エゴイストの隣
「ごめんね」
謝るなと、言って、抱き締めて
触れた途端に嫌だと身を捩り俺の掌を、腕を、振り払おうと暴れて
それでも拒絶するその腕は、僅かに震えていた、から
先日までは暑い位だった日差しも意味を成さない程に冷え込んだ空気が小さな肩を竦めさせる。
小刻みに震える肩はあまりにも頼りなく、見下ろしていると癖のついた黒髪が風に揺らいだ。
「…なーに?」
訝しげに見上げてくる黒い目はいっそ恐ろしい位に無機質で、一体何を考えているのかと問うには充分なものだが訊いた所で誤魔化されるのは解っていた。
いや、と簡潔に返すと興味も無さそうにまた前を向く。
黒髪が風に揺れて、また肩が震えた。
寒そうだ。
「…今日、何食べたい?」
はぁ、と白い息が舞うのに紛れてそっと問われる。
お前が作るものなら何でも良いと、言いかけて、口を噤んだのは一体何故か。
詰まった所為で再び歩みが止まり、先程の目が今度は物言いた気に揺らめいて。
「…プリンが食いてぇ」
「それ、主食じゃないし」
場を誤魔化すように言葉を零せば、苦笑が返される。
表情が浮かんだ事に無意識か息をつくと、白い形をとって空気に露散していった。
「あったかいものが良いね。鍋にでもしようか」
「…豪勢だな」
「今月は、ちょっと余裕あるから」
「弟妹達も喜ぶだろう」
「我慢できずにすぐ食べても良いかって騒ぐんだよね」
あはは、と楽しそうに笑う背中にひっそりと安堵する。
お前が作るものなら何でも良いと、言ったらきっと、この男は照れたようにはにかんでそれから少し傷ついた顔をしただろうから。
こいつは、自分がとても醜いものだと、言う。
(汚れたものだとも、言っていた)
それでも俺には、綺麗なものにしか見えない。
(なのにこいつは、俺を綺麗だと言うのだ)
諦める事と望まない事ばかり知っている可哀想な男、だ。
(それでも俺が祈ったのは、こいつがいつかは幸福になれるように、ではなくて、)
俺は、こいつの隣に居たいと思った。
(居てやりたい、とは違う。俺が、こいつの隣に在りたいと、そう、)
それでも、こいつは俺とこいつとを分ける。
君と僕とは違うんだよ、そう言って、遠ざけようとする。
生まれた場所も歩んできた人生も、互いに異なった人間なのだから、違うのは当然だと思う。
けれどこいつが言う『違う』はそういった事だけではないのだとも解っている。
それでもこいつが納得できるだけの言葉を、俺は持ち合わせていなかった。
(知ったことかと済ませるには、こいつの中ではあまりに根深い問題だろうから)
触れようとすれば嫌がって、暴れて、罵る。
(爪を立てて噛み付いて振り払おうと必死になって、まるで手負いの獣のように)
(何かを恐れてる。何かを欲している)
以前、一度だけ、嫌がり暴れ続けたこいつからおもわず離れた事がある。
(初めて抱き締めた時だったから、俺も馬鹿みたいに素直に引いてしまった)
(そしてすぐに、後悔、した)
そうしたらこいつは、真っ青な顔をして全身を震えさせて可哀想になる位、ごめんとしか、言わなくて。
(拒絶された俺よりも、傷ついた顔を、していた)
あんな顔で、あんな事を言わせたくなかったから、それからはどんなに嫌がっても暴れても罵られても離さない。
(けれど本心はどちらなのかと、不安にもなりながら)
何が『ごめんね』で
(何を謝る?そんな顔をして)
何が『嫌だ』なのか
(教えてくれたなら望む通りにしてやれるのに)
僕は汚い、醜いと言っては、何度も何度も謝って嫌がってそうしてこの男が求めているものは一体何なのだろう。
(いや、多分、俺は、解っている筈、だ)
それが、俺に与えられるものなら幾らだってやるのに。
口に出して乞えば、幾らだって、
(いや、本当は、乞われずとも、俺が望んで、)
「金剛」
「ん」
「プリン、買っていこうか」
笑う男の鼻先は薄らと赤く。
その鼻先を撫でたい衝動を、拳を握り込んで堪え、あぁ、と辛うじて返した。
最後に、何も考えないでこの手を伸ばす事ができたのは、どれ程前の事だろう。
(もう、ずっと遠い出来事のような、気がする)
「鍋にプリンって合わなさそうだよねぇ」
「…入れるつもりか?」
「まさか。後味とかそういう話だよ」
風が、吹く。
また、男の肩が震えた。
季節はまだ秋だからと、妙な見栄を張って防寒も中途半端なのだから当然だが、今日は冬日だとお天気キャスターが言っていたのではなかったか。
それにしたって、寒そうだ。
(だからといって、何をどうするという事ではないが)
(どうにかしてやりたい、とは思うのだけれど)
(こいつが、望まない事は、したくない)
(いや、何を望んでいるのか、まだ、掴みきれていないだけだ)
「………秋山」
「ん?」
「…鍋に入れてみるか」
「……プリン?」
「意外と美味いかもしれ、」
「却下」
男はわざとらしく頬を引き攣らせて笑う。
表情が豊かなのは、最近になって知った。
(最初は笑った顔しか、知らなかった、から)
笑ったり、拗ねて見せたり、怒ったり…泣いたり。
(それが俺の為に流されるものならば、その涙すら愛しく思える自分は、おかしいのか)
変わったのは、互いの距離だった。
例えば肩についた糸くずを取るにしても、物を取ろうとして指先が掠めても、その瞬間には、必ず少しの間と、張り詰めた空気が存在して。
(それがつらいかと問われれば、答に窮してしまう)
(その瞬間だけは、こいつは俺から逃げずに、俺を見る、から)
(例えばそれが、怯えたような、目でも)
ごめんと謝って、嫌だと暴れて、それで秋山の気が済むのならそれでも良いと思う。
(けれど俺は知っているのだ。)
(俺が眠っている時に、こいつが祈るように目を伏せて、俺の手を取ろうとし、けれど取れないことを)
(こんごう、と幼い子供が助けを求めるように、俺の名をそっと呼ぶことを)
(けれどきっと俺が目を覚ませばそれらはまた罵声に変わるのだろうとも、知っている、から)
(俺はいつも、こいつが眠るのを待って、その手を握ってやる)
「……寒いねぇ」
「そうだな」
「…………早く帰ろっか。凍えちゃうよ」
「……」
「……金剛?」
何が欲しい?何がしたい?何が要らなくて何を拒否する?
(理解りたい。けれど理解ったとしてそれはこいつの本当に望むことなのかどうかはわからない)
(だから教えてくれるのを待っている)
(そう、待っているだけ、だ)
「……最後は、勿論うどんだよな?」
「…あはは、ご飯でしょ。普通」
いっそわざとらしい位に、一定の距離を保って、笑う。
しかしそれを咎める事など、自分には出来やしないのだ。
(いや、それどころか、何も、)
何が出来るのだろう。
(何も出来やしない)
(寒そうな肩に、手を伸ばす事すら、今は躊躇う自分には)
(なに、も)
エゴイストの隣
((それでも、離れる気は無いのだが))
念仏*卑怯を書こうにも、このシリーズでハッピーエンドは目指せない気がしてきたぞ…(貴様)
別れた方が幸せだよな、この場合…金剛も、このシリーズだとすごい独善的で、利己的。秋山の望む事をしたいって思いながら、離れて(別れて)くれっていう望みは聞けないんだろうな、きっと。
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