06




この腕は断ち切る為に
この掌は奪い取る為に
差し伸べるものでなく


差し伸べたとしてもそれは
破滅への誘いでしかなく












この腕は断ち切る為に
この掌は奪い取る為に


誰かを幸せにする事は
できない

誰かを不幸にする事しか
できない








あァ、なんて無様な













それでも、差し伸べないままではいられないだなんて。














どうか、忘れて


























『古代、人間は二つの顔、二つの手足を持っていたが、神への不従順により引き裂かれた。引き裂かれた半身同士が本来の状態を想い、愛する者と一つになり、溶け合わされ二人でありながら一人になる事を望むことが…』


「……やーめた」


優は手元の本をあまり興味も無さそうに一瞥し、閉じかけてからズシン、ズシンと重みのある足音が聞こえてきたのでやはり開いたままにした。
優は時計をちらりと見上げ、それから珍しいなァ。と目を丸くする。
一日のカリキュラムを終え、夕食と入浴も済ませ、あとは眠るだけという妙な時間帯に彼が訪れる事は滅多に無いのに、と。
だが聞こえてくる足音の持ち主は間違いない、と考えた優はさてどうしたものかと思案した。

お茶の準備はするべきだろうか。
それとも本を読んだ態勢のままで居るべきか。

悩んだ末に優が選んだのは、そのまま大して面白くも無い文章へ視線を戻す事だった。
ピーッ、と番号を認識した扉は次に重厚な音と共に開く。
何の躊躇いも間も置くことがない流れるような光景を視界の隅に入れながらも決して訪問者へ向けられる事は無い。
不満そうにしている訪問者の顔を考えて、優は笑いそうになるのを少しだけ堪えた。
あからさまに笑っては、気分を害して帰ってしまうかもしれないとでも思ったのだろうか。


「やァ」


以前本を破られてからは、優は無視をして遊ぶ事を止めるようになった。
だがまだまだ遊び足りない。
本に向けたままの視線を言われる前に訪問者へと向けると相手は僅かに瞠目したので優はにこりと笑った。


「珍しい?」

「…そうだな」

「驚いた?」

「……からかうつもりなら、気をつけろ」

「?今日は随分強気だね」


いつもなら顰めっ面を寄越す訪問者、猛は今日に限って挑発的な笑みを浮かべている。
何か秘策でもあるのかと、これもまた珍しい展開に優は首を傾げた。
猛は別段何かを持っているという訳でもない。
だとしたら、何か根も葉もない噂話でも耳に挟んだのだろうか。
世俗と切り離されたこの世界では、身内の話をするしかないから、候補者達を個人的な見解で語る者も少なくはなかった。
だが、優は別段疚しい事などないと思っている。
そもそも、他人にばれるような下手は、彼のような人間ならばしないだろう事は明らかだった。
そんな事は猛も解っているだろうに、挑発的、というかどことなく楽しそうな顔はらしくなく幼い。
首を傾げた優の前に、猛はポケットから何かを取り出して差し出す。
革のベルトリングに通ったシルバーのリングには、猛の掌と比べると随分可愛らしい鍵が乗っていた。


「…何の鍵?」

「車のキーだ」

「……で?」

「前回のカリキュラムで免許が取れたんだろう?」

「まァ取れたけど。運転しろって言うの?」


それなら公道施設を借りないとならない。
そう考えて、優は面倒そうに首を掻いた。
カリキュラム外で、言ってしまえば私用で施設を借りるとなると時間も手間もかかる事は猛も知っている筈だ。
そもそも免許がとれたと言っても法的に認められる年齢はまだ先であるし取ったばかりで人を乗せるのも心許ない。
まぁ、猛ならば例え壁に激突しようが傷一つ負わないような気もするが。
いっその事クレーン車の前に立って貰って鉄球の的になって貰えた方が有意義だと、優は自分と同じ人間に対してではない考えに呆れて笑った。
そんな優を見下ろし、猛は鍵を荒っぽく放り投げると踵を返す。


「仕度が出来たらA棟の二階に来い。あァ、少し厚着した方が良いぞ。俺と違ってお前はヤワだからな」

「僕は標準だよ…って、え?何でA棟?公道施設があるのはD棟でしょ?」

「……来れば解る」


にたり、と。
そんな擬音が似合いそうな笑い方に、猛が居なくなった部屋で優が、


「…ちょっと気持ち悪かったなァ」


と、呟いたのは別の話だ。






















加速するに合わせて風が頬を叩く。
道なりに合わせて動く木々も揺れ動き、青草の匂いがそこら中に溢れて、時には鳥の声すら聞こえてきそうな景色に優は感嘆の息をつくよりも呆然としたように苦笑した。


「……君の見方、変えなきゃならないかも」

「何がだ」


ハンドルを切りながら緩やかな山道を走る。
優の言葉に、猛は狭いシートに身を縮めるようにしていた為に顰めていた顔をにやりと緩めてみせた。
その顔を見るに確信犯であると認識した優は、はいはい降参しますよと笑ってまたハンドルを切る。


「この車もそうだけど、外出許可なんて取っちゃってさ。ちょっと…かなり強引な手を使ったんじゃないの?」


厚着をしろという言葉の意味を解したのは、A棟に着いた時だった。
自身も着替えたのか、候補者用の黒服ではない姿の猛と、平時ならば堅く閉ざされている「外」へ通じる扉の横で、いつも暇そうにお茶を啜っている扉管理の老人が(ほぼ一方的に)和気藹々と話し込んでいたので、まさかと思えばそのまさか。
老人から「楽しんでおいで」と微笑まれ。
猛から「行くぞ」と声をかけられ。
いくら優でもあまりにも早い展開に軽い混乱を覚えていると、日本では絶対に売っていないだろうワゴン車の外観の癖に天井が無いオープンカーにあれよあれよという間に押し込まれた。
外出などカリキュラムをするにしたとしても監視員が付くというのに、許可は取ったから気にするなと言う猛が一人隣に座っているだけの状況である。
落ち着いてきた優はとりあえず笑うしかなかったのだが、今更ながらに事態は重い筈だと認識する。
どうやって許可を取ったのかそもそも猛が乗る事を想定したような車をどう手に入れたのか。
優の疑問とする所を察したのか、猛はそこで顔に浮かべた笑みを引っ込めてしまうと思案顔になって道なりに続く木々へ目をやった。
言いたくないのか、言いにくいのか。
とにかく優は待つしかない。それに、気にしすぎて事故を起こすのは避けたかった。


「…お前が」

「ぇ、僕?」

「鳥籠のようだと言うから、外に出たいのかと思った」

「…………」


優は、言葉に詰まった。
猛と優がその会話をしたのは二ヶ月も前の事である。
その時、優は確かに地下の施設を鳥籠のようだと言った。
だがまさか猛が覚えているとも思っていなかった上に、彼の口ぶりは優を思っての事と受け取らざるを得ない。
猛自身は気づいていないのだろうか。
気づけば、おそらく彼はとても狼狽するのだろう。
彼にとって情などというものは道端に落ちている石のようにどうだっていいものなのだから。
少なくとも優はそう認識していたし、その認識に誤りなどなかった。


「……車は?」


話を誤魔化そうと、猛の言葉には何も返さずに新たな質問を提示する。
外に出ることはともかく、猛が同乗する事を見越した車の造型は確かに人為的なものだった。


「外出には誰かを同行させろと言うから、俺が行くと決めた時に開発部の人間に相談した。一応天井も閉まるが多少窮屈だ」

「……ふーん」


優の視線は果てなく続く道へと向けられている。
夜も夜のこの時間帯では、ライトをつけないで山道を走るなど自殺行為に等しい。
道先を照らす光を眺めながら優はいつのまにか口を閉ざしていた。
元々口数が少ない猛も、優が喋らなければ自ら提示できる話題も無く。ただ、突然黙り込んでしまった優を視界の端で気にしているのか、その焦点は安定しない。


「……あ、」


ポツリ、と。
優が声を漏らしたのは、その頬に冷たい何かが当たったからである。
ポツリ、ポツリと落ちてくるそれは量と速度を増して二人の頭上に降りかかった。


「ぁ、わ、ねぇっ、天井ってどうやって出すのっ?」

「……どうやってだったか」

「き、君ねぇっ!」


先程までの沈黙など何処へやら、お互いに言い合いながらどうにか天井が出た時には、二人ともずぶ濡れとまではいかないが濡れていた。


「…はぁー…最悪」


濡れた前髪をくしゃりと掻き上げ、息をついた優に、猛は僅かに眉をひそめる。
悪かったとでも思っているのだろうか。
それこそ見当違いだと、優が笑おうとした時になって、猛が不意に手を伸ばした。






「……」

「……」






クシャリ、と無骨な掌が優の後ろ髪を擽る。
濡れた髪の先からポタリポタリと雫が落ち、猛はそれを無言で見ていた。次に気まずさを感じたのは優だったのか、だが猛とは違いその黒い瞳は真っ直ぐに猛を見て。
クシャリと髪を撫でる度に、首の表皮と手の甲の部分とが掠めるように触れる。
ピクリと、優が震えた。






「…どうして、」






一度言葉を区切り、猛の視線が自身へ向いている事を確かめてから、優はもう一度同じ言葉を口にする。


「…どうして、組織の誰かを付き添わせなかったの」

「…それだと地下と変わらんだろう。余計に息が詰まるんじゃないか」


優の質問に、何だそんな事かとばかりに猛が僅かな息をついて平然と答える。
その答はまた無意識なのかと、優は笑おうとして、だが笑えなかった。
だから少しだけ俯きがちになり、口元のみを引き攣らせるように緩めてみせる。
暗雲が立ち込め、更に夜という事で、車内には雨水の音と水の匂いに紛れた青草の香が満ちていて、境界は実に曖昧だ。
相手の顔すら細部までは見えまいと、優はタカをくくっていたし、事実、その通りであった。


「…君なら安心すると思ったって?」


声に嘲笑の色は無い。
子どもが純粋に問うような、そんな響きを帯びた優に、猛は一瞬だけ目を見開いた。


「…息が詰まるのか?」


答えなど、とうにお互い解りきっているというのに。
けれど猛は意地悪く問いた訳ではなく、先程の優と同じ、子どものように尋ねた。
優は、まだ俯いている。
その視線の先に、何が映っているのかと。
猛はそれを知りたくなったが答を得る前に動く事は出来ないと自制した。
クシャリと、また猛の指が優の髪を撫でる。
指先を濡らす雫はその冷たさを無くし、体温に紛れて滑り落ちていった。


「俺と居るのは、息が詰まるのか?」


もう一度、猛が問う。
優は弾かれたように顔をあげて、それから何かを言おうとしたが結局は言えずにフルフルと頼りなく首を振った。


「…………ううん」


安心する、とか細い声と共に優が伸ばした腕は、猛の首に回される前に身体ごと猛の腕に引き寄せられ。


「…そういう趣味は無かったんだろう?」

「……無かったよ?でも、」


君なら、ありなんじゃない?

そう言って優が笑う。
それは暗い車内では猛の目に映る事もなかったが、それでも優は、泣きそうな顔を精一杯笑顔にしてみせた。






















最初の本はプラトンから
さて、もう後戻りできないな

※07は裏頁に隔離していますので08に進みます。
予めご了承下さい。

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