのだ。
申し訳なさそうに何度も目を瞬くドレークにそう言えば、ふっと苦笑が零された。
あぁ、黙っていよう、などと軽口が叩けるのだから水は飲んでいないようだ。


「船医室に連れていく。捕縛した奴等は二隻に分けて乗せたままでいい、敵船内に残党もしくは民間の人間が居ないか確認後、報告に来い」

「はい。少将にはご報告の必要はありませんか」

「……解ってんなら聞くんじゃねぇ」

「これは、失礼致しました」


若干の笑みを刻んだ副官に、此方も同じように返す。
精々一人、戦闘が終わった事も知らずに奥で縮こまっていればいいのだ、と。
船医室へ向かう甲板の途中で、すれ違う海兵達の敬礼を受けながら艦の中へ入ると、ドレークが溜息を吐くのが聞こえた。
腕の中を見下ろせば、やや眉を下げて情けない顔つきでいる。


「失敗したな…上手くやっていたのに」

「海に落ちた間抜けってんなら、現場放棄の腑抜けって言ってやりゃいい」

「…言えれば、世話はないさ」


少将の事を言っているのだろう。ドレークが戦闘の最中海へ落ちたと知れば、チクチクと嫌味を零して来るに違いない、それに関してはえらく自信があった。
それを解っているドレークは、今からこの後にある嫌味タイムを想像してしまったのだろう、難儀な事である。
安心しろ、と水気を含んで額に張り付いた髪を除けながら声をかけた。


「大将には、将官が二人では現場が混乱する畏れあり、とでも言ってやる」

「それは、助かるな」


そもそも、白兵戦に持ち込まれた時点で参戦していなければならなかったスモーカーが傍観していたのには理由がある。まず、ドレークが総指揮官として出た以上、そのドレークよりも地位の高い者を同行させればどうなるのか、そして現場の指揮監督には、ドレークと件の少将、どちらが秀でているのか。
上層部でも、あの少将は頭痛の種らしい。
だらけきった正義がモットーの上官から直々に、お前の眼で見て感想を報告しなさいとまで言われれば、遠慮をする必要などないだろう。


「……それよりてめぇ、あれと一緒にするなんざどんな嫌がらせだ」

「適任じゃないか。お前は大人しく言う事を聞く奴じゃないだろう」


俺だと、それなりに相手を立ててしまうからなぁ、だなんて呑気に笑う顔が憎たらしい。
常の自分を見透かされているのが、余計に憎たらしく、けれども言い返す事ができない自分が、一番憎たらしかった。
ッケ、とわざとらしくそっぽを向けば、ドレークが腕の中で笑うのが解った。
あぁそれに、と言葉を継ぐ声はどこまでも優しい。


「お前なら、任せられると思ったんだ」

「…………馬鹿か」


悪気なく微笑むドレークの額へ、悔し紛れのキスをする。
次いで男から与えられた口づけは、考えるまでもなく海の味がした。















君の全てを知っている
(そういう訳だから、嫌味も代わりに聞いておいてくれるか?)
(てめぇそれを頼みたかっただけか…!)





















煙×恐竜/海軍時代で海に落ちてしまうドレーク、という事でしたが……前振り長い、ですね(汗)
主にスモーカーさんが出張り過ぎて、スモドレ要素が殆どないような状態になってしまいました…
しかも、無駄に長い……(汗)
すいません纏める能力なくて申し訳ないです…!
改めまして、企画ご参加ありがとうございました!




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