08





約束をしようか

例えばそれが既に通り過ぎた未来でも
例えばそれが既に取り戻せない夢でも




小指と小指を絡めさせて


約束をしようか

果たされる可能性がゼロに等しくとも
果たされぬ可能性が完全に等しくとも


それでも




小指と小指を絡めさせて












不確かな未来に、

想いを馳せて



















その先で分かつ路


























忙しなく繰り返される、けれど単調な日々の隙間で、猛はふと物思いに耽る事が多くなった。
彼が考えるのは、優を外へ連れ出したあの日の事。
一夜限りだと決め、触れたのはお互い様だが、帰り際には些か疲労を見せていた優に、あれから一週間が経つ今でも一度として会っていない。
これまで何度も部屋に訪れていたのに、一度触れ合ってしまった罪悪感からかそれも気が引けていた。
出会った頃には優の方から顔を見せに来ていたというのに今では猛から会いに行く事が殆どだと今更ながらに気づかされる。
別に心配している訳では無いし、その必要が無い事も解っていたが、何故か無性に優の顔を見なければと、時間が出来ればふと頭を過ぎる考えに猛は瞠目した。


「……」

「あれれ、猛様じゃないですか」


その所為、と言えば多少の語弊はあるものの、通常の状態ならば気づくであろう他人の存在に数瞬、反応が遅れてしまっていたらしい。
かけられた声に振り返ると、ビン底メガネのフレームを指先でちょいちょいと弄りながら女が歩み寄ってくる所だった。
調度良かった、と女が笑う。


「今、秋山君に手紙が来たんですけど。私ちょっと急ぎの仕事が入ってしまったので、渡して貰えませんか?」

「手紙……?」

「本当なら規則で禁止されているんですけどね」


当然のことだ。
この『23区計画』は日本でも最重要機密事項の筈。
外部との連絡手段は完全に絶たれているし、それが許される筈も無い。
だが、優は免除されているのだというのか。
猛が僅かに目を見開くと、女は脇に挟んでいたファイルから些か分厚い封筒を取り出し宛名のところを見せた。
そこには、大人ならば絶対に使用する事の無いクレヨンを多用しカラフルに『ゆう兄ちゃんへ』と綴られている。


「検閲をする事を条件に、許可されたんですよ」

「…家族か」

「組織が今は預かってるそうで。秋山君の家は、親が居ないらしいんですよ」


噂じゃなく、秋山君本人から聞いた話です。
そう言って少々悪戯っぽく微笑む女は、猛の知らない事ばかりを語っては「それじゃ、お願いします」と頭を下げ、踵を返した。
封筒は猛の手の中に残され、諾と言うまでもないまま押し付けられたそれを暫しの間見下ろし、猛は訪問の切欠にもなるだろうと仕方なく息をつき慣れた路を歩き出す。


優は、どんな顔をするのだろう。


そんな事を考えて、猛はまた余計な事を考える己を叱責するように頭を振った。



























「やァ」

「…人の目を見て挨拶するようになったのは進歩だな」


部屋を訪れた猛に対して、優の反応はあくまでいつも通りのものだった。
にこやかな笑みはいっそ全てを無かったことにしようとしているようにも見えて、猛は安堵と落胆という相反した気持ちを抱えながら、それでも体たらくを見せられぬと己もいつものように言葉を返す。
膝の上に置かれた本が、あの日連れ出す直前に優が読んでいたものと同じ事に気づいてギクリとした。
同じものをいつまでも読んでいるなど珍しいと、頭の隅で考えながらも、訊く程の事ではないと気にしないフリをする。


「元気そうじゃない」

「…ふん、元気じゃない方が良かったか」

「そうは言ってないよ?捻くれてるねぇ、相変わらず」


貴様の憎まれ口も相変わらずだ。
そう思い、実際に口にしようとしてから要件を思い出す。
己の手の中にある封筒を渡さなければ、何の為に来たのかと問われてしまうだろう。


(…問われて『しまう』?)


問われてしまう事に罪悪感があるような言い回しだ。
いや、用も無いのに訪れていたこれまでこそがおかしいのだと、猛は己の中のみで自問自答を終える。


「お前にだ」

「?…あれ、何で君が?」


差し出された封筒は、いつも同じものなのか見慣れているようで、優はそれを何かなど問わず、代わりに何故配達人が猛なのかと首を傾げてみせた。


「…開発部の女から預かってきた。急な仕事で、手が空かなかったらしくてな」


いつもあの女が届けているのだろうと見当をつけて言ってみた。
するとあァ成程。と優が笑う。
それから、女だなんて言い方は失礼だと諌め、でもありがとう、とまた笑った。
多彩な表情に猛は目を瞠る。
それが自分に対してのものではなく、封筒に注がれているのだと。
封筒を受け渡してから一度も猛を見てはいない優の目が、そう語っていた。
それに対し、猛の胸中を黒い靄のようなものが掻き回す。


「…家族からか」

「うん。弟と、妹から」

「仲が良いんだな」

「ま、ね。君は?父親が組織のトップなのは知ってるけどさ、一人っ子?んー、居ても弟か妹でしょ?君って、長男っぽいし」


一人で話を進める優だが、その言葉は殆ど正解に等しい。
猛には弟が居る。
正確には、居たと表現すべきなのだろうが。
しかしそれを優に伝えるつもりはない。
それに、伝える義務も無い。


「…弟が一人」

「へぇ、じゃあ弟君も参戦してるんだ?」

「…甘い男だ。あいつはこの計画への参加を拒否した」

「ふーん…でも、却ってその方が正常かもね」


君の前で言うのも失礼かもしれないけど。
そう言って笑い、優は封筒を開ける事無く本棚の空いた隙間に差し込む。
読みはしないのかと問おうとして、自分が居るから読まないのだと察した猛が些か不快になったのは何故だろうか。


「誰が正しいとか、誰が甘いとか、それは個人の定義だからさ。それを捻じ曲げて、力でどうこうするなんてイカレた計画、普通の神経をしてれば拒否するよね」

「随分不穏な発言をするな。それに、軽率だ」


閉鎖的な空間だからこそ、誰が何処で見聞きをしているか解らない。
そんな中で組織を貶めるような発言をするなど軽率で愚劣極まりない行為だ。
咎める言葉は、だが優に何の波紋も与えなかったらしい。
はは、と乾いた笑い声をあげ優は肩を竦めて見せた。


「別に、僕は自分を正常な人間だと思ってないから。良いじゃないか、力。力がなければ何も出来ない。何も守れない。綺麗事ばかり言って他人を責めて、そのクセ無力を嘆く事だけは一人前だなんて、そっちの方が無様だ」

「守るだと?力は他人を守る為にある訳じゃない」

「そうかな?自分と、自分が望む誰かを守る事は、その他の全てを排他する事に繋がるとは思わないかい?そして排他する為には力が必要だ」

「望む誰かなど必要ない」

「成程?なら君は何を望んでこの計画に参加してるんだ?富?名声?そんなものくだらない。僕は僕と、僕が僕で在れる場所を守りたいだけだ。それ以外はどうだって良い」

「っ……なら、」

「君は、何を望むの」


俺の事すら、どうでも良いと言うのかと。
口をついて出そうになった言葉を、寸での所で留める事ができたのは、優が言葉を被せてきたからだ。
そうでなければ、きっと言ってしまっていた。
それこそ醜態だというのに。


「っ……」


気が可笑しくなりそうだと、猛は優と話していて、初めて足場が不安定になる感覚へと陥った。
薄暗い漆黒の瞳がユラリ揺らめいて、距離を無くす。


何を望むのかと。


そのような問いは、これまで誰にもされた事が無かった。
ただ、不必要だと教えられ、棄てるしかないのだと何の疑念も無いまま此処まで来ていたのだ。

優の持論も、そして疑問も、猛を混乱させるには充分なものだった。
優は、それを知っているのだろうか。
どこか冷めた眼差しが、猛の胸中に渦巻く黒い靄のようなものを増幅させる。
そんな猛を、優は苦笑を浮かべる事で宥めた。


「止めようか。この話はちょっと重すぎるよ」

「…お前が振ったんだろう」

「……僕はね、残りの時間を楽しく過ごしたいんだ」

「……何の話だ」

「君こそ、何を考えているのか知らないけど、もう二ヶ月を切ってるって解ってる?」


何を考えているのか知らないなどというのは嘘だ、と猛は思ったが嘘かそうでないかが問題なのではない。
確実に迫ってくる現実を、優は真っ向から受け止め、猛は目を逸らし続けた。

その結果だ。


「そういえば、君は最初から不死鳥を刻まれてたよね」

「…それがどうした」

「……僕の首にも、あと少ししたら不死鳥が刻まれる」


それは、有志に選ばれた事を意味する言葉だった。
優が生き延びた事を、けれどいつかは潰し合う未来が確定した、言葉だった。


「だから、あと一ヶ月と二十一日の間を、楽しく過ごしたいんだよ」


その言葉が本意なのかどうかなど、猛に判断がつけられる訳も無い。
それでも本意であれば良いと考えて、猛はもう手遅れなのだと己の思考の甘さに絶望した。

けれどその絶望に、安堵した事もまた事実なのだ。
























数日後の事だ。

カリキュラムの都合上、移動していた猛は通路を歩く中、僅かに開いている扉を見かけた。
締め忘れかと思われた扉の向こうには、どうやら人影があるらしい。
潜めたような声はこの上なく怪しく、組織内でも水面下に
微々たる争いがある事を知っていた猛はあからさまに顔を顰めた。
面倒事はごめんだ。


楽しく過ごしたい。


そう言った優の言葉を思い返す。
優は、あれから猛に対して随分と柔らかく接するようになった。
けれどそれに対し違和感を拭いきれない猛は、優とは逆に一歩引くようにしていたようにも思う。


『君は、何を望むの』


猛の中で何度もループしては答の見つからないまま放置されている言葉は、ジクリジクリと痛みを伴い始めていた。
それは優の傍に居る時、最も酷くなり、それでも離れる事は何故かできないまま、数日が経っている。
猛は、その問いの答を、何となくだが輪郭だけでも掴みかけていた。
だが、その答はこれから先邪魔にしかならない余計なものだ。
そして、これまでの猛の生き方を否定する事になってしまう答でもある。
だから猛は、その答を知ろうとしない。
湧き上がる衝動すら見ないことにして、猛は優との距離を一定のものにしようとしていた。




けれど確実に現実は迫り来るのだ。

どれ程穏やかな時を望もうとも。

現実は、望む望まないに関わらずやってくるのだ。






開いた扉の隙間から零れる潜めた声はただ一人だけのものだった。
一方的に詰っているのだろうか。
独り言にしてはやや流暢な気もする。
そうでなくとも候補者同士の諍い位なものだろう。
どれにしたって碌なものではない。
関わり合いにはなるまいと、そう考えていた猛だがほんの刹那、部屋の中を見てしまった。























『君は、何を望むの』






















望むものを言ったなら、優はくれたのだろうか。












































幸せだったと気づいた時には
もうその幸せは消え失せてしまっていて

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