04




約束なんて
不確かなものは信じない

だってそうだろう


それが大切なものである程
果たされなかった時になって


傷つくのは自分なのだから




だから、約束なんてしない




けれど、信じてはいる
そして、祈っている


信じる事も祈る事も
誰にも迷惑はかからない
被害を被るのは自分だけから



あァ、けれど




それはなんて滑稽な事だろう












欲しかったもの


























「猛様、何か良い事でもあったんですか?」


ビン底のような分厚いレンズをかけた白衣の女がヘラリと笑ってそう言ったものだから猛はおもわず自分よりも遥か下にある小さな頭を見下ろした。
女は、開発部の部員であり、優を尋ねては開発部の部屋へやってくる猛にお茶を出したり、時には世間話を投じたりする人間だ。
猛の勘に障るようなご機嫌伺いをする訳でもなく、そして女独特の甲高い声をあげる訳でもないその女は、猛にとっては数少ない『居ても構わない』人間でもある。


「…どういう意味だ?」

「機嫌が良さそうなので」

「…良さそうに見えるのか」

「えぇ、すっごく」


優美には程遠く、ニカッと歯を見せる庶民染みた笑みは気取るでもなくある種の好感を湧かせる。
しかし、彼女が言うように猛の顔は決して『機嫌が良い』と言えるようなものでもなかった。いつも通り、何も無ければ無表情のままだ。
室内の窓ガラスでそれを確認した猛は、不思議そうに首を傾げる。


「…別に、特筆すべきような事は無いが」

「あれれ?」


おかしいなぁ、と女が同じように首を傾げる。
特筆すべき事は、無い。
だが、機嫌が悪い訳でもない猛は、出されたお茶を一口で飲み干した。
彼が持つと玩具にも見えるティーカップが、カチャリと音を立てソーサーに置かれる。
オカワリはどうします?と、気軽に聞いてくる女に、猛は片手を前に出した。


「いや、良い。もうそろそろ終わるだろうからな」

「ですね。じゃ、お邪魔虫は退散します」

「邪魔……?」

「あれれ?気づいてないんですか、猛様」


ビン底メガネの奥では、隠すには勿体無い丸い目が楽しそうに緩む。
どことなく雰囲気が優に似ているからか、猛はぐっと押し黙った。















開発部員の女性が席を離れてから数分後、午前中のカリキュラムを消化し終えた優が自身で肩を揉み解しながら部屋に入ってきた。
白衣の部員が右に左にと動き回り、機械の前に群がったりしている室内に、小さなテーブルを前にして小さな椅子に座っている大きな後姿は近頃になって随分と見慣れたものである。
優は苦味の混じった笑みと共に一つ息をつくと、その背中に歩み寄った。


「やァ、早いね」

「……」

「待たせちゃったかな」

「……」

「……?どうかした?」


時間を無駄にするのを厭う猛は、普段ならばこうして優が声をかければすぐに席を立つのだが、今日はなにやら様子がおかしい。
今日は、カリキュラムの進行状況上、お互いの時間が合うからと昼食を共にする約束をしていた。
故に、先に終えたのだろう猛がこの部屋に居る事は当然の事であるし、優は事前に少々長引くかもしれないという旨を伝えていたので、待たせすぎたなどという事で怒る訳も無いだろう。
ならば、何が猛の動きを制限しているのか。
優はその原因に思い当たる事も無いので眉をひそめた。部屋の中でも、特に目立ったものはないし開発部員達も普通に通常の業務を行っているから何か事件があった訳でもない筈だ。


「…おーい?」

「っ…いつの間に来たんだ」


ヒラヒラと目前で掌を揺らせば、今気づいたとばかりに猛の目が驚いたように見開かれ優へ注がれた。
いや、おそらくは事実、驚いたのだろう。
しかし、常日頃から威風堂々とした、よく言うならば泰然と構えている猛が驚く事などそれ自体が珍しい。


「……や、ちゃんと声かけたけど」

「…そうか」


面食らった優がとりあえず事実を語ると、猛は暫くじっと優を見つめた後、困ったように首を掻いた。
困ったように、だなんてこれも貴重なワンシーンである。
一体何が彼に起こったのか。
優は知りたいような知りたくないような、そんな複雑な心境を抱えつつ何故か気まずくなった空気をどう打開したものかと考えた。


「えーっと……お昼、行くんじゃないの?」


大して気の利かない台詞が出てしまったのは優も猛と同じように困惑しているからだろう。
優の問いに頷くと、猛が席を立つ。
小さな椅子は歪にへこんでいて、次に猛が此処を訪れる時には違うものが出されるのだろう事は確実だった。


「あれれ、秋山君終わったんですか」

「あ、はい。終わりました」


ビン底メガネの開発部員がにこやかに声をかけたので、優もにこりと笑って返す。
優が、ありがとうございました、と頭を下げると女も、こちらこそ、と頭を下げる。
こういうシーンは現代日本でもよくある光景と言えよう。猛や、彼の父を含む一族はともかくとして、日本人の頭は上下する事に忙しい特性があるようだ。


「これからお昼ですか?」

「はい。お先にすいません」

「猛様とですよね」

「?…えぇ、そうですけど」


優が答えると、女の視線は猛へと向かったようだ。
分厚いレンズの所為でその視線の先は本来解らないが、女の顔が猛を仰いだのでおそらくはそうなのだろう。
猛はその視線を苦々しげな顔で受け止め、それから、何も言わずに踵を返した。
彼は約束を律儀に守る人間なので、置いてきぼりは無かろう、と優はさして慌てる事も無いまま首を傾げると、女はクスクスと声を抑えつつ笑い出す。


「少しからかってしまったんです」

「何て言ったんですか?」


優が来る直前、いや直後まで猛が固まるだなんて大した破壊力である。今後彼をからかうのに使えればと、優は悪い笑みを浮かべた。
女もそれを心得ているので、にんまりと笑う。
実は、彼女が優と最もウマが合う人間なのだと、猛は知らない。


「さっき、猛様の機嫌が良さそうだったんです」

「それで?」

「秋山君がそろそろ来るだろうって話になったので、お邪魔ですねって言ったんです」

「……それから?」

「あれれ?秋山君も気づいてないんですか?」


全く話が掴めないとばかりに優が首を傾げる。
女は困ったように笑った。
その先は大きな声じゃ言えませんよと笑うので、優は僅かに状態を傾け、耳を寄せる。
ヒソヒソと女が優に囁きかけるのと着いて来ない優に煮えを切らした猛が部屋の出入り口から顔を出すのはほぼ同時だった。


「おい、飯に行かないのか」

「…と、いう事です。解りました?」

「…よーく解りました」


顔を見合わせてはにんまりと笑い合う男女は、猛からしてみたら狐と狸の化かしあいのようにも見える。
それじゃ、と踵を返して歩み寄ってきた優は、これでもかという位爽やかな笑みを猛へ向けた。

そして、










「いや、まさか君がそんなに僕を好きだなんてねぇ」










ピシッ、と猛が固まる。
が、そんな事は気にもせず、優は猛の(肩には届かないので)胸板をポンポンっと軽く叩き笑った。


「あァ、でも僕にはそういう趣味無いからさ。ごめんね、君の想いに応えられないや」

「…何の話だ」

「もう、隠さなくたって良いってば。うんうん、男同士だもんね、隠された想いってのがあるよね」

「っ〜〜〜!ふざけるな!」


あっはっはっは、と高らかに笑って猛を抜き去り走っていく優を、怒りからか僅かに赤い顔をして猛が追いかける。
そんな二人を、部屋に居た開発部員達は微笑ましく見ていた。










『猛様って、秋山君と居る時とても楽しそうな顔をしますねって言ったんですよ』










余談ではあるが、その日の昼食は命がけの鬼ごっこの所為で食べそびれ、優は少しだけからかった事を後悔したそうな。



















どんどん卑怯にはまっていく兄貴
楽しんでる卑怯

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