困った顔が見たいんだ
思い出したようにキスをする。
それから、なんとなく肌を重ねてみた。
そこに愛はなくとも、多分に情は湧いてしまったのだろう。
共に過ごせばそうなるのは人間として必然。
むしろそうならないのは、相手が嫌いか、無関心か。
少なくとも、情が湧くだけの、ほんの僅かな好意は存在しているのかもしれないと。
「無性に、困らせたくなるんだよなぁ」
読んでいた本から目線を声の主に向け首を傾げると、不本意にも今では見慣れた、といえる顔が此方を向いていた。
ニヤニヤとしたいつもの薄い笑みではなく、純粋に困ったのだと言わんばかりの苦笑。
そんな顔をしてみせる男が珍しく、いつもなら大して相手にもしないのに此方から珍しく何がだ、と問いかけた。
あー、まぁ、と誤魔化したいのか話を続けたいのか解らない声を零して笑って見せる。
男の手には自身が見ていたものと同じような、古ぼけた本があった。
しかしそれは巻末の作者書きでも奥付でもなく、未だ文字の羅列が不規則に続いている中盤も中盤であって、またも珍しいなと目を細める。
大抵勝手に船まで押し掛けてきては、大抵自分に戯けた言動を仕掛け、大抵堪忍袋が緒が切れかける寸前を見計らい大人しくなる確信犯の男は、それから特にやる事がなければ、大抵は船を辞する気になるまで近くの椅子で読書に勤しんでいた。
それがこの船に来た時の男の「大抵」である。
読み終わってもいない、途中の頁で開いたままの本に、その上本日二度目の茶々を入れてくるという事態は稀だ。
それ故に擡げた興味をそのまま成長させれば、誤魔化されてやる事は到底できなかった。
いいやそもそも、誤魔化されてやろうだなんて気はサラサラなかったに違いない。
殆どの言動が此方を翻弄しようとしているそれであると知っている身として、男が弱るような話題を逃す手はないのだ。
「気になるだろう」
「気になる?ドレーク屋が?」
「何だ、おかしいか?貴様が話しづらい事というのには興味があるが」
「へぇ、興味か。そいつぁ良いな」
「は、」
なぁ、ドレーク屋、と柔らかな響きと共に手を伸ばされる。
拒否する正当な理由などはないが(いやいつもそういった理由などなく拒否しているような気がしたが)そのようなものは反射的な行動から遮られた。
指先を避けると、つれねぇの、と笑われる。
付け加えて、自分から誘っておいて、などと聞き捨てならない事まで言われる始末。
待て、誰がいつ誘った。
不満顔で問えば、興味があるってのは好意がなきゃありえねぇだろ、と何とも勝手な持論を展開されてしまう。
随分と都合のいい持論だ。
呆れて相手を見れば、プラプラと手を振っていた。
その姿があんまりにも所在投げで、そのような事で傷つく繊細な人間ではないと知りながらも、自分がされれば不愉快にはなるだろう事を思うと、何故か一言断りを入れるべきのような気さえして。
「…トラファルガー」
「ん」
「……触れられるのが、嫌な訳じゃない」
「あぁ、知ってる」
内心慌てて、けれども口ばかりは無愛想に訂正すれば、クスクスとでも擬音がつきそうな笑みが返って来る。
どこからそんな自信が出てくるのか問い質してやりたい所ではあるが、答を得た所で自分に得があるとは到底思えなかった為に己の口は重く閉ざされた。
けれどもその笑みが常のニヤニヤとしたいやらしい薄笑いになったものだから、つい憎らしさから頬でも引っ張ってやろうかと手を伸ばせば、先程自分がしたのと同じように避けられる。
とはいえ男の場合は表情を見るからにわざとなのだろうが。
あぁ全く、不愉快だ。
「……おい、トラファルガー」
「拗ねんなって。困らせたくなんだろ」
「何だそれは」
「そのまんまの意味だぜ?」
咎めるように名を呼べば、今度は柔らかな笑みが返って来た。
どういう事だと問えば、そのままだという答えにもならない返答。
意味の解らない問答に先に音をあげるのは大抵が自分の方だ。
見据えた男の顔にはニヤケ面という言葉が相応しく、自分の表情は随分と不満に顰められているのだろう。
眉間の皺が癖になったら、十中八九この男の所為だ。
近頃の自分の苦悶の原因といったら大抵がこの男なのだから、絶対にそうだ。
「…トラファルガー」
「自覚ねぇのか、ドレーク屋」
「生憎貴様の言葉を理解する所から始めなければならんらしいな」
「可愛い恋人の我儘ってやつだろ」
どこまで甘やかしてくれるのか気になるのも、時々困った顔が見たくなるのも。
言いながら、伸ばされた手を今度は避けずに受け入れる。
それは別に、トラファルガーの訳の解らない言葉に絆された訳じゃない。
だが、たった今伸ばされた手は先程のそれよりもずっとゆっくりと動いたものだから、きっと今度ばかりはトラファルガーも避けられたくないのだろうという、相手の男に対しては勿体ない配慮があっての事だった。
ただ、それだけ。
それだけだと、いうのに。
ほら、また。と男が笑って頬を撫でた。
「……甘やかした覚えもなければ恋人にした覚えもないが」
「へぇ。そいつぁ初耳」
「…どの口が言うんだ」
「ふざけた事言うなってんなら、あんたが塞いでくれよ」
「…………ふん」
空いた片手で読みかけだった本をそのまま膝上から机上に置き換えれば、男が心得たように身体を屈ませる。
重ね合わせた唇は暖かく、抱き寄せようという意図を以て腰に腕が回されれば、男の元から本が落ちた。
ガツン、と。
紙面ではなく背表紙が叩きつけられたらしく、音は大きく響く。
けれどもそれすら気にしないのか、抱き寄せる腕には尚も力をこめられる。
ただ、苦しさを感じさせないその腕の方が自分を甘やかしているのではないのだろうか、などと頭に何か湧きでもしたような事を考えた。
この男とは、先述した通り恋人などという甘い関係ではないというのに。
ただ、思いついたようにキスをしてみたら悪くはなく、なんとなく肌を重ねるのも相性がそこまで悪くはなかったというだけで。
戯れのような一時を過ごすだけの、それだけの仲だ。
それはある意味では特定の相手という事になるのだろうが、単に商売女が相手ではなくなったというだけの話で。
ただそれだけの、話の筈で。
重ねるだけという幼稚なキスは、それでも触れるものが人肌というだけで随分と安堵させられる。
男もそうなのか、常よりずっと無防備な顔が間近にあった。
「ベッドに行かねぇか、ドレーク屋」
「……何だって?」
「おいおい難聴にはまだ早いぜ?あんたが怒ると思って、ベッドインしましょーハニーってきちんとしたお誘いをしたんじゃねぇかよ俺は」
「………いや、それは…」
誰がハニーだ誰が、と思いつつもどことなく妖艶に笑む男の顔を窺いながらちらりと視線を横に逸らせば、天窓からは光が射し込んでいる。
つまりは未だ外は明るく、そして時刻は昼も過ぎたばかりだ。
いくら海賊とはいえ爛れた性生活を送るのは如何なものだろうか。
それにこのままではいつもの如く相手の男に主導権を渡さねばならない流れになりそうである。
この男、細身で自身より身体が小さいからといえど侮れない。
基本体力はきっと此方が勝っている筈なのに、どうしてか音をあげるのは決まって自分なのだから不思議だ。
そういった感情が表情に出ていたのだろうか、いつの間にかマスクを剥がしにかかっていた指先がそろりと唇を撫でた。
その手つきの淫靡さは正しく夜半に寝台の上で身を以て体感させられるものであり、身の危険を感じるには些か遅かったのだと悟る。
「誘ったのはそっちだ。今度は違うなんて言わせねぇぜ?」
「……ちが、」
「キスしといて?」
「それは貴様が塞げと、」
「それに、」
言っただろ?
笑う男の顔が眼前に近づき、あ、と思った時には唇を奪われていた。
困った顔が見たいんだ
(何だかんだ言って俺を許容してるあんたを見てると、な)
ドレークさんを困らせたい(ちょ)
乗っかられて困ってるドレークさんとか萌え…(黙ろうか)
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