知恵の実を神は赦された










「来てくれたんだ」


笑みを浮かべる頬はこけていて、腕なんて骨と皮だけのようなもんで。
エドワードの仮説によれば、これまで睡眠やら何やらはある程度兄弟間で共有していたという事だから、アルフォンスの肉体が腐食したり白骨化したりする事はなかったものの、やはり圧倒的に運動量が足らない為、筋力はすっかり退行していた。
歩行には人の手を必要とし、一人での食事も長い時間を継続して行う事はできず腕が震える…らしい。
伝聞の形になるのは、実際自分がそういった場面に遭遇していないからだ。
元軍人であるとはいえ、今や立て直しを図ろうとしているこのアメストリスのセントラルを、戸籍の上でもはや存在もしなければ曰くつきの身の上である人間が居ては混乱を招きかねない。
そういった懸念から身を寄せるアテが見つかるまではと外出も最小限に控えているのが現状だった。
街中だけならばまだ良いが、軍に関連した場所には近づかないに越した事はない。
つまり、軍用病院に身を置いているアルフォンスの見舞いには、そう易々と来られなかったのだ。
それでも、アルフォンス君が会いたがっていたよ、などとマルコー先生から聞いてしまえば来ないのも悪い気がしたのだから大概自分はこの少年に甘いと認めざるを得ない。
そんなこんなで、どうにか軍人の目を掻い潜りアルフォンスが居る病室を訪れる事に成功したのだ。














アルフォンスは調度起きていた所のようで、窓の外へ向けられていた顔が、開いてすぐ閉まった扉の音に対し訝しむ形で振り向いた。
かと思えば目を丸くし、次いで嬉しそうに笑う。
部屋の外に名札がかかっていたから、恐らくは目の前の少年がアルフォンスなのだろう。
初めて見るアルフォンスの生身の姿は、エドワードとやはり似ていた。
鎧の姿を見慣れていた此方としては僅かな違和感というか戸惑いのようなものがあって、よぉ、と味気ない声しかあがらない。
それでもアルフォンスは嬉しそうな声で、来てくれたんだ、と言うのだからおかしなものだ。


「調子はどうだ」

「まだちょっと馴染まないけど…」

「嬉しい、か?」

「うん。そうだね、やっぱり嬉しい」

「そうか」


椅子を引いて腰を下ろすと、先程よりも近い所に少年が居た。何度見ても、少年だ。
いつの間にかまじまじと見つめてしまっていたらしい、鎧じゃないよ、と悪戯っぽく笑うアルフォンスについ謝ろうとすれば皆そうだからと笑って流された。


「ボクも、今だって信じられないよ…夢じゃないんだよね」

「当たり前だろうが」


エルリック兄弟からしてみれば、念願の元の身体、当然嬉しくない訳がない。
まだまだ充分に肉が付いていない、細っこい腕を見やるアルフォンスの横顔は感慨深げだ。
不意にできた間は別に嫌ではないのだが、それでも手持無沙汰なのが気になってサイドテーブルを埋め尽くす見舞いの品からお決まりの果物を手繰り寄せる。
赤ん坊の離乳食のような、食べた気のしない飯の域はもう抜けているらしいから、果物も消化できる位にはなっているのだろう。
そうあたりをつけてアルフォンスを見やれば意図はきちんと伝わったようで、りんごが良いと笑った。
サイドテーブルの下部は棚になっていて、上から二段目の所に食器やら果物ナイフが入っているのを発見する。
流石に己の爪を使う訳にはいかないので、これには助かった。
布で皮の表面をサリサリと擦ってから、ナイフを当てる。
遊び心を挟んでうさぎにでもしてやろうかと思ったが、それを自分がするという点に気づいて止めにした。


「……」

「…何だ?そう珍しいもんでもないだろう」

「うん、でもハインケルさん剥くの上手だなって」

「こんなもん必要になりゃやれるようになる」


暗に大した事ではないと言いたいのだが、アルフォンスはうんうんと頷くだけだ。
錬金術なんて複雑極まりない物を理解して使いこなしていたクセに、りんごの皮むき程度に感心するだなんてよく解らない少年である。
シャリシャリとナイフで皮を剥いて、適当なサイズに切り分けた所で皿を差し出した。
ありがとうと言いながらも受け取りはしないものだから、一体何かと僅かに首を傾げた所で、アルフォンスは申し訳なさそうに苦笑する。


「…できれば、なんだけど」

「あぁ、どうした」

「…ハインケルさんに食べさせて貰いたいなぁ、なんて」


若干頬を引き攣らせて苦笑の形を刻むアルフォンスは、渇いた笑い声を続けた。
即答で断られるとでも踏んだのだろう、此方が答えずにいれば訝りながらもチラチラと目線で訴えてくる。
その姿は何と言うか、飼い主に叱られるのを感じている犬のようで、元の身体に戻るついでに犬耳と尻尾をオプションで付けてきたのではないかと疑う程にしっくりきた。
年頃の乙女じゃあるまいし、羞恥を感じる事など無い。
それにアルフォンスの状態を考えればそこまで無茶な要望であるとも思えなかったので、まぁ良いかと息を吐いた。


「……まぁ、病人みたいなモンだしな」

「え」

「口開けろ」


俯きがちだったアルフォンスの様子も、此方の一言で弾かれたように顔を上げてから一変する。
まさか許可されるとは、と言わんばかりに瞠目している所へ爪楊枝で刺したりんごをずいっと差し出せば、自ら言ったクセにおずおずと口を開いた。
雛に餌を与える親鳥の心境とはこういうものなのか、ぱくり食いついてシャクシャクと噛んでいるアルフォンスを、何とも言えない気持ちで見下ろす。
するとアルフォンスはしっかりと咀嚼し終えた途端、もう一回とまたも遠慮がちに強請って来た。


「ほら」


パカッと口を開いてパクッと食いついてシャクシャクと咀嚼して。
あぁやっぱり雛みたいだな、とアルフォンスが聞けば間違いなく気分を悪くするだろう事を考えながらそれを見守る。
随分嬉しそうに食べるんだなとも思ったが、何年も鎧の姿ではまともな食事など不可能だろうから、当然の事だと納得できた。
しかしまぁ、こんなおっさんに「あーん」なんてされても嬉しいもんだろうか。
相手をダリウスに置き換え、自分がされる所を想像してみる、あぁ俺ならごめんだなとげんなりした。
どうせ病院なら美人のナースとか、そういう所だろう、健全な男ならせめてあの、なんていったか、幼馴染だとかいってた姉ちゃんを呼ぶとかな…まぁあれはエドワードに惚れてると思うが。
とにかくこんなおっさんが頼まれる事じゃない、そこは間違ってない筈だ。
もしかして、と幸せそうにりんごを食ってるアルフォンスを見ながら思う。


(あんまり見舞いに来てくれる奴が居ない、とかじゃ…ない、よな…?)


いやいやいや、マルコー先生とか来てるだろう、マルコー先生とか……マルコー先生、とか。
他には?と考えてみた所で合成獣の己が顔を合わせる相手などそう多くはない訳で。
つまり真偽の程は解らないが、考えてみれば国も大変な今、見舞いに来る時間を確保できる軍人が幾人居るのか。
エドワードだって今では錬金術が使えないから、マルコー先生の治療を受けた後は現場で肉体労働に励んでいるらしい。となれば来る回数も減るだろう。
事実を知らなくとも想像力というのは偉大なもので、あっという間にアルフォンスに会いに来なかった罪悪感が湧き上がった。
ある意味命の恩人である少年をここまでほっぽって良いものだろうかと。


「…あー…アルフォンス」

「何、ハインケルさん」

「…何か、他にして欲しい事あるか?」


つまりこれは罪滅ぼしというか何と言うか。
気に掛けてはいたつもりだが、それも実際に何かしてやらないなら気に掛けていない事と大差ない。
あれが食べたいだとか、これが欲しいだとか。
子供らしく何か強請ってくるならそれなりに努力して持って来たっていい。
素知らぬフリして過ごす程、自分は恩知らずではないつもりだ。
問えば、アルフォンスは困ったような笑みを浮かべる。
何か求めるものはあるが、言い出すには忍びない、そんな所か。


「難しく考えるな。俺のできる範囲内で…っていうと難しいか?まぁなるべくやってやるから言ってみろ」


お前の兄貴なんかこっちの都合ガン無視だったんだぞ、とは思っても言わないが、根っこの部分の意地っ張りを多少緩ませて良いじゃないか。
錬金術使いこなしてホムンクルスなんかと戦ってきたっていっても、年齢的には未だガキだ。
甘えっ放しは悪いが、甘えない事だって周りに気を使い過ぎている。
もう一度、言ってみろと促すと、アルフォンスは白い頬を赤く染めた。


「えぇっと、ハインケルさんが嫌じゃないなら、だけど」

「あぁ」

「……できるだけ毎日、ハインケルさんに食べさせて貰えたら嬉しいんだけど」

「…………食べさせるってぇと、飯か」

「やっぱり看護婦さんだと恥ずかしいし、兄さんはたまに乱暴だし、ハインケルさんなら馴染み深いっていうか…えっと…」

「あぁ、成程な」


それでか、と納得する。
年頃の男なら女がいいと思うだろうが、年頃は年頃でもアルフォンスは大人になりかけた子供、女性に世話を焼かれるのに恥じらいや躊躇いがある複雑な「お年頃」というやつだ。
合点がいくと、考え込んでいた自分が馬鹿らしくなって、けれども言った手前、今更撤回するのも大人げない気がしたので、とりあえずと一つ条件というか頼みごとをする事にした。


「軍の、そうだな、なるべく上の奴に言って此処の奴等に俺の事詮索されないようにできるってんなら構わない」


アルフォンスは軍人ではない。
だがエドワードの弟という事もあって軍用の病院に居る。
その方が設備や人員が充実しているからだ。アメストリスは軍事国家であるから、一般のそれよりも軍人の方が扱いに差が出る。
その分、警備も万全で、雇われの警備員ではなく軍人が配備されている。
軍に在籍しながらも紙面では死亡とされている自身の存在を探られるのは誰にも良い影響を及ぼさない。
アルフォンスもそのあたりを解っているからか、兄さんから大佐に言ってみて貰う、と神妙な顔で頷いた。


「許可が出たら約束だ、毎日来てやる。今は暇だしな」


合成獣になってから絶える事のない忙しなさの中過ごしてきた。
その為か突然訪れた平穏には、拍子抜けというか、やる事がなくて戸惑うというか、ぶっちゃけると退屈だったのである。
それが気遣いから出た言葉ではなく本心だと察したのか、アルフォンスは衒いなく笑った。


「うん、約束だよ」


流石に指きりげんまんなんてベタな事はせず、握った拳を突き合わせる。
まだまだ力の入らないアルフォンスの腕は、ひゅるりとシーツの上へ落ちるように戻っていった。
元のように、元々自身の身体であったように、思い通り動かせる日は少しばかり遠いのかもしれない。
けれど、生きていれば腕がある。何も悲観する事はないのだ。
生き残った奴が勝者だと、元上官が言っていた言葉を思い出す。


(あぁ、確かにその通りだぜ。キンブリー)


心底嬉しいとばかりに、解りやすく満面の笑みを浮かべる少年を見て、自然と自分も笑えてしまった。




















知恵の実を神は赦された
(ハインケルさんもう一個食べたい!)
(あぁ、口開けろ)
(何してんだお前ら……)
(あ、おかえりなさい。兄さん)
(邪魔してるぞエドワード)
(あ、あぁ…(今「あーん」って、して…いやいやいや俺は何も見なかった何も見なかった))

























最終回後捏造。
いきなりガツガツいったりはできないかなぁと思いまして、暫く療養してからリゼンブールに帰ってもいいじゃない、とね。
あとハインケルさんに「あーん」ってさせたかった←




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