合図を待つ執行人










視界に存在しないと落ち着かなくて。

他の人間と話していると嫌になって。

罵りでも声をかけられる事に喜びを感じるのだと。

自分が妻帯者でもなければ。相手が女性であれば。
まだ悪い気はしないその告白。

けれど自分は妻帯者であり。相手は同じ男であり。
その上同族を殺しまくった人間な訳だから、検討以前に論外なのは解りきっている事で。



だというのに、あの男、ゾルフ・J・キンブリーからの猛攻は止まなかった。














「…アームストロング少将、改めてお話があるのですが」


堪えかねた、その言葉が最も相応しい己の心境を、美しい上官はどこまで感じ取ってくれただろうか。


「却下だマイルズ」


何を、と切り出す前に話の許可すらしてくれないあたり、完璧に解ってくれていない。
一気に気が遠のいたのは当然の事だったが、不平不満を上官に漏らすのもどうかと思い留まった(つい数秒前まで配置換えを願い出るつもりだったのはなかった事にする)


「考えてもみろ、本当なら必死に食らいつかねばならん相手が、向こうから食らいついてくれるのだぞ?手間が省けて良いではないか」


食らいつく必要はあっても食らいつかれる必要はないだろうに、とか。
物理的に食らいつかれそうで本気で泣きが入りそうなんですが、とか。
想う所は多々あれど、言い返す事が出来ないのは悲しき軍人の性である。


「それに相手はお前が何を言ってもヘソを曲げたりせんのだろう?思う存分罵って寸止めで引っ張れ。本気でヤバくなれば正当防衛も許可してやる」


少将が仰る事は自分と手よくよく解っているつもりだ。
あの男に動き回られても此方にとっては損しか発生しない。
居所が常にはっきりとしているならば好都合というものだ。
そう、解っている。
頭では嫌という程解っているのだ。


「失礼。マイルズ少佐は此方に、」

「それでは失礼致します」


解ってはいるのだが身体がそれを許容しない。
聴覚に、ここ数日ですっかり聞き慣れてしまった声が響いた途端、言葉尻を遮って形通りの敬礼をし部屋を出る。
追いかけて来るだろうか、来るだろうな、あぁ来るだろうともさ、来るな頼むから来るな。
足音も荒々しいままにザカザカと突き進むのは、背後に立たれるのを防ぐ為であると同時に相手の存在を認識する為でもある。
距離が開けばその分あちらの足音を聞き取りやすくなる筈だ。
少なくとも、忍び寄られて後ろから奇襲を受ける事は無くなる。
鉄壁を誇るこのブリッグズ砦内で、どうしてこうも気を張らなければならないのか。
何もかもあの男の所為だ、と一切合財の責任をなすりつけていれば、後方からカツカツと小気味いい靴音が聞こえてきた。
あぁ、やはり来たかと若干諦めが見え隠れする内心に、一人脱力しかけたのは秘密だ。
さて何処に逃げるか。エルリック兄弟の所…は無駄だったんだな。バッカニア達は…奴と口論に発展しかねん、見かけ通り直情的な所のある奴等なのだ。
身回りと称してこのまま練り歩いても構わないが、ずっと付いて来られるのも気持ちが悪い、となればここは素直に応じるべきか?


「マイルズ少佐」


思い至った所でまるで見透かしたように呼び止めてくる男に、なんともいえない気分になったが努めて気にしない事にした。
この男と顔を合わせてから数日、スルースキルがやけに上昇している気がしてならない。
そんな疑念すらきっちりとスルーして、改めて振り返れば、先程までは遠かった靴音がもうすぐそこまで迫っていた。


「…何の用だ、キンブリー」

「ゾルフと呼ぶようにお願いした筈ですが?」

「あぁそうだったな気が向いたら呼んでやる。で、何の用だ?キンブリー」

「そうしてください。あぁそれで用なのですが、お時間があれば砦内を案内して頂けないかと思いましてね。勿論、貴方の都合が悪いようでしたら私一人でどうにかやろうかと思いますが」

「……いい、大丈夫だ、案内しよう」


したり顔で笑い、ありがとうございます、などと嘯くその口に今すぐ氷柱でも突き刺してやろうか。
あくまで申し訳なさそうな物言いではあるが、その実は確信犯。
あまり単独行動をして欲しくないという此方の思惑を感じ取っているが故に、断れば誰も連れずに行くと暗に脅しているのだ。
全く以てタチが悪い、悪過ぎる。
思い通りになるのは癪だが、かといって現状で有利なのは完全に相手の方だ。


「それで、どのあたりに行きたいんだ?」

「東塔の牢に」

「牢だと?」


仕方なしに問えば、返答は牢屋。
しかも今は無人の東塔ときた。
一体何を考えているのか、訝しめば、男は思いの外あっさりと種を明かす。


「私がここに来た時、エルリック兄弟は東塔の牢に居たのでしょう?何かしら彼らが掴んでいるものの片鱗でもないかと思いましてね」


他人の周囲を嗅ぎ回るのは心苦しいですがこれも私の仕事ですから。
尤もらしい事を言いながらも目だけは全く笑っていない男の顔は、見違えるほど軍人然としている。
変態だろうが狂人だろうが、やはりこの男も軍属なのだ。
まだエルリック兄弟が口約を破らずダンマリを決めている事、そしてアームストロング少将以外はレイブン中将の情報を知り得ない事を前提として、男は話している。
実際、もはやこの砦に中央の企みを知らぬ者など居ない上に、エルリック兄弟とも協力関係にあるが、男がそれを知らないままでいる事はとても重要な利点だ。
ブリッグズ兵が一通り調べたと、形だけの対抗心を見せる。
あの兄弟は牢で寝泊りをしていただけなのだから、別に嗅ぎ回られようが痛い所はないのだが、すんなり見せれば却って男の猜疑心を芽生えさせる可能性があった。
予想通り、どこか子馬鹿にした笑みを見せる男に、内心で安堵する。


「言ったでしょう。これも私の仕事なのですよ」

「…ふん、仕事熱心な事だな」

「お褒めに預かり光栄です」


褒めたんじゃなく皮肉だ馬鹿。
紳士然としてわざわざ外した帽子を胸元に当てる男へ、心中でのみ精一杯の罵倒を浴びせる。
直接言わないのがせめてもの理性だった。















エルリック兄弟に疑わしき所がある為、東塔の牢を調べたい。
何がきっかけで仕事に対するスイッチが入ったのかは知らないが、言葉の通り男は真剣に牢の中を見て回った。
エルリック兄弟が拘置されていた牢だけでなく、それこそ隅の隅まで。
何故他の牢を見るのかと言えば、エルリック兄弟の片割れが鋼の錬金術師だからと真っ当な答が返って来た。
確かに鋼の錬金術師ならば、錬成陣など書かずとも地面に触れるだけで繋がりのある所へ何かを錬成することは可能だ。
ブリッグズに錬金術師は居ないようだからその可能性は考えつかなかっただろうと問われれば返す言葉もない…という体を見せる。
元々あの兄弟をそこまで締めあげる必要はなかったし、必要さえあればブリッグズの兵は幾つもの手段を考えただろう。弱肉強食という掟がある以上、子供だからといって手加減をしてやれる程此処は甘くない。それは以前男にも言った事だが、言葉の何割までを理解しているのか解らなかったので敢えて言わなかった。言った所で、大して状況に影響はない。


「…ふむ。錬成の跡はないですね。彼らが此処に居た間使っていた物は何処に?」

「手枷はそのまま身につけさせている。食器類は回収したが、どの皿かまで特定はできんな」

「そうでしょうね…しかし、不思議だ」

「何がだ」

「貴方は不思議ではないのですか?彼らは何の為にブリッグズへ来たのか、彼らにとってこんな牢は錬成し放題にも拘わらず何故逃げなかったのか」


考えるに、と勿体ぶった言い回しで牢を見回す男の顔には薄く笑みが乗っている。
何を考えているのか、至極楽しそうな男の横顔には全く良い印象を得られない。


「目当てのモノが此処にあるから、動くに動けない…そんな所でしょう」

「……ほぉ、まるで知っているような口ぶりだな」

「ふふ、私は仮説を立てるのが好きなんですよ」


証明された時は尚良いですがね。
そう言って、牢の隅に引っ掛けられた手枷を弄ぶ。懐かしむようなその動作は、この男が上官殺しで捕らえられていた罪人である事を思い起こさせた。
忘れていた訳ではない、ただ考えないようにしていた。
紅蓮の錬金術師、爆弾狂、そんな異名を持つ男と、今は牢に二人きり。
考えずとも、これが良い状況だとは思えない。軽率さを呪っても遅かった。男の、白い手袋に覆われた掌が、気づけば頬を撫でていた。


(しまっ――――――)

「おっと、いけない」

「は?」


抵抗に意識が行く寸前、ぱっと手が離れる。
つい間抜けな声が出たのは不可抗力というか当然の反応というか。
前回好き勝手やられた記憶がある分、拍子抜けだったのは否めなかった。
しかしそんな隙を男が見逃す訳もなく、その上どうやら男にとってのみ都合のいい思考回路は素早く稼働したようで、きょとんとしたかと思えば一転してにっこり微笑まれる。
ついでに両の掌をぎゅっと握られてしまったが恐ろしいのはその後だった。


「いぇねあまりがっつくと貴方に嫌われるのではないかと思いまして自粛していたのですがね貴方が物足りないと仰るなら私は今この場でも構いませんがえぇ構いませんとも貴方からこんな風に誘って頂けるだなんて夢のようですよ――――――ねぇ?マイルズ少佐」

「は?え、あ、あぁっ!?」


ワンブレスでよくもここまで捲し立てられるものだな。
カチンッ、と音を立てて手枷が嵌められたのは、そんな感想を呑気にも抱いていた時だ。
この極寒の地では金属の錠を用いると東証に酔って手首が千切れ落ちかねない、その為軟らかな材質の木を使用し枷としているのだが、嵌める回数こそ少なくはあれど嵌められた事などありはしなかった。
意外と堅いような気もする、などと性懲りもなく湧き上がった感想を心中で蹴り飛ばした所で、男がジリジリと距離を縮めている事に気づく。
というより、手枷を嵌められた時点で充分近距離なのだが、相手は此方を追い詰めたいらしかった。
足払いをかけようとしてくる相手のそれを片脚で往なす。男の白いズボンには黒い靴跡が残ったが内心此方はかなり必死だったので気に掛ける余裕などなかった。
牢には御誂え向きとばかりに寝台がある為、もし此方が倒れたらどうなるのかと…考えたくもない、あぁ考えないぞ絶対に考えない。
厳戒態勢となる此方に男はつれないですねぇと笑った。つれて堪るか。


「……キンブリー、悪ふざけも大概にしろよ」

「失敬な。私は至って真面目ですよ、少佐」


尚悪い。同性、しかもこんな男に真面目に口説かれた所で嬉しいどころか恐ろしいだけだ。
これがまだ精神的な嫌がらせならば耐えられたかもしれない。
血管はブチ切れるだろうが、それでも貞操の危機を感じずに済むとは何と幸せな事だろう。


「外せ。さっさと外せすぐに外せでなきゃ貴様の顎を外してやる」

「顎が外れる程濃厚なキスなら大歓迎ですが」

「解った悪かったもう少し解りやすく言おう、今すぐ遭難して来いそして二度と帰ってくるな」

「おやおや、酷いじゃないですか少佐。でもそんな冷たい所もいいですね、とてもいいですよ」

「っっっ嬉しそうにニヤニヤするんじゃない!!!!」


もうマジで嫌だこいつ。そろそろ本気で泣きたくなったがおちおち泣いてもいられない。
男が追って、己が逃げる、そんな鬼ごっこ染みた行為は、バッカニアが様子を見に来る二十五分と二十三秒後まで続いたのだった。


















合図を待つ執行人
(…思いきり殴ったのにいい笑顔だったんだどうしたらいいどうしたら俺は逃げられるんだ…!)
(な、泣くなよ少佐!話ならいくらでも……悪い無理だわ)
(そうですよ少佐。泣くなら私の胸でお泣きなさい。勿論、ベッドの上で鳴いてくれる方が良いですが)
(子供の前でそういう事を言うなキンブリー……!!)
((なぁアル、何だかんだ相手するからこいつも喜ぶんじゃねぇかな))
((無視しちゃえばいいのにね))
























子供扱いしないと言いながらもマイルズさんは情操なんたらにうるさそうなイメージ。
そしてキンブリーがどんどんドMになっていく罠(何故)




あきゅろす。
無料HPエムペ!