01




闇の中では小さな光でも目が痛む
ならば見えなければと、目を閉じた


目を逸らして
偽物の赤い血に
己の心を浸すしかない




この身体に流れている血は

確かに、人のそれではあるが



けれどもう、それが暖かいのかすら解らない




そう
もう流れては、いないのだ







『情』という、暖かなそれは







それは必然


























延々と続く白い廊下を突き進む足取りは決して軽くない。しかしそれは気分が降下しているだとか虫の居所が悪いという事ではなく単純に重量の問題であった。
ズシン、ズシンとまるで怪獣が一歩一歩踏み出すような足音に、通り過ぎる人間達の視線は一定の間その音の源へと固定される。
足音の主は怪獣ではないが、それに等しい巨体に野獣のような相貌をした男だった。髪は天をつくように重力に逆らい上へと向かって突き出ており、その瞳は吊り目と言うも可愛らしいと思える程鋭い。
男の名は、金剛猛といった。

今、彼が存在している国、日本では若者は怠惰に生活し大人達はそれをどうする事もできないでいる。
そんな腐りきった社会を立て直す為、日本政府がある組織と手を組み築き上げたプランの名を『23区計画』といった。
日本国民1億3千万人の中から23人の有志を選ぶ事から始動しているこの計画により猛もその有志候補に入っている。
それ故に、彼は現在日本国家が水面下で作り上げた地下施設で未来の有志になる為に日々試験と教育を受けている最中なのだ。

しかし、彼が現在向かっているのは自身に宛がわれた部屋ではなく、況してや試験を受ける実験室や地下広場でも、教育を受ける会議室でもなかった。
長い廊下を右に左にと曲がる足取りは何の迷いも無く、彼がその道を歩く事に慣れている事を顕著に表している。


「猛様、どちらへ」


ふと彼の足を止めたのは、彼の父親であり組織の創設者でもある男の付き人だった。黒い長髪を艶やかに結上げたその女性は、しかし彼の興味の範囲外なのか彼はその付き人の名前すら知らない。
ただ、呼び止められたから、立ち止まった。彼にとってはそれだけの事である。


「今日のカリキュラムは消化した。以後の行動を詮索される謂れはない筈だが」

「これは失礼を申しました」


ジロリと睨むも、付き人は心得たように頭を下げるだけで怯えた様子は欠片すら見せない。
流石に親父の付き人をやるだけはある…と、僅かに感心を示すも、それはこれ以上彼の歩みを止める程のものではなかった。
付き人がにこりと微笑み、足音も静かに僅かな衣擦れの音をさせるだけで自分とは逆の方へ去っていく姿を最後まで見届けることも無く猛は再び歩き出す。
部屋へ通じる扉の数が少なくなっていき人の気配すら少なくなっていくと、漸く目当ての部屋へ辿りついたのかその歩みが止まった。
平坦な白い扉の横にはパネルがついていて、これも慣れた手つきで小さなボタンを4度押す。入力したナンバーを機械が認識し、ピーッと静かな空間には些かけたたましく響く音がしたかと思えばガチンッと重厚な音に続いて扉が左右に開いた。


「……」

「やァ」


扉の先には、本の詰まった棚と、傍目にも豪華なベッド。しかしそれ以外は殺風景な白い壁と床で、その落差が不安定な違和感を感じさせる。
生活感の欠片は本棚と壁際に寄せられたベッドにしかなくその上には彼の目当ての人間が一瞥もくれずに古ぼけた革表紙の本を読んでいた。


「挨拶は人の目を見てしろ」

「小さいことには拘らないんじゃないの」


ペラリと、所々端に切れ目が入った頁を捲くるのは、平均的には長身ではあるが、猛に比べると随分と小さな青年である。
猛が僅かに苛ついた声で警告をするも、やはり青年の眼差しは古ぼけた本に集中していた。文字の羅列をしっかりと追うその焦点は、猛に注がれる事は無いと断言しているように忙しなく動いている。


「…破られたくないなら止めろ」

「……んー、あと1頁」

「あと5秒だ」

「…解った。解ったよ」


5秒、と口にしてから3秒程文字を追い、残り2秒で返答と共に本を閉じる。
青年は、やれやれと溜息をついて、破られないようにと猛とは逆の方に本を置いた。


「素直だな」

「だって君って、言った事はホントにやるんだもん」

「最初から聞いていれば良いんだ」

「それは君の言い分であって僕の言い分にはならないよ」


捻くれた物言いに猛が面白いものを見たとばかりに顔つきを緩める。
猛にそのような口を利く人間は、滅多に居ない。
最初に出会った時は、その物言いに苛立ちすら覚えたが、慣れれば珍生物を発見したような気にもなってくるのだろう。
青年は、黒い髪に黒い瞳、鼻筋も通っていて、それは美形の部類に入れるべき造詣の持ち主だった。
名を、秋山優という。
彼も、今回の『23区計画』で有志候補になっている人材だ。


「で、今日は何の御用かな?『猛様』」

「……盗み聞きか」

「盗聴器を仕込まれて気づかない君が悪いと思うけど?」


優がしたり顔で自身の襟のあたりを指先で示す。
猛は、もう慣れたように溜息をつくだけで着ていた服の襟部分を乱雑に掌で払った。グシャッと盛大な音をたてて、床に転がるのは『盗聴器』の無惨な姿だ。


「あーあ、壊しちゃった」

「また開発部の連中に頼まれたのか」


僕しーらない、と飄々とした態度の優への問いかけはほぼ確信に近い色を帯びている。


「ご名答。いい勘してる」

「…遊びも程々にしろ」

「計画が始動したら状況は逐一変わるだろうからね。なるたけ性能を高くしときたいんじゃない?どう?つけられた事も気づかない位軽くて小さかったでしょう」

「…俺で試すな」


文句は当然と言えば当然だ。猛が如何に他人の目を気にしないからといって、他人に聞き耳を立てられるのはいい気がしないのが人というものである。


「だってさ、君位しか結果を聞ける相手が居ないんだよ」


しかしながら、優の言い分も正論だった。
後々お互い敵同士となる有志候補は、なるたけ顔を合わせないように部屋を各棟毎に何人かで振り分けられている。猛と優の部屋はとても離れているのだが、棟は一緒なのでまだ近いと言えるだろうか。
試験や教育も其々の能力によってカリキュラムが変化するのでそれも顔を合わさない要因と言えよう。


「君なら呼ばなくたって、会いに行かなくたってそっちから来てくれるしね」


故に、こうして猛と優がわざわざ顔を突き合わせているのは異色と言えば異色なのだった。
優は知略を重視したカリキュラムを受けているので、必然的に開発部、つまりは頭脳を生かした人間と接触する機会が多い。その優を尋ねてくる猛も、彼らにとっては接触の多い有志候補の一人だ。
猛と優の二人が、カリキュラムの行程以外で顔を合わせている事は、彼らにとって嬉しい誤算なのかもしれない。


そしてその誤算とは、二人にとってはある種の必然とも言えたのだろう。



















とりあえず始まりです
好きだけど愛ではないんです


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あきゅろす。
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