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ずっと昔

世界は綺麗で
人間は皆善人で
自分は幸福なんだと


盲目的に信じてた、昔

何も知らなかったから
何も怖くなかった



手に入れたものは全部そのまま
無くさずにいられると信じてたんだ


永遠なんて言葉だって信じてたんだ

けれど


全てが虚偽であった事に
全てが夢幻であった事に


いつまでも気付かないフリはできなくて
それでも、現実は純粋で残酷




滑稽だと笑うなら笑えば良い
それでも



それでも、





















この感情に名をつけるなら


























「秋山君」


不意にかけられた声に、優は振り返る。
そして笑みを浮かべて、僅かに会釈をしてみせた。


「こんにちは」

「こんにちは。あと、お疲れ様でした」


そう言って笑う女性、ビン底メガネの奥で丸い瞳をにこやかに緩める。
今日という日は、集められた候補者から更に選りすぐりで選出された有志達が地下から出ていく記念すべき日だ。
これから約半年の間に、彼らは舎弟なるものを得て、策略を張り巡らし、個々に訓練をして来るべき時を待つ事となる。


「猛様は一番に出ていかれましたよ」

「…そうですか」

「…ちゃんと、仲直りしましたか?」


女は、優が地下で行ってきた事の全てを知る数少ない存在だった。
猛によって傷ついた肩と頬も彼女が看たのだ。
医務室へ行けば問題になる。
それでも彼女は『仲直り』という単語を出すのだから掴みづらい人間である事が容易に窺えた。
いつかは潰し合うのだから、仲違いはしたままの方が賢明だと優は思っている。
女は、それを咎めはしないがあまりいい顔はしなかった。


「外、寒いですからね。ちゃんと防寒して出て行かないと駄目ですよ?」

「…それ、前にも言われましたよ。厚着しろって」

「猛様に、でしょう?」


そんなに頼り無さそうに見えますか?と問おうとした優の言葉を先んじて察したのか、女は苦く笑う。


「猛様も、私も、秋山君を心配しただけですよ」

「……知ってますよ」


そんな事、言われるまでもなく。
笑う優に、なら良いんです、と女も笑い返した。
それじゃあお達者で、と古風な挨拶を交わして、二人して日本人特有の頭の上下運動を繰り返し、別れる。
外へ通じるA棟の二階に至ると、管理者の老人がニコニコと笑っていた。


「元気でね」

「…はい」


創始者なる男は冷酷極まりないと言うのに、スタッフはお人よしが多いのだろうか。
優は考えて、それから苦笑する。
そういえば、創始者の息子もお人よしだったと。


あの日から、猛とは顔を合わせていない。
それも当然か、と優はまた苦笑した。




















秋の頃に地下へと入ってから半年が経っていて、暦の上では世間は2月になっていた。
此処が何処かは知らない。
地下へ入る時も寸前まで目隠しをされていた。
そして、帰る時も組織の迎えに従って、目隠しをした状態で送り届けられるのだろう。
しかしあまりの寒さはやはり北寄りなのか、白いものがチラホラと空から降っており、足首のあたりまで雪が積もっていた。
降り始めたばかりなのだろうか、薄く雪が積もっている所の方が多い。
吐き出す息は白く、本来なら肩を竦めて迎えを待つと言う状態だろうに、優は呆然としたように目を見開いていた。
雪が珍しい訳ではない。
ただ、その視線はある一点を見ており、そして見開かれていた瞳はゆっくりと細められていく。


「…驚いた」


コートを着ていても雪が降る中では意味も無いだろう。
実際に、その肩には既に雪が積もっている。
優は、雪の中に居座る『黒い人間』を見て、笑った。
その拍子に、白い息が空中へ散っていく。


「お前が驚くなど珍しいな」

「まさか、君から会いに来るとは思わなかったから」

「発信機もつけていないのにか?」

「ふふっ、君が冗談を言うなんて珍しいね」


お互いの距離は約2m程度。
無音にも等しい空間では、呼吸すら届きかねない。




「計画が発動する前に、僕を潰しに来たの?」




優は笑う事を止めなかった。
それは、もはやそれ以外の顔など知らないとばかりに空々しい笑みだった。


「違う」


猛がその問いに一秒すら間を空けずに答え優の目の前まで歩み寄った。
ギュッ、ギュッ、と歩む度に雪が声をあげる。
優の漆黒の瞳が、猛が近づくにつれ怯んだように揺らめいたが、そこに拒絶の色はない事を、猛は解っていた。
手を伸ばせば触れられる距離に達し、猛が歩みを留める。


「…話がしたい。どちらかが一方的にでなく、対等に」

「…っは、あははっ!対等?対等にって?今更?」


自分を利用していた男と?と優は猛の正気を疑うように嘲笑を浮かべた。
それは今までで最も人を見下したようなものであったが、猛は憤る事もしない。
その反応を予期していたのだろうか。彼も、優との半年間をただ凡庸と過ごした訳ではなかった。


「お前を好きだと思う気持ちは錯覚だと、お前は言った。だが、そうだとしてもお前と共有した時間は現実だ」

「……だから?」

「その中でお前に感じたものには何の根拠も理屈もない。だから、お前の考えを聞いた上で言わせて貰う」


猛がその先を確認するように優を窺う。
優は、猛の言葉を遮ろうとはしなかった。


















「俺は、お前が好きだった」


















その言葉は、雪が降り落ちる音に紛れる事も無く。
優は諦めたような息を零し、苦笑した。


「…何だよそれ…僕の質問の答になってないじゃないか」


対等じゃないよ、一方的だ。
君の独壇場だ。

繰り返し猛へ皮肉を送る優が紡ぐのは、今にも泣きそうな声だった。
猛は優の左頬…あの日、彼が傷付けた場所に手を伸ばし、そっと触れた。
そこには痣すら残ってはいなくて、咄嗟にしても猛が加減したのであろう事が窺える。


「…いつ叩かれたと思ってるんだい?」


優は苦笑しながら、その掌に己の掌を重ね、頬を寄せた。


「…悪かった」


猛は、空いた片腕で優を抱き締める。


「……良いよ。君を挑発したのは僕じゃないか」


猛の背に腕を回し、優はその温もりに目を伏せた。
じわり、じわりじわりと互いの体温が触れ合わせた所から伝わる。
けれど、けれど絶対に混ざり合う事は無いのだと。
そんな日は、いつまで待とうと来ないのだと。
抱き締め合う事で、その事実が余計に彼等を苦しめる。


「…本当に大事なものがあるなら、感情を棄てちゃ、駄目だよ」


それは人が人を想う『心』を棄てきれていないからか。


「…でも君が…君という人間が、ただ強く在りたいなら、他人に心を乱したくないなら……棄てなきゃならない」


それともそれを棄てれば楽になれるのか。


「…矛盾してるけどね」


それに対しての答は、きっと優とて出せないのだろう。
猛の腕の中で顔を伏せているからだろうか、優の声は酷く隠っている。
それはまるで泣き声に似ていて、猛は思わず優の顔を覗き込んだ。


「…僕から、お人よしの君に最後の忠告」


優は、泣いてはいなかった。
いつものように、にっこりと笑うと、顔を覗き込む為にと近づいていた猛の唇を、己のそれで掠めとる。






「バイバイ」






一瞬の触れ合い。
別れの言葉は笑顔で紡ごう。
猛は苦笑に紛れて息をつき、優の髪をそっと撫でた。


「次に会う時は敵同士だ」

「うん」

「俺以外にはやられるなよ」

「…君にも、やられないよ」


いつの間にか、互いの身体は離れていた。
白い雪、冷たい空気に、互いの熱がゆっくりと遠ざかっていく。
しかしそれを不安に思う事は互いにもう無い。
唯一未だに触れていた髪から手を離し、猛は笑った。








「さらばだ、秋山優」








触れる事はもう無い。
次に会う時は、互いに遠慮はしない。
優に背を向けて歩き出した猛の背中は、そう語っているように広く、そして、真っ直ぐだった。
猛の背が遠退き、遂には見えなくなって、優は息をつく。
一人きりになって再び身体が寒さを認識し震え出した。
自身の肩を抱き、何度か摩擦する。
それは雪の降る天候の元では何の足しにもならなかったのだが、それでも優は肩を擦り続けた。


「…お人好しはどっちだか」


猛が憤怒し、自分を問い詰めた時、本当に誤魔化そうという気があればできた。



君が好きだ。

僕を信じて。



そう言いくるめる事なんて、簡単だった。
けれどそれをしなかったのはそれこそ根拠も理屈もない。
ただ、自分を見る猛の目が、優には堪らなかった。




「……僕は、」




嘘は嘘でしかないと、自分が一番よく知っている。
真実なんてものは、立場さえ違えば異なるものだと。





「……………僕、も」





だから君は知らなくて良い。
僕だけが知っていれば良い。







「君が、」







とうの昔に棄てた筈の感情

未だそれを持っている君に

僕は、羨望と嫉妬と、希望を見たんだ








「…………君が…」








棄てちゃいけない
君はこっちに来ちゃいけない

棄ててしまえば良い
僕と同じ場所に来れば良い




想いは表裏一体
どちらが本心だったのか

苛立ちも悲哀も、そして時折君に抱いていたものは。


それは多分、昔、棄てた

そして今、切望し続ける













































「君が、……好きだった…」












































愛、だったのかもしれない



















空を見上げた優の頬に、雪が降り落ちる。

頬を水滴が流れたのは、雪が溶けたからだと。




優は、自身にそう言い聞かせ続けた。




















それから半年後、彼は猛に酷似した男と出会う事となるのだが。

それはまた、別の物語。




































ずっと昔

世界は綺麗で
人間は皆善人で
自分は幸福なんだと


盲目的に信じてた、昔

何も知らなかったから
何も怖くなかった



手に入れたものは全部そのまま
無くさずにいられると信じてたんだ


永遠なんて言葉だって信じてたんだ

けれど


全てが虚偽であった事に
全てが夢幻であった事に


いつまでも気付かないフリはできなくて
それでも、現実は純粋で残酷




滑稽だと笑うなら笑えば良い
それでも



それでも、



君を好きだと想った事は






























































僕だけの、真実だった
































































































End...



ねぇ、きっと僕は
君に恋をしていたよ
君を愛していたんだよ

後記




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